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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu207.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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日本に見捨てられたアメリカは経済的に没落して、世界最大の軍事力も
支えきれなくなり世界から引き揚げて国内に閉じこもるようになるだろう。
2010年1月3日 日曜日
◆日本の教訓が終わる時 2009年12月30日 The Economist
http://anond.hatelabo.jp/20100101022239
かつて、日本は金融危機への対応がどれほど大きな賭けとなるのか世界に教えてくれた。そして今、欧米諸国がその賭けをする番になっている。
「東京では新年のご祝儀相場による値上がりが予想される。」 1989年12月29日の速報ヘッドラインはこんな風に市場を熱狂的に支持していた。その日、世界史上最大規模の資産バブルはその臨界点に達していたのである。そして日本は、ちょうど20年後の今もまだ、そのバブル期のツケを払い続けている。日経225はバブルのピーク時に38,916円を記録したが、現在ではそのたった1/4超にまでしぼんでいる(新年のご祝儀相場があると言われてはいるが)。「失われた20年」の日本経済は名目値でかろうじて成長したくらいで、いまだにデフレの害を受け続けている。この国はいったんアメリカににじり寄ったものの、最近では中国の首筋に熱い吐息をかけている。皆さんは”ジャパン・アズ・ナンバーワン”というコピーを覚えているだろうか? 今日、その同じ国のご自慢は、総額でGDPの200%に達する政府債務なのである。
日本人にとってこれらはみな深刻な問題だ。ところが、この2年で’89年以降の日本が抱え込んだ問題の多く(資産価格の暴落、投げ売り同様の債券、のしかかるデフレの恐怖)と同じものに、西側諸国も直面することになってしまった。崩壊しかねない金融システムに対し、政府はどうすべきで、どうすべきでないのか、日本は有用な教訓を残してくれた。
日本という先達のおかげで、その教訓の多くは迅速に実行された。日本当局がやったよりかなり迅速に(日本国民は試行錯誤せねばならなかったという点で不運だった)、欧米の政策決定者は、国内銀行に流動性を供給して資本を積み直させ、同時に財政刺激を惜しみなく行って民間需要の激減を相殺したのである。そのおかげで、世界経済の見通しはだんだん明るくなってきている。
日本からの教訓で残っているものはあるだろうか? 日本に学ぶというやり方は、様々な点で、すでに使えなくなってしまっている。それは、部分的には、欧米諸国の現状が日本のかつての状況より悪いからだ。ギリシアのように最も不安定な国々は、かつての日本にはなかったような問題に直面している。これらの国々の市場では国の債務返済能力が信頼されなくなるだろう。一方、日本は巨額の国内貯蓄で災難をやり過ごしており、日本の投資家は海外投資よりお金を国内にとっておくほうを好んできた。世界金融危機の規模は大きく、日本の問題はかすんでしまうほどだ。彼らの問題は海外にほとんど影響せず、世界経済の成長にとっては背景のようなものだ。それより、膨大な赤字を抱えた国が多すぎて、財政の信頼性が急激に失われることのほうがもっと深刻な事態である。
しかし、欧米のほうが日本よりまともな点もある。我々のシステムは日本より柔軟なのだ。柔軟な国であればあるほど、生産性を維持するための構造改革への抵抗も少なくなる。また、欧米は日本と違い民間の不良債券処理に対する政治的障害も少ない。さらに、西洋人は日本人より決断力をもって行動し、とくに経済に流動性を供給して金融業界のバランスシートを改善させているという点で有利だ。ゾンビバンク(訳注: 経営破綻しているはずなのに政府の救済で生きながらえている銀行)が少ないほどデフレに陥る兆候は減り、成長のきざしが見えるのはずっと近づくだろう。欧米は未知の領域にいる。そして、すでに日本が踏み込んだことのない段階にあるのはおそらく間違いない。
日本からの卒業
したがって、日本の哀しい窮状から特定の教訓を導きだしつづけるのはとても難しくなっている。しかしながら、日本は、すべての経済災害に共通する一般的な教訓を残してくれている。それは、景気回復っぽい兆候に騙されてはならないということ。日本はこれを誤認し、民間需要が回復を維持できるほど力強くなってもいないのに、なんども財政引き締めを行ってきた。それがデフレを固定化したのである。また日本の国内銀行の資本も、今後のショックに対応していくには少なすぎるまま放置されている。
先進国の政策決定者は、まだ数え切れないほど多くの作業を抱えている。多くの銀行はその融資に巨額の評価損を抱え、経済には余剰設備が重荷となり、家計の借金はかさんだままだ。このような状況であわてて引き締め政策をとれば悲惨なことになりかねない。試行錯誤するしかないが、ミスをすればするほど、我々の今後10年は日本の失われた20年に似たものになっていくであろう。
◆水野和夫著『金融大崩壊〜「アメリカ金融帝国」の終焉』 2009年12月28日 ぐんぐんぐんま〜とうとう東京
http://futennochun.cocolog-nifty.com/gungungunma/2009/12/nhk-1825.html
この間、日本は何をしていたのだろう。
「バブル崩壊の後遺症とその教訓があり、世界の金融資産の拡大競争には消極的でした。むしろ政策としては、デフレ脱却のためにマネーサプライ(通貨供給量)を増やす方向を選びました」。
「マネーサプライを増やすために、日銀は99年2月から2000年8月までゼロ金利政策をとり、01年3月から06年3月まで量的金融緩和政策へ移行し、実質的にゼロ金利が続いていきます」「そして、それはほとんど効果をあげませんでした」「むしろ喜んだのは海外の投資家たちで、日本では金利がゼロで資金を調達できるということで、日本から海外へお金が流れ出ていきます」。「日本のとった政策は『オウンゴール』と呼ぶことができると思います」。
世界金融危機の第一段階は「リーマン・ショック」まで。第二段階は「アメリカの金融業界に起きた大きな変化でした。アメリカの5大投資銀行のうち、破綻したリーマン・ブラザーズを除く残り4つの投資銀行は商業銀行に業態を変え、存続を図りました」。
第三段階は実体経済への影響の拡大だ。「過剰借り入れの是正プロセスで起きるのは耐久消費財、とりわけローンで購入する割合が高い自動車販売の減少です」。
アメリカの過剰債務は「07年末時点で3兆8000億ドルです。・・・そのうち約1兆3000億ドルが不良債権ですから、それは返済できないものとしてカウントしないとすると、残りの2兆5000億円ドルをアメリカ国民は消費を落としながら貯蓄率を上げ、その貯蓄で返していくことになります」「それには丸々5年はかかるでしょう」「もやは、アメリカは個人消費主導の景気回復はできなくなったといえます」。
「アメリカ金融帝国」は終焉したわけだが、その後の世界はどうなるか。「もっとも大きい変化は、強いドルの終わりです」「アメリカは外国人が国債を購入しないと、景気対策も金融安定化対策も事実上できなくなってしまいました」「国債の発行のたびに、ドルが下落していく可能性がもっとも高いでしょう」。
今後、「資本の向かう先の第一候補は、30億人が近代化し、中産階級が形成されようとしているBRICsなどでしょう。次に考えられるのが、脱化石エネルギーへの投資です」。
アメリカが「アメリカ投資銀行株式会社」なら日本は「日本輸出株式会社」。この二つは“連結会社”なので、アメリカ金融帝国の終焉は日本にとっても「戦後もっとも深刻な事態」と投資家に見られている。
水野氏は「『日本輸出株式会社』の内実は『日本先進国向け大企業輸出株式会社』だったわけですが、これからは規模の大小を問わず『日本新興国向け企業株式会社』として、進むべき道を模索していく必要がある」と提案する。
(私のコメント)
80年代の日本のバブルは冷戦時代の集大成のようなものであり、日本は資本主義陣営のエースだった。日本の経済力はアメリカを脅かすほどになり、91年の冷戦の崩壊はソ連経済の自滅であった。そして東ヨーロッパからロシアから中国に至るまで一斉に資本主義市場に参入してきました。その事によって資本主義のエースだった日本から投資資金が参入してきた旧共産圏諸国に投資が向かった。
日本の政府日銀もバブル潰しを行なって株価も不動産価格も暴落した。この時点で銀行への公的資金の注入や大幅な金融緩和が行なわれていれば良かったのでしょうが、バブルの再発が起きるというマスコミの誤ったキャンペーンで政府は動きが取れなかった。当時は金融緩和をすればバブルの再発が起きると考えられていたからだ。
銀行も公的資金の注入は経営責任を問われる事になるから不良債権を隠し続けていた。その為に粉飾決算や飛ばしが行なわれていた。政府は金融緩和すればすぐに景気は立ち直ると考えていた。しかし不良債権が大きくなって信用不安が起こるようになると97年には拓銀や三洋証券や山一證券が潰れて金融パニックが起きかけた。
この時点になって政府日銀も普通の大不況ではないと気が付いて公的資金などを銀行に注入した。しかし金融ビックバンなどを行なったりして金融の混乱に拍車をかけた。橋本内閣も銀行がこれほど酷い状況と走らなかった。個人も企業も多すぎる借金を抱えて借金返済に回って消費が低迷するようになった。
問題は冷戦の崩壊によってアメリカが同盟国の日本に対する態度が変わった事に早く気が付くべきだった。ソ連の軍事的脅威が無くなれば次は経済的脅威だった日本に襲い掛かってくる事は想像できなかった。だから日本に対して構造改革を迫るようになり年次改革要望書はクリントン宮沢会談で決まった事だ。
当時の日本政府は主要問題をアメリカ政府にお伺いを立てるようになり日本の属国化が進んだ。生保や銀行や証券会社が潰されて外資に売られるようになった。まさにアメリカは日本に対して牙をむき出しにするようになった。終いには三角合併や株式交換で企業買収がしやすくなって外資に日本企業が買収される環境が整った。
アメリカはまさに金融帝国として世界に君臨してグローバル経済を支配するはずだった。日本からゼロ金利で資金を調達して日本企業を買収するのだから、これほど痛快な事はないだろう。日本も黙ってみていたわけではなく日銀が金利を0、5%まで引き上げて世界同時株安を起こしてアメリカの投資銀行への資金供給を止めて逆流させた。
日本から資金がジャブジャブ出ているときはアメリカの投資銀行の戦略はうまく行っているように見えたが、日銀が金利を引き上げて流れが変わった。アメリカのサブプライムが問題になったのも資金の流れが変わったからだ。サブプライムがおかしくなればアメリカの金融商品にも買い手が無くなりアメリカの金融機関は一気にショック死状態になってしまった。これがリーマンショックだ。
水野氏が言うようにアメリカの金融帝国はあっけなく終わりましたが、資金供給してきた日本に襲い掛かろうとして来たからだ。日本からの資金供給を絞ればアメリカの金融帝国はショック死した。レバレッジを30倍から50倍もかけて投資をしてきたのだから上手く行けばぼろ儲けが出来るが、失敗すれば巨額の債務が残る。
日本は90年のバブル崩壊以来GDPの伸びは停滞して超低金利が続いても不況が続いている。国家の債務も増える一方であり日本の時代は終わったように見える。今年は中国にGDPで追い抜かれるだろう。しかし中国に資本や技術を投入してきたのも日本だ。日本はアジアのみならず世界の新興国に投資銀行を通じて資本を投資して技術も投資してきた。
水野氏はアメリカが「アメリカ投資銀行株式会社」なら日本は「日本輸出株式会社でしたが、これからは『日本新興国向け企業株式会社』として、進むべき道を模索していく必要があると提言しています。アメリカという輸出市場がダメになれば新興国を新たな輸出市場にしなければなりません。だからアメリカから資金を引き揚げて新興国にカネを回す必要があります。
アメリカがまさに日本に襲い掛かろうとしたとき、日本は金利を引き上げてアメリカ金融帝国をショック死させた。これからの日本は新興国に資本と技術を投資して市場に育てなければなりません。このようにしてみれば世界を動かしているのは日本のマネーである事に気が付く事でしょう。
なぜ日本が超低金利でマネーを供給できるのだろうか? ドルに対して高くなり続けているのが円であり日本の経済力や技術力が円の値打ちの裏付けとなっている。中国は世界一外貨準備を積み上げていますが元を高くする事が出来ない。元を高くすれば輸出競争力が無くなるからだ。規模的には中国は日本を追い越しますが技術力が伴っていないから先進国の経済的植民地になるだろう。
日本に見捨てられたアメリカは経済的に没落して、世界最大の軍事力も支えきれなくなり世界から引き揚げて国内に閉じこもるようになるだろう。