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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu203.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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勝間和代は正しい。池田信夫は経済学のことを全然理解していない。
金融市場と財市場の区別もできていないようだ。ど素人ですかね?
2009年11月8日 日曜日
勝間和代さんのデフレ退治策、菅直人副総理は納得せず
http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2009/11/post-44.html
◆「勝間和代は間違っている?」について。 11月8日 ニュースと感想
http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/main.htm
まず、池田信夫のブログには、勝間和代の提言がリンクされている。それを見たが、いちいち「間違いだ」騒ぐほどのことじゃない。彼は自説と異なるものをすべて「間違いだ」と決めつけたがるが、勝間和代の説は、おおむね、ただのマネタリストの見解にすぎない。つまりは、学会の主流派の見解だ。それだけ。
勝間和代というのは、自分では何も考えず、他人の言説をまとめるのが特異なだけだ。その説を見て「間違っている」と言うのは、見当違いも甚だしい。彼女は自説を何も述べていない。単にマネタリストの見解を述べているだけだ。あれを「勝間和代の説」と見なすのは見当違いも甚だしい。また、批判するなら、勝間和代でなく、マネタリストを批判するべきだ。(女性へのやっかみをするのは、女々しいね。情けない。)
どちらかと言えば、冒頭の新聞記事の方がよほど興味深い。
「日銀引き受けで、ばらまき」
というのは、確かに、インフレの効果がある。その意味で、池田信夫のように、
「ゼロ金利状態でいくら通貨を供給してもインフレが起こらないことは、ここ1年の世界経済で実証ずみだ」
と言うのは、見当違いだ。彼は(前日・前々日の)記事を、ちゃんと読んだのだろうか? 勝間和代の説は、金融市場に金を投入するのではなく、財市場に金を投入することなのだから、確実に、インフレ効果はある。その意味では、勝間和代の用賀、池田信夫よりも圧倒的に正しい。池田信夫は経済学のことを全然、理解していないようだ。金融市場と財市場の区別もできていないようだ。ど素人ですかね?
勝間和代の説で問題があるとしたら、「ばらまく」という言葉の意味だ。彼女はそれを「実際は投資であり」と表現しているから、たぶん、公共投資(公共事業)に使う、という意味なのだろう。つまり、ケインズ政策。そして、その資金に、赤字国債を使う、というわけ。
これは、クルーグマンの説と同様だから、特に「間違いだ」と大騒ぎするほどではない。よくあるケインズ派の説と同様である。オバマだって同じようなことを言っていた。これを批判することはできるが、あくまで「学説の一つ」として批判するべきだ。別に、勝間和代の独自の説じゃない。「勝間和代の説」として批判したら、ケインズが泣くよ。
「赤字国債によって公共事業をしてデフレを脱する」ということは、まさしく成立する。その意味で、「デフレ脱出」を目的とするのであれば、勝間和代の説は完璧に正しい。(ケインズの説が正しい、という意味と同じ意味で正しい。)
ただし、問題は、「デフレ脱出」を目的とするということだ。それが問題だ。なぜか? ケインズの方法では、「デフレ脱出」は可能だが、そのあとで、「インフレの暴走」が起こるからだ。いわば、窮地を脱するための 100万円を貸してもらったら、そのあとで利息を 500万円も要求された、というようなものだ。(悪魔の商法。悪徳サラ金ふう。) つまり、「行きはよいよい、帰りは怖い」である。
勝間和代の説は、正しくはない。しかしその理由は、「これではデフレ脱出ができない」ということではなくて、「デフレ脱出はできるが、そのあとで不幸が倍加して襲いかかってくるから」である。
そして、正しい方法は何かと言えば、「ばらまきをしない」ことではなくて、「ばらまきの対象を、公共投資のかわりに、減税にすること」なのだ。この場合にのみ、デフレ脱出が可能となり、かつ、インフレ暴走を避けることができる。(将来の増税によって。)
この件は、下記で詳しく説明したことがある。
→ nando ブログ: 公共事業の難点
→ nando ブログ: 定額減税の意味
◆細木数子化する勝間和代 〜勝間和代バブルの解題 11月7日 切込隊長ブログ
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/11/post-020a.html
その勝間和代女史が、国家戦略室で「デフレを止めろ」的なことを言ったのを知った池田信夫氏が、嫉妬を爆発させて面白エントリーをアップしたりして波紋が広がっている。
国家戦略室への提言「まず、デフレを止めよう〜若年失業と財政再建の問題解決に向けて」
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2009/11/post-288b.html
まず、デフレを止めよう
http://www.katsumaweb.com/market_eye_mtg.pdf
勝間和代氏のためのマクロ経済学入門
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51307531.html
政権の人気取りと、やることの少ない国家戦略局が仕事してますよアピールを兼ねてマスコミネタになる仕掛けをしたに過ぎないと思うのだが、そういう瑣末な餌でいちいち釣り上げられる池田信夫氏も素敵だし、釣られ方も入れ食い式でウケる。ある特定の学派に則った議論を財政担当大臣にレクったとかならともかく、菅直人さんに言いに逝っただけなのだから放置しておけばいいのに。固定相場を導入しようとか、政策論としてはいいけど菅直人に言ってどうすんだよという内容で勝間女史も手づかみでクソを投げたわけだから、それに対する池田氏のあるべき態度は「何でクソを投げてるの?」と怒ることではないような気もするのだが。
勝間和代バブルは潰すべき、という話のようで、池田信夫氏がどこまで本気で書いているのかも分からんところだけど、個人的には凄まじい暴言大会がネット上で繰り広げられ双方クソまみれに発展した挙句衆人環視の中で共倒れ希望です。
一方で、田中秀臣先生も反応されている。言いたいことは分かるが、個人的には、人を見て法を説けとしか言えない。一つの学派として、有力者にプレゼンしましたという意味合い以上に、万一勝間和代女史に何事かあったら、その主張をしていたグループ自体も傷つく可能性があり、社会的なコンセンサスがさらに取りづらくなる。そのまま勝間女史が民主党に取り込まれ、彼女自身もバッジをつけるなり、都知事選に出るなどして民主党の経済・金融政策に影響力を与えられる立場まで成り上がれれば凄くいいのだが、その道のりは極めて遠く厳しいと思わざるを得ない。そうなったとして、彼女に仕えて仕事をすることになる官僚や彼女のためにメディアコントロールをしなければならない官房は大変すぎる。
[経済]勝間和代さんのデフレとの闘い
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20091106#p4
(私のコメント)
最近になって値下げ合戦が酷くなり、990円のジーンズが売られたり、500円のワイシャツが店先に並んでいる。こんなコストで作れるのは中国の糸を使った中国製の生地で、縫製はカンボジアの工場で行なっているもののようです。こんなコストではたして採算に合うのかと思うのですが、中国にしてもカンボジアにしても格安の労賃で働かされている事になる。
日本で物価がじりじり下がり始めたのは90年代からですが、100円ショップが出来たり、価格破壊商品がスーパーに並び始めて物価が上がらなくなった。昨日もカインズホームに軍手を買いに行ったのですが、一つ185円なのに20組の軍手は400円もしない値段だった。一つが20円足らずの軍手とは原価はどうなっているのでしょうか?
電動工具も前は1万円近い値段だった電動工具セットが3000円台で売られている。これは完全な価格破壊であり、中国や東南アジアからデフレが世界に輸出されているのだ。これは製造設備などの資本や技術は先進国から持ち込んで、工場用地や人件費はただ同然で働かせているからこのような価格破壊が起きているのだろう。
普通なら景気対策を行なえば景気が良くなってインフレ気味になって価格も上がってくるのですが、日本では90年代からそれが止まってしまった。国内で製造されていたものもそっくり東南アジアや中国に機材を運んで製造させれば数分の一で製造できるのだから、この流れはなかなか止まらない。
冷戦の崩壊で旧共産圏の労働力が資本主義市場に供給されるようになって世界的な価格破壊が起きた。供給の過剰がより価格破壊を促進するようになって、990円のジーンズまで現れるようになったのだろう。500円のワイシャツなど洗濯代のほうが高くなるから使い捨てのようなものだ。
しかし中国や東南アジアで作られる物はブランド化される事は無く、品質が良くなってブランド品として付加価値がつくことは無いようだ。衣類ばかりでなく自動車などの耐久消費財も同じであり、グローバル企業の下請けとして作られるか、コピー商品として自動車が作られてロシアやアフリカなどに売られている。
縫製などや自動車の組み立てなどはどうしても人手がかかるから、旧共産圏の格安の労働力で作られるようになったのですが、その為に先進国にデフレが蔓延してしまった。アメリカでもスーパーで売られている商品はメイド・イン・チャイナで溢れている。日本でもカインズホ−ム見かけた電動工具もメイド・イン・チャイナであり今までの半値から三分の一で売られている。
昔は生産する人と消費する人が同じ国内だったから物価が上がっても給料も上がったからバランスすることが出来た。しかし今では生産する人と消費する人が国が異なり、消費する人から生産する人に金が流れるから、日本は20年もそれが続いた結果、消費する金が減ってきてデフレが酷くなってきた。
日本政府は一生懸命に橋や道路を作って景気を喚起しましたが、仕事はドンドン中国やベトナムに行ってしまって、地方の工場は閉鎖されて若者には仕事が無くなってしまった。もちろん一部のグローバル企業は旧共産圏に工場を移転させる事で利益を上げてきましたが、国内の工場も非正社員化を進めて賃金が低下した。
このような状況では従来型の景気対策を行なっても効果は少なく消費は増えない。国内から仕事が減っているのだから税収も落ち込むのは当たり前のことであり、新しい産業を興して仕事と雇用を増やさなければならない。アメリカやイギリスは金融を新たな産業として金融立国を目指しましたが、リーマンショックで経済に破壊的ダメージを与えてしまった。
行き過ぎたグローバル化は、新興国の経済を活発化させる良い面もありますが、先進国の仕事を無くして貧困化を招く結果をもたらしている。アメリカはドルの基軸通貨を利用してアジア諸国の米国債を買わせてマネーを還流させて経済を活発化させてきましたが、日本は国債を国内の資金で買っているから、海外に流れ出たマネーが還流してこない。
日本だって中国から物を買うのなら円建ての日本国債を買えと言うべきなのでしょうが、ゼロ金利では売るに売れない。ならば日銀に国債を買ってもらって国がばら撒くしか手段は無いのですが、円が高いという事はそれだけ信用能力があるわけだからそれを使うべきだ。
勝間和代が「デフレを止めろ」と主張するのは当然のことなのですが、政府や日銀は増大する国債残高に「ばら撒き政策」を渋っている。国債の償還の事が心配だからですが日銀が買うわけだから法律一本でチャラに出来るはずだ。たとえ1000兆円の国債残高に増えても日銀がほとんど持っているのなら1000兆円の政府紙幣一枚発行して買い戻せばチャラに出来る。
池田信夫はそれを批判しているわけですが、池田氏は金融市場で金がだぶついている状態でインフレも起きていないと批判しているが、金融市場に金がだぶついても外に出なければインフレは起きない。勝間氏が主張しているのは政府が金を使えと言う事であり、池田氏は金融市場と財市場の違いが分からないようだ。
「株式日記」では一人当たり100万円の定額給付金を配る政策を主張していますが、円が高いという事は通貨発行しても円が高いから行う事ができる。国債を発行する事も円を発行する事も結果的には同じ事であり、当面は政府が国債を発行して日銀が札と交換すればいい。国債の償還期限が来れば政府紙幣で買い戻せばいいだけの話だ。
切込隊長ブログでは勝間氏と池田氏が漫才をやっているとからかっていますが、グローバル経済やマクロ経済を理解できる人は僅かしかいない。定額給付金でばら撒くというのが一番分かりやすいのですが、子育て手当ても一種の定額給付金だろう。70歳以上の老人がいる世帯には養老手当てなど配ったらどうだろう。
現代の老人たちは金持ちが多くて大金を溜め込んで使わない。34歳の女に80歳の老人が7000万円騙し取られて殺されましたが、振り込み詐欺でも老人たちが数百万円も振り込んで被害に遭うのも大金を持っているからだ。私ならそれだけの金を持っていたら不動産投資や株式投資に使いますが、1500兆円の金融資産は郵便貯金や銀行預金などに固まったままだ。
バカマスコミは800兆円の国債残高に大変だと騒いでいますが、池田信夫氏もその一人だ。赤字国債は税金で償還しなければならないと言う固定概念を持っているとそうなののでしょうが、勝間氏も池田氏も分かりきって漫才をしているだけなのかもしれない。池田氏もブログでは勝間氏と同じような事を言っている。
◆政府紙幣と国債の日銀引き受け 2月10日 池田信夫
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/59f8b09c817493d904bf6d5f136bd6af
普通の財政・金融政策が手詰まりになった中で、最近にわかに話題になっているのが政府紙幣だ。「アゴラ」に少し書いたように、これは「マリファナ」とか「円天」とかバカにするような政策ではなく、議論には値する。ただハイパーインフレになる心配より、何も起こらない可能性のほうが高い。ゼロ金利では資金需要が絶対的に飽和しているからだ。したがって政府紙幣は、金融政策ではなく財政政策である。しかしスティグリッツが「国債は債務を借り替える必要があるが、政府紙幣を発行した場合にはその必要はない」とのべたのは誤りで、白川総裁が反論したように、市中から環流してくる紙幣を日銀が買い取るところまで考えれば、無利子の国債を日銀が引き受けるのと同じだ。
したがって問題は、国債の日銀引き受けをすべきかどうかということになる。野口悠紀雄氏もいうように、これは財政法で禁じられているが、国会決議があれば可能なので、政府紙幣より現実的だ。つまり政府が日銀から借金してバラマキ財政をやるのだ。しかし日銀は通貨発行益を政府に納付しているので、政府に対して債権をもつと、両者は相殺されて同じことになる。それもしてはならないと法律で決めて、完全なフリーランチにすることは可能だが、これは日本政府が意図的に無責任になる政策だ。白川総裁は次のようにのべる:(後略)