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真実を語ったエコノミスト−下村 治  (社会科学者の時評)
http://www.asyura2.com/09/hasan65/msg/780.html
投稿者 新世紀人 日時 2009 年 11 月 03 日 16:10:07: uj2zhYZWUUp16
 

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=1958007

2009.2.12
■ 真実を語ったエコノミスト−下村 治 ■
日本の風土・地域性
経済 » 一般

 ◎ 骨あるエコノミストだった 下村 治 ◎

【日米関係のなかの日本経済】

 @ 対米従属は政治だけでなく,経済もそうである

下村 治(しもむら おさむ,1910年〜1989年)という官僚出身のエコノミストがいた。いま,この時期になってこのエコノミストを再評価する声が高い。最近,文春文庫から下村 治『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ−』(文藝春秋,2009年1月。1987年4月初版)が復刻されている。筆者もこの文庫本で下村の経済思想に初めて触れた。

 本書の詳細と目次は,つぎのように解説されている。さきに下村の経歴を紹介しておく。


 佐賀県出身。東大経済学部卒後,大蔵省入省。アメリカ在勤後,日銀政策委員等を歴任。退任後はエコノミストとして活躍した。池田勇人内閣の経済ブレーンとして,日本の高度経済成長を予見。所得倍増計画の策定に携わる。1973年の第1次石油ショック後は,成長の条件がなくなったとして,ゼロ成長論を一貫して唱えた。

 戦後を代表するエコノミスト下村治が1987年に上梓した本書『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ−』は,日本がバブルの絶頂へ向け驀進していたなか,「日米は縮小均衡から再出発せよ」と異端の警鐘を鳴らした。これは米国の金融バブルが崩壊し,恐慌の縁に立つ世界に,なんと切実に響くことか! いまこそ,下村の声に真摯に耳を傾ける最後のチャンスだ。

  第1章 世界的経済不安定の元凶は日本ではない
  第2章 アメリカの言いがかり
  第3章 日本は事態を正しく認識していない
  第4章 自由貿易が絶対的に善か
  第5章 もうすでにマイナス成長がはじまっている
  第6章 “国民経済” という視点を忘れたエコノミストたち
  第7章 ドル崩落の危険性はこれほどある
  第8章 日米は縮小均衡から再出発せよ
  第9章 個人生活は異常な膨脹以前の姿にもどる

 米リーマン・ブラザーズ破綻に端を発する世界金融危機。その本質はどこにあるのか。日本のとるべき道は? その答えを探るのに格好のテキストこそ,21年前,戦後を代表するエコノミスト下村 治が上梓した本書です。「アメリカ経済はまったくの消費経済になった」「株信仰がつくる株高現象はいつか崩れる」 ――実体のない金融ゲームにうつつを抜かしてきた挙げく,恐慌の淵で脅えているわれわれは,いまこそ下村の遺した声に真摯に耳を傾ける必要があります。神谷秀樹氏による序文,水木楊氏による解説を加えて緊急出版!


 1) アメリカ経済の浪費癖を批判
 前段に氏名の出ている神谷秀樹は,本書『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ−』に巻かれた帯に,「本書こそ日本が進むべき『正しい道』が示されている」との「断言」を書いている。下村 治の氏名をもって,インターネットを検索してみると,まず最初にこの神谷の記述が登場する。

 「神谷秀樹の『日米企業往来』」なるホームページの欄は,2008年2月4日に「下村治博士の20年前の警告をみつめよ」と,以下のように記述している。しばらく引用する。
出所)写真は神谷秀樹。http://www.iseeny.com/success/success_15.php より。

 a) 池田内閣の参謀として所得倍増計画を設計した経済学者としてしられる下村治博士は,石油ショック以降は,「安価な資源が無制限に安定供給されるという『成長の基盤』はもはやなくなった」と喝破し,「ゼロ成長論者」になった。そして,1987年にはさらに『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』(ネスコ発行,文藝春秋発売)という著書を発表している。

 現在起こっている米国のサブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)問題を発端とする米国ならびに世界経済の混乱の本質を理解するには,実に20年前に書かれた本書をひもといていくことをお勧めする。なぜなら,現在の混乱は,下村博士が当時に指摘した問題と,その解決として提唱された処方箋を,米国も日本も採用せず,対症療法を重ね,さらに問題を数段拡大してしまった結果と理解できるからである。

 下村博士が本書で指摘している根本問題は,レーガノミックス以降の,米国の財政並びに経常収支の「双子の赤字」とその赤字を招いている,米国消費者の「稼ぐために金を借りて消費する」体質である。米国のGDP(国内総生産)の7割は個人消費である。この個人消費は,クレジット・カード,ホームエクイティ・ローン,自動車ローンなどの借金によって形成された。日本や中国からの輸出も彼らの借金力に大いに頼っていたのである。

 b) アメリカは借金で火の車の経済にメスを入れた。国家の財政も赤字,経常収支も赤字,生産力は低下するなかで,発展途上国であればとっくの昔に破綻し,IMF(国際通貨基金)の管理下に入ったであろう。その国が,たまたまドルという基軸通貨を自国通貨とし,海外に垂れ流した金が還流するシステムを構築することで,「借金火の車経済」を繰りまわし,あたかも繁栄しているかのようにみせかけつづけた。

 下村博士はこれを「砂上の楼閣」と呼んでいる。そして「身の丈以上の生活の仕方はやがて破綻し,その時にドルは暴落する。また日本が米国にいった貯金も返らなくなる」と警告した。米国政府に対しては大幅な歳出削減と増税以外に道はないと説いた。そして米国民に対しては,「マネーゲームに惑わされず,堅実な生活設計を立てること。あまり欲の皮を張りすぎると悪徳業者にだまされるのがオチである」と説いていた。

 しかし,実際にはどうなったのか。誰も博士の警告に耳を傾けなかった。その後も日本の土地バブルを含めて,日米ともに何度かのバブルと,バブルの崩壊を経験したが,日米政府ともにつねに金利を下げ,通貨供給量を増やし,「バブルの崩壊の処方箋は,またバブルを創ること」という政策を重ねた。
注記)http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080122/144992/

 2) アメリカの手先(?)が日本にいる−竹中平蔵−
 1980年代後半の日本経済がバブルであったとは,当時誰も気づかなかったとよくいわれるが,バブルを見越した経済学者はいた。故下村 治氏である。1987年4月初版の『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ―』という,やや激越なタイトルの本のなかで,下村氏は,当時の株価高騰についてズバリ,「このブームに安易に乗っていてはやけどをする。なぜなら,この動きは経済の実体を反映していない特殊な動きだからだ。株というものに対する一種の信仰が現在の株価を支えているにすぎない」と断言した。
注記)写真は『日本は悪くない―悪いのはアメリカだ―』1987年初版の表紙カバー。

 いまにして思えば,まさしくそのとおりだったのである。この本は,けっして反米思想や嫌米趣味の本ではない。むしろきわめて冷静に,当時進みつつあったアメリカの債務国化という現象の原因と問題点,日本に与える影響などを分析したものである。この本が出てから約13年〔22年〕経過しているが,その問題意識は決して陳腐化していないのみならず,いまの世界経済を考えるさい,ますます重要な視座になっている。

 こうした事態が現実化したときの日本経済への影響についても,氏は冷静に想定しておられる。そういうばあい,金融機関が真っ先に大きな影響を受けるが,一般国民や企業には直接即刻の影響はそれほどない。「なにしろ問題は,経済の実体ではなくてカネだけの話である。このアブクのようなものの流通が一時的に混乱するにすぎない」。

 金融機関の決済ネットワークが崩れさえしなければ,つまり,政府が信用秩序を維持するために細心の注意を払って,どんな小さな金融機関でも経営危機になれば乗り出すことさえしていれば,信用秩序が崩壊して恐慌が起こることはない,という。

 しかし,実際の1997年秋の山一証券,三洋証券,拓銀から始まった金融危機では,無責任な市場原理主義者の発言や不安心理に便乗した外資系金融機関の投機活動で,必要な信用秩序維持の努力が阻害され,いたずらに信用不安を拡大したのだ。中長期的な金融自由化と,目のまえの危機への対処をごっちゃにした市場原理主義者の罪は重い。

資産国家日本の一般国民への下村氏のメッセージはきわめてシンプルである。いわく「各個人はあまりマネーゲームに惑わされず堅実な生活設計をたてることだ。平凡で堅実な生きかた,それを続けるかぎり間違いはない。あまり欲の皮を張りすぎると悪徳業者にだまされるのがオチである」と。

 一昨年の円安時には外貨預金がはやり,最近再び株価が上昇基調に転じて投信ブームが来そうな感もあるが,われわれは充分慎重にかまえたほうがよさそうだ。そしてなによりも,氏は,国民に利己主義を捨て公のために汗を流す心構えを訴える。


 我々の社会,我々の経済を安定した望ましい形にするには,自分たちの汗と,ばあいによっては血を流さなければならない,という覚悟,そういう苦しみや犠牲に耐える覚悟と能力と意欲が必要であるという精神が,日本では非常に希薄になっている。これは世界的な傾向だが,アメリカなどにはまだ残っている。しかし日本では非常に欠如している。


 なあ,竹中平蔵よ,学生運動のせいで東大の入試を受けられなかったために,日本のエスタブリッシュメントに入れなかったことが,そんなに悔しいか。靴屋の倅である(部落出身者である〔これは問題を含むことばの発言だが本文どおり引用しておく〕)ことがそんなに悔しいか? 私〔神谷〕はここまでいう。
出所)写真は,http://critic3.exblog.jp/7910168/ より。

 アメリカの手先そのものの竹中平蔵は,開銀に入行したのは,経済学者の下村 治にあこがれたからなのだそうだ。信じられない話である。なぜなら実は下村氏こそ,真の愛国派エコノミストであるからだ。くわしくは,水木楊氏の『エコノミスト三国志』(文春文庫)を読んでいただきたい。
注記)http://amesei.exblog.jp/1513131/ 〔 〕内補足は筆者。

 A 日本国の政治経済的主体性の問題

 1) 日本叩きの意味
 本ブログの筆者は「2008.12.13」「■森田 実 & ベンジャミン・フルフォードの主張■」「◎真実を語り正論を吐くと干されるこの世の中◎」において,数年まえまではマスコミなどの場をとおして,日本のエスタブリッシュメントに対する「歯に衣着せぬ」率直な発言をしてきた政治評論家の森田 実が,いつのまにかメディア,それもとくにテレビ放送からその姿を〈消された事実〉を指摘した。

 森田 実『崩壊前夜−日本の危機−』(日本文芸社,2008年10月)は,世界中を不幸にした「市場原理主義」に決別せよ(!)と迫った著作である。「リーマン・ショックのつけをアメリカは日本に払わせようとしている」という批判も繰りだしていた。

 メディアの世界に登場・活躍していたときの森田は,「日本のエスタブリッシュメント」の耳には痛い直言を遠慮なく放つようになっていたからか,あるときの発言をきっかけに,その世界から彼は追放された。「日本のエスタブリッシュメント」層は,目の上のタンコブのように目障りな存在だった,つまり「本当のことを語り批判する」森田をメディアから遠ざけることによって,「自分たち」が〈裸の王様〉である真実の姿から目をそらすことができていたのである。

 かつて「中国との泥沼の戦争」や「アメリカとの経済力戦争」(大東亜戦争=太平洋戦争)に敗北した大日本帝国は戦後,真正ともいえる〈民主主義の憲法〉を与えられ,また「自国の名称」を日本国にかえさせられてからは,すっかり格落ちしてしまった。いまもそうなのであるが,アメリカ「帝国」に命じられると,すぐに「へい,へい」とすなおに聞き,ひたすらいわれるままに彼の国に頥使されて止まない〈子分・舎弟・三下〉のような〈国家〉になり下がっていた。

 しかし,戦後においてもこの国は,持前の勤勉さと努力・向上心はかわらず,帝国主義的立国に不可避だった軍事費の軛を外された日本経済は,1950年6月に北朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕の独裁者金 日成が起こした〈朝鮮戦争〉という千載一遇の戦争景気におかげで,以前までは瀕死状態だった日本経済を起死回生させうる契機を与えられ,徐々にそのもつ本来の優秀さを発揮しだすことになった。
出所)写真は,若かり日の金 日成(1946年)と銅像になった金。
    いずれも,http://ja.wikipedia.org/wiki/金日成 より。

 他方で,アメリカ産業経営は,ベトナム戦争(1960−1975年)のもたらした国内疲弊の影響もあったが,「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とおだてられるようにもなった「日の丸:JAPAN」産業経営との経済戦争において大苦戦,つぎつぎと敗退させられる屈辱を味わってきた。アメリカ経済はその間,すっかり日本諸企業の躍進などによって日本経済の後塵を拝する立場に追いこまれたのである。

 そうした日米経済関係の劣勢傾向に焦りだしたアメリカは,1980年代に入ると「政・官・財」総力を挙げて「ジャパン・バッシング」を画策しだす。日本を打ち負かすための国家戦略を具体的に樹立,実行することにした。アメリカはその成果をえてゆき結局,1991年の湾岸戦争開始のころまでには「ジャパン・パッシング」に成功する。1990年代の日本は,バブル経済破綻もあって一気に落ちこみ事後,「失われた10年」といわれる〈苦難の時期〉を体験する。アメリカはその間,21世紀になるまでには「ジャパン・ナッシング」を成就しえたかのようにも映る〈米日関係の構築〉に成功した。

 2) 属国日本からの脱皮
 21世紀での話になる。2008年には8回めにもなるアメリカからの『対日年次改革要望書』は,まるで日本〈国〉を属国あつかいする,対「日本国政」改善命令書のような中身である。たとえば,最新の『年次改革要望書(日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書)』2008年10月15日は,「米国政府は,本要望書の提言について引き続き建設的な協議を期待するとともに,同イニシアティブの下,日本国政府からの提言を受理することを歓迎する」と冒頭で断っている。けれども,この要望書の実体は,アメリカが日本に突きつけてきた命令書に等しい点は,周知の事実である。
注記)http://japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-regref20081015.pdf

     つぎに『対日改革要望書(2007年10月18日(第7次)』の表題だけ紹介しておく。

      
     在日アメリカ大使館のホームページには堂々と『対日年次改革要望書』が日本語訳
    でも掲載されている。日本国および日本人たちは,これをよく読んでおけ,というこ
    となのか。要は,アメリカの〈要望〉は日本に〈半強制〉されてきている。

  下村 治『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』(1987年)は,そうした超大国意識むき出しのアメリカ国家の身勝手な要求を撥ねつけろと論じた「骨のある」著作である。筆者の専門領域である経営学に関係した個所を,ひとつだけ参照したい。

 下村は「自分だけが正しい,という思想がアメリカを大きな間違いに導いている」と項目で,こう記述している。


 アメリカ政府が自由貿易主義が自由貿易主義を金科玉条にする背後には,多国籍企業の論理が存在すると考える。

 多国籍企業というのは国民経済の利点についてはまったく考えない。ところが,アメリカの経済思想には多国籍企業の思想が強く反映しているため,どうしても国民経済を無視しがちになってしまう。

 では多国籍企業はどういう考え方をするのか。単純にいえば,勝手気儘にやらせてくれ,ということである。そして,こういう考え方がアメリカ政府や産業界を支配しているため,国民経済の観点からいえば不都合なことでも,アメリカの声として日本にもちこまれる(105頁)。

 典型的なのがアメリカの経済学者である。日本人はどういうわけか,アメリカの経済学者といえばすぐ優秀で尊敬に値すると思いがちだが,私にいわせれば必ずしも優秀ではない。もちろん,頭脳そのものは優れているだろうが,なにしろ,彼らの頭にあるのはカネだけだから狂ってしまっている(93頁)。


 「頭にあるのはカネだけ」で「狂ってしまっている」人間がいるのは,なにもアメリカだけでなく,日本もまったく同じである。もっとも,どこの国の人間であっても,カネのためなら必死になってなんでもする,という御仁のほうが多数派である。しかも,何千円か何万円のために強盗や人殺しをする人間がこの国にはいくらでもいる。下村の最後のことば「アメリカの」「頭にあるのはカネだけ」は,注意して聞く必要がある。

 ともかく,アメリカはいま,日本政府が1990年代において自国産業経済を救済するために導入した施策に酷似する措置を,新大統領オバマのもとでとり入れ実行しようとしている。当時,日本政府が自国経済社会をてこ入れし,蘇生させるためにとり入れた施策を,アメリカは自由主義経済の観点からきびしく非難していた。

 ところが,いまや立場が逆転した。アメリカは,かつて日本を非難したのと同じ方法を自国産業経済の再生策としてとり入れている。まことに身勝手で矛盾した「一国超帝国主義」の支離滅裂なる行動である。現段階におけるアメリカはまさしく,『裸の王様,アメリカ』(宮内勝典著,岩波書店,2002年の題名)である

 現段階での世界政治経済の構図は,大きくかわりつつある。2008年後半,けっつまづいたような状態にある中国経済やロシア経済はさておき,ブラジルやインド,トルコなどの経済成長に注目する必要がある。日本が旧帝国主義時代の悪印象をいまだに払拭できないまま,アジア地域で政治経済上のリーダーシップをとれないのはどうしてか,をいま一度深考してみる必要がある。

 日本が,60年以上もまえに終結した第2次世界大戦にかかわる「戦争責任」問題さえ超克できないようでは,いつまで経っても東アジアにおいて指導的な立場を構築できないし,そしてまた「頼りになる日本」という名誉ある地位も獲得できない。

 しかし,アメリカは,そのような立場・地位に日本がなることを,けっして期待も要望もしていない。アメリカは実のところ,日本がそうならないように,裏であれこれ妨害・阻止はしている。中東における日本の評判は,イラク戦争への日本軍〔自衛隊3軍〕の派遣によって確実に落ちている。アメリカはこの変化を,かみ殺しながら,ほくそ笑んでいるはずである。

 忘れてならないのは,「俺のいうことを聞け,黙ってカネだけは出せ」が U.S.A. の基本姿勢であることである。旧ソ連という国があって,この国はいつも「俺のものは俺のもの,お前のものも俺のもの」という強引な態度が特徴的であった。似たり寄ったり・・・。

Posted by B B G at 09:31:30 | コメント (1) | トラックバック (0) | リンク (0)
Comments: (1)
2009.2.12 17:48:46 tn : 下村さんは偉かったですね。経済の本当の意味は実体経済だということを、高度成長下の下村理論から、ゼロ成長理論までの中で、確りと見据えていました。

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[新世紀人のおことわり]
表現の一部に不適切と取られる部分がありますが原文の表現を重んずる積りでそのまま転載させて頂きました。
竹中は学生運動をやっていたんですかねえ? それで東大を受験できなかった?
どうして? 本当かな?
T大でもK大でもAでもZでも何でもいいと思うけどね。

 2 81 +−
 

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コメント
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東大の入試が中止になった年があります。入試がなければその年の高3生は東大現役入学はできません。ご本人の運動とは、無関係です。
2009/11/03 23:54
神谷という男は何か勘違いしているのではないか?
竹中平蔵は私も嫌いだが、彼がやったことと部落出身(真偽は不明)と何か関係があるのか。
部落出身でも、別に隠さず世間と同様、きちんと税金も納め、この国のルールを守り、この国を愛している者は、たくさんいる。部落出身者の私も含めて多いと思う。人に迷惑をかけたり、後ろ指を指されるような生き方をしてきたつもりはないし、今後もそうするつもりです。いつも、「人として正しいかどうか」を判断基準にしている。だから、胸を張って生きているし、隠すこともない。
もうそろそろ、部落出身者という偏見を持ったり、それを判断基準にするのをやめませんか。
それこそ正しい判断ができませんよ。
2009/11/04 00:27
竹中氏の行動が理解できなかったがこれで納得した。
日本への裏切りは、相当酷い、教授にもなった知識人が行う行為と思えなかった。
GDP至上主義(経済成長至上主義)と決別すべきだ。低成長で、
内需中心の国内の格差を調整しながら緩やかに成長する経済政策が必要だ。
人間は、利益への渇望は、激しいものだ。今、色々問題があるが、
儲かるところには鼻が利く人は沢山いる。高度成長政策で知恵が、株や金融、
三次産業に集まった。しかし、これは、生産的なものではないので、
長期的には、確実に国力を弱める。実際に弱くなった。
今後は、ロボットや環境の技術などを中心にした場所に知恵が集まる様に
変えて行かなければならない。併せて、農業などの一次産業も大事だ。
三次産業は、安易に開始したり止めたりすることができる。
一次、二次産業育成は、国が余程しっかりしないといけない。
2009/11/04 09:09
>三次産業は、安易に開始したり止めたりすることができる。
一次、二次産業育成は、国が余程しっかりしないといけない。

その通りだ。

食糧自給率アップ、林業の復活は郵政改革より優先することだった。


 

2009/11/04 09:27

竹中平蔵悪者論者はもううんざり。

2009/11/04 17:35
へ〜竹中平蔵ってちょ〜りんぼうなん、知らなかった。新平民かと思ってた。
2009/11/05 11:39

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