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(回答先: 「ドル来年にも50円」、40年の下落で基軸体制崩壊−三井住友・宇野氏 投稿者 gikou89 日時 2009 年 10 月 15 日 13:08:49)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091013-00000302-chuokou-pol
かつては細川連立政権をあっという間に崩壊させて与党に戻った自民党だが、今回の敗北はすさまじい。緊張感ある政治を維持するために、なんとしても復活してほしいのだが……
それにつけても自民党が心配だ。
華々しくスタートした鳩山政権の陰で、ほとんど忘れ去られたような状態にあるのが、あの自民党。
一九五五年の結党以来、自民党が野党に転落したのは、九三年の細川非自民連立政権の誕生以来、これが二度目である。筆者は第一回目の野党転落時、まだ自民党本部のスタッフだったから、そこでどんな事態が起きたか、克明に記憶している。
まず、それ以前は日曜日の銀座界隈のような賑わいに満ちていた自民党本部が、それこそ一夜にして「幽霊屋敷」になってしまった。陳情客はパッタリ途絶え、マスコミも半減、議員の後援会を乗せた貸切バスもすっかり姿を消した。閑古鳥が鳴く党本部のあちらこちらから、ため息が漏れてきたのを覚えている。
もうひとつ印象的だったのが、官僚機構の対応。与党時代、国会開会中は朝も昼も自民党本部の七、八階にある会議室では「○○部会」や「××調査会」といった会合が頻繁に開かれていた。当然、関係する省庁からは担当者が出席する。与党時代は役所側の出席者のトップは局長クラスで、場合によっては事務次官も顔を出した。ところが、野党に転落した途端、局長の代わりに出てきたのは課長補佐である。この、各省庁の見事なまでの豹変ぶりが、自民党議員たちにとって、最も衝撃的だったようだ。
一時期は茫然自失だった自民党だが、やがてこうした「野党の悲哀」を嘆くばかりの状況から抜け出し、再び政権の座に舞い戻るためのしたたかな動きを開始する。その結果が自社さ政権となったことはいうまでもない。では、自民党はもう一度、前回のように与党を追い詰め、切り崩して復活の道を歩むことができるのか。はっきりいってかなり難しそうだ。
まず、九三年当時の自民党は野党に転落したとはいえ、衆院では依然として二二三議席を持つ圧倒的な比較第一党だった。そのうえ、なぜか(?)鳩山政権の閣僚の座に就いている亀井静香をはじめ、野中広務、梶山静六といった策士、軍師級の政治家が多数、残っていた。だが、今や自民党は数では当時の約半分だし、支持組織も当時に比べると大幅に弱体化しており、策士、軍師と呼べるようなしたたかさを持った政治家など皆無の状態。九三年当時と比べ、あらゆる面で大人と子供ほどの差がある。
加えて、前回は自民党の分裂が発端となり、そこに新党の新規参入などいくつもの偶然が積み重なる形で政権交代が実現した。逆にいえば自民党は「運が悪かった」だけともいえる。だが、今回は有権者が総選挙で「政権交代」を選択した結果、つまり自民党に対して明確に“レッドカード”を突き付けたことによる野党転落。グラウンドに復帰する(再び政権を目指す)こと自体、根本からチームの体質改善を必要とする状況だ。
しかし、自民党はそのことさえ自覚しているかどうか疑問である。自民党はすでに「歴史的使命」を終えたのではないか。とすれば、存続するためには過去と決別し、全く新たな組織論と理念、政策軸を構築する必要があるはず。
だが、自民党はそこを“素通り”したまま総裁選に突入してしまった。今の自民党にとって、誰が総裁になるかなど、どうでもいいこと。本来であれば、総選挙後すぐにでも、全国会議員と地方代表をはじめ、落選者やその他の関係者を招集し、反省と総括の上に立って、新たな党の方向性を見出すまで、三日でも四日でもかけて徹底的に議論すべきだった。その方向性が明確になった段階で初めて、「ではそれに相応しい総裁は誰か」となるのが順序だったはずである。
どうやら自民党は、再生に向けた第一歩から、足を踏み出す方向を間違えてしまったようだ。だが、困ったことに、ここで自民党を見放してしまうわけにはいかない。なぜなら、緊張感のある政治を維持するためには、与党に対するチェック機能を持ち、政権交代の受け皿となりうる野党が常に存在する必要があるから。ここで大事なのは、数ではない。その野党に潜在的な部分も含め、どれほどの「ポテンシャル」があるか、という点だ。現に民主党は一一五議席から三〇八議席へ伸ばしての政権獲得。次期総選挙では、これとまったく逆の事態が起きる可能性がゼロとはいえない。今の状況ではとても無理だろうが、それでも気になる自民党の今後である