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http://www.epochtimes.jp/jp/2009/09/html/d27716.html
60年間を振り返る:終結に向かう中国経済の発展モデル=中国経済学者
【大紀元日本9月30日】中国共産党が1949年に中国大陸で政権を樹立してから、今年で還暦を迎える。環境、社会保障、人権などの様々な問題を山積しているにもかかわらず、経済的な成果、特に改革開放以来の高度成長は、中共政権の統治を合法化するシンボルとなった。米国在住の中国問題専門家でありプリンストン大学社会経済学博士の程暁農氏は、海外独立系中国語ラジオ放送「希望の声」のインタビューに応じて、過去60年間を振り返り、中国経済の現状を、詳細に分析した。
程氏の主な観点を、以下に紹介する。
(一)1949年の原点に戻った60年後
60年間の中国経済の全過程は、大まかに前半30年と改革開放後の後半30年の2段階に分けられる。
前半の30年間は「革命」が柱となり、改革開放後の30年間は「改革」が柱となった。革命期の30年間で、業績は少なくなかった。社会主義改造と計画経済が実現され、人民公社が建てられ、決して遅くはない工業成長を遂げた。工業体系の基礎が敷かれたと言える。同様に、改革開放以来の30年間も、少なからぬ業績を上げた。市場経済の構築、改革開放の推進、経済の目覚ましい成長などである。しかしながら、この前半と後半の30年ずつを合わせて考察すると、問題が浮かび上がってくる。
この前半30年と後半30年の関係に言及する人は、これまでほとんどいなかった。しかし、この二つの関係が実に矛盾していることは、素人でも分かる。後半の30年の改革は、国民党時代の体制を革新したわけではなく、前半30年間の革命期の成果を革新したに過ぎない。具体的に言うと、前半30年間の革命の成果だった計画経済、人民公社、公有制を切り捨てたのである。60年間の道のりを経て、中国経済は今、60年前の原点、つまり1949年に中共政権を打ち立てる前の状況に戻っただけなのだ。
中国の改革開放が巨大な業績を上げ、市場経済の枠を打ち立てていると、中共政府はいつも強調しているが、実は1949年以前の中国は市場経済にあり、しかも開放された経済であった。30年をかけて革命という手段で市場経済体制を消滅し、それからまた30年をかけて体制を回復したわけで、60年の歴史を総合的に見ると、その業績はプラス・マイナス「ゼロ」である。
制度の構築において、中国は原点に戻ったに過ぎない。60年間も掛けて数代の人々を苦しめながら、中共は経済自体に規律があることにようやく気がついたようだ。毛沢東は間違いを犯した。陳雲も間違いを犯した。ケ小平自身も、毛沢東が発動した大躍進の積極的な推進者だったため、やはり間違いを犯していた。
(二)受益者は伝統社会のエリートから、共産赤色貴族へ
さらに詳細に、前半30年の革命がもたらしたものを考察してみよう。社会の最下層にいた、よく言えば反逆者、悪く言えばごろつきかチンピラが、元の統治階級を打ち倒した。かれらは革命組織に吸収され、革命の中堅となった。そして、これらのごろつきやチンピラが、最終的に権力を握って、統治階級に取って代わった。これらのチンピラの子孫が、現在の中国の統治者であり、しかも中国の億万長者となっている。
つまり、革命は受益者が変わったにすぎない。過去の受益者である地主や退職官吏などは中国の伝統的な理念を受け継いだため、少なくとも倫理を重んじていた。しかし、中国の伝統理念をほとんど持ち合わせない社会の最下層で生存していたごろつきやチンピラの教養は、中国歴史上で最も腐敗していた官僚よりもはるかに低い。今日の中共政権の官僚の腐敗が頂点を極めている事実も納得がいく。
中国式という言葉は最近中国大陸で流行した言葉なので、もしどうしても中国式という言葉を言うならば、この中国式の最も重要な特徴は、一群の赤色貴族を作り上げ、一群の腐敗極まる赤色貴族を作り上げることだろう。
(三)50年間の年間平均成長率10%の結果、国民7割が世界の貧困ライン以下
中共は自分の経済成果を誇示するため、最近、次のような一連の数字を上げている。60年でGDPは77倍の成長。一人当たりのGDPは3000ドルを超過。財政収入は1000倍の増加。外貨準備高は1万倍以上増加し世界一。輸出輸入額では世界3位。世界貿易額の7.9%を占める。少し計算してみたが、1957年から2007年までの50年間に中国経済の年間平均成長率は10%に達している。50年間で年間平均成長率10%を維持した国は、世界でも類がないだろう。
しかし同時に、中国国家統計局のデータによると、中国人口の7億人が農村に居住し、年間生活消費支出の2007年平均は3000元(日本円5万円相当)で、1957年の70元に比べると、年平均で3%増加したことになる。この二つのデータを比較することで、問題が一目瞭然となる。経済は年平均10%成長している一方、総人口の7割を占める農村人口の年平均生活消費支出はわずか3%しか増加していない。経済成長率の三分の一にも及ばない。言い換えれば、この10%の成長を受益したのは、人口の大多数を占める普通の国民ではない。
もし単に3%の年間生活消費支出の増加率だけを見るなら、この数字は悪いとは言えない。しかし、この増加率からは何も説明がつかない。国際平均基準と比較すれば、その差異が見えるはずだ。2005年に世界バンクが公表した世界貧困ラインは、一人当たりの一日の消費額が1.25ドル以下となっている。この基準で計算すると、2007年の中国では、7億以上の農民の平均年生活消費支出は一日に8元(3000元/365日)となり、同期の為替で換算すると、1.16ドルとなる。つまり、50年の年平均成長率10%以上を保ってきた現在になっても、中国の総人口の7割を占める農村人口が貧困ライン以下で生活している。
(四)国が富めば民が貧困:脇道に入った中国の経済発展
それでは、中共政権の発展とはどんな発展なのだろうか?高度成長した50年後も、農民が依然として世界貧困ライン以下で生活している事実は、成長と呼べるのだろうか。言い換えれば、中共政権の語る発展とは、発展すればするほど、事態を悪化させる悪性のものなのだ。
「発展は唯一の真理である」とはケ小平の明言。中国のあらゆる官僚が皆、口にしている。しかし、ケ小平は、「発展」そして「真理」さえも分かっていなかった。発展には基準があり尺度がある。この尺度は、簡単に言えば、誰が受益するのかということである。
中国では「発展」と言えば、国の発展を意味する。個人の生活向上としてとらえる人は少ない。たとえば、中国の実力が上がったとか、中国の国際地位が高まったなどである。国家体制を国民と履き違えている。国家成長という言葉は、国民の利益が増加したかのような妄想を与える。
実は中国の発展には具体的な目標がない。あったとしてもそれは国民の幸福ではなく、官僚集団の幸福度にほかならない。このような情勢下で、官僚はますます裕福になり、国民はますます貧しくなる。改革開放であれ、経済成長であれ、中国の問題は収益者が肝心である。現在改革開放や経済成長の本当の受益者は国民ではなく、まさに国家体制と国家体制に保護されている官僚集団である。発展の結果、総人口の数パーセントに過ぎない官僚だけが受益するなら、この発展は失敗である。
中国の発展は、大多数の国民の需要を満たさず、一部の権力のある高官の需要を満たすという、社会公正に背いた邪道に入ってしまった。
このような公正に欠いた経済が発展した結果、中国数億人の労働力は、懸命に働くがほとんど消費しない。この数億の労働力が懸命に働いて生産した商品は、労働者には手が届かない。では商品は誰が買うのだろうか?
グローバリゼーション時代の到来が、中国の企業に活路を開いた。生産した商品は海外で売りさばく。得られた外貨は、海外の銀行に預けるか、外国の国債に変える。つまり、外国に金を貸すわけだ。さらに、これらの外国は中国から借りた金で中国の商品を買う。
これが中国の経済成長のからくりだ。このような経済が長続きしないことは誰でも分かる。早かれ遅かれ、外貨準備高は限度を超える日がやってくるし、輸出が飽和状態になる日もやってくる。昨年のアメリカを発端とした金融危機は、まさにこの状態で発生している。この日から、中国式の誤った発展は、ボトルネックにぶつかった。
解決策として、中共政府は不動産や政府の公共投資などを利用して経済を牽引しようと試みている。同時に中共は内需の不足にも直面している。つまり中国国民の消費力が十分でなく、中国人の消費が経済全体に占める割合が縮小している。富裕な高官の消費能力にも限度がある。一日50キロの酒は飲めない。一日10万円以上、食事には使えない。こうして、中国の内需は一向に伸びる様子をみせない。大多数の国民に消費能力がないからである。
60年後の現在、中国経済は急成長したかのようだが、外貨準備高が世界一であるにもかかわらず、経済自体が数多くの病を抱えている。しかもどの病症も、簡単な政策で直るものではない。
(五)世界経済の救世主論:全くの無知
2008年アメリカを発端とした金融危機が発生して以来、世界の経済低迷を牽引する希望を中国に託す人もいるが、それは幻想どころかまったく無知から来ている。残念なことに、著名人の中には、事実を認識していない者が多い。
中国経済の発展モデル(中国モデル)は、海外でも認識されており、中国は世界が模倣すべき共同の価値理念を作り上げたと唱えている。もちろん北京当局の説を賞賛する中共政権の御用学者による文章も多く公表されているが、国際的にあまり反響していない。中国国内のマスコミと数人の御用学者に自分のちょうちん持たしているに過ぎない。
いわゆる中国モデルとは、ほかでもなく、社会公正に背いた奇形の発展モデルである。現在このモデルはすでに行き詰まっている。必然的な帰結であり、十年前から私は予見していた。
(翻訳編集:張陽)