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(回答先: 「円高は、ばかげてる」 ゴールドマン、円急落を予想 投稿者 gikou89 日時 2009 年 9 月 24 日 11:02:14)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090918-00000002-voice-pol
◇雇用調整助成金というトリック◇
先日、総務省が発表した7月分の統計によると、失業率が5.7%と、過去最悪の5.5%(2003年4月)を更新した。厚生労働省の発表した7月分の有効求人倍率は過去最低を3カ月連続で更新中である(0.42倍)。
もっとも、巷ではそれほどの悲観論は聞かれない。アメリカの9.5%を筆頭に、他の先進国は軒並み10%近い水準の失業率だ。それに比べれば「日本はまだまだ余裕がある」と思っている人は少なくないようだ。
だが、これにはちょっとしたトリックがある。厚生労働省が先月末に発表した資料によれば、雇用調整助成金の利用者は238万人に上るという。この助成金は仕事がないにもかかわらず、休業や教育、出向などにより、従業員の雇用を維持しようとする企業に対してなされる助成金で、今回の経済危機に際して、支給額や支給日数も拡大されている(1年目で最大300日まで申請可能)。
これら大盤振る舞いのもとになっているのは、補正予算案で6066億円も積み増された予算だ。つまり、国が身銭を切って、社内失業者の給料を肩代わりしているようなものだろう。こんなところでも改革は後退し、安易なバラマキが復活しているのだ。
ちなみに、雇用調整助成金がゼロだと仮定した場合、失業者はさらに45万人上乗せされ、失業率は6.1%に達するとする試算結果もある(みずほ総研試算)。おそらく、この辺りが日本経済の真の実力だろう。日本の地力が優れているわけでも、経済危機の影響が取り立てて少ないわけでもないのだ。
さて、問題の雇用調整助成金である。当たり前の話だが、社内に失業者を後生大事に抱えさせたところで、何も生まれないし状況は変わらない。こんなものは即刻打ち切るべきだろう。
仮に現状のまま助成金を支給しつづけたとしても、期限切れを迎える年末にかけ、徐々に失業率は上がりはじめるはずだ。各国の財政出動効果が薄れれば、失業率7%超えもありえるだろう。そもそも人件費以外にも経費は掛かるので、いくら人件費だけ補填しても、本質的な解決にはならない。
きっと日本社会には、「ただでさえ苦しい最中、いまは失業者を増やすべきではない」というような意見も根強いと思われる。だが、筆者はあえて以下の2点について、広く世に問いたい。
(1)予算が続くかぎり助成金をばらまいて、はたしてその先に何があるのか
本来、雇用調整助成金とは、一時的な需要の落ち込みに対して、企業価値を維持するために実施されるべきものだ。短期間での回復が見込まれるのなら、リストラよりも雇用を維持させたほうが、長期的にみれば人的資本を温存できるというロジックだ。
たとえばスエズ運河がテロリストに占領され、一時的に船舶の運航に支障が出たとする。(普通に考えれば)数カ月あれば事件は解決し、以前の需要が復活するだろうから、こういう場合の助成金は良い助成金である。
だが、いまはどうか。半年耐え忍べば、またアメリカ人は借金して大きな家を購入し、その値上がり分を担保にまたカードでローンを組み、日本車や家電を買ってくれるだろうか? どう考えてもありえない話だろう。
つまり、現在の不況は日本経済の構造的な問題であり、それを改革しないかぎり新たな成長は望めないということになる。よくて現状維持、悪くすれば過剰な雇用のせいで競争力を失い、新たな「失われた10年」がスタートする可能性すらある。結局は激痛を伴うような大改革が、企業レベルでも労働者レベルでも必要となるのだ。
現在、一部に「アメリカ型の金融資本主義は虚業だった、そこへいくと日本のモノ作りは偉い」というような論者もいるが、その虚業を上得意にして食ってきて、虚業がこけたら本家以上にこけているわけだから、日本人もアメリカ人を笑えない。
いま、日本に必要なのは、痛みを忘れるためのモルヒネを打ちつづけるのではなく、(新興国を中心に)アメリカ以外の国にも幅広く上得意をつくることだ。たとえばメーカーであれば、「なんて素晴らしい製品なんだろう」と、買い替え需要を喚起するような魅力ある新製品を開発することだ。
もちろん、それだけではもはや一国の成長は牽引できないから、規制緩和でサービスや農業といった内需を育てることも重要だろう。
たとえば、農業については、抜本的な規制緩和によって集約と法人化を進め、“三ちゃん農業”からビジネスとしての農業に転換を図るべきだ。質の高い農作物は国内はもちろん、海外にも一定の需要を開拓できるはずだ。
いずれのケースでも、古い事業から新たな事業へ、人と金の大移動が必要となる。雇用調整助成金とは、その流れを塞き止め、イノベーションを干上がらせる堰のようなものだ。
そういう意味では、グリーン・ニューディールの名の下に1500億ドルを投じ、エネルギー産業を中心に500万人規模の雇用創出をめざすアメリカのほうが、はるかに頭の良いお金の使い方をしている。少なくとも、彼らは税金でGMの従業員の給料を補填したりはしなかった。このままいけば10年後、指をさされて笑い物になっているのは、間違いなく日本のほうだ。
(2)バラマキの原資は、いったい誰が負担するのか
雇用調整助成金などのバラマキの存在意義が大いに怪しい。それどころか、むしろ成長を阻害する可能性もあると先に述べた。
だが、そもそもそのバラマキを負担するのは誰なのか。09年度の補正予算13兆円にしても、うち10兆円は公債発行による借金である。つまり将来へのツケ回しにすぎないのではないか。
雇用調整助成金とは、椅子に座った労働者をサポートするためのものであり、椅子に座っていない失業者およびこれから世に出る若者にとっては、一方的に背負わされたハンディキャップにすぎない。言い方を換えるなら、当の若者自身の負担により、そういった格差を固定化する行為ではないのか。
こういった世代間の詐欺行為は、日本で現実に発生している話だ。1990年代、政府は不況を打開し既存の雇用を守るために、国債依存による盛大なバラマキを繰り返した。90年当時、GDP比で58.9%だった国の長期債務残高は、01年には133.9%にまで膨張した。だがその結果生まれたのは“氷河期世代”と呼ばれ、非正規雇用比率が高く、職歴も資産もない恵まれない世代だった。
筆者の属する団塊ジュニアはそのど真ん中に位置するが、いい目は見ていない反面、おかげさまで財政危機の影響はいまでもしっかりと被っている。すでに歳入の1割近くは利払いでもっていかれる状況であり、増える一方の社会保障給付の負担は、保険料アップとして重くのしかかる。何より、「100年に1度の大不況」といわれながら、もはや財政政策には頼る余裕がない。
いま思い返してみれば、あのバラマキは中高年が逃げ切るための時間稼ぎでしかなかったように思う。公共事業と助成金は、ばらまく経路が違うだけで、本質的には同じものである。
では、なぜ政府はこういった無駄な政策に依存しつづけるのだろうか。
それは、日本の社会保障システムが、終身雇用という企業主体のトータルパッケージ中心であり、しかも一度でも正社員というレールから落ちてしまうと、なかなか這い上がることのできない硬直した労働市場であるためだろう。
社会保障制度をゼロから再構築するのは手間がかかる。流動性の高い労働市場をつくる改革は、連合の反対で事実上のタブー状態だ。となると、企業にお金を配って、できるだけセーフティネットを維持してもらうしかない。助成金のバラマキは日本の抱える問題の縮図である。
一度落ちると、再チャレンジが利かない国。労働者から企業そして政府まで、新たな挑戦ではなく、しがみつくことに汲々とする国。日本の地盤沈下の根本原因は、この負のスパイラルにある気がしてならない。
◇正社員の既得権にメスを◇
では、抜本的な改革案とは何だろうか。
それは労働市場の流動化、労働ビッグバンの推進以外にありえない。具体的には、企業に正社員の賃下げ降格といった労働条件の不利益変更を認め、一定の条件で金銭解雇などの解雇権も認めるのだ。
従来、こういった雇用調整は判例で厳しいハードルが課され、事実上企業は賃下げもクビ切りも不可能だった(しかも判例のため基準が曖昧で、企業は既得権の見直しを事実上封印するようになった)。
新卒採用至上主義、非正規雇用の拡大、内定取り消し、中途採用における年齢上限の存在。こういった日本型雇用の陰の部分は、すべてこの「正社員既得権の聖域化」に根っこがある。
この部分にメスを入れることで、企業内の新陳代謝は活発化し、労働力のスムーズな移動も可能となる。
付け加えるなら、今回の選挙で民主、社民、共産の各党が掲げ、争点の1つとなった同一労働同一賃金(正社員と非正規雇用の待遇是正)について、彼らは具体的なアプローチにまったく言及していないが、フリーターの時給を正社員の誰に合わせるというのか。正社員の側の賃金見直しに言及しない同一労働同一賃金など、悪質なマニフェスト詐欺といわざるをえない。
以上の点から考え、社内失業者向けにばらまくのではなく、文字どおりの失業者向けに、再就職活動と職業訓練の受講を条件として、第2のセーフティネットとして給付すべきだ。筆者は、なにも「1円も国民にばらまくな、すべて自己責任だ」といっているわけではない。ドブに捨てずに有効に使えといっているのだ。
「いまは改革よりも、不況脱出に専念すべきだ」という声もあるかもしれない。それについては、すでに回答済みである。
この不況が構造的なものである以上、不況の脱出口=構造改革なのだ。それ以外の解決法は、一見すると出口に見えるかもしれないが、別の迷路への入り口でしかないだろう。安易なバラマキはその典型だ。
そもそも、不況だから改革しなくてよいというロジックは、現実を見れば成立しないことは明らかだろう。90年代、雇用改革を怠った結果生まれた“氷河期世代”は、少子化や高齢フリーター問題など、いまに至るさまざまな問題を生み出している。
大学院拡充にともなう高学歴フリーター問題もそうだ。硬直した労働市場にメスを入れることなく行なった対症療法の結果、増えたのは博士号取得のフリーターだった。
09年3月期決算で軒並み大赤字に転落した大手電機は、90年代に、組織改革を怠ったツケを払っている真っ最中だ。すべて、痛みを先送りしたツケである。
◇財政破綻の確率は46%◇
もっとも、すでに「いつ改革すべきか」について議論する余地はないかもしれない。
補正予算分も加えると、09年度末の長期債務残高は816兆円、GDP比168%にまで達する見込みだ。将来世代の担う債務はこれだけではない。年金の積み立て不足である年金純債務だけで540兆円、医療・介護といった賦課方式の不足額もすべて加えると、じつに1150兆円もの隠れ債務が、21世紀世代にのしかかることになる(鈴木亘『だまされないための年金・医療・介護入門』より)。
はたして、この重みに日本は耐えられるのだろうか。
いくつかのシミュレーションは、いずれも暗い未来を示唆している。そのなかの1つを紹介すると、このまま抜本的な改革を怠った場合、2030年までに財政が破綻する確率は、じつに46%に上るとする(小黒一正「ギャンブルとしての財政赤字に関する一考察」『日本経済研究No.60』2009年)。
もはや一刻の猶予もないというのが実情だろう。成長のために既存の枠を壊すような改革と、持続可能な社会を維持するための改革を、並行して進める以外に道はない。
増税については、消費税のできるだけ速やかな、そして最終的規模での増税が望ましい。「景気がよくなったら」は言い訳にすぎず、それで倒れるようならどのみち遠からず、日本経済は倒れるのだ。むしろ、世代間格差は成長率を抑制させるという調査結果もある。36歳の筆者の感覚からすると、1万2000円もらったからといって嬉しくもなんともなく、構造改革に使えといいたい。
そういう意味では、今回の選挙において、そういった争点がまったく存在しなかったのはきわめて残念だ。さすがに各党とも国債依存は戒めていたものの(国民新党を除く)、財政再建のロードマップはほとんど示されていなかった。今回与党となった民主党にしても、政府のバランスシートを傷める埋蔵金に依存している点で、本質的にはバラマキの域を出ていない。
痛みという言葉を口にすれば、有権者の支持を失うかもしれない。だが、それを踏まえたうえでビジョンを説くのが真のリーダーであるはずだ。30代の1人としては与野党問わず、真のリーダーの出現を祈るばかりだ。