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(回答先: 「ウォール街2」来年4月に公開=前作の悪役が信用危機警告 投稿者 gikou89 日時 2009 年 9 月 14 日 15:32:23)
http://president.jp.reuters.com/article/2009/09/12/B4B7DD5E-88BC-11DE-99B7-06193F99CD51.php
Peter Ferdinand Drucker−P・F・ドラッカー(1909〜2005)
アメリカの経営学者。オーストリア生まれ。ナチスへの不信から渡英。『経済人の終り』(1939)、『産業にたずさわる人の未来』(1942)、『会社という概念』(1946)の著作によって有名になり、『現代の経営』(1954) において不動の地位を築いた。現代は大量生産原理に立脚した高度産業社会だとして、アメリカでは数少ない体系性と歴史性をもった制度派的経営理論を展開した。
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企業経営に与えた影響があまりに大きいため、ドラッカーは「マネジメントの父」として名高い。しかし彼の扱った分野は幅広く、政治、社会、経済、経営、哲学におよぶ。専門分野のみに偏ることを嫌った彼は社会の永続的な発展と安定に関心があった。
その意味で彼は、社会生態学者であり、現代における哲人の一人であると考えている。
現在、100年に一度といわれる世界的な不況が日本を襲っている。今こそ、ドラッカーの言に耳を傾けるべきだ。日本人の多くが勇気づけられることだろう。
彼は日本については何と言っているのか。
まず「日本人の強み」だ。ドラッカーは「道(どう)」と『源氏物語』を絶賛している。江戸時代の武士は「剣道」と「書道」という2つの技術を持つ。「道」には終身訓練が求められ、名人となっても、訓練を続けなければその技術は急速に低下してしまう。さらに『源氏物語』にある日本人の持つ美意識、知覚的な感覚がいまでも根付いていることに大きく共感する。
こうした日本が誇るべき歴史的な感覚が日本の近代組織にもしっかり受け継がれている。
次に「日本企業の強み」。労働者やサラリーマンが会社との連帯意識を強め、一体となって経営の改善に努めていく。
50年代に経済が安定するまで、日本は世界でもっとも激しい労働争議に明け暮れていた。それにもかかわらず、労使交渉ではアイデアを互いに出し合い、見事に乗り切った。トヨタ自動車はその好例であろう。
ドラッカーは日本の「系列」システムやライバル企業間の競争にも着目する。
親会社も含む日本の系列企業群は、個々の企業の集まりでありながら、互いの企業の仕組みや経験も共有している。各企業間で情報をもらすまいとする欧米諸国とはまったく違う感覚だ。「ソニーと松下(現パナソニック)」「三井銀行(現三井住友銀行)と富士銀行(現みずほ銀行)」のライバル企業間の競争にあっても、日本企業は絶対的な勝利を収めることよりも対立が双方にとって生産的なものにすることに留意する。
最後に「日本の強み」だ。日本の意思決定の遅さを揶揄する向きもあるが、日本は重要な節目では驚くほど迅速に決断を下している。17世紀、東南アジアや中東とも貿易をしていた日本が「鎖国」をしたこと。そして19世紀には鎖国をやめ「明治維新」を断行したことだ。日本ほど素早くイノベーションを実現し、変化に適応する術を心得ている国はない。小売業の「イトーヨーカ堂(現セブン&アイHD)」は日本の強みを遺憾なく発揮している。
こうした「強み」を持つからこそ、戦後の荒廃から経済大国の地位を獲得できたのだ、と彼は指摘した。日本は世界の「リーダー」という言葉は適切ではないかもしれないが、世界の「お手本」となっていくと。そして46年、当時のGMの経営者に対して日本企業を範にとるよう進言したのだ。
それでは現下の未曾有の危機において、日本の生き延びる道は何かと問われれば、日本の「3つの強み」を生かして経営することだと、間違いなくドラッカーは言うはずだ。何しろ挑戦を続けなければ組織は衰えるし、有能な社員は気持ちが腐るか転職していってしまう。売り上げなど「量」の成長が難しいのであれば、人材育成など「質」の成長を目指せと提言することだろう。
こうして会社は一流の「知識労働力」を手にすることができる。知識が基盤となる社会と経済において他に抜きんでる道は、当然のごとく、知識を基盤とする労働力を育てていくしかない。いかなる組織であっても「知識」に優れた人材を多数持つことが難しいことは統計的にわかっている。並の人材からより多くを引き出すしかないのだ。つまり、長期的な視野で人材を育成し専門性の確保をすることが必要なのだ。ドラッカーは晩年、企業がアウトソーシングや派遣労働者を増やすことに大きな警鐘を鳴らした。組織と働き手との関係が希薄になることは、重大な危険をはらむ。雇用関係にない外部の人材を長期で受け入れれば、雇用関係の雑務から解放され、多くのメリットがあるのかもしれない。しかし企業にとって、人の育成こそが最重要課題であることを忘れてはならない。人を育てる能力まで失うならば、小さな利益に目がくらんだとしか言いようがない。
もし人件費を切り詰めなければならないのであれば、人員削減ではなくワークシェアリングでしのぐ。首切りは社会不安につながるので、社会の公器である企業は働きたい人間を路頭に迷わせてはいけない。
この危機を乗り切るには、まずはマーケティング(顧客の創造)、イノベーション(技術革新)、生産性の向上に取り組むことである。生産性を上げれば、市場が縮小していることから、定時よりも1時間でも2時間でも早く仕事が終わるかもしれない。経営セミナーや情報技術(IT)関連の教育などで、スキルを高める時間も生まれる。
そういう意味でも、日本で人間の使い捨てともいえる「派遣切り」が起こるとは、ドラッカーは夢にも思わなかったことだろう。働く人にやりがいを持ってそれぞれの能力を発揮してもらうという、本来の趣旨から外れた使い方をしているのだ。
派遣労働者を大量に切らざるをえないというのは、その産業が低い賃金コストでないと成立しない状態だったということである。成長しているつもりが実は単に肥大化しただけであり、人を大切にするという日本的な良さを忘れてしまったことにほかならない。派遣労働者を寮から追い出さなければ、いますぐに会社がつぶれてしまうほどなのか、内部留保も本当にないのか。これを機会に人減らしをしてしまおうという計算は働いては自らに問う必要があるだろう。
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ドラッカーの5つの問いドラッカーは企業は何のためにあるのか、と常に問いかけてきたが、不況期こそ、真の企業のありようが問われる。彼は「企業たるもの、社会の安定と存続に寄与しなければならない」と論じている。
言い換えれば、企業とは人々に生計の手段や社会とのきずな、そして自己実現の場を与える存在である。米国のビジネス誌に寄せた最後のメッセージでも「経営者たる者、社会の公器としての会社を考えよ」と呼びかけた。企業と企業人が尊敬される世の中であってほしい、というのが彼の希望だった。
「組織はすべて、人と社会をよりよいものにするために存在する」と『経営者に贈る5つの質問』の中で述べているが、この言葉こそがドラッカーの経営思想の神髄といっていい。
だからこそ企業は、正規従業員ばかりでなく、パートも派遣労働者も、一人一人の面倒を見ていかなければならない。すでに、非正規社員を正規社員として採用した会社も出てきている。当分はこうやってこの危機をしのいでいくことだ。良いときはさらに良くなると思い、悪いときはさらに悪くなると思いがちだが、いずれも必ず終わる日が来るというのは自明のことなのだから。
不況を克服する日は、新しい時代が来る日でも、新しい旅が始まる日でもない。単に馬を乗り換える日にすぎず、その意味で歴史はつながっている。
いま社会的に手をつけたことは、景気が回復した後も継続する。
重要なのは、人であり社会なのだから、社会を分断、破壊してはならないのだ。
日本は、製造業雇用が全就業者人口の4分の1という先進国では最高の水準にある。これまで労働力市場や労働の流動性も無いに等しかった。そういう中で、短期の効率化を目指して派遣労働を取り入れた結果が今日の「派遣切り」では、日本贔屓のドラッカーも嘆くに違いない。
古き良き日本型組織と経営が、急速に崩れつつある。今こそ日本社会の良さを再確認する好機というべきである。
ドラッカーならば、ピンチをチャンスにと言うだろう。