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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu195.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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日米構造協議での米国側からの大店法撤廃要求で、1992年
大店法が改正され、日本中の商店街がシャッター通りと化した。
2009年7月10日 金曜日
NHK 特報首都圏。「増加する買物難民」より
1992年(平成3年)の大店法改正により小売店が激減した。
◆いま動き出す、まちづくり三法改正後に向けての戦略 2007年6月9日 フォーラム福岡
http://www.forum-fukuoka.com/city/create/14_0815/
まちづくり三法とは、どのような法律なのか
今回、改正されて注目を集める、まちづくり三法とは本来、「大規模小売店舗立地法(大店立地法)」、「中心市街地活性化法(中活法)」、「都市計画法」の3つを指す。3つの法律は98年から2000年にかけて、中心市街地の活性化に向けた商店街へのテコ入れなどを目的に整備された。
従来は、「大型店が出店する際には、地元業者と事前に調整する」とした大規模小売店舗法(大店法)で出店を調整していた。しかし、外資系流通業が相次いで日本へ上陸して来るなか、世界基準に沿った出店の仕組みづくりが求められる。そして、このような商業調整は世界貿易機関(WTO)のルールに反するという海外からの指摘があって、大店法が廃止となった。
まちづくり三法は、98年に大店法が廃止されることを受けて、整備されたという経緯がある。大店法に替わる大店立地法は商業調整でなく、駐車場の確保や騒音、廃棄物などの生活環境をチェックする内容になっている。大店法廃止で商業調整ができなくなった結果、中心市街地の衰退を防ぐ目的で制定されたのが中活法だ。まちづくり三法のうち、都市計画法は68年に制定された都市計画に関する法律だが、98年の改正で「特別用途地区」制度を拡充、市町村でも大型店の出店を規制できるようになった。
このような経緯で整備された大店立地法、中活法、都市計画法というまちづくりに関わる3つの法律をまとめて、一般的にまちづくり三法と呼ぶ。
まちづくり三法スタート後の「失われた10年」
これまでも長年にわたって、中心市街地などの商店街に対しては、カラー舗装やアーケード導入、共同イベントの開催、さらに共同ホームページの開設などの様々な振興策が取られてきた。しかし、それらの成果は一過性で終わるものが多く、本格的な再生・復活につながるものは皆無だった。
規制緩和と地方分権を背景に「鳴り物入り」で誕生したまちづくり三法だったが、前途は厳しかった。大店法に替わる大店立地法では生活環境面に配慮すれば、地元業者と調整せずに出店が可能となった。当初、大型店の立地規制としては改正した都市計画法にもとづき、各市町村が主体的に取り組むことが期待されていた。しかし、実際はほとんど機能せず、事実上「フリーパス」状態となった。
さらに中心市街地の活性化については、総務省が基本計画を作成した全国121市町に対して、過去5年間の状況を監査したところ、大半の市町で人口、商店数、商品販売額、事業所数、従事者数の数値が軒並みマイナスという実情がつまびらかになった。このような状況を踏まえ2004年9月、「中心市街地の活性化が図られていると認められる市町は少ない」とする勧告が出るという事態になった。
まちづくり三法がスタートした98年当時も地方都市を中心に商店街に空き店舗が目立ち、いわゆるシャッター通り状態となって、中心市街地の衰退が問題となっていた。しかし、その後10年を経っても状況は一向に改善されず、むしろ悪化の一途をたどったのだ。
久留米・佐賀にみる郊外と中心市街地の動向
この10年における地方都市の中心市街地が疲弊し、衰退していった状況について、佐賀市と久留米市におけるケースでみることができる。
佐賀県の県庁所在地である佐賀市の人口は約20万人だ。この都市規模に対して、99年3月のイオンショッピングタウン大和(売り場面積3万8000平方メートル、後に同4万1000平方メートルへ増床)のオープンを皮切りに、2003年3月にモラージュ佐賀(同3万7000平方メートル)、2005年4月のイオンスーパーセンター(同1万7000平方メートル)昨年12月ゆめタウン佐賀(同4万9000平方メートル)と続く。さらに大型商業施設の周辺には、さまざまな業種のロードサイド店が文字通り軒を連ねており、あきらかにオーバーストア状態となる。
これらの大型ショッピングセンターやロードサイド店の郊外進出に先立ち、96年3月に国内では初めてとなる第三セクターのまちづくり会社「まちづくり佐賀」が発足した。まちづくり佐賀では98年4月、中心市街地にある商店街の隣接地に再開発ビルを建設する。しかし、過剰な投資とテナント誘致の失敗で経営が悪化、2001年7月に自己破産を申請した。
市町村合併の結果、佐賀市と隣接する久留米市にゆめタウン久留米(同4万7000平方メートル)がオープンしたのは2003年9月のことだった。その後、かつて筑後地区で随一の賑わいをみせていた久留米の中心商店街である久留米ほとめき通りでは、過去3年間で約10パーセントだった空き店舗率は20パーセント強に跳ね上がり、さらに売り上げ自体も約2割減少しているという。また、商店街に隣接する空き商業ビルを管理していた第三セクターである六ツ門プラザも今年5月、経営破綻に至った。
「商店街支援」から「都市機能集約」へ大転換
このような事態を目の当たりにして、「地方都市の中心市街地が寂れて商店街に空き店舗が目立ち、人通りが少なくなったのは、郊外にオープンした大型店が原因だ。都市計画法で大型店の出店を規制すべき」という声が各地から上がるようになる。また、商工業者の全国的な集まりである日本商工会議所からも「都市計画法を改正して、大規模商業施設に対する規制を強化すべきだ」という要望が出された。
このため、まちづくり三法を見直して都市計画法で大型商業施設の出店にブレーキをかけ、中活法で都市機能の中心市街地への集約をアクセルとするべく、中活法と都市計画法が改正された。なお、今回改正されなかった大店立地法については指針が見直されている。
これまで中心市街地活性化は、商店街へのテコ入れに重点が置かれていたものの、所定の成果を上げることはできなかった。郊外への買い物客の流出に加え、人口減少時代の到来や高齢化社会の進展が深刻化していくなか、今回のまちづくり三法の改正で、その目的を中心商店街の再生から中心市街地への商業施設、共同住宅、教育機関、医療機関、官公庁などの都市機能を集約していく方向へと大きく転換した。
改正まちづくり三法が目指すもの
今回のまちづくり三法の改正にともない、都市計画法では1万平方メートル以上の大型商業施設の出店について、「原則許可・例外規制」から「原則規制・例外許可」へと、原則と例外を180度転換している。
改正前までは「原則は緩い都市計画+規制できる」だった制度が、改正後は「基本は規制+緩和できる」へと路線を転換したのだ。事実、改正前は1万平方メートル以上の大型商業施設は、都市計画区域の約9割で立地が可能だった。しかし、改正後は近隣商業地域と商業地域と準工業地域に制限されるために都市計画区域の約3パーセントのエリアに限定されている。
一見、規制緩和に逆行してみえるものの、提案があれば、議論して弾力的に変えていくのが欧米の都市計画の規制のやり方だ。今回の改正では、アメリカの都市計画における手法のひとつであるゾーニング制度と同様に一旦禁止した上で、大型商業施設が出店を希望する場合は用途地域の指定・変更、あるいは地区計画策定などの都市計画の手続きを経て、地域が主体となって判断していく。つまり、欧米の都市計画に準じた国際的な手法になったといえる。
その一方で、まちづくりの主役は地域の住民であり、その声を反映させる仕組みも今回設けられた。中心市街地活性化協議会を設置していくことで、住民もまちづくりに参加でき、主体的に取り組んでいくことが期待されている。
また、中活法が改正された結果、総理大臣を本部長とする中心市街地活性化本部を設置して、市町村が策定したまちづくり基本計画のうち、意欲的な取り組みについては認定していく。まちづくり基本計画は、すべての市町村で策定する義務はなく、やる気のある自治体だけを「選択と集中」していく考えだ。まちづくり基本計画が認定された市町村では、国からの財政支援や税制優遇などの手厚い支援を受けることができる。いま、まちづくり三法改正をうけて、まちづくり自体が大きく変わろうとしている。(近藤益弘)
水田地帯のど真ん中に突如巨大ショッピングセンターが出現した。
そのせいで周辺の商店街はシャッターだらけで人通りは少なくなった。
(私のコメント)
昨日のNHKの「特報首都圏」で「増加する買い物難民」を放送していました。「株式日記」でもコンパクトシティーなどのテーマで地方の疲弊について書いてきましたが、いったい日本の政治家達は何をしてきたのだろうか? 大店法の廃止も日米構造協議でアメリカ政府から突きつけられて受け入れたのでしょうが、その為に地方の商店街がシャッター通りと化してしまった。
1992年以降、日本の各地には巨大ショッピングセンターが次々と建設されて、地元の人たちは大都会と変わらぬ消費生活が送れるようになりました。まさにアメリカ的なライフスタイルが出現したわけですが、地域住民は自動車で買い物に行くようになった。駐車場も完備して都心のデパート並みの品揃えがあるのだからとても便利だ。
その反面では駅前の商店街は駐車場施設もなく、駅前スーパーや百貨店は規模も小さく閉店が相次いだ。そごうやダイエーがいい例ですが、時代の変化についていけなかったとも言える。東京のように公共交通機関が発達したところでは歩いて生活が出来ますが、地方では車なしでの生活は出来なくなってしまった。
バス路線や鉄道の廃線が相次いで、タクシーに乗れば数千円が飛んでいってしまう。買い物には数キロはなれた郊外型のショッピングセンターにまで行かなければならなくなった。自動車を持っていて毎日乗れる人は便利でいいのでしょうが、車を利用できない人にとっては毎日の買い物ができないと言う事になってしまった。自転車では運べる量が限られる。
1998年から2000年にかけて「まちづくり三法」が作られて、商店街の再活性化が図られるようになりましたが機能しなかった。地方にとっても巨大ショッピングセンターが出来れば固定資産税が入るし、地主には借地料が入ってくるからだ。まさに地方自治体と地主にとってはショッピングセンターは金のなる木に見えたことだろう。
このような現状は「ファスト風土化する日本」という本によって明らかになりましたが、巨大ショッピングセンターの登場は地方の地域社会を破壊してしまった。強者にとっては便利で豊かな生活が出来るようになりましたが、老人や子供にとっては車が利用できず歩いて生活が出来る生活基盤がなくなってしまった。
現代日本の社会は車の利用が前提になっている。車は生活必需品となり日頃の生活を支えている。しかし今は生活格差が広がり若者は車が持てなくなっている。年収が200万円台では車を持つことが不可能であり、アパート代を払ったら食費しか残らない。若者が都会に集まるのも都会なら車が無くても生活が出来るからだろう。
昔は自動車はステイタスシンボルであり高額所得者しか持てなかった。車無しでの生活では鉄道の駅周辺に集落が出来て商店街が出来ましたが、車が一般的になると郊外型の生活で買い物は駐車場の整った郊外型のスーパーでする事になる。しかしこのようなアメリカ的なモータリゼーションは続くものだろうか?
アメリカでは車の売れ行きがぱったりと止まりましたが、車無しでは生活が出来ないアメリカでも車離れが進んでいるようだ。だからGMも倒産するのですが、ガソリン価格の高騰がアメリカ社会の象徴とも言えるモータリゼーションを終わらせようとしている。そうなると都市づくりから根本的に作り直さないと大変な事になるだろう。
もちろん車が急に無くなるわけではないが、50年先を見据えた都市づくりが大切だ。石油資源が枯渇すれば車も走れなくなるし電気代も高くなり、現代文明の危機がやって来ていることだろう。アメリカンスタイルの生活は石油が豊富だった頃の生活スタイルであり、石油がなくなれば郊外型の生活は高くつく。それに対してコンパクトシティ構想が立てられている。
車社会においては病院や学校や警察や市役所まで広い駐車場を確保する為に郊外に移転して行った。住宅も広い地域に点在するようになり電気やガスや水道や下水などのインフラ整備に金がかかるようになり地方財政がパンクしている。老齢化社会になり老人の病院がよいも車がなければ行けないと言うのでは意味がない。
このような将来に対する構想があれば車社会を前提にしたような大店法の廃止は間違った政策であり、日本中の巨大ショッピングセンターはゴーストタウンのようになるだろう。採算に合わなくなればイオンなどの大手資本は閉鎖して行くからだ。そうなると地元の商店街も消えてなくなっているから買い物難民が出来る事になる。そして、ますます遠くのショッピングセンターに買い物に行く事になる。
NHKの「特報首都圏」に出てくる買い物難民とは、ニュータウンに有った一件のスーパーが閉店して、何キロも離れたショッピングセンターに買い物に行く老人を取材していましたが、これは日本の将来を暗示している。大店法の規制を撤廃した結果、大規模店舗に客が吸い取られて地元の中小のスーパーが消えて行く。これでいいのだろうか?
大店法はアメリカからの圧力で廃止されたのですが、その為に日本の社会構造がガタガタになってしまった。地方の荒廃は東京の大資本によって利益が吸い取られた結果なのですが、地方は目先の利益に目が眩んでしまったのだ。郵政の民営化もアメリカの圧力によるものですが郵便局が無くなってサービスが受けられなくなって過疎化に拍車がかかっている。
自民党政権である限りアメリカ政府にNOは言う事が出来ない。日米は国と国との外交関係ではなく、帝国と植民地の関係であり、日米安保と憲法9条が存在する限り日本は植民地なのだ。だからアメリカは日本に対しては毎年「年次改革要望書」を突きつけてくる。自民党政権が続く限りこの構造は治らないだろう。