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朝鮮戦争は1950年6月25日に勃発した。
もうすぐ59年が経過する。
中華人民共和国は戦争勃発の前年1949年に誕生している。
朝鮮戦争の前年に誕生したばかりであった。
1950年に一方の米国は第二次大戦に勝利して経済大国に向かって上げ潮にあり、一方の誕生したばかりの中華人民共和国とソ連の影響が朝鮮半島全域に至ることになる北朝鮮の朝鮮半島全域の支配を認めることは出来なかった事であろう。
ところが、2009年6月現在の米国とチャイナの関係は全く異なってしまった。
米国が最も頼って期待する国がチャイナとなってしまった。
チャイナの経済が発展する事が困窮する米国経済への助けとなる。
米国債の購入と購入済み国債の非売を期待できるからである。
また米国内のチャイナへの投資家にとっては当然ながらチャイナ経済の発展は望ましいものである。
このように朝鮮戦争勃発時と現在においての米中間の関係の大変化が、両国関係にとっての朝鮮半島と北朝鮮と韓国の持つ意味に大変化をもたらしているのである。
米国は既に北朝鮮についてチャイナに任せたとしている。
この意味は大きい。
チャイナが北朝鮮と韓国をも含めて経済圏として飲み込んでくれるならば、それは世界中で最も経済発展が望める極東地域から発生する大きな利益がチャイナを通じて投資した米国資本と米国国家そのものにも齎されるのであるから望ましいものであろう。
であれば米中は共に朝鮮半島の経済開発と経済発展を大いに望んでいる筈だ。
朝鮮半島は極東の中心地域として大いに発展を期待されている地域なのである。
その為には半島の政治的統一が望まれるのである。
しかし、現状はそれに反する政治情勢の深化である。
しかし、本当にそうなのであろうか?
深層では、統一に向かって地層が動いているのではないのか?
対立の深化は本当の動きの偽装ではないのか?
そのように疑う事は出来ないか?
米中にとって朝鮮半島の大規模経済発展は期待されている筈だ。
ロシアも望むところであろう。
日本だって本当は望むところである。
問題は、どのような勢力がグループがその牽引を行おうとするかである。
ひとつ飛躍した書き方をしてみよう。
もしも1950年の朝鮮戦争勃発時と同じ事態が起きたと仮定してみよう。
北朝鮮軍の大規模南下・韓国侵攻の事である。
『核の傘』は通常兵器による戦争への抑止を期待できるものではない。
米国地上軍と人民解放軍は介入するであろうか?
米中蜜月の経済関係において何の利益も発する事のない軍事的出費はしないであろう。
戦闘が収まって平和維持軍として駐留する事はあるだろう。
しかし米中両軍は戦わないだろう。
それに朝鮮戦争当時の米国にとって中華人民共和国は生まれたばかりであり、勢力を抑える必要はあったが、今では反対に経済発展して欲しい国である。その方が米国は助かるのだ。
それでは南下した北朝鮮軍を押し戻して中朝国境にまで追い詰めるといった軍事行動の選択は米軍にとって有り得ないということになる。
そして、とにもかくにも朝鮮半島は政治的統一へと足を踏み出すということになる。
日本の北海岸一帯には朝鮮半島からの難民が押し寄せると言う事になる。
しかし朝鮮半島は混乱の後に大きく経済発展して近隣諸国をも潤し、極東に投資した欧米資本に大きな利益をもたらし、米国も金の輸血を得るということになる。
とんでもない荒仕事であるが、金融投下資本のやり方は手っ取り早い利益の確保を目指す荒仕事が常なのではないのか。
この様な動きに対して盧 武鉉(ノ・ムヒョン、노무현)前大統領は全く相反する位置に立つ人物であったと言えるだろう。
彼が亡くなり(暗殺がうたがわれる)、葬儀の準備中に北朝鮮の核実験が行われた事には、非礼を通り越して、なんらかのメッセージ性が込められていたのではないのか?
それは、反ノ・ムヒョン路線とでも言ったものであったのではないのか?
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