★阿修羅♪ > 国家破産62 > 652.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu192.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
持ち家政策は人間を猛獣化する。自分の城を守るためにライオンと
化して、自分の城のためならば、周りの人間をどんな手段で蹴落とす。
2009年5月24日 日曜日
◆持ち家政策が人間を猛獣化した 5月20日 隈 研吾 竹森俊平
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20090514/194680/
竹森 隈さんの著書『負ける建築』を読んで、建築規制であるゾーニング法(注:その場所で建設できる建物の種別とボリュームとをあらかじめ設定し、制限する法制度のこと)という概念に衝撃を受けました。ここにこそ住宅バブルの原点があると感じたのです。
つまり、この法律のおかげで供給が限定されるようになったからこそ、住宅の資産価値が保証されることになった。普通は需要が増えれば、供給も増えて価格が下がり、住宅投資は儲からなくなる。ところが、供給が限定されているので資産価値が生じる。
供給を制限しビルを資産に変えた
アメリカの場合、摩天楼が上へ上へと伸びていく中で、あえて建築の供給の制限を導入した。それで収入を保証し、同時にビルを資産の対象に変えた。そう書かれておられますが、なるほどこれがすべての始まりだと思ったのです。こういう動きはアメリカでは1910年代、第1次大戦の前に起きたのですね。
隈 そうです。1910年代はまず形態規制だけで、斜線制限や高さ制限といったものから規制が始まりました。
ニューヨークの場合、1910年代は敷地の4分の1の部分までならば、ビルはほぼ無限大に高くしてもよかったのです。エンパイアステートビルやクライスラービルができた大恐慌前後の時代には、まだこの4分の1規制が生きていました。実際にはそんなに細いビルを無限大に高くしていったとしても、階段とエレベーターで中身がなくなってしまいますから、自動的に床面積の限界は出てきます。その後出てくるのが、容積率という考え方です。
敷地面積の500%、あるいは600%などと容積率を決め、それ以上の面積になる床を作ってはいけないという制限です。
竹森 ヨーロッパではゾーニング法の代わりに、景観やスタイルの面からの形態規制がありましたね。都市におけるビルの供給には、自然な形で歯止めがあったということでしょうか。
隈 ヨーロッパの形態規制としては、ナポレオン3世が行ったパリの大改造の時の形態規制が一番有名です。抜け穴のない、アメリカの規制よりもっと厳しい規制でした。このためヨーロッパ都市の方が、建築は限定されていたと言えるかもしれません。
“安全な資産”というフィクションが生んだバブル
竹森 経済危機の発端はアメリカの住宅価格のバブルと言われています。過去のデータからして住宅の価格上昇の自然なトレンドは、可処分所得と同じスピードで住宅価格が上がっていくというものです。計量のモデルを作って住宅価格を予想すると、可処分所得だけで価格上昇の8割は説明できるということです。
住宅の買い手は、住宅価格が自分の年間可処分所得の何倍になるか、といった目安で予算を立てます。だから可処分所得の上昇率と同じスピードで住宅価格は上昇する。前者は経済成長率にほぼ等しいので、ドル建ての住宅需要はちょうど経済成長率と同じスピードで上昇するということです。
ところが供給の方がゾーニング法で制限されているために、住宅供給面積はあまり増えません。したがってドル建て住宅需要の増加は価格上昇だけにつながります。そうなると、少なくとも経済成長率と同じ大きさで住宅のキャピタルゲインが見込める、これほど確実な投資対象はないということになります。しかも経済成長が豊かな国ほど、住宅から安定した収入が見込めるようになります。
これだけ安全な投資対象があれば、わざわざ工場を広げたり、新製品を開発したりといった、面倒くさいことをする人はいなくなってしまいます。経済学では金利、もしくは投資の収益率と経済成長率のバランスによって、バブルの発生の可能性が決まると言います。投資の収益率が高いところに流れていったお金が、その投資機会が利用し尽くされると、今度は自然に住宅、もしくは不動産に回っていくというメカニズムが働くわけです。
例えば 90年代後半にIT(情報技術)ブームが起こっていた時は、お金はIT関連に流れました。それが一巡し、これ以上IT関連商品の供給が増えれば値崩れが起きるとなると、今度は自然に住宅へと資金が流れるという仕組みです。
製造品の輸出に乗って成長率の高い新興国が、いつまでも製造業への投資を増やしていけるかというと、必ずしもそうとは言えない。製造品市場の先行きが見えなくなってくる。そういうところで、金が住宅市場に流れることになって、自然とバブルが起こる――。経済学者はこういったメカニズムを指摘しますが、隈さんの本を読んで、ゾーニング法こそ、バブル発生のカギだと思ったのです。
隈 面白いのは、実際にはゾーニングで資源を限定しているように見えながら、郊外へは拡張可能で、実際には限定されてないということです。
画定しているはずの都心内の容積率ですら、実は行政は一度500%に設定したところを何年か後に700%に変更するという見直しはしょっちゅうやります。広場を敷地内に取ることで容積率に特別な割り増しを与える総合設計制度、ボーナス制度など、いろいろな緩和をやっています。実際には限定されてないにもかかわらず、限定された安全な資産であるがごとく感じさせるというフィクションがあったところが、バブルを生んだ原因ではないかと思います。
竹森 おっしゃる通りです。実にバブルのつくり方がうまかったと言っていいでしょう。
(中略)
自分の城を守るためにライオンと化す
隈 自己責任で成り立つ社会というのは、責任感がある、倫理的な価値を共有する社会のように見えますが、僕らが実際に接している、住宅を建てようとしている施主さんやマンションを買おうとする人たちは、いざ自分で家を持つとなると、何か人格が変わるみたいなところがあります。自分を支える資産であるから、一切の瑕疵があってはならない、クラック(ひび)1本入っただけで、自分の一生を返してくれといったような話になってしまう。
バックミンスター・フラーという、アメリカの建築家で環境思想みたいのを最初に言った人がいます。この人がかなり早い時期、1930年代に、持ち家政策はアメリカ社会においては非常に問題のある考え方だと指摘しました。
持ち家政策は人間を猛獣化する。自分の城を守るためにライオンと化して、自分の城のためならば、周りの人間をどんな手段で蹴落としてもいいとなると言いました。
僕が設計という仕事を通して家を建てる人、あるいはマンションを買う人に接していると、やはりどんどん猛獣化しているな、と思うことがあります。グリーディー・キャピタリズムといったものも、結局は猛獣化する社会と関係があるのではないかという気がしました。
竹森 なるほど。皮肉なことですが、ブッシュのオーナーシップ・ソサエティーという思想にはそれなりに一貫性があることになりますね。つまり、それまではみんなで助け合って成り立っていたコミュニティーの住民が、家を持つことによって自分はほかの人とは違うと考えるようになる。そして社会も政府も何も要らないと思うようになる。こんなふうに人間のモラル自体が政権の都合のいいように転換したと考えられるかもしれません。
隈 アメリカが持ち家政策を進めることによって、20世紀初頭にヨーロッパとアメリカの経済的地位が逆転しました。それほどの力を持ち家政策は持ち得たっていうことですよね。
アメリカの持ち家政策は日本で地面信仰に変換された
竹森 日本がいざなぎ景気超えと言われる、2002年からの好景気を経験したのも、アメリカの住宅ブームが背景にあります。
住宅ブームが起これば、当然、住宅価格は上がります。そうすると自分は豊かになると思う。今までは老後のことを考えて貯蓄していなければと思っていたのに、家の価格がこれだけ上がっているんだから大丈夫だと考え、貯蓄を減らします。しかも金利がその時は下がっていたので、ローンの有利な借り換えができる。住宅の担保価値は上がっていますから前よりも多めに借りて、しかも金利が低いから毎月の支払いは借り換え前とだいたい同じ。余計に借りた部分はボーナスと考えて車を買う――。
2002年からトヨタ自動車のある愛知県が中心になって日本が盛り上がったのも、結局、アメリカの住宅バブルのメカニズムがあったからです。
隈 日本はやっぱり、アメリカ流のシステムとは違う文化だったような気がするんです。日本の都市は、江戸時代から明治時代までは、持ち家というより賃貸的なシステムによって支えられているものでした。家を資産と考えるという発想はありませんでした。
竹森 長屋という感じですよね、大家さんと店子がいたような…。
隈 木造の家は朽ち果てていくのが普通ですから、資産として見るなんていうことは、日本人の体質には合わなかったのでしょう。家を資産と考えるのは、戦後、アメリカに洗脳されたせいと言っていいのでしょうか。
竹森 終戦の時に都市は一遍焼けますよね。その時、長屋みたいなものが最初に焼けます。同時に戦争で自分のプロパティー(財産、所有物)が消えてなくなります。集合的な住宅が消えた段階で、プロパティーへの信仰が起こる。その後がバブルの時です。都心に家を持っている人が急に大金持ちになるということで、プロパティーへの信仰が盛り上がりました。一種の羨望感が住宅信仰を強くしたように思えます。
隈 おそらく日本ではアメリカ型の持ち家政策が地面に対する信仰のような形に無意識下で変換され、余計に宗教的とも言えるほど地面信仰が強くなった面があります。そもそもの日本的な住居感とは違うものが入ってきた時に、それを地面信仰にうまく変換した。地面信仰なら昔から日本にあったものだから、なじみやすかったんです。日本ならではの巧妙というか、危険な変換の仕方があったと思います。
50年後の超高層ビルのことなど誰も考えたくない
竹森 現在、土地は容積率が高いところの方が安全だという話を聞いたことがあります。つまり、容積率が低いと、土地の上にプレハブが載っているだけのようなもので、その不動産の価格は全部土地の価値に従って動くけれども、上にうんと大きな箱を載せておけば、箱自体の価値があるので、その方が土地の価値の影響を受けず、安全だという話です。
高い建物を建てることによって、投資の収益を土地に影響されないようにするということでしょうか。これだけたくさんスカイスクレーパーができれば、空室の問題が当然、出てくるはずなので、本当に投資として安全なのかどうかは分かりません。
隈 そうですね。おそらく容積率が高い方がいいというのは、先ほどの資産の限定性の話で言うと、容積率が高い都心型の資産は、どんなにスプロール(都心部から郊外に宅地が無計画に広がること)が進んでも価値は下がりにくい、すなわち資産価値は限定されます。むしろ危険なのは、都市の周辺部です。ただ、中心部にもリスクがあります。容積率が高いところは建て替えが非常に難しいという問題です。
例えば今の日本の超高層ビルを50年後に建て替える時に、誰がどのように建て替えるかについては、もう誰も考えたくないわけです。アメリカのエンパイアステートビルディングやクライスラービルといった1930年代のスカイスクレーパーは今でも建て替えずに存在しているから価値があるのです。
これらのスカイスクレーパーが残っているのは、当時の設計に関する規制がそんなにシビアではなかったからです。高さ制限が厳しくなかったから、階高がすごく高いのです。フロアとフロアの間隔が空いていて天井がとても高いので、後で空調を付け替えることになっても、場所がたくさんあるわけです。
ぎりぎりの高さまで階高を詰めるとか、ぎりぎりまで省スペース化を図るという設計ではなかったので、多くの空きスペースがあって、その空いているスペースをうまくやり繰りして設備を更新していくことができるので、70年たっても建て替えをせずに済んでいるのです。
ところが、その後にできた、1960年以降の超高層ビルは、高さの規制が厳しくなったせいで、階高もぎりぎりだし、床面積もパイプスペースなどをぎりぎりに詰めてしまっているから、設備を更新しようにもできません。だからアメリカの例でも、30年代の超高層は残っているけれど、60年代以降のものは寿命が短いんです。
建て替えるにも建て替えられないし、壊す費用もないという超高層ビルがこれからどんどんできる可能性があります。したがって、容積率が高いほど資産として安全だというのは、非常に大きなブラックホールを含んでいることになります。
竹森 みんな同じことを考えてどんどん超高層ビルができれば、供給が増えて家賃が下がることを全然、考えていないんです。そのことは誰も口にしない。怖くて口にできないという状況があるような気がします。
(中略)
隈 それは、その中で生き残ったものとそうでないもの、いわゆる、勝ち組、負け組と言われる社会ではなくなって、全部が元気のない社会になるということでしょうか。
竹森 金融危機が起こっている時は、お金を借りている人がダメなんです。ビジネスの内容の良し悪しには関係なく、貸し渋りが起こる結果、借りていれば借り換えができなくなって、資金繰りに詰まってつぶれてしまう。世界的に見ても、ヨーロッパのアイルランド、スペイン、ポルトガル、アイスランドといった高度成長していた国々が典型ですが、みんな借り換えができなくなってダメになってしまいました。
そうなると、とにかくお金は借りない方がいいということになります。しかも現金を抱えようとする。次に何が起こるかというと、消費も減れば投資も減ります。そうするとどんどん経済の勢いが落ちてくるわけです。
日本の場合はバブル崩壊の経験があるので、今回もお金をじっくり抱えて待っていれば、危機が頭の上を過ぎてくれるだろうと思っていたのでしょう。バブル崩壊後は、アメリカの消費ブームがあったおかげで日本も引き上げてもらえた。今回は引き上げてくれるところはどこもないという状態です。しばらくはこういう状態が続くという考え方と、アメリカは財政政策で何とかなるというのと、五分五分ぐらいで議論されていると思います。
隈 僕らが仕事をしている中で、一番、金融危機の影響が小さいのは中国なんです。中国では今、どんどん新しいプロジェクトが始まっています。実は先日も北京で契約してきたのですが、建築のプロジェクトのレベルで全く影響がないどころか、むしろ良いくらいです。
竹森 ケインズ政策を一番忠実にやっているのが中国です。外需がダメならば内需しかないという考え方です。(次回に続く)
(私のコメント)
先日、優良農地が次々転用されてショッピングセンターや住宅地になっていると書きましたが、日本の都市計画はどうなっているのだろうか? 次々と畑や水田が潰されて住宅地が広がって行く。米を作っていたら30万円にしかならないが、商用地として貸せば250万円もの収入が入ってくる。
日本の兼業農家は潜在的な地主であり、決して貧しい農家ではない。道路が一本通れば億単位の金が入ってくるし、沿道沿いは住宅地にいつでも転用が出来るようになる。バブル期の頃は市街化調整区域や生産緑地などの方針で農家は農地を売り惜しんだ。黙って持っているだけで資産価値が上がっていくからで、急いで売る必要が無かった。
ところがバブルが崩壊して土地の値段が下がるにつれて、逆に住宅地の供給が増えている。東京にしても都心の工場跡地には超高層のマンションが立ち並ぶようになったし、都内のあちこちにも超高層のマンションの建設が続いている。中小のマンションの建設も多い。
バブルの頃までは土地は持っているだけで値上がりしていたから売らずに持っていたのが、最近は値上がりしなくなって値下がり気味だから買い手がいれば売ってしまう。新興のマンション業者が買って建売するから、乱売合戦になってマンションの値下がりは最近になって激しい。
土地価格が低迷している今こそ都市計画をきちんとして、住宅地の農地との線引きをきちんとして市街化すべき地域と農地としていく地域を分けないと住宅が点在して上水道も下水道もガスも電気も電話もインフラを整備するだけで市町村はその負担に耐えかねている。特に下水道の整備は金がかかり維持管理費も莫大だ。
日本の景気を立ち直らせる為には不動産市場を安定させなければならないのですが、乱開発が進んで住宅やマンションの供給は続いている。だから昭和40年代は空室率は5%程度だったのがバブル崩壊後は増え続けて今では空室率は12%にも拡大している。明らかに都市も地方も住宅は供給過剰であり、農地転用などを禁止して住宅の供給を減らすべきなのだ。
東京郊外にしても農地の宅地転用は進んで住宅やマンションが続々作られている。しかし供給が過剰だから立地が悪いところは売れないし空室だらけのマンションが多くなっている。私は千葉にアパートを持っているが建てた頃は近所にはアパートがなかったが、今では隣も周囲もみんなアパートだ。国道沿いには貸し店舗が立ち並んでいる。
バブルの崩壊は世帯数と住宅戸数とのバランスが崩れて起きる必然的な現象であり、不動産市場を立て直すには供給を絞らなければ値崩れは防げない。住宅需要を増やそうにも少子高齢化では住宅需要は増えない。だから地方においてはコンパクトシティー政策を進めて、公共施設を一ヶ所にまとめて住宅地域を限定しないとインフラの維持管理で市町村は大変だ。
都会地域でも中心部を高層化して通勤時間の短縮化を図り、市街化の広がりを止めて農地の転用を禁止すべきなのだ。超高層マンションも建て直す事まで考えているのだろうか? ゆとりのある設計なら給排水管の交換や空調設備の交換などで100年くらいは使えるのでしょうが、ぎりぎりの設計だと給配水管がいかれて30年で使えなくなるマンションが出ている。
五階建ての公営住宅にしても箱階段でエレベーターが付けられないから、全部解体して建て直さないと老人たちが使えない。住宅公団の役人たちは30年後の事など考えないからエレベーターの付いていない公営住宅をジャンジャン建てた。今も建て直す事が出来ない超高層住宅を建てているがどうやって解体するのだろう?
アメリカや日本の持ち家政策は経済発展の為に大きな力となりましたが、持ち家が増えれば住民たちは城の主として野獣化すると言う事ですが、日本では地面信仰となって土地神話は生まれた。しかし日本は江戸時代も戦前も長屋生活が主体であり、先祖伝来の土地などあるわけがない。ところが戸建ての住宅を持つと人格まで変わってしまうようだ。
日本の兼業農家は戦後の農業政策によって生まれたものですが、小作農が土地を与えられて一国一城の主となりそれを守る事が使命となってしまった。だから道路を作るにも空港を作るにも地主の権利は絶対となり、成田空港は今も一部の地主が反対して完成しない。東京の外環道路も地主の反対で30年もたなざらしですが、土地信仰がもたらしたものだ。
土地は本質的に公共のものであり、土地信仰は戦後の高度成長期に生まれたものだ。だから政府や地方自治体が都市計画を定めても、兼業農家の地主たちは財産権の侵害だとして農地は次々転用されて住宅やショッピングセンターになってしまう。しかし乱開発が進めば残されるのは廃墟と化したショッピングセンターやスラム化した住宅だけだ。
まさに野獣化した持ち家の主は、正当な理由があっても国や地方に土地を売ろうとはしないから都市計画もままならなくなった。そして隣にマンションが出来る事すら日当たりが悪くなるとか環境が悪くなるとして反対する。その結果東京の高層化も進まず道路整備も進まず、成田国際空港の完成も目処が立たない。
バブルが崩壊して土地に対する信仰も薄れてきましたが、アメリカのサブプライムローンのように、日本でも持ち家でなくてもいい人まで持ち家信仰で持たせようという動きがある。マンション業者も建売業者も買う人はいなければ商売にならないから景気対策では持ち家に対する補助政策が行なわれますが、マンション業界の補助にはなっても経済対策にはならない。
江戸時代の長屋生活のように都会においては借家の生活が基本であり、マンションの建売は建替えにおいて大きな障害になる。賃貸マンションなら建替えは楽だが分譲マンションは一国一城の主ばかりだから建替えもままならなくなる。30年後の東京には老朽化して立替も出来ないマンションがスラム化するだろう。給排水設備も故障して赤水と下水の詰まりで生活できないマンションになる。誰も30年後の事など考えないからだ。
持ち家が住民を野獣化させるというのは日本においては土地信仰に置き換えられた。その結果バブルが発生して破裂した。持ち家も値上がりしていればいいが値下がりが続けば景気も良くなるわけがなく、政府は何度も景気対策を立てなければならなくなる。しかし根本的に立て直すには住宅の供給を絞って住宅市場を立て直さなければならない。ゼロ金利でも景気が回復しないのは住宅の供給が多すぎるからだ。