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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu191.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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中国の2008年10〜12月の成長率は2.4%増となっています。
中国もまたかなりのスローダウンとなっていることが分かります。
2009年5月8日 金曜日
◆有望な前途を台無しにしたタイの致命的欠陥 5月08日 Financial Times
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/986
英エコノミスト誌は1995年、タイが2020年までに世界第8位の経済大国になると予想した。
今ではやや楽観的――と言うべきだろう――に見えるその予想が出されたのは、タイが10年間にわたって年率8.4%という猛烈な勢いで拡大し続け、中国さえをも凌いで、世界で最も急成長を遂げる経済だった時のことだ。古き良き時代だった。
アジア金融危機後の10年間――バーツの切り下げに始まり、タクシン・チナワット元首相を失脚させた2006年のクーデターで終わった――は、それほど生易しいものではなかった。
活力を取り戻せないタイ経済
不用意にも18カ月間でGDP(国内総生産)の15%を失った1997年の通貨切り下げからは立ち直ったものの、タイ経済が以前の活力を取り戻すことは二度となかった。タイの経済成長率は、まずまずの水準ではあるが社会を変革させるには足りない年4〜5%程度をうろうろしていた。
今年は5%程度、経済が縮小する見込みだ。この点に関しては、確かにタイに限ったことではない。それでも、なぜタイはその潜在能力をフルに発揮できなかったのか、問うて然るべきだろう。
かつて、少なくとも興奮しやすい人々の間では、ハイテクの台湾と並び称されたタイは、今では往々にして、手のかかるフィリピンと同じグループに入れられる。世界第8位の経済大国――現在この地位はタイの6倍近い経済規模を持つスペインが占めている――に迫るどころか、33位に低迷している。
国民1人当たりで見ると、その足取りはさらに重く、極々凡庸な78位まで低下する。国民1人当たりの所得が2000ドル前後のインドネシアなどは上回るものの、台湾の1万7000ドルを大幅に下回る3851ドルしかないのである。
その苦しみをさらに大きくしている――あるいはその苦しみを説明する助けになると言える――のは、タイが一見したところ解決困難な政治的危機にはまり込んでいることだ。
深刻な政治危機
4月にはタクシン派支持者たちの大規模デモで、ASEANの首脳会議が全面中止に追い込まれた〔AFPBB News〕
長年クーデターとクーデターに対抗する歴史を繰り返してきたタイだが、それでもここ何年間かは、何とか政治的安定に近い状態を維持していた。
それが今は、かつて選挙権を剥奪されていた農村部の貧困層が、今もまだ「野蛮人」が門から入ってくるのを認める気がないバンコクのエリート層が支配する政府体制の中で発言権を求めるという大きな落とし穴にはまり込んでいる。
こうした膠着状態が、既に不安定な国内外の投資家の信頼を損なってきた。
タイは4月、東南アジア諸国連合(ASEAN)会議に出席しようとしていた当惑顔の各国指導者に、政治的混乱を露呈した。鮮やかな色のシャツを着た、暴徒化したタクシン派支持者が会場に乱入した後、サミットは中止され、中国の温家宝首相らは避難を余儀なくされた。
その後バンコク市街で起きた衝突では、少なくとも2人が死亡した。2007年に表向き民主主義が正常な状態に戻ってから3人目の首相となるアピシット・ウェチャチワ氏を乗せた車は、首相が非常事態を宣言した後に攻撃を受けた。
アピシット首相は4月下旬、本紙(英フィナンシャル・タイムズ)とのインタビューで、感心するほど控えめな表現で、「我々には立ち向かわなければならない大きな課題がいくつかある」と語った。
タイがかつて予想されていたように繁栄できなかった理由の1つは、その成長が思ったよりも弱い基盤の上に築かれていたことだ。
思ったより弱い基盤の上に築かれていた経済
1950年代には米国の支援やコメとタピオカの輸出に基づいた経済だったものが、1980年代半ばの円切り上げ後に海外に拠点を求めていた日本の資本に後押しされる経済へと発展を遂げた。日本企業は資金をつぎ込み、自動車をはじめとした産業基盤を築いた。それは、どのようなものであれ、今もタイが享受する経済的成功の中核を担うものだ。
1980年代から1990年代初頭にかけては、地元の起業家たちが、力をつけた地元銀行システムから資金提供を受け、昔からのコネを利用して、時流に乗って台頭した。
政治状況は常に混乱を極めていた。1932年に絶対君主制が終焉してから、18回のクーデターが試みられ、そのうち11回が成功した。だが、パトラ証券のエコノミスト、スパウット・サイチュア氏によると、大部分の期間において、君主、軍部、貴族、官僚の間で不安定な均衡が保たれていた。
タイが輩出した企業に真に世界クラスと呼べるものはほとんどない。タイはおしなべて、外資から資金提供を受け、外国の専門技術によって発展する、いわば「レンティア経済」のままだった。
もちろん、当時はそれが時代の潮流だった。1991年には、世界銀行と国際通貨基金(IMF)がタイで年次会議を開催し、タイの開かれた経済と自由主義的改革の証しとなった。それで、タイはすっかりのぼせ上がってしまった。1993年には徹底的に改革を推し進め、資本取引を自由化し、1997年のバーツ暴落で幕を閉じることになった、壊滅的な外貨建ての過剰借り入れに道を開いた。
その通貨危機が、パースック・ポンパイチット氏とクリス・ベーカー氏がその著書『Thailand’s Boom and Bust』の中で、「タイの(外貨債務を抱えた)資本家層の斬首」と呼ぶ状態につながったのである。
見えない将来展望
タイが大量斬首から立ち直ることは二度となかった。現在、銀行の企業向け融資は1990年代の水準の3分の2に減少している。経済はより外需依存度の高いものになり、これが、消費者が不安を抱く世界でタイの足を引っ張る重荷になっている。GDP比で見た貿易の割合は、1997年の80%から150%に増加している。
タイの起業家層が破壊されたことで、通貨危機を生き延びた数少ない資本家の1人であるタクシン氏のために道が開かれた。タクシン氏は、電話事業の独占によって築いた自らの富を政治資本に変え、新たに権利を与えられた農村貧困層の投票によって政権を奪取した。
タクシン氏の首相当選とその後の言動は、それまで権力を分かち合うことなど考えもしなかったバンコクのエリート層にとってやり過ぎであることがはっきりした。彼らの不満は、ついに2006年のクーデターで噴出した。
このクーデターは、タイを転落前の微笑みの国に戻す試みだった。だが、後戻りはできない。かといって、どのようにすればタイが前進できるかも、残念ながらまだはっきりしないのである。
◆“逆デカップリング”に苦しむアジア 5月7日 日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20090501/193618/
世界的な金融危機で欧米の経済は大きな打撃を受けています。金融危機が起きた当初、アジア経済の行方については2つの考え方がありました。
「デカップリング」でも「リカップリング」でもなかった
1つは「デカップリング論」です。これは、欧米は打撃を受けてもアジアは相対的に高い成長を続けるだろうというものです。2008年前半頃までは、欧米経済がスローダウンする中で、依然としてアジア地域は比較的高い成長を続けていたので、このデカップリング論には説得力がありました。
もう1つは「リカップリング論」です。これは、欧米経済のスローダウンはアジアにも影響し、世界的に成長が鈍化するという考え方です。確かに、アジア地域の成長の源泉は欧米への輸出です。欧米経済がスローダウンすればアジアの輸出も鈍化し、やがてはアジア経済がスローダウンするのは避けられないという議論もなるほどと思わせるものがありました。
では、現実はどうなったでしょうか。アジア地域の2008年10〜12月のGDP(国内総生産)成長率を、季節調整値の前期比年率で見てみると、日本が12.1%減、タイ20.9%減、台湾18.9%減、韓国18.8%減、シンガポール16.4%減でした。一方、震源地である欧米の10〜12月期の成長率は、米国が6.3%減、ユーロ圏は6.2%減でした。
図1 GDP成長率の推移(%)
2006年 2007年 2008年 2008年 2009年
1-3月 4-6月 7-9月 10-12月 1-3月
米国 2.8 2.0 1.1 0.9 2.8 ▲ 0.5 ▲ 6.3 ▲ 6.1
ユーロ圏 3.0 2.7 0.7 2.6 ▲1.0 ▲1.0 ▲6.2 -
日本 2.0 2.4 ▲ 0.6 1.4 ▲ 4.5 ▲ 1.4 ▲ 12.1 -
韓国 5.2 5.1 2.2 4.4 1.7 1.0 ▲ 18.8 0.2
シンガポル 8.4 7.8 1.1 12.2 ▲ 7.7 ▲ 2.1 ▲ 16.4 ▲ 19.7
台湾 4.8 5.7 0.1 2.9 ▲ 2.4 ▲ 12.4 ▲ 18.9 -
タイ 5.2 4.9 2.6 5.4 0.4 0.7 ▲ 20.9 -
中国 11.6 13.0 9.0 9.6 10.4 5.2 2.4 6.2
資料出所:米国商務省、日経FinancialQUEST他
(注)四半期の成長率は、季節調整済み前期比年率。タイ、台湾は筆者が季節調整。中国は岡田恵子法政大学教授試算による。
つまり、2008年の10月以降(つまりリーマンショック以後)現実に生じたことは、「欧米は落ち込むがアジアは元気」というデカップリングでも、「アジアも欧米並みに落ち込む」というリカップリングでもなく、「欧米以上にアジアが落ち込む」という想定外の現象だったのです。我々はこれを「逆デカップリング」と呼ぶことにします。
公式統計からは分からない中国の「本当の」成長率
激しく落ち込んだアジア経済の中で、中国は、前年同期比では2008年10〜12月6.8%増、2009年1〜3月6.1%増と、減速したとはいっても相対的には高めの成長を続けているように見えます。しかし、これは前年同期比ですから、前述の前期比と比較することはできません。中国についても季節調整済み値の前期比年率成長率を知りたいのですが、中国の公式統計ではこれが公表されていません。そこで、法政大学大学院の岡田恵子教授が独自の方法で季節調整済み前期比年率を試算しました。
これによると、中国の2008年10〜12月の成長率は2.4%増となっています。中国もまたかなりのスローダウンとなっていることが分かります(同じ方法で2009年1〜3月の前期比を計算すると6.2%増となり改善しています)。
しかし、よく考えてみると、震源地の欧米よりも、その影響を受けたアジア地域の方が大きな落ち込みを示すという逆デカップリング現象が起きるのは不思議な気がします。デカップリングかリカップリングしか想定されていなかったのは、誰も逆デカップリングのような現象が起きるとは想像していなかったからでしょう。
ところが世の中の多くの人は、これを不思議だとは思っていないようです。これは、「アジア経済はこれまで輸出依存型で成長してきたが、欧米の経済停滞によってその輸出が低迷しているので、大きく落ち込んでいるのだ」という説明に納得しているからだと思われます。(後略)
(私のコメント)
ニュースなどでは日本経済の落ち込みが先進国中最大だと報じていますが、もっと落ち込んでいるのはタイや台湾や韓国やシンガポールである事はあまり報じてはいない。中国の経済もマスコミは6,1%に減速と報じていますが、これは前年度比であって他の国のような前期比ではない。これを前期比に直せば2,4%の増加に留まる。
中国は二桁成長から2,4%成長だから落ち込み幅はアメリカよりも大きい。タイや台湾や韓国やシンガポールは20%近い落ち込みであり、アメリカ市場への輸出の低下がもろに景気に響いている。日本も同じような傾向であり12%の落ち込みだ。アメリカや中国は巨大国家だから国内市場が大きくて輸出入の影響が小さく出るのでしょう。
フィナンシャルタイムズ紙の記事によれば、「タイが輩出した企業に真に世界クラスと呼べるものはほとんどない。タイはおしなべて、外資から資金提供を受け、外国の専門技術によって発展する、いわば「レンティア経済」のままだった。」と書いていますが、これは中国の経済体質と良く似ている。タイで国際的な企業といっても思いつく企業が無いように、中国にも世界的なブランド品メーカーは少ない。
タイは去年のクーデター騒ぎのように政治的な不安が付きまとっている。首都のバンコクの豊かさと農村部の生活格差が酷くて、都会の支持政党と農村の支持政党とが対立している。中国も同じように沿岸部の大都市と奥地の農村部との生活格差が酷くなって、景気の落ち込みで農村部は出稼ぎの収入が無くなって帰郷者が数千万人にもなっている。タイのようなデモが大都会で起きないのは独裁国家だからであり、農村部の暴動は激増している。
タイの経済高度成長はフィナンシャル・タイムズ紙にも書かれているように「1980年代半ばの円切り上げ後に海外に拠点を求めていた日本の資本に後押しされる経済へと発展を遂げた。日本企業は資金をつぎ込み、自動車をはじめとした産業基盤を築いた。それは、どのようなものであれ、今もタイが享受する経済的成功の中核を担うものだ。」と書いているように自立的なものではなく、日本からの投資によるものだ。
中国も同じであり、日本からの中国への進出企業は2万社にも及び、タイ経済がぱっとしなくなってしまったのはタイからベトナムや中国へ工場などを移転してしまったせいだろう。97年のアジア金融危機でタイのバーツは暴落しましたがなかなか経済競争力は取り戻せなかったようだ。
タイは韓国や台湾のように、ある程度の技術力が付いてブランド企業が育っていれば、韓国の自動車産業や台湾の電子産業のように世界輸出で大きく伸びられたのでしょうが、自動車産業も電子産業もぱっとしない。韓国や台湾な日本の技術者を週末に呼び寄せて技術習得も出来ますが、タイだと少し遠いので週末の技術者の出張は難しいのかもしれない。
中国は韓国や台湾のような地理的な優位さがあるので、日本の技術者を呼び寄せて国際的なブランド企業を育てることは可能だろう。タイの一人当たりの国民所得は3800ドルであり、中国は3000ドルを超えてきたからほぼ同じレベルにある。中国が台湾や韓国のように一人当たりの所得が1万ドルを越えるには自立した経済が育つかどうかですが、人口が13億人だから台湾や韓国のようなわけには行かないだろう。
タイは経済危機後の経済成長は、4〜5%のぱっとしない経済成長なのは日本からの投資や技術移転が中国などに取られてしまっているからだろう。中国が経済が大きく落ち込んだ後で高度成長が取り戻させるかどうかは日本からの投資や技術移転が続いていけるかどうかですが、アメリカの市場が冷え込んだままだと輸出も落ち込むから難しいだろう。
日本自身もアメリカやヨーロッパ市場が回復して輸出が回復しなければ日本とアジア諸国との国際分業も上手く行かなくなる。中国や韓国や台湾の輸出企業が落ち込めば日本からの素材や部品輸出も落ち込むから日本はダブルパンチだ。中国に進出した企業も中国国内の市場に切り替えが出来ればいいが、欧米市場向けの商品と中国国内向けの商品とは大きく異なる。
タイとシンガポールは経済において大きく差がついてしまいましたが、シンガポールは一人当たりの所得が日本を上回るほどの経済所長を続けてきた。シンガポールで出来た事がタイでなぜ出来なかったのだろうか? その違いは多くの農民がいるかどうかだ。シンガポールは都市だけの国であり農業は自立していない。だから思い切った経済政策が出来るのであり農業の育成はしなくて済む。
日本も農業の近代化には失敗しており、多くの補助金がないと農家の維持が出来ない。どうしても都市との所得格差が出来るから、地方に対する補助金でカネが使われてシンガポールのような都市集中型経済が出来ない。中国や台湾や韓国も農業の近代化は難しいだろう。日本がこれからアジアに期待できる輸出商品は農産物であり、だから減反政策を廃止して米や果実を輸出商品にする事が出来れば日本の地方の活性化が出来るだろう。