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株式日記と経済展望
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu190.htm
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外国のリーダーたちは、たとえ米国が正しくても、米国の政府高官
から説教されるようなつもりはないのである。 ポール・クルーグマン
2009年4月28日 火曜日
『タイム』誌はこの三人のことを「世界を救う委員会」と呼んでいた。
「委員会」のうち二人のメンバーが、それ以降、『タイム』の表紙の呪いに屈した
ポールクルーグマンのコラムより
◆「アメリカ、色褪せた国家」 3月30日 ポール・クルーグマン
http://abetch.exblog.jp/8121986/
10年前、雑誌『タイム』の表紙は、ロバート・ルービン(当時の財務長官)、アラン・グリーンスパン(当時の連邦準備理事会議長)及びローレンス・サマーズ(当時の財務副長官)を取り上げた。『タイム』誌はこの三人のことを「世界を救う委員会(“the committee to save the world”)」と呼び、当時、恐ろしいものと考えられていた危機から、彼らが世界の金融システムを救出してくれるのだと信頼を寄せていた。(もっとも、我々が現在経験していることに比べれば、当時の危機というのは小規模な一時的下落でしかなかったのだが。)
その表紙で取り上げられた男性全員が米国人であった。しかし、そのことを奇妙に思う人は誰もいなかった。結局のところ、1999年において、米国はグローバルな危機対応に係る疑いようのないリーダーなのであった。そのリーダーシップの役割が米国の富に基づいている部分というのはわずかであった。それはまた、かなりの重要な程度において、模範としての米国の名声を反映していた。誰もが考えていたのだ。米国は適切なファイナンスのやり方を知っている国なのだと。
変われば変わるものだ。
「委員会」のうち二人のメンバーが、それ以降、『タイム』の表紙の呪いに屈しているという事実は気にしないでおこう。持ち上げられた後で評判が低下するのはメディアの中ではよくあることだ。(現在は国家経済会議の委員長を務めるサマーズ氏は相変わらず好調である。)もっと遙かに重要なのは、米国の金融は健全であるという主張は(他国に対して政策の変更をする必要があると説教を垂れる際によく使われていた主張だ)その中身が空洞であることが判明したことである。
実際のところ、最近では、米国は主要経済国におけるバーニー・マドフのようである。長年にわたって尊敬されていたのだが(畏怖の念を抱かれていたことすらある)、最初からずっとイカサマであったことが判明したのである。
1990年代の経済危機が鎮静化していた2000年の前半にサマーズ氏が行った講演内容を現時点で読むのは苦痛である。サマーズ氏は、当時の危機の原因について語り、危機を経験した諸国に欠けていたことを指摘した。そしてそれは、米国には欠けていなかったのだという含意であった。こうした諸国に何が欠けていたかというと「充分な資本を持ち、適切な監督下に置かれた銀行」であり、信頼性が高く、透明な企業会計なのであった。いやはや。
ところで、サマーズ氏がその講演で引用したアナリストの一人は経済学者のサイモン・ジョンソン教授であった。最近の「The Atlantic」の記事の中で、ジョンソン教授は(IMFで主任エコノミストとして勤務し、現在ではMITの教授である)、米国が抱える現在の困難というのは、ロシアやアルゼンチンのような場所で起こった危機と「驚くほど類似しており」、それはクローニー・キャピタリズム(縁故重視型資本主義)主義者が果たしていた重要な役割も含まれるのだと述べている。
同教授は、第三世界と同様に、米国においても「エリート層のビジネス上の利害が(米国の場合は資本家(financier)である)危機の発生において中心的な役割を果たしており、かつてないような規模でギャンブルを行い、政府の間接的な支援を得て、そして、避けようのない破綻を経験したのである。もっと憂慮すべき点として、彼らは今、正に経済を急落から救い出すために早急に必要とされている改革の内容を阻止するために自分たちの影響力を行使している」と述べている。
したがって、オバマ大統領が欧州で受ける反応に関する昨日のニューヨーク・タイムズ紙の記事のタイトルが「審理に付された英語圏の資本主義(“English-Speaking Capitalism on Trial”)」となっているのは全く不思議なことではないのだ。
今、公正な立場から、銀行が身勝手な行動を取っていたのは米国だけでは決してないということを我々は言う必要がある。欧州のリーダーたちの多くが、相変わらず、欧州の経済・金融の困難について認めずにいる。欧州の混乱は、ほぼ間違いなく、米国と同じような深刻さのはずである。もっとも、欧州諸国の方が社会的なセーフティ・ネットは遙かに充実しており、米国の方が人々の苦しみは深いということになるのだが。それでも、今回の危機が米国の信頼性のかなりの部分に犠牲を払わせたことは事実であり、それに伴い、リーダーシップの能力も随分と失われたのである。
そして、それは非常に悪いことなのである。
他の多くの経済学者と同様に、私は世界大恐慌について復習をしており、同じようことの繰り返しを避けるための教訓を探している。そして、1930年代前半の歴史から浮かび上がってくる一つのこととして、危機に対する世界の対応というのは、主要経済国間での協調が不可能だったことによって損なわれていたのである。
今回の危機の詳細は世界大恐慌とはかなり異質である。しかし、協調の必要性というのは全くその通りなのである。オバマ大統領はそれを正しく理解しており、先週、このように宣言している。「経済を回復させるためのステップを我々全体が取らなければならない。一部の国が顕著な努力を行い、他の国はそうではないという状況は望んでいない。」
しかし、我々は正にそのような状況に置かれている。私は米国の経済的な努力ですら適当だとは思っていないが、他の先進(富裕)国がこれまでに実施を表明した内容の大半に比べれば、相当に大規模である。そして、本来なら、今週のG20首脳会議は、オバマ大統領にとっては、特に欧州のリーダーたちを窘め、彼らが役割を充分に果たすよう促すための機会になるはずだ。
しかし、最近、外国のリーダーたちは、たとえ米国が正しくても(今回のように)、米国の政府高官から説教されるようなつもりはないのである。
金融危機は多くの犠牲(コスト)を伴っている。そして、そうした犠牲の一つは、米国の評判にとってのダメージなのである。我々が、そして世界が、最もそれを必要としている際に我々が失ってしまった資産なのである。
◆オフショア市場「終わりの始まり」 4月24日 山田 生輝
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/929
「古いワシントン・コンセンサスは終わった」
ブラウン英首相がステートメントを読み上げ始めた直後、この一言を発すると、記者会見場は静まりかえった。4月2日、ロンドンで開かれたG20金融サミット後の記者会見での出来事だ。
古い国際金融秩序の終焉、グローバリゼーションの退潮、市場原理主義の退場と国家経済統制の復権、中国をはじめ新興経済の台頭とG7体制の没落・・・。様々な「見出し」を頭にめぐらせながら、取材記者は会見場から自社のブースへ一目散。G20を報じる多くの記事の冒頭には、ブラウン首相のこのフレーズがセンセーショナルに踊った。
ところで、ブラウン首相が終焉を宣言した「ワシントン・コンセンサス」とは何物だろうか。実はきちんとそれを定義し、解説したメディアは少ない。
この言葉を創り出したのは、著名な経済学者のジョン・ウィリアムソン氏とされる。米国ワシントンのシンクタンク、ピーターソン国際経済研究所のシニアフェローだ。
中南米の累積債務国が金融危機に陥るたび、国際通貨基金(IMF)や世界銀行のエコノミスト、そして米政府・議会の要人は債務国にお説教していた。同時に、10項目から成る「政策処方箋」を押し付けており、1989年にウィリアムソン氏はこれを「ワシントン・コンセンサス」と名付けたのだ。
その処方箋とは、財政赤字の縮減、政府補助金の削減、税制改革、金利と為替相場の市場一任、民営化の推進・・・。1990年代に経済論壇の主流をなした新自由主義経済学の教理が並ぶ。他方、ウィリアムソン氏は、その推進者であるワシントンの「インナーサークル」こそが、この処方箋に自らは従わないのだと指弾していた。
その言葉をさらに有名にしたのが、ノーベル経済学賞を2001年に受賞した元米大統領経済諮問委員会(CEA)委員長ジョー・スティグリッツ氏。リベラル派の泰斗は、大ベストセラー『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)でこう書いた。IMF・世銀がワシントン・コンセンサスをグローバル化の「教理」として世界に説いて回ったがために、1990年代後半に通貨危機に陥った新興アジア諸国をはじめ、途上国の国民の多くが格差拡大と経済破綻の淵へと追いやられた・・・。
ということは、ブラウン首相は「ワシントン・コンセンサスの終わり」を説くことで、IMF・世銀が主導する国際金融秩序の終焉を宣言したのか。いや、そうではあるまい。首相は今回のG20でも、「IMFなど国際機関の機能強化」と「保護主義への戦い」を同時に呼び掛けている。そればかりか、国際金融危機の収束に向け、IMFには「お目付け役」を委任しているほどなのだ。
では、ブラウン首相は「ワシントン・コンセンサス」という言葉を引いて、「何」の終焉を認めたかったのか。首相はステートメントの最後で、新しい世界秩序が出現しかけており、もっと持続可能でもっと公正な地球社会を建設するとも発言している。
ブラウン発言のカギ、チャーチル演説にあり
ブラウン発言を読み解くカギは、冒頭ステートメント後の質疑応答の中に隠されていた。
ある記者が次のように問い掛けた。経済協力開発機構(OECD)によるタックスヘイブン(租税回避地)リストの公表は、タックスヘイブンの「終わりの始まり」か。それとも「終わりの終わり」なのか。
一方、ブラウン首相は「これは、終わりの始まりだ」と説明した。このやりとりは、第2次大戦で英国を勝利に導いたチャーチル首相の有名な演説の一句を下敷きにしている。
1942年11月、北アフリカのエル・アラメインの第2次会戦。連合軍が、ロンメル将軍率いるドイツ国防軍の精鋭アフリカ軍団など枢軸側を撃破した。
これを受け、ロンドンの金融中心街シティの首長公邸で昼食会が開かれ、チャーチルは演説で次のように発言している。「これは終わりではない。終わりの始まりですらない。しかし恐らく、始まりの終わりである」。この一節により、対独戦争終戦と安堵するのではなく、反攻はようやく始まったばかりだと、英国民の戦意を鼓舞したのだろう。
ブラウン首相の「終わりの始まり」は、このチャーチルの演説を敷衍するものだ。「終わり」でもなければ、「始まりの終わり」でもない。この「終わり」という言葉は、ステートメント冒頭の「ワシントン・コンセンサスの終わり」に重なる。首相は冒頭発言で「新秩序の始まり」というより、「旧秩序の終わり」に重きを置いたことになる。
オフショア金融センターの黄昏
では一体、「何」の「終わりの始まり」なのか。ブラウン首相は説明していく。タックスヘイブンについての国際的原則に、様々な国が続々と署名している。その原則とは、租税当局間の情報交換に関するもの。署名したのは、スイス、オーストリア、ルクセンブルク、アンドラ、香港、シンガポール・・・。かつてはタックスヘイブンとして有名だった国・地域を、首相は名指しした。その多くが、「オフショア金融センター」と婉曲的に呼ばれている。
オフショア金融センターは、国内金融市場から完全に切り離されるため、国内に比べてはるかに負担の軽い金融税制の恩恵を受け、資産運用のための特定目的会社やファンドの設立、オフショア信託の運用、キャプティブ保険会社の設立なども手早くできる。
とりわけ、英国法の伝統がある国・地域では、法構造上も手続きが柔軟だという。
ニューヨーク市場の「裏庭」と称されることの多い、ケイマン、バハマ、バミューダなどカリブ海の旧英領諸国。「規制を嫌うカネ」を運用する中心地として第2次大戦後、急速に発展してきた。香港、シンガポールなどアジアのオフショア金融市場も、「華僑資本」が運用するこうしたカネを集め、発展してきたと言われている。
国際決済銀行(BIS)の統計によれば、2008年9月末時点でBIS加盟国銀行のケイマン向け対外資産ポジションは1兆7215億ドルに達する、同じく、シンガポール向け8477億ドル、香港向けも7723億ドル。3カ国の対外資産ポジションの総額は日本向け(2兆4665億ドル)を優に上回り、「金融大国」ぶりを示している。
英中銀が画策、ロンドン市場生き残り
しかし、世界で最も発展してきたオフショア金融市場として、賞賛されるべきはロンドン市場だろう。
第2次大戦直後、英ポンドから米ドルへと通貨覇権のシフトは決定的となった。そしてシティに居並ぶマーチャントバンクが世界の金融を支配していた時代は終わりを告げ、ロンドンが金融中心地として生き残れるのか危ぶまれていた。
近年の歴史研究により、英中央銀行であるイングランド銀行が1950年代前半、かなり積極的にロンドンをオフショア金融市場に育てようと画策していた事実が判明した。旧ソ連・東欧圏のドルを意図的にロンドンへ集め、ユーロダラー市場を育成したのだ。
従来の通説によると、米国の規制を嫌い、ロンドンの銀行に自然と集まってきたドルこそが、ユーロダラーとされていた。ところが、事実は違った。規制と税率の垣根を低くし、金融市場として生き残りを図るべく、中央銀行や政府関係者がドルを掻き集めてきたのが、ロンドンのオフショア金融市場の実態だったのだ。
であれば、ブラウン首相が今回のG20記者会見で宣言した「終わりの始まり」は、オフショア金融市場として戦後最大の発展を遂げてきたロンドンへの挽歌ということになる。
そして、世界各地のオフショア金融市場、別名タックスヘイブンで金融商品を自在に駆使して、カネの流れを作ってきたグローバル巨大金融機関に対し、ビジネスモデルの変更を迫るものである。「国際金融秩序の形成」を大義名分に、それを戦後支えたのがIMF・世銀やワシントンの賢人だからこそ、冒頭の「ワシントン・コンセンサスは終わった」という表現になるのだろう。
オフショア市場に迫る黄昏、金融のビジネスモデル変化、ロンドン市場への挽歌・・・。ブラウン首相の哲人的な記者会見のやりとりの中に、それを思うのは感傷が過ぎるだろうか。
(私のコメント)
アメリカやイギリスが目指した金融立国戦略は、金融で世界を支配できると言うロスチャイルドやロックフェラー家の陰謀を真似たものなのでしょうが、陰謀はばれてしまえば陰謀ではなくなる。私は1997年のアジア金融危機の頃からアメリカによる世界金融支配の謀略を告発してきた。ハゲタカファンドは彼らの尖兵であり、傲慢不遜なな態度はTIME誌の表紙を見れば分かるだろう。
確かにロスチャイルドやロックフェラーは政府に金を貸して国家を担保に取ってきた。しかしその陰謀がばらされてしまえば身ぐるみはがされて国家を追放されてきたのは歴史が示している。彼らはスペインを追われオランダを追われてイギリスやアメリカにたどり着いた。だからアメリカやイギリスが金融で世界を支配しようと思っても不思議ではない。
ではなぜスペインやオランダやフランスやドイツから追われるようになったのだろう。国家の勢いがピークアウトすると金融によって国家を建て直そうとするが金融では国家を建て直すことは難しい。その失敗はユダヤ人の金貸しに責任を押し付けられて追放されるようだ。
金貸しの多くがユダヤ人であることはウォール街を見ても分かるとおりだ。しかしユダヤ人=金貸しではない。ポール・クルーグマンもユダヤ人だが金貸しではなく学者だ。しかし最近のアメリカ人の反応を見るとナチスドイツ時代のユダヤ人排斥的なヒステリックな反応が見られる。リーマンブラザースの会長の家にデモ隊が押しかけていたが、大衆の恨みは恐い。
アメリカにはKKK等のような人種差別団体がたくさんあるから、その矛先がユダヤ人に向けられてもおかしくは無い。マスコミ業界にもユダヤ人が沢山いて、だからこそグリ−ンスパンやルービンを英雄のようにTIME誌の表紙を飾ったのでしょうが、今ではそれが災いの元になっている。ユダヤ人たちに謙虚さを求めるのは無理なのだろうか?
日本的な常識からすれば、金を持てば持つほど稲穂のように頭を下げて目立たぬようにすべきであり、大富豪が豪邸を建てるのは成金趣味であり、芸能人などは有名になると大豪邸を立てて他人に自慢する。リーマンブラザースの会長の家も大豪邸であり、だから大衆の恨みを買う。日本では40億円もの年収を貰う事は考えられませんが、アメリカでは桁外れの年俸を貰って連邦議会でも叩かれた。
ワシントンコンセンサスはアメリカの首都が世界の首都であり、世界経済の中心がワシントンにあるあるという事なのでしょうが、アメリカ政府はIMFや世界銀行を通じて南米諸国やアジア諸国を経済指導してきた。しかしそれは、財政赤字の縮減、政府補助金の削減、税制改革、金利と為替相場の市場一任、民営化の推進といったとんでもない事であり、現在のアメリカが行なっている経済政策とは全く正反対の事を強制してきた。
まさに竹中・小泉内閣の政策そのものですが、日本もあのまま行けばIMFの管理下に置かれてタイやインドネシアや韓国のような目に遭わされる所だった。日本経済を主導してきた大蔵省も解体されて財務省と金融庁に分割された。これは財務省も金融庁もアメリカの管理下に入ったと言う事であり、いう事を聞かない大臣は中川大臣のように醜態が世界に報道されて失脚する。
イギリスのブラウン首相の発言は「ワシントンコンセンサスの終焉」を意味するものですが、金融帝国アメリカの終焉を意味するものだ。タックスヘイブンという税金逃れの天国もアメリカの後ろ盾があれば認められてきたのですが、金融立国が破綻すれば税金逃れが出来る国など認められるわけが無い。
日本でも新自由主義的な経済学者やエコノミストの転向が相次いでいますが、現在の経済状況ではケインズ政策しか打つ手が無い。ポール・クルーグマンも大胆なケインズ政策を主張していますが、経済の落ち込みは防げても景気がV字型に上向くわけではない。長い時間をかけて不良債権は処理されなければならないし、日本のバブル崩壊も克服には長い時間がかかった。