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http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090204/184964/
「クルマを愛せない」のは誰のせい?
愛情喪失とは無縁の光岡自動車(1)
* 川口盛之助 【プロフィール】
今回のコラムは、個性的なクルマづくりで異彩を放っている光岡自動車さんのお話です。自動車業界に猛烈な逆風が吹きすさぶ中、昨年末に発表された新型車「卑弥呼」は大きな話題を呼びました。
光岡自動車は社全体で年間生産量が500台程度ながらも、自力で型式認定までできる国内10番目の自動車メーカーというポジションにいます。手がける車種も50ccのマイクロカーから、クラシックテイスト車、スーパーカーまで、節操がないとも思えるほど貪欲に手を広げており、販売網もアジアや中東、欧州にまで伸ばしてきました。
昨年末に発表された、光岡自動車の新型車「卑弥呼」(写真:小久保 松直)
電子装備、環境対策、さらにモデルチェンジを繰り返す短TAT(Turn-Around Time)といった大手企業が突き進むグローバルスタンダードな大潮流などどこ吹く風の様子で、黙々と我が道を歩んでおり、地道ながらも着実にロイヤルティーの高いファンを増やしています。昨今の自動車離れ、自動車不況の中でも特に悪影響もなく淡々と売り上げを立てて健闘している同社のお話を伺っていると、これまでの自動車産業そのものの大きな矛盾が浮き彫りになってきました。
ミツオカ国内営業課課長の笠原勝義氏(写真:小久保 松直)
まず、光岡車オーナーたちの声を国内販売の営業課長を務める笠原勝義さんに伺ってみました。
光岡車に乗るメリットを分類整理してみましょう。人間のどろどろしたサガからほのぼのとした心情まで解剖をしているようです。
* (1)優越感
* ガソリンスタンドや高速のパーキングなどで車に戻ってくるとちょっとした人だかりになっていて、その中を何気なく乗り込むのが快感
* (2)特別扱い感
* ホテルのドアボーイの表情に「なんかスゲエ車が来た」という緊張感が感じられ、対応がやたらと丁寧だったり、百貨店に行ってもVIP用の駐車スペースに案内されたりする
* (3)異色感・ハテナ感
* 本当のクラシックカーでも本物の超高級車でもないので、ある意味なんちゃってカーだが、この価格でその対応を手に入れられる「お得感」と、そんな世の人々の対応を内心面白がる愉快感も乙なもののよう
これらの嬉しさは、なんだか見栄っ張りな成金趣味と、子供だまし的な感じもあって、「だからなんだよ」と思われるかもしれません。しかし話がこうなってくるとどうでしょう?
* (4)仲間連帯感
* 希少車なので路上ですれ違うと互いに合図したりする。光岡車オーナー同士のご近所情報も気にしていて、この街には、あそこの角のお宅と、どこそこに3台あるんだよなみたいな話題で盛り上がれる
* (5)家族のかすがい
* 上記のドアマンの対応エピソードとか、ご近所トピックスを家族で共有して話が盛り上がるという効用はかなりの割合のお客さんが語るのだそうです。おかげで話のしづらかった娘との話題が増えたとか、奥さんも最初は煙たがっていたのが今では嬉々として運転しているなどの朗報もしばしばとか。ペットや小さな子供のように家族の中でカスガイ的な機能を果たしているのですね
「携帯電話に予算を割かれてしまったせいで若者のクルマ離れが止まらない」などの“苦しい弁解”が多い中、SNS的な仲間との繋がる通信機能であったり、家族のカスガイ機能をリアル世界で発揮しているというのは、クルマを買い物や通勤などの効率的移動手段としてとらえる風潮とは反対方向を向いたモノづくりをしているようです。
下がらない、光岡車の中古車相場
そんなこんなの結果としての資産価値の話も聞いてみました。中古車になった後の価格の目減りの話を伺うと、明るい表情で「光岡車は下がらないんですよね」「それが魅力でお買い求めになる方も増えてきました」とのこと。中古車市場は円高の影響により、実は底支えしていた外人バイヤーたち(特に中東の人々)が潮が引くように消散し、昨年3月あたりからすでに相場は急降下し始めていました。そこにきて9月のリーマンショックで中古車市場は暴落状況です。そんな逆風下でも光岡車の相場はほとんど影響を受けていないのです。
かつて東京モーターショーでコンセプトモデルが発表され、今は市販化されている光岡自動車のファッションスーパーカー「大蛇(オロチ)」(写真:小久保 松直)
値下がりしない最大の理由は、何と言っても希少性でしょう。全車種合わせても生産されるのが年間500台です。しかしもっと大事なポイントは、オーナーたちが「手放さず長く乗る」「手放したとしても大事に扱っているので状態が良い」という点です。どんな車でも新車の頃にはみな大事に乗っていますが、途中から、大事にし続ける人と、大事に扱わなくなる人に分かれてしまいます。その多くは後者なのですが、これは夫婦に例えて言えば、「情」が移る前に飽きて別れたような感じです。
新婚の頃にはアバタもエクボだったラブラブ関係も、新鮮味が薄れてくるとあらが目立つようになりギスギスした関係になってしまいます。その大きな理由の1つにモデルチェンジがあると感じています。
4〜5年おきに確実にやってくるフルモデルチェンジ、毎年こまめに変わるマイナーチェンジ。自慢だったはずのマイカーですが、交差点で隣につけた車が同じ車種の最新モデルだったりすると、なんだか急に侘しい感、愛車とオーナーの間に早くも秋風が吹き込んだ瞬間です。
嫁の実家から届いた見合い話
新妻(夫)の時の愛と古女房(うちの人)への愛は明らかにモードが違いますね。中年の倦怠期という死の谷を乗り越えて、酸いも甘いもかみ分けた関係性という境地に至ったのが「情が移った状態」であり、それは相手が人でなく道具やペットの場合には「愛着」とか「愛玩」と呼ばれる表現になるでしょう。
内装を張り替えたり、アルミホイールやアエロパーツをつけたりして、長年にわたってお金と情熱を注ぎ込んだ作品はそう簡単には手放す気になりません。ところがそのようなパートナー的な関係性に至る前にやってくるのが、あろうことか嫁の実家からのお見合い話なのです。「モデルチェンジした次女を嫁がせたいので先の姉とは別れてくれ。高く実家で引き取るから」というオファーです。
妹は器量も愛嬌も少し良くなっているとCMやダイレクトメールでガンガン売り込んできますので、そのうちに旦那の心も揺らぐわけです。多少気がとがめつつも、結局新たな妻を娶ってしまいます。
そんな恋愛破局劇を4年おきに繰り返すうちに、旦那が女性不審に陥るのは必然的な結末でしょう。「もう二度と車(女)なんか愛すまい!」となり、そんな身勝手な自分を慰める論理的な説明とは「車(女)なんて所詮は機能に過ぎない、楽に心地よく効率よく移動してくれる単なる手段として解釈しよう」となります。そうなると、価値判断の基準は「ニューモード」と「新技術」になるのは必然でしょう。
モードとはコスメティックなデザインの流行のことで、去年はルーズソックス、来年はネールアートというふうに理論では予測不能の「揺らぎ」のような現象です。一方の新技術は、知恵の積み上げでできてきますから、ファッション的なものとは一見対極にあるように映りますが、売り手側にとって両者に共通する点は、毎年目先を変えるための理由に過ぎないという点です。
「この商品を愛さないでください」とのメッセージ
先妻よりも、より高価な化粧品でメークして(モード)、華道に茶道の免状まで取らせて(技術)、バージョンアップした次女の姿は、SFアニメの新型機の登場シーンを彷彿させます。地球の危機を救うために身を挺して戦ってきた宇宙戦艦ヤマトやUSSエンタープライズ号とは別に、物語の途中で軍の先端研究所が粋を集めて開発した最新型戦艦やロボがリリースされます。エンジンも兵装もあらゆるスペックにおいて旧式を圧倒的に上回る高性能品です。デザイン的にも旧式より一回りデカくて威圧的で、輝かしい外観です。ファンファーレとともに出撃する新型機、「これで地球も安心」と思いきや、意外に脆くて途中で失速、再び旧型機が招集されて発進、アナログなクルーたちと旧型機との愛と努力と根性で危機を救う大団円となるわけです。
メッセージは「やっぱり大事なのは魂だよね」ということです。昨今話題の派遣労働とかアウトソーシングに対する、和風にベタな愛社精神という関係性にも通じるものを感じます(シュワちゃんのターミネーターも同じでしたね)。
結局は、短い商品サイクル設定で売り上げを立てるというやり方とは、「この商品を愛さないでください」というメッセージを出し続けているということなのでしょう。売ろうとしているモノは長く愛すべきモノではなくて必要な機能を提供する手段に過ぎませんというメッセージです。
光岡自動車の光岡進会長(写真:小久保 松直)
その一方で、次回もうちの会社のものに買い替えてくださいと力説します。商品は愛さずに会社は愛してくださいという売り手のご都合主義は欺瞞に満ちています。選択の余地がなかったマイクロソフトのOS「Windows」の度重なるバージョンアップには目くじらを立ててきましたが、似たり寄ったりで言えた柄でもないようです。
「光岡の車にモデルチェンジの心配はないので、オーナーは安心して愛することができます。従って大事に扱うし値崩れもしないのです」と笠原さんは語ってくれました。希少ゆえに街で同型車に出会う機会が少ないうえに、新型車に出会って貶められる心配もないのです。心置きなく乗り潰すまで愛玩できる仕組みになっています。英国における光岡に相当する独立系の少量メーカーであるモーガンやロンドンタクシーの車も、同様の位置づけと伺いました。
大量生産系でもそちらを志向している先達は「Mini」でしょう。ただMiniのオーナーたちの間には、BMWに買収されて以来、いずれはMiniにも他車のようなモデルチェンジの波が押し寄せるのではないかという不安は漂い続けているようです。
国内では日産自動車の「フィガロ」や「パオ」から光岡に乗り換えるオーナーが目立つという話は泣けてくるものでした。これらはいずれも限定販売で15年以上前の車種ですが、オーナーたちは後継車種が出ないという理由から、トラブルをなだめすかしつつ愛車に乗り続けているんですね。トヨタ自動車が2000 年に記念商品で出した「オリジン」というトヨペット風のクラシックカーがありました。プログレをベースに純正カスタマイズした限定商品ですが、価格が 800万円になってしまうわけです。光岡のようにFRP製のボディーを手作りでやるというような面倒なことは大手にはできないからなのです。
トヨタ自動車から、生産累計1億台達成の記念車として2000年に1000台程度が限定販売された「オリジン」
大手メーカーの開発陣の方々と話していると、そんなワクワクする尖った車を作りたいというマグマを強く感じるシーンが少なからずありますが、採算性という大企業内のジレンマの壁を越えられず、結局は無難なお買い物カーに丸め込まれてしまいます。
名刺交換しようとした相手が、あなたと同じブランドで同じ柄のネクタイをしていたらかなり気まずいですね。それは自分の身体の延長ととらえているからです。自らのプライバシー領域なのです。自動車という道具がありがたい贅沢品だった時代を経て、当たり前の風景にまでこなれてきた時、オンデマンドで提供されればよい機能提供手段として枯れた方向でとらえられる運命なのでしょうか。
それは公共移動手段の末端としてとらえる世界観です。地下鉄、バスやタクシーというインフラ側の毛細血管です。現にシェアードカーというモデルが提唱されて広がりつつあります。ただしそこに「愛着」の入る余地はありません。従って訴求すべき点はひたすらに効率追求の一直線、コストパフォーマンスのみの世界です。
一方で、クルマをネクタイのように自分の身体の延長としてとらえる「濡れた」方向性もあり得ます。英国車のような豪華絢爛軸、イタリア車のようなムッと漂う色気軸、ドイツ車のような質実剛健軸、いろいろな価値観に裏打ちされた愛着の出し方があるでしょう。日本ならではの愛着の出し方とは何か。ヒントはJPOPサブカル界のキーワード「カワイイ」や「のび太君らしさ」にあると思います。そのあたりは次回詳しく語りましょう。
ユーザーサイドが愛着を持てるクルマとは…
戦後復興期には20社くらいあった完成車メーカー、200社近くあった二輪車メーカー。しかし、商売上の規模原理と技術開発の高度化が原因でこんなに少なくなりました。グローバル競争の今、さらに整理統合され、MPU(超小型演算処理装置)のインテルのように寡占化するのでしょうか。車が公共物であるシェアードカーを目指すなら本当にそうなるかもしれません。
1世紀前、欧州貴族の贅沢品だった馬車のような自動車に対して、ヘンリー・フォード氏が生み出した量産車「T型フォード」。彼のコンセプトは「庶民にも一生使ってもらえる自動の馬車を提供する」ことでした。
大成功したフォードに挑戦したゼネラル・モーターズ(GM)の編み出したコンセプトがモデルチェンジでした。愛するためには必要な“多様性の道”を拓いたのです。
100年経った現在、両者の調和した車になったかというと逆行のようです。一生使うどころか、できるだけすぐ乗り換える車をひたすら短TATで供給側が出し続け、その結果、ヒトがクルマを愛する気持ちの芽を摘み取り続けています。
どこかで狂ってしまったこのメカニズムを正し、ドライバーの愛を取り戻すためには、市場側に「いじってもらってなんぼ」という冗長な車づくりをする必要があると考えています。走行制御系の中身はさておき、ハンドリングから表層までの部分は完成車メーカー側がユーザーサイドに対して積極的にその体制を敷きつめる覚悟をしなくてはなりません。ソフト産業や衣料品、軽工業分野ですでに起きているプロシューマー化の潮流を先取りして反映する必要があるのです。
「後生大事に一生使われたんじゃあ商売あがったり」なのでしょうか。どのようなビジネスモデルでどのような魂を込めるべきなのか。この点について、次回に詳しく語りたいと思います。