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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu184.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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田原総一郎は竹中平蔵には好きなだけ話させるのに、金子勝には
「CM」とか「分かりにくい」と発言を遮ってしまう。公正を欠く司会だ。
2009年1月20日 火曜日
サンデープロジェクト 竹中平蔵と金子勝の討論
竹中平蔵が一方的にしゃべりまくったサンデープロジェクト
◆ガチンコ討論! 小泉改革は間違いか? テレ朝「サンデー・プロジェクト」(2009/1/18) 反日勢力を斬る イザ!
http://ponko.iza.ne.jp/blog/entry/878180/allcmt/
(発言要旨)
金子
「今のアメリカはまさに日本の不良債権処理の失敗の後追いをしている。多くの欧米諸国でも日本の失敗を繰り返してはならないという評価が主流になっている」
それが事実なら、日本の成功例を海外に紹介して評価されたというのは嘘だったと言う事になる。
竹中
「90年代に不良債権処理に反対したといろんな所で言っているが、私は不良債権処理をやれといった。政府は経営責任を問わなかった。だから私が金融担当大臣になって責任を問うようにした。
私がフィナンシャルタイムズに言ったこととウォールストリート・ジャーナルに書いた事そのままを金子さんは言っている。それをやったのが金融再生プログラムだ」
金子
「そのとおりですよ2002年」
財部誠一(経済ジャーナリスト)
「当時の不良債権処理プロセスを客観的に見ていくと、2002年に竹中さん達が金融再生プログラムをやる時には、自民党の長老との政治的なバトルだった。あるべき姿になるまでに政治闘争までやって査定して不良債権処理を進めた。これを評価しないと評価するものが無くなってしまう。2002年に2004年までに不良債権処理をするといった途端に株が上がった。90年代以降初めて銀行のクリディビリティきが上がった。これを評価しないと政治なんて要らないという話になってしまう」
小泉・竹中改革路線で格差が広がった?
竹中
「銀行の融資額全体の8.4%が不良債権だったのが1.5%に下がった」
竹中
「ジニ係数で見る限り日本は90年代から拡大していて、小泉内閣でジニ係数が拡大したという事実はない。小泉内閣の時代はジニ係数は緩やかになった。経済が良くなったから当然だ日本のジニ係数の拡大は高齢者が増えたからだという事でかなり説明できる。最近若者が格差を受けていることに問題がある。規制緩和して派遣が増えたからだというが、派遣は労働者全体の2.6%に過ぎない。
30年前に「会社が潰れるまで、正規やパートを解雇してはいけない」という東京高裁の非常に不都合な判例があった。これでは企業は変動の時代には危なくて正規雇用を増やせない。
その結果、若者の方が英語もITも出来るが、英語もITも劣る中高年の雇用が守られてその皺寄せが全部若者に行っている。
地裁でも「同一労働は同一賃金で無くていい」という判例を出している。それを変えるのが改革だ」
田原総一朗
「製造業に派遣を認めたのは2004年の小泉内閣だ」
竹中
「派遣は増えたが正規雇用は殆ど変わらず労働者の権利が守られない「請負」が減った。2004年、2005年は派遣に変えなかった。偽装請負の批判が出て、派遣が始まった。
日本の司法が誤った解釈をした。政府は正規と非正規が平等になるように改革すべきだ」
竹中
「日本は世界の負け組みになろうとしている。一人当たり所得は19位。規制緩和をもっとやるべきだ。小泉内閣は規制緩和をしようとしたが反対にあってそんなにしていない。やったのは「不良債権処理」と「郵政民営化」だけでその他は不十分だ」
水野和夫三菱UFJ証券チーフエコノミスト
「アメリカを見習った新自由主義的な構造改革はもう破綻した」
竹中
「『新自由主義』と評論家は言うが、小泉さんも私も新自由主義を実現しようといして政策なんてやらない。政策の現場はそうじゃないのだ。思想分類とは違う。そこにある問題があってそれを解決するためにどうすればいいかというのが政策だ」
◆竹中平蔵の詭弁 1月20日 教育の崩壊
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/110ecce9770137fa286ed62be956a36b
2009.1.18 サンデープロジェクト テレビ朝日系
竹中平蔵と金子勝の討論
竹中は小泉構造改革のプラス面を強調する。
金子勝は小泉構造改革のマイナス面を強調する。
物事には必ずプラス面とマイナス面がある。
しかし竹中はそのマイナス面を全く認めようとしない。
そして未だに『小泉構造改革が失敗だったのは、その構造改革が徹底されなかったからだ』と言っている。
そうではなかろう。
私は『小泉構造改革が失敗だったのは、その構造改革が極端すぎたからだ』と思う。
その極端な発想を生んだ理由が、フリードマン式の新自由主義への盲信にあったと思う。
しかし竹中は、『政策は思想分類とは違う』として自らのとった政策が新自由主義であったことを認めようとしない。
これなどは詭弁のたぐいであろう。
問題はそのような盲信が経済分野だけではなく、日本人の考え方そのものにもおよび、政治・文化や教育など、さまざまな面にマイナスの作用を引き起こしつつあることにある。
教育改革も新自由主義的教育改革であったことは、今では誰でも知っていることである。
学校選択制や中高一貫教育はその代表的なものである。
教育界の格差は激しい。
PISA型の学力観も、国際競争というグローバリズムのもとに打ち出された学力観である。
その結果、今学校では大変な子どもの心の崩壊が起こりつつある。
そういう意味で『総括』が必要なのである。
竹中平蔵を、思想信条を大事にする良心的な学者だと思ってはならない。
彼はもはや政治答弁に終始する政治屋である。
自分の経済理論のバックボーンにある思想的背景を一顧だにしない、学者としての良心に欠けた詭弁家である。
彼の話のもって行き方は、自らの考えは間違っていなかったが、自分の考えに反対する抵抗勢力によってその政策が妨害されたから、構造改革が失敗したのだという論理をつくりたいようだ。
いや、構造改革の失敗すら認めていない。構造改革は失敗したのではなく、その改革の途上で挫折させられたのだという言い方をする。
失敗の責任をすべて他に押しつける言い方である。
金子勝が言うように『90年代から続いていた構造改革を小泉・竹中路線が加速させた』ことは、間違いのないことなのに、竹中はそのことを認めない。
竹中の論法は『構造改革』というものの実態を雲散霧消させることにある。
構造改革のいろいろな側面を取り出して、構造改革そのものが一体何だったのか訳の分からないものにしたいようだ。
小泉構造改革に思想的背景があり、その思想的後ろ盾により政策が極端に走り出したことも事実であるのだが、
竹中は先にも言ったように『思想分類を政策に当てはめてはならない』と、これまた自分に都合の良いことをいう。
彼はどんなことをいわれても自分の非を認めようとしない。
そして必ず構造改革のプラスの面を強調する。
それが行き詰まると、
『では、どうしたいのか』と逆に相手に詰問する。
司会の田原総一朗も、竹中の肩を持つように、金子勝にそう問いつめる。
そうではなかったはずである。
構造改革のマイナス面を認めようとしない竹中平蔵に対して、そのマイナス面を認めさせ、行き過ぎた日本の構造改革の総括をしてもらうことが番組の趣旨であったはずである。
しかし竹中は決して自分の非を認めようとしない。
これでは『総括』はできない。
そこに視聴者はいらだっているのだ。
構造改革以来、日本経済は外需(輸出)に頼り、内需を重視してこなかったことは事実である。
労働者派遣法を生み、その結果貧富の格差を生んだ。企業の内部留保は高まる一方で、労働配分率は逆に低下した。それが国民全体の需要を冷え込ませてきたことは事実である。
法人税減税をやろうとするのなら、その穴埋めに消費税を上げるのではなく、累進課税性を強化し、高額所得者からの増税を行えば良いではないか。
しかし竹中は『法人税減税は必須』の一点張りだ。
竹中の言いたいことは、前にも書いたが、次の2つである。
1 日本の法人税は高すぎる。
2 日本人の給料は高すぎる。
竹中が『同一労働、同一賃金』を主張するのは、
正社員の給与を派遣労働者と同一にすることである。
なぜなら、竹中によれば、『日本の正社員は恵まれすぎているから』だ。
これでは企業の内部留保だけが増えて、内需の拡大にはならない。
日本はますます外需依存型になるだろう。
それは大企業経営者の最も望むことでもある。
竹中平蔵は大企業経営者によって守られている。
そういう意味で大企業によって最も保護されているのは竹中平蔵自身である。
(私のコメント)
18日のサンプロで竹中平蔵と金子勝の討論があったのですが、竹中平蔵が一方的にしゃべりまくって、金子勝には「CM」とか「分かりにくい」と一方的に遮ってしまって、時間的に三分の二以上が竹中平蔵の発言であり、小泉構造改革の是非を討論するのに田原総一郎は竹中氏の弁明ばかり話させていた。「朝生」でもそうなのですが、自分が意図しない方向に話が進もうとすると田原総一郎は発言者の発言を遮ってしまう。
これでは討論会ではないのであり、竹中平蔵の一方的なペースになってしまう。発言すべてをテキストにすればよく分かると思うのですが、しゃべりまくる事で討論の主導権をとって相手をしゃべらせなくしてしまう。それに対して司会者も発言を遮る事はしない。視聴者も竹中氏のマシンガントークに圧倒されるだろう。
本来ならば小泉構造改革の是非を討論すべき場なのだから、竹中氏の弁明ばかり聞いていても意味がないのであり、金子氏も竹中氏の早口でまくし立てられるのに圧倒されてしまって振り回されてしまった。最後には田原総一郎が金子氏に「具体的にどうするどうする」と攻め立てて竹中・田原対金子の二対一の討論になってしまった。
最後には竹中氏自身が「新自由主義」の旗を降ろしましたが、水野和夫氏も「アメリカの新自由主義的な構造改革はもう破綻した」と述べているように、竹中氏がいくらしゃべりまくって誤魔化しても竹中・小泉構造改革路線は破綻したのだ。小泉元総理はマスコミにはほとんど出てきませんが、自分の政策の失敗を自覚しているからだろう。竹中平蔵という口先ばかりの学者に経済を任せてしまったからだ。
金子勝に構造改革の不備を追及されると、改革はまだ途中だとか、安倍内閣に申し送ったとか、責任回避ばかりしている。2002年から2006年まで大臣を歴任してきたのだから一度に出来なかったというのは言い訳であり、非正規雇用者に対するセーフティーネットまで手を打つ時間はあったはずだ。
私から見れば金子勝氏も構造改革派であり、銀行経営者の経営責任を問えと言って不良債権処理を強引に進めようとしていた。しかしアメリカでも公的資金を銀行に注入しているが経営責任は追及はしていない。本当の経営責任を問おうとしたらグリーンスパンまで責任が問われる事になるからだ。日本でも同じであり銀行に責任があったのではなく、政府日銀の金融政策の間違いがバブルの原因であり、銀行は被害者だ。
「株式日記」では2001年から2006年までの小泉内閣の経済政策に対して批判し続けてきましたが、バックナンバーを読んでいただければ分かると思いますが、小泉竹中内閣は日本企業を解体して外資に売り飛ばす事が構造改革だったのだ。しかし本格的な外資による日本企業買収が始まる前にサブプライムが破綻して外資自体が吹っ飛んでしまった。
竹中氏は頻繁に欧米に出かけては情報交換していますが、日本のマネーをいかに欧米の金融資本に献上するかを企んでいるのだろう。郵政の340兆円の資金もアメリカの経済再建のために使えとニューヨークで話している。渡部よしみ議員も同じことを言っている。つまり日本のマネーはアメリカの銀行の欠損の穴埋めに使われるのだ。
日本には十分な金融資産がありながら国内では使われずに海外への投資に流れてしまっている。内需をいかにして活発化させるかが問題ですが、小泉竹中構造改革では規制緩和しても新しい産業は生まれてこなかった。生まれたのは問題になった製造業派遣業であり、ホリエモンなどの怪しげなファンドぐらいで、金融立国路線も破綻した。
オリックスなども、どさくさにまぎれて「かんぽの宿」を格安で譲り受けようとしましたが、経済諮問委員会のメンバーには私利私欲で動いているメンバーがいる。構造改革は彼らにとっては追い風であり、外資の手先になることで国内の主導権を握ろうとしていた。しかし今や立場は逆転して日本企業がアメリカ企業を買収して行く立場に変わった。オバマ政権になってアメリカの出方が変わるのでしょうが、新自由主義経済から社会主義的な政策が行なわれるだろう。だから竹中平蔵も新自由主義の旗を降ろしたのだ。