★阿修羅♪ > 国家破産61 > 124.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu183.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
養老孟司、渡部昇一対談 日本がもっているというアメリカ国債なんか、
どうせ紙切れなんだから焼いてしまえ、といっているんです(笑)。
2009年1月13日 火曜日
◆WASP精神は地に堕ちた!(1)/養老孟司(東京大学名誉教授)、渡部昇一(上智大学名誉教授) 1月10日 YAHOOニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090110-00000001-voice-pol
渡部
イギリスの作家ギルバート・ケイス・チェスタトンの弟のセシル・チェスタトンが『アメリカ史』という本を書いているのですが、そのなかで私がいちばんハッとしたのは、「アメリカは中世抜きで発生した国である」と見ていることでした。アメリカを考えるうえで、これはじつに正鵠を射た見方だと思います。
アメリカ建国の父となった人たちは、皆ピューリタンでした。もちろん新教徒ですから全部カトリックには反対です。アメリカで国を建てるとき何を理想にしたかといえば、彼らが読んでいたのは『旧約聖書』が主でしたが、教養としてもっていたのはギリシャ・ローマ文明の知識だったわけです。だからアメリカの多くの公的な建物もギリシャ・ローマ風に造られていて、中世的なゴシックは建てられていません。
しかし、中世を抜かしたために、抜け落ちたものが2つあるというのです。1つは奴隷制度、もう1つは騎士道です。
いうまでもなくギリシャ・ローマ文明は奴隷制度に立脚した文明でした。ヨーロッパ中世はその後1000年かけて奴隷をなくしたわけですが、それを無視し、ギリシャ・ローマに倣ったことで、アメリカでは大規模な奴隷制が復活します。
また、騎士道がなくなったために戦争に対する考え方が変わりました。国際法は元来、騎士道を基にしています。騎士道で決闘した場合、どちらがよいも悪いもない。お互いが作法をきっちり守ればよい、と考えるわけです。だから、これを前提にした国際法では、戦争が悪いという発想はありません。ところがアメリカは、インディアンと戦って、インディアンの土地を奪っているのに、インディアンは悪者扱い(笑)。中世が抜けているから、敵を「尊敬するに値するもの」とは考えず、対等の敵とは見なさないわけです。
第一次大戦にアメリカは参加しましたが、ヨーロッパにまだ力があったから、アメリカも従来のルールにだいたいは従いました。ところが第二次大戦はアメリカの独り勝ちだったから、そんな配慮もない。アメリカのルールに従って敗者を裁いたわけです。まさに日本はその犠牲者でしたね。
養老
たまたま知人と食事をしたときに似たような話になりました。たとえば、ヨーロッパでは機関銃の使用に心理的な抵抗があった。いわば無差別殺人ですからね。それを抵抗なく取り入れたのがアメリカ。つまり、「人間」とは見ていない有色人種を「処理」する発想が根底にはあったのだ、と。第一次大戦までは、戦争は「決闘型」でした。戦争するのはスナイパーで、1人ひとりが相手を狙って撃つ。歩兵は輜重を守ったり、スナイパーの背後を確保する役割を担っていた。そのような戦争のルールを崩したのがアメリカだというのは、きっと世界の常識となっているのでしょう。しかし皮肉なことに、そのアメリカがベトナム戦争ではゲリラ戦というルール外れの戦いでひどい目に遭いました。
渡部
いま、金融危機も大きな問題ですが、そもそも何がおかしかったかといえば、1971年にニクソン・ショックが起き、アメリカが金本位制を守れなくなったことではないでしょうか。戦後30年近く続いた金本位制が崩壊して、ペーパーマネーが「基準」になった。そうなれば、基本が紙なんですからやがては「刷ればいい」ということになって、どうやっても極端まで行ってしまう。日本でも江戸時代に各藩で小判が足りなくなると藩札を刷ったものですが、それがいまでは世界的な藩札制度になってしまった(笑)。
養老
ニクソン・ショックは、やはり戦後世界史の大転換です。そのあとドルが、世界の基軸通貨になって世界中に回るようになりましたが、世界中で流通している膨大なドルがもしアメリカ国内に還流したら、どうなるか。アメリカとしてはそれに見合うサービスと物を国外に提供しなければなりませんが、そんなことはできるはずがない。
ただでさえ赤字続きのアメリカを下支えしていたのが、日本であり、アジアの新興国でした。しかし皆、いずれ紙切れになるということは知っているわけです。あとは、それがいつかということが問題です。今度の金融危機はその走りでしょう。野口悠紀雄さんが『Voice』(平成20年10月号)で、先般の石油価格の上昇も、じつは金の価値を基準とすると上がっていないと書かれていました。結局、起こったことは何かといえば「紙幣価値の下落」なのです。これだけ紙くずを刷ってしまったものを、どう始末するか。私は、日本がもっているというアメリカ国債なんか、どうせ紙切れなんだから焼いてしまえ、といっているんです(笑)。
しかも後始末をつけるにしても、そもそも実態が見えない。僕らの経験からしても虫の大きさを本気で測るだけだって大変な話なのだから、あまたの統計数字なんていい加減に決まっている(笑)。もちろんきちんとした数字を出せれば、ある程度将来の予測もつくのですが。
渡部
日本の金融機関だって、実際どれだけの被害額か、探しはじめたらキリがない感じです。中国もこれで潰れるんじゃないかという人もいるくらいですから。
養老
僕は、アメリカ社会は「物」で見たほうが確かではないかと思うのです。いまアメリカ人は1人当たりの平均で日本人の4倍、ヨーロッパ人の2倍のエネルギーを使っている。それこそアメリカは「全館暖房の国」なんですよ。僕も若いころ、人がいない部屋を暖めて、じつに無駄な国だと思った。結局、アメリカは安い原油価格で維持されてきた国です。安い燃料で大型トラックの大量輸送をしなければ、あの国はもたない。しかしそれが70年以降の40年で徐々に逼迫してきている。全館暖房なんて元来、不合理なのであって、できなくていい。そこを縮小してどこに向かうか。
社会そのものをどう効率的に再構築できるかが将来、大きな問題となってくるでしょう。つまり、原油価格がいくらになったら、アメリカのどういう商売が潰れて、どういう商売が成り立つかをシミュレートすれば、基礎的な部分での社会の動きはある程度わかると思うのです。
その点、日本の「円」って面白い通貨だと思う。石油のような資源が何もなくとも、結構崩れないでもっているわけです。その信用を支えるのは、「日本人が働く」ということ。日本製品の「信用」で食べているのです。その意味では、円は非常に実態に近い通貨だと思います。
渡部
アメリカ資本主義の勃興期の実業家は、やはりピューリタンで、あぶく銭を儲ける発想は全然なかった。その意味ではじつに実態に近かったといえる(笑)。儲けても、フォードのように財団をつくったり、貧しいときから収入の何割かを寄付しつづけるというメンタリティが主流にあった。これがWASPであり、それゆえ尊敬もされたのです。ハーバード大学もイェール大学も、元来は牧師をつくる学校でしたが、そこにどんどん寄付する人がいて、いい学者が世界から集まってくる。経済と道徳が結びついていたのです。
やはりアメリカは、金本位制を捨ててから無責任感が出てきました。それからもう1つ大きかったのは、日本の儲けたお金をスッとアメリカの懐に還流させる仕組みをつくったこと。あれから彼らは悪いことを考えはじめましたね。
ここ10年ほどで、サブプライムをはじめ、訳がわからないものを膨れさせた。それ以前はまだ、われわれにもわかる経済でした。ところが金融工学などという訳のわからないものが出てきた。「どうもわからない、いったい何だ」と見ていたら、要するにインチキだったわけです(笑)。
経済の崩壊がアメリカから始まったのは、道徳が崩れたからです。サブプライムでも、払えないことが明白な相手に無責任に金を貸し、それを証券化して世界中に売り払い、さらに、そういう奇妙な金融商品を格付けする会社が出て、インチキ商品にトリプルAを付け出したから変になった。粉飾会計が明るみに出て2001年に破綻したエンロンの事件も、まさにモラルの崩れです。
老子の言葉に、「知恵出でて大偽あり」というのがありますが、本当に大きなインチキが出たという感じです。ロックフェラーやフォードが生きていた時代には、小さなところではいっぱいインチキがあったでしょうが、やはり「大偽」はなかったと思うのです。そこは神と直接向き合うピューリタンの心をもつ人が多くいましたから。
渡部
カトリックでは聖書を読むのは神父たちだけで、しかも勝手な解釈をしないようにローマ教会が抑えつけていた。それが聖書を印刷し、庶民が読んで勝手に解釈するようになったのが宗教革命です。インターネットはさらにそれを上回る革命かもしれません。しかし、大学の論文の審査は逆に、すべて口頭試問になるかもしれませんな(笑)。
養老
プリミティブなところに戻らざるをえない状況に来ていると思いますね。最後にやはり顔を見て、1対1のシステムが復活する。そのときアメリカがどう行動するかですね。昔ながらの素朴な商売は需要を探すものでしたが、アメリカ型の資本主義というものは、むしろ需要そのものを作り出すものになっている。典型的なのがビル・ゲイツです。アメリカでも頭のいい連中は当然、オイルの終焉を見切っている。それを見切った連中が情報に動いた。しかもアメリカはモノづくりからも離れていってしまっている。これは結構危ないのではないかと思うのです。
渡部
戦前、日本製のリヤカーのタイヤはすぐダメになるのに、ダンロップのタイヤは壊れない。戦争になったとき私の母親は「こんなタイヤをつくれる国と戦争していいのかな」といっていましたが、まさにあのころは先進国とは、製造品のいい国だったのです。私が最初にアメリカに行ったとき、GE(ゼネラル・エレクトリック)の大きな冷蔵庫に感激して買いました。冷房機もGEで、じつはどちらもまだ現役で動いています。あの時代のものは少し電気を食うかもしれませんが、壊れない(笑)。しかしいまやGEは電気製品の製造を大幅に縮小しています。GM(ゼネラル・モーターズ)も大変な苦境にある。この2つのGは、われわれの世代にはアメリカの国力そのものだった。恐ろしいことに、そのシンボルが2つとも消えかかっている。
養老
モノづくりは結局、本気でどこまで作り込めるかという精神性が問題となるのでしょう。そこが至らないと故障や重大事故を巻き起こすことだってある。
その点、情報産業は楽です。人命にかかわらない。「ソフトにはバグがあっても当たり前」というところがあります。しかしこれを続けると甘くなる。一度甘くなってしまうと、復活する方向へモチベーションを高めるのは非常に難しいのではないかと思う。だから、実体が非常に怪しくなり、世間を言葉で動かすことが中心になり、弁護士が増える(笑)。アメリカの文化はいま、やはり一種のエリート主義で、トップに行くのは弁護士です。そういう世界に慣れている人は、世界を自分がつくれると思っている。しかし、理系の僕らからすると、「勝手につくってるんだろう、おまえらが」としか見えない(笑)。たとえば医者になれば、人間の身体には「向こうの都合」があってどうにもならないことがある、と否応なく叩き込まれますから。しかしアメリカ人は案外そういう考えを無視するのです。だから乱暴なことをする。
そのような社会が人間にとって幸せかどうかを、個々人の問題にしていかなければいけないでしょう。「人間そのものがどういうものか」とか、「人間の幸せとは何か」を考えない情報文化では、アメリカに未来はありません。グーグルだけあっても、人間食べてはいけませんから(笑)。
渡部
アメリカの振り見て、わが振り直せ、です(笑)。
(私のコメント)
アメリカは歴史の浅い国であり15世紀からの歴史しかなくアメリカには中世は存在しない。独立してから二百数十年しかない訳であり、その意味では新興国でありヨーロッパ諸国とは異なる。だから欧米という言い方はアメリカとヨーロッパを一緒にしたものですが、最近になるとやはりアメリカとヨーロッパの文化は異なると認識しなければならない。
歴史や文化が異なるだけではなく、宗教においてもアメリカのキリスト教とヨーロッパのキリスト教は国民の意識においても異なる。養老孟司氏と渡部昇一氏の対談でもアメリカとヨーロッパの違いを論じていますが、人種も言葉も宗教も同じだと同一に考えてしまいがちですが、歴史が異なるのは確かだ。
60年代くらいまではアメリカはWASPの国であり、ヨーロッパ人の新天地として発展してきた。しかし最近はヨーロッパ以外からの移民が増加して三人に一人は非白人となり、大統領もオバマ大統領の誕生で多民族国家としてのアメリカに変化しつつある。
戦後になってアメリカはグローバル国家となり、朝鮮戦争からベトナム戦争と世界の紛争に関与するようになって、難民という形で受け入れざるを得なくなってきた。古代ローマ帝国も領土は広がるにつれて領地からの人が流れ込んできて徐々にローマがローマらしくなくなっていって行ったようにアメリカもWASPのアメリカから変わってしまった。
だから日米関係においても60年以上も同盟関係を続けていますが、アメリカの変化を敏感に感じ取らなければなりません。駐日米軍最高司令官もライスという黒人の司令官になったしマッカーサーが乗り込んできた頃の米軍とは違ってきているのではないかと思う。しかし日本の政治家はいまだに進駐軍コンプレックスが酷くて60年前と変わりがないように見える。
ヨーロッパ人から見ればアメリカ人は植民地人でありバカにされているようですが、アジアにいるアメリカ人はその国に対する歴史認識はほとんど無く、在韓米軍の撤退が朝鮮戦争の原因となり、ベトナムの民族主義に対する認識不足からベトナム戦争を引き起こしてしまった。イラクに対する歴史認識もヨーロッパほどの関心は無く、イラクに自由と民主主義の国家を押し付けようとしている。
イスラエルに対する関心も旧約聖書からの知識によるのでしょうが、アメリカの福音派は聖書は完全務誤謬であり聖書に書かれた事が真実であると信じている。その事がイスラエルに対する絶対的な支持に繋がっているのですが、多民族国家化するとアメリカを纏めるものは宗教しかないのではないかと思う。だからイスラムを敵視して宗教戦争をイランに挑むかもしれない。
60年代にアメリカが大きく変わったように、71年のニクソンショックは金本位制から信用通貨となり紙幣を乱発するようになってきた。その原因となったのがオイルピークでありアメリカといえども海外からの石油に依存するようになりモンロー主義が成り立たなくなった。しかし石油に依存した生活はなかなか変えられずにいる。
アメリカ発の金融恐慌が起きたのは石油が147ドルまで高騰して石油頼みの経済が成り立たなくなったからであり、金融立国でアメリカの経済を維持しようとしたのでしょうが金融はゼロサムゲームでありカモがいなくなれば「ねずみ講」は破綻するのは必然だ。
アメリカ人は日本人の4倍の石油を使って生活していますが、鉄道網は発達しておらず物資の輸送は安い燃料が前提の大型トラックで輸送しなければ成り立たない。ソ連が崩壊したのもトラック燃料の確保に失敗して農家には農作物が大量に腐り、モスクワの食品店の棚は空っぽになったことでソ連は滅亡した。同じ事がアメリカにも起きつつあるのであり、石油はやがて再び高騰した時が危ない。
それに比べると日本はもともと石油が無いから、労働者の労働だけが円を支えている。それでも石油が高騰しても円は下がらずアメリカに比べれば脱石油化は進んでいる。オバマ大統領はアメリカの脱石油政策を行なうようですが、アメリカは日本やヨーロッパにも遅れを取ってしまった。
アメリカは60年代までは物つくり大国であり、アメリカの自動車は非常に堅牢であり、バンパーの鉄板からナイフも作る事が出来るくらいの車を作っていた。渡部氏の話ではその頃のGEの冷蔵庫や冷房機はいまだに動いているようですが、今ではGEは金融会社になりGMは倒産の危機に直面している。つまり物が作れなくなってしまった。
物が作れなくなれば金融とサービスで経済を成り立たせなければなりませんが、金融もサービスも物つくりがあって成り立つものだ。金融は情報産業であり騙しあいの世界でありモラル的に腐敗しやすい。サブプライム問題はそこから起きているのですが、金融工学は人を騙す手段であり複雑な計算式は騙すためのものだ。
日本の経済学者やエコノミストはアメリカの金融立国を目指せと言っていましたが、そんなことをしていたらアイスランドのように国家破綻していただろう。いったん物つくりのモチベーションを失ってしまうと復活させるのは難しく、中国が近代化に脱却できないのも物つくりのモチベーションの崩壊があったからだろう。日本も派遣切などで労働者も使い捨てが定着すれば物作り精神は崩壊するだろう。
◆モノづくり幻想が日本経済をダメにする―変わる世界、変わらない日本 野口悠紀雄:著
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%B9%BB%E6%83%B3%E3%81%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%82%92%E3%83%80%E3%83%A1%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%95%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%80%81%E5%A4%89%
(書評より)
内容については、例えば、日本の近年の円安について、主要国からかつてのような批判が出てこないのは、ドイツやイタリアを除きアメリカやイギリスが脱工業化し、もはや工業国としての日本が脅威にならなくなったから等の鋭い指摘は、相変わらず素晴らしいと思う。
ただ、同氏の、日本は製造業を中心とした産業構造から、金融業を中心とする高度サービス業にシフトすべき、という従来からの主張に対し、今回も個人的に下記の疑問点が解消されることはなかった。
・鉄鋼業を代表に重厚長大産業をひとくくりに批判しているが、日本の素材産業は(エネルギー系を除き)部品産業と共に、国際的に高度な技術力と競争力をもっている企業が多いこと。
・グローバルにものづくりを展開する製造業の位置づけが不明。あるいは、アップルのようなソフトウェアとハードウェアを高度に融合させた製造業の将来性に関する視点が少ない。(一足飛びに高度金融業への転換を主張するより、これら「ネオ製造業」への転換の方が現実的かと思うのだが。)
・中国特需により、一時的に日本の製造業は息を吹き返しているにすぎない、と批判するが、BRICS諸国の発展は、中長期に日本の高度な機械製品の供給を必要とするのではないか。
・金融業等の高度サービス業を主体とした産業構造への変革を主張するが、サブプライム問題に代表される不安定性を経済社会の中に内在させる問題性に関する視点が少ない。(実際、ロンドンのシティでは、ボーナスの削減はもちろん、レイオフが開始されたことも報道されている。)
(私のコメント)
野口氏は市場原理主義でありアメリカやイギリスの金融立国を見習えと言う事でしたが、アメリカやイギリスは日本やドイツの製造業に勝てなくなったから金融やサービス業に行かざるを得なかったのだ。要するにゴールドマンサックスなどのアナリストの受け売りが多くてBRICs戦略に乗せられているようだ。
「旧態依然の製造業を生き延びさせてしまった。しかしこのままでは、国境を越えて情報やサービスが駆け巡るグローバル化時代に生き残ることはできない。」と著書の宣伝文句では言っているが、製造業が産業の基本であり、農業ですらハイテク化していくことで競争力を高めていかなければならない。金融立国を目指す国がたくさんありますが、優れた製造業があってこその金融立国であり、製造業と情報産業は対立するものではなく相乗効果をもたらすものだ。
アメリカでもアップルのように製造業とソフト産業との相乗効果で業績を伸ばしているが、日本も単なる物作りだけではない付加価値のある製造業を目指さなければならない。