04. 2014年12月05日 06:39:49
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「終わりなき戦い」 本当の敵は誰? エボラとの戦い(3) ギニアからシエラレオネ、そして世界へ飛び火 2014年12月5日(金) 國井 修 最近のエボラ流行〜これまでと何が違う? 2013年12月にギニアで始まったエボラ流行は、2014年には5月シエラレオネ、6月リベリア、7月ナイジェリア、8月セネガル、9月アメリカ、10月スペインとマリに飛び火して、これまでのエボラ流行で最大最悪の事態となった。 WHOの情報(2014年11月21日付)では、患者数1万5351人、死亡者数5459人、致死率は36%に上る。 2014年7月以降、流行国は次々に国家非常事態宣言をし、WHO は8月に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。さらに、9月には国連安全保障理事会(国連安保理)でエボラに対する緊急支援策が決議。ちなみに、感染症に関する国連安保理の決議は、エイズ以外で初めてのことである。 なぜここまで拡大してしまったのだろう。 既に報道などでご存知かも知れないが、一つの理由は、他のエボラ流行と同様、葬式儀礼と伝統治療による拡大である。旧ザイールのエボラ流行から約40年も経過しながら、全く同じ方法でエボラは人から人へ伝播し続けている。 それも今回は、より急速に大規模に…。 伝統治療師の遺体から瞬く間に 特に、ギニアからシエラレオネに飛び火したきっかけは、国境近くの村に住む女性の伝統治療師といわれる。元々、彼女の施術によるヒーリングパワーは有名で、国境を越えて多くの患者を惹きつけていたという。その彼女が「私はエボラを治せる」と豪語した。それを聞きつけた患者は、藁にもすがる思いでギニアから国境を越え、次々に彼女の治療を受けに来た。 結果、彼女も死亡した。エボラによる死とも知らず、各地から数百人の参列者が集まり、伝統儀礼に従って、遺体を洗い、抱擁し、キスをしたという。 これにより、ウィルスは瞬く間に広がった。追跡調査の結果、この伝統治療師の葬式により拡大したエボラによる死者数は365人。これをきっかけに、その後5カ月でエボラはシエラレオネ全土に広がり、患者6190人、死亡1267人となった(11月21日付WHO報告)。 ギニアにおける流行後6カ月時点の調査でも、エボラ患者のうち6割が葬式儀礼に関連しているとの結果だった。 二つ目の理由として、都市部にウィルスが侵入し、流行が進んだことである。 過去のエボラ流行の多くは、孤立した僻村や行き来がさほど多くない町で発生していた。首都や都市に患者は移送されたものの、大流行にはつながっていない。 今年の流行では、西アフリカ3カ国(ギニア、シエラレオネ、リベリア)の首都すべてに流行が拡大し、そこからさらに地方、別の町にも広がった。 空から陸から都市に侵入、貧民街が温床に 特に、リベリアの首都モンロビアには、ウェストポイントと呼ばれる西アフリカ最大のスラム街がある。7万人以上の居住者が密集しながら、水飲み場もトイレもほとんどない。貧困と劣悪な衛生環境の中に、エボラが侵入したのである。 この地域では、エボラ患者やその死者の数を正確に把握できないという。なぜなら、患者が出ても病院には行かず、死亡したら近くの川に投げ込んでしまうこともあるためである。 ちなみに、流行拡大を抑えるため、この貧民街はリベリアの治安部隊によって、8月に一時封鎖・隔離された。事前の説明も警告もなかったため、食料入手や生活の支障を訴え、怒った住民が治安部隊と衝突している。 さらに、エボラは町から国外へも飛び火した。ナイジェリアの首都ラゴスには空路で、セネガルの首都ダカールには陸路で。特にナイジェリアは、アフリカ最大の人口1億7000万人を抱える大国、首都ラゴスは2100万人がひしめく人口過密都市である。 初めてエボラが入り込んだという意味では、西アフリカ3カ国と同じだが、セネガル(患者1人、死者0人)は2カ月、ナイジェリア(患者20人、死者8人)は3カ月で流行を封じ込め、終息させた。 なぜ、ナイジェリアとセネガルには早期封じ込めができて、西アフリカ3カ国にはできなかったのだろうか? 様々な理由があるが、現場を知るものの大方の見解は、西アフリカ3カ国は未だ「脆弱国家」(Fragile State)で、特に社会インフラや保健システムが不備で、政府の保健行政能力もあまりないことだ。 一方、ナイジェリア、セネガルは未だ発展途上ながらも、ある程度、社会インフラが整い、保健システムが機能し、政府の保健行政能力もそれなりにある。 電気も水も医師もゴム手袋も足りない 特に、シエラレオネとリベリアでは内戦が10年以上も続いた。その内戦の凄惨さは、ディカプリオ主演の映画『ブラッド・ダイヤモンド』が見事に伝える。ダイヤモンドがいかに紛争に関わり、少年兵がなぜ親を簡単に殺し、人々の手足が切断されていったか。 以前、内戦を終えて間もない頃のシエラレオネを訪れたことがある。首都といいながら、フリータウンにはジェネレーターで発電する以外には電気がなく、夜は一面ほぼ真っ暗だ。数少ない「ホテル」と呼ばれる施設でも、水はまともに出なかった。 保健システムが完全に崩壊され、感染症が蔓延り、母子の死亡も高い、当時のシエラレオネの平均余命は30歳代。「世界で最も命の短い国」ともよばれた。町は内戦で手足を切断された人々で溢れ、限られた医療施設には感染症に苦しむ多くの患者で溢れていた。 そんな国々でエボラが流行した。 100人のエボラ患者を入院させるには、目安として、一日あたり水1万5000リットル、消毒剤7500リットル、ゴム手袋800組、防護服300着が必要である。西アフリカ3カ国では、このような最低限のものさえ用意するのは難しい。 エボラ患者一人あたりおよそ3人の治療・介助のスタッフを要する。つまり、1000人のエボラ患者がいれば3000人のスタッフ・補助が必要だ。しかし、これらの国では医療人材が絶対的に不足し、まともな研修を受ける機会も少ない。 たとえばリベリアでは、約3000人いた医療従事者は内戦によって死亡または国外に流出し、特に医師は50人程度に減ってしまった。単純計算で、人口8万人あたり医師1人である。内戦後11年を経過し、海外援助と自助努力で人材育成もなされてきたが、今回のような緊急事態に対応できる数も力もなかったという。 そして、もうひとつの大きな理由は、エボラに対する準備体制であろう。 実は、今年の9月に、コンゴ民主共和国(旧ザイール。以下、コンゴ)でも、西アフリカの流行とは全く関連のないエボラ流行が発生した。最初の症例は、森で夫が獲ってきた野生動物を調理した妊娠中の若い女性。周辺の村々に広がっていった。最終的に発症66人、死亡49人、致死率は74%であった。 外部との行き来も少ない密林の村々なので、流行は拡大せず、封じ込めは容易だったとの考えもある。しかし、コンゴも、長年の内戦や今も続く軍事衝突があり、典型的な「脆弱国家」のひとつでもある。 しかも、エボラが流行した村々は、首都キンシャサから1200kmも離れた僻村・離村で、途中には道路もなく、密林の中を歩いたり、カヌーなどで河を渡らなければならない。 エボラが流行した森の近くの村
エボラが流行した村がある密林 脆弱国家でも、やればできる それでも、密林の中で起こった流行が遠く離れた保健省に報告され、すぐに保健大臣が現地を訪れ、徹底した患者確認や検査、接触者調査が行われた。その後、米国や国連、NGOが協力し合って、ヘリなどを使いながら、森の中に12床の入院隔離施設と検査室を設置して、流行を3カ月で終息させた。 高温多湿で、時に強く叩きつける雨の中、野営をしながら村々を回り、患者や遺体を確認し、血液を採取し、接触者を追跡するというのは、そう簡単な仕事ではない。 保健省と国連、NGO、ドナーが力を合わせ、疫学者、医療従事者、ロジスティクス専門家、精神心理専門家などが一致団結しなければ、これほど短期に終息できなかったかもしれない。 この背景には、1976年からエボラ流行が同国で7回も発生していることがある。エボラに対する緊急対応の準備体制、特に、関係機関・組織の役割分担と連携協力、人材育成、情報管理、ロジスティクスがある程度整っていたからである。脆弱国家でもやればできる、ことを示す例でもある。 エボラが流行した村での調査風景 エボラはそれほど怖くない
エボラが「いかに怖い病気か」は多く報道されている。しかし、逆に「それほど怖くない」ことを示す情報はあまり知らされていない。次にいくつかのデータを示したい。 私が調査で訪れたガボンのエボラ流行では、接触者として追跡観察された家族や友人など約200人は、時にエボラ患者と濃厚に接触していながら、感染・発症はなかった。 今回のエボラ流行でも、ナイジェリアでは20人のエボラ患者が約900人に接触しているが、観察期間を終えて発症は認められなかった。 前号で述べたように、ガボンでは医療従事者の感染予防・防護が十分とは言えなかったが、実際にエボラを治療・看護した約100人の医療従事者のうち、発症したのは2人のみである。 最近のエボラ流行では、11月21日現在、世界で588人の医療従事者が感染・発病し、337人が死亡(致死率57%)しており、この数字だけを見ると怖くなるだろう。しかし、エボラ患者1万5351人を診察して588人の医療者の感染と考えると、単純計算では100人の患者を診て4人の医療従事者が感染・発症したことになる。逆にみると、96人は感染していない。また、防護を徹底すれば感染を0に近づけることができる。 コートジボアールの村で我々が行った調査では、住民の84%が、エボラでサルが大量死した森で狩猟や農業を営み、53%がこの森のサルの肉を食べていたが、感染が報告されたのはこれまで1人のみである。 感染症の「恐ろしさ」を示す数字のひとつとして、「一人の感染者が何人に病気を感染させ発病させるか」という「感染力」を示すものがある。「基本再生産数(Basic Reproduction Number)」と呼ばれる。この数字は感染症によって大きく異なり、また同じ感染症でも、発生した場所・集団・時期、そして取られた対策によっても違ってくる。 「弱い側面」も知ろう 西アフリカ3カ国の2014年9月14日までに発生したエボラ患者の分析では、ギニア1.71、リベリア1.83、シエラレオネ2.02。つまり、一人のエボラ発症者から平均2人が感染・発症していた。 これをほかの感染症と比較してみると、一人の感染者からHIVは4人、SARS(重症急性呼吸器症候群)は4人、麻疹(はしか)は18人程度に感染・発症させる。エボラの「感染力」が他の感染症に比べて、必ずしも際立って高いわけではないのだ。 むしろ、私がアフリカの難民キャンプで働いていたときは、麻疹が一人でも発生すると大騒動になった。栄養不良や予防接種を受けていない子どもが多い時には、麻疹は瞬く間にキャンプ中に流行が拡がり、時に子どもの死亡率を数十倍にも上げるのである。 もちろん、ひとりのエボラ患者が2人に感染させただけでも流行は広がり、西アフリカでは15〜30日で患者数を倍増させた時期もあった。流行を抑えるには、基本再生産数を1未満にしなければならず、対策も急がれたのである。 もちろん、エボラの恐ろしさは「致死力」にもある。以前、「エボラの致死率は90%」などといわれ、エボラに感染したらほとんどが死ぬようなイメージを与えていた。 フランスビル国際医学研究センターの動物実験施設@ガボン 今回の西アフリカを中心としたエボラ流行では、致死率はこれまでのところ36%。ただし、軽症であればエボラを疑わず、検査をしなかった可能性や、感染が疑われても血液採取を拒否し、病状が悪化しても医療施設に連れて行かない例、病院に入院しても当初はまともなサービスを提供できなかった事実などを考慮すると、先進国にエボラが流行した場合の致死率は36%よりもかなり低くなる可能性もある。
さらに、エボラに感染しても無症状または軽症ですむ場合も少なくない可能性がある。ガボンでは熱帯雨林の村の住民の15%、中央アフリカでは狩猟民族の18%が血液検査でエボラ抗体が陽性だったという調査結果もある。知らず知らずのうちにヒトにウィルスが感染・伝播していることが示唆される。 エボラという敵の「強い側面」だけでなく、「弱い側面」も知らなければならない。 このコラムについて 終わりなき戦い 国際援助の最前線ではいったい何が起こっているのか。国際緊急援助で世界を駆け回る日本人内科医が各地をリポートする。NGO(非政府組織)、UNICEF、そして世界基金の一員として豊富な援助経験を持つ筆者ならではの視野が広く、かつ、今をリアルに切り取る現地報告。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20141202/274548/?ST=print
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