02. 2014年11月19日 07:15:23
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「終わりなき戦い」 本当の敵は誰? エボラとの戦い(1) ガボン、コートジボアールでその正体を追う 2014年11月19日(水) 國井 修 1996〜98年の3年間、エボラウィルス病(以下、エボラ)の調査・研究に携わったことがある。最近、エボラ疑いの方が搬送された東京都新宿区にある国立国際医療研究センターに勤務していた時のこと。一年の半分以上は、緊急援助や技術協力などで海外に派遣されていたので、その合間を縫っての活動だった。 当時、エボラが発見されて既に20年が経過していたが、アフリカでは毎年のようにエボラが流行し、治療薬もワクチンもないまま、高い致死率を示していた。 1995年には、エボラをモチーフにしたハリウッド映画『アウトブレイク』(ダスティン・ホフマン主演)が公開。実際にアメリカでも輸入した実験用サルにエボラが流行したため、サスペンス映画が現実のものになるのでは…と世界を震撼させた時期でもあった。 日本でもその対策が求められたが、当時、エボラに関する情報や国際的な協力体制は十分とはいえなかった。そんな中、国際医療協力研究委託事業に加えてもらったのである。 欲張りな私は、当時知られていた4種類(現在は計5種がわかっている)のエボラウィルスの3種(ザイール型、タイフォレスト型、レストン型)を調査対象として、ガボン、コートジボアール、フィリピン、アメリカを訪れることにした。 密林の奥に潜むエボラ エボラが流行していたアフリカ中央部にある国ガボンは、学生時代から一度は訪れてみたかった国のひとつである。 私が医師となってアフリカで働きたいと思ったきっかけを作ってくれたのが音楽家、神学家、哲学者でもあったアルベルト・シュバイツァー(1875-1965)。彼が医師として50年以上を捧げたのがこの国ガボン(当時は仏領赤道アフリカの一部)だったからである。 シュバイツァーが生きていた頃には報告されていなかったエボラという病気が、この国を襲ったのは1994年12月。カヌーでしか行けない密林の中、金鉱山の近くの村で、原因不明の病気により村人が次々に倒れた。 エボラが流行した村(ガボン) 病魔は瞬く間に周辺の村にも広がり、最終的に44人が発症、28人が死亡。致死率は64%に達した。人口の少ない人里離れた村で、短期間にこれだけの人々がばたばたと亡くなるのは、「異常」を超えて「恐怖」だった、という。
当初、その原因として水銀中毒が疑われた。金鉱山で金の抽出に水銀が使われていたためである。さらに、この地域に流行する黄熱病も疑われた。実際に黄熱病の抗体検査をしたところ陽性例も少なくなかったのである。 その後、フランス軍病院でエボラウィルスの抗体検査をしたところ、6検体中4検体が陽性。さらに、流行地で発熱、頭痛、下痢のいずれかの症状を示した患者の血液33検体中9例(27%)がエボラ抗体陽性となった。 遺伝子解析の結果、1976年と95年に流行した致死性の高いザイール株とほぼ同じであることもわかった。近隣の密林中で多くのチンパンジーとゴリラの死骸が見つかり、エボラ流行との因果関係が疑われた。 2回の流行、伝統治療がリスク高める 街中で伝統医薬を売る伝統治療師。医薬は服用、皮膚への塗布、祈祷、魔除けなどに使われる ガボンではさらに1996-97年にかけて2回のエボラ流行があった。
第二の流行では人口150人程度の孤立した村で37人が発症、21人が死亡(致死率66%)。死亡例のうち12人が村の祭りで死んだチンパンジーの皮をはいで調理して食べたという。 前腕腫脹に対する伝統治療 第三の流行は第二の流行地から西に200km離れた村で起こり、初感染者は密林の集材場に住む39才の狩猟者。発症10日後に入院し、25日後に死亡した。サルとの接触は定かでないが、付近の密林でチンパンジーの死骸が発見された。2例目はその友人の同じ狩猟者で、3、4例目は彼らを治療した伝統治療師とその助手であった。
私は第三の流行中に実際に村々を訪れた。ガボンの首都リーブルヴィル(Libreville)から電車と車で8時間以上。熱帯雨林の真っ只中。木を伐採し、森を切り開く拠点の村であった。 村人や伝統治療師に聞き取りをしたところ、伝統治療では薬草を皮膚に塗布する、患者の両腕にナイフで傷をつけ血液を皮膚に擦りつける、木の枝で患者の体中を叩くなど、患者の体液・血液との接触を強め、感染リスクをかえって高めるような治療をしていた。 さらに、吐血したエボラ患者に、エボラと知らず、胃潰瘍を疑って内視鏡検査をした医師がエボラに感染し、南アフリカ共和国に搬送された。この医師は死を免れたが、その治療にあたった看護師が不幸にも死亡してしまった。 ガボンのエボラ治療センタ― 私もエボラの治療センターで患者を診察させてもらった。
以前、エボラ出血熱(Ebola Hemorrhagic Fever:EHF)と呼ばれていたが、実は症状として出血を示す患者は思ったほど多くはない。入院患者を調べると、下血27%、吐血13%、鼻出血13%。一方、発熱は100%、下痢87%、嘔吐73%であった。最近の西アフリカを中心とするエボラ流行でも、約1400人の患者のうち出血を示したのはわずかに14%であった。 症状だけでは、マラリアを含むほかの感染症との鑑別がなかなかつかない。したがって、誤解を防ぐため、近年ではエボラ出血熱(Ebola Hemorrhagic Fever: EHF)でなく、エボラウィルス病(Ebola Virus Disease: EVD)と呼ぶようになった。 「ゴーグルは暑いからいいだろう」 エボラ治療センターにて それにしても、当時の現場のエボラ防護体制はひどかった。
一応、エボラ患者の治療センターでは、写真の通り、患者を隔離し、家族を含め病棟への出入りを制限していた。また、病棟の出入口では、ガウン、マスク、グローブ、ゴーグルを着用し、手足の消毒を義務づけるはずだった。 しかし、実際に私が着用したのは普通の白衣、手術用マスクと手袋。ゴーグルは暑いからいいだろう、と言われた。 すべては自己責任、自分の身は自分で守るのが鉄則。とわかっていても、ミイラ取りがミイラになる、かも、と不安が募った。日本人として初めてエボラ患者を診察して、同時に最初のエボラ患者になったら…、笑いごとではすまされない。 その後3週間は体温を測りながら、人目を避けながら生活した。 この流行でエボラがどうやって伝播したのかを調べた。 家庭内では、患者と一緒に寝る、体を拭く、血便などの汚物のついた服・シーツを扱う、などの看護・介護が関係していた。一夫多妻の地域なので、一人の男性患者が看病していた複数の妻に広がることもあった。 葬式でも感染、受診は3割以下 さらに、葬式を通じて感染が拡大。現地には、遺体を抱きしめる、素手で体を触る、洗うなどの伝統的な葬式儀礼がある。エボラウィルスを有する体液に触れ、感染・伝播につながったようだ。 宿主が死んでしまえばウィルスも生きながらえることはできない。ただし、宿主の死亡から数日間はウィルスも完全に死滅しないこともあるので、遺体の扱いには注意が必要なのである。 私がエボラの流行した村を訪れた頃には、既に村人への予防・啓発活動が行われていた。 はたして、どれほど知識が浸透しているのか、どんな受療行動をするのか、住民20人に質問をしてみた。 「エボラという病気を知っているか」――77%が知っていた。 「エボラはどんな病気か」――「わからない」60%、「必ず死ぬ病気」30%、「怖い病気」25%、「悪霊が憑く病気」20%、「蚊によってうつる病気」20%。 「病気になったらどうするか」――「わからない」40%、「医療機関(西洋医学)に行く」25%、「伝統医に診てもらう」20%、「何もしない」15%…。 エボラの予防啓発活動をしていても、病気になった時、医療機関(西洋医学)に行こうとする者が2割強しかいなかったのである。 エボラは、対症療法であっても、早期に治療を開始することで致死率を下げることができる可能性がある。しかし、村人は医療機関に行かないばかりか、かえってリスクの高い伝統医を選ぶこともある。 エボラはどこからやってきたのか。1996年当時はまだ確証がなかった。 エボラの流行はサルやゴリラなどの霊長類との接触や生食に関連しているように見える。しかし、サルやゴリラもエボラで死亡し、中にはエボラ流行によって絶滅が危惧されるほどの種もあるので、ウィルスが寄生する自然宿主とは考えにくい。 では、エボラを棲まわせている自然界の宿主は何なのか。宿主探しのプロジェクトが当時コートジボアールやガボンで行われていた。 最後の熱帯雨林で宿主を追う かつて赤道直下に鬱蒼と広がっていたアフリカの熱帯雨林は、伐採・乱開発により著しく減少していった。かつて人が入り込めなかったような密林の奥まで道が作られ、巨木が次々になぎ倒されていく。 シュバイツァーが記した『水と原生林のはざまで』(岩波文庫、訳:野村実)を読んで心躍らせながらガボンを訪れたものの、彼が半世紀を過ごした病院のあるランバレネも、その途上もかなり開発が進み、私が想像していたような「原生林」はほとんど見られなくなっていた。 宿主探しが行われたコートジボアールも、以前は国土の80%以上が原生林で覆われていたというが、私が訪れた時には8%にまで減少。それも国立公園として保護しなければ消滅する勢いだった。 国立公園に指定されたタイ森林(Taï forest)は、西アフリカに残る最後の熱帯雨林といわれる。チンパンジー、ボノボ、コビトカバなどの絶滅危惧種が棲息し、1982年には自然遺産として世界遺産に登録された。 このタイ国立公園でエボラの宿主探しが始まった。 事の起こりは1994年11月。タイ国立公園で野生チンパンジーの一群43頭のうち約4分の1が急に死亡または生存が確認できなくなった。それらを観察してきた動物生態研究者3人で死亡したチンパンジーを解剖したところ、うち1人がエボラを発症し、解剖したチンパンジーからは新種のエボラウィルスが確認された。タイ・フォレスト型と命名された。 アフリカの原生林 チンパンジーを大量死させるエボラウィルスがこの原生林に隠れている。どこにいるのか? 宿主探しが始まった。
ブラジルやインドネシアなどで「原生林」と開発後の「森林」を見比べたことがあるが、この間には大きな違いがある。森を構成する木々の太さ、高さのスケールが異なり、森の中に入り込んだ時の静けさ、荘厳さ、神々しさが全く違うのである。 アフリカでも、人の手が入ったものとそうでないものとでは、熱帯林の姿は全く違っていた。手付かずの原生林は高さが50mに及ぶものもあった。熱帯の赫々たる陽光を浴びて天に突き出した樹冠。足元も見えないくらい真っ暗で下草も生えない最下層。この樹冠から地面まで3〜5層に分かれ、棲息動植物も異なるという。 そのため、この原生林で宿主探しをするには、地上から数メートル毎に足場を組み、各層に棲息する節足動物や哺乳動物などを採集・捕獲しなければならない。1匹、2匹捕まえればいいわけではなく、100以上の異なる種でそれぞれ20個体を集めて、各個体にエボラウィルスがいるか、存在した形跡があるか、詳細に調査していた。 エボラが流行した熱帯林と著者 たどり着いたフルーツコウモリ
このプロジェクトの責任者は当時コートジボアール獣医学研究所からWHOに移った専門家ピエール・フォメンティ(Pierre Formenty)。彼は確かこのプロジェクトに4年くらい従事していたと思うが、最近の西アフリカのエボラ流行では、ギニアなどの現場で先陣を切って活躍している。 しかし、最終的に自然宿主の有力な手がかりを探し当てたのは、ガボンにあるフランスビル国際医学研究センター(CIRMF: Centre International de Recherches Medicales de Franceville)のチームだった。 2005年12月1日発行の英科学誌「Nature」で発表されたのは、ゴリラやチンパンジーがエボラで大量死した地域(ガボンとコンゴ共和国)で罠を仕掛け、捕獲した動物を調べたところ、3種類のコウモリにエボラに特異的な抗体とヌクレオチド配列が確認されたというもの。これらのコウモリは、果実を食べるためフルーツコウモリとも呼ばれ、現地では食用にもされている。 実は、1976年に発生したスーダン南部のエボラ流行の時から、コウモリがエボラの自然宿主ではないかと疑われていた。最初に発症した6人が植民地時代に建てられた同じ古い綿工場で働いており、そこに多数のコウモリが棲息していたためである。 さらに別のエボラ流行でも、コウモリと一緒に果実を食べていたチンパンジーが発症したことが確認されている。 また、アフリカの観光地にある洞窟を訪れた旅行者や探検家、鉱山で働く労働者がエボラに発症した。この洞窟や鉱山にはコウモリが棲息し、天井にぶら下がったコウモリの唾液や糞尿が落ちてきて感染したのではかないか、と疑われた。 しかしながら、このコウモリ自然宿主説を裏付ける証拠がなかなか得られなかったため、2005年の報告は確証とまではいかなくとも、有力な手がかりとなったのである。 電気柵の中で国際貢献の覚悟、新たに 1997年にフランスビル国際医学研究センターを訪れた。 フランスビルはガボン第二の都市で、首都リブラビルから東に700km以上、電車で10時間以上も熱帯林を突っ切ったところにある。 リブラビルからフランスビルまでの鉄道沿線の風景 驚いたのは、ジュラシックパークのようにエレクトリック・フェンスで囲まれた広い野外実験施設。さらにこの辺地にエボラウィルスを扱える最高度の安全実験施設(BSL-4)もあった。サルやゴリラを放し飼いにし、自然の中でエボラの伝播を観察・研究していたのである。
フランス人を中心に、世界中からウィルス、細菌、寄生虫、霊長類など様々な分野の研究者がこのアフリカの奥地で生活し、研究に打ち込んでいた。 このくらいの心意気と覚悟でやらねば、国際的な研究や真の国際貢献はできない…。 当時、まだ若かりしき自分に向かって言い聞かせ、戒めた。 路上で食用に売られているサル (次回につづく)
このコラムについて 終わりなき戦い 国際援助の最前線ではいったい何が起こっているのか。国際緊急援助で世界を駆け回る日本人内科医が各地をリポートする。NGO(非政府組織)、UNICEF、そして世界基金の一員として豊富な援助経験を持つ筆者ならではの視野が広く、かつ、今をリアルに切り取る現地報告。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20141117/273909/?ST=print
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