06. 2013年9月18日 02:25:21
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【第28回】 2013年9月18日 渡部 幹 [モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授] ルパン三世はなぜ峰不二子に騙され続けるのか? 美人との商談で理性を失うビジネスマンの大脳生理学 ――処方箋㉘ ニューロビジネスを知れば経営の本質がわかる! 新しい研究分野・ニューロビジネス 筆者が注目するミクログリア細胞とは 筆者は、8月よりマレーシアのモナッシュ大学のビジネススクールに赴任している。筆者がこの大学に移った一番の理由は、そこで始められた新しい分野――ニューロビジネス――に魅力を感じたからだ。 ニューロビジネスとは、大脳生理学的な研究手法を使ってビジネスに関するトピックを研究する学問分野だが、まだ始まったばかりで体系的に学べる分野として確立されてはいない。 しかし、だからこそ多くの可能性を持つ分野であり、これからどんどん新しいことがわかってくるだろう。 筆者がここに採用されたのは、最近の筆者の研究がニューロビジネス分野に近いものだからだ。 筆者はここ数年、脳のミクログリア細胞が経済行動に及ぼす影響について、九州大学の精神医学者・加藤隆弘と共に研究を進めている。現在のところ、脳科学の研究のほとんどは、ニューロン(神経細胞)とシナプス(神経細胞間に形成される、神経活動に関わる接合部位とその構造)を研究対象としている。 しかし、脳の中の細胞には他にもグリア細胞と呼ばれるものがあり、筆者が注目しているミクログリア細胞はその中の1つだ。 脳内唯一の免疫細胞であるミクログリアの特徴は、脳の中を自由に移動できることだ。そして遺伝子解析により、我々がまだ単細胞だった頃に外から神経系に入り込んだ「部外者」であることがわかっている。 ミクログリア細胞の機能については、まだ全てがわかっているわけではない。だが、これまでわかっている中で最も有名な機能は、「神経細胞のお医者さん」という役割である。 損傷したニューロンを修復したり、あるいは破壊してしまうという役割が知られている。また見張り役として、ニューロンの不具合をチェックしていることもわかっている。 ミクログリアの機能が少しずつ明らかになってくるにつれて、その重要さもまた認識されてきた。『サイエンス』や『ネイチャー』といった科学雑誌が、ここ1、2年で特集を組むようになってきた。 不安を誘発する神経伝達物質を分泌? ミクログリア細胞が持つ「別の側面」 そして最近の研究では、ミクログリアにはさらに「別の機能」があることがわかってきた。筆者の研究は、この別の機能についてである。 ミクログリア細胞は、外界からの刺激に応じて活性化することがわかっている。詳しいことは省くが、ある種の活性化が起こると、不安やパニックを誘発する神経伝達物質を分泌することがわかってきた。 人が度々過度の不安に襲われたりパニックを起こすと、当然ながら正常な日常生活は送れなくなる。ある精神医学者は、統合失調症の末に自殺してしまった患者の自殺直後の脳を調べてみたところ、ミクログリアが異常に活性化していたことを発見した。 さらに、特に活性していた部位は、人間の社会的意思決定に関する場所だったことがわかった。社会的意思決定とは、対人関係での判断や経済的な決定である。 それらを行う際には、前頭葉のある特定部位のいくつかが活性化することがfMRI(MRIを利用して、ヒトおよび動物の脳や脊髄の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法)などを用いた研究でわかっている。それらと同じ部位が活性化していたことが、この研究でわかった。 人間のみならず、動物実験でも、ミクログリア活性がパニックや極度の不安を引き起こすことがわかっている。 簡単にいえば、ミクログリアの活性は人間をネガティブな方向に感情的にしてしまう、ということになる。 もちろん、この活性化は必ずしも悪いことではない。適度なミクログリアの活性は、よい意味での緊張感をもたらしたり、細心の注意を払って警戒するなど、生きるために必要でもある。 しかし、この活性システムが過敏になると、社会的に不適応な症状が現れ、精神疾患につながる可能性も出てくるのだ。 まだ確固たる研究結果があるわけではないが、筆者はビジネスで普段の実力が人前で発揮できなくなる症状や、ちょっとした失敗でうつ症状が出てしまう人、また失敗が怖くてチャレンジできない人などの、少なくとも一部はこのミクログリアの過敏活性が原因ではないかと考えている。 ミクログリアの活性を抑えれば より理性的な意思決定ができる そこで考えられるのは、ミクログリアの活性を抑えることができれば、より理性的な意思決定ができるはずということだ。 実は、1989年にある生理学者がその薬をすでに発見していた。それはミノサイクリンという抗生物質だ。。 ミノサイクリンは、日本を含む世界数十ヵ国で、30年以上採用されている抗生物質で、炎症を抑える働きを持っている。歯医者での治療後の炎症止め、風邪、にきびの治療などに使われ、医者にとってはかなりありふれた部類の薬である。 この研究で、ミノサイクリンがミクログリアの活性を抑制することがわかったが、人間に実際に投与するとどうなるかはわかっていなかった。しかしその後、臨床医師が統合失調症やうつ病患者にミノサイクリンを投与すると、症状が改善されたという報告が出てきた。 これらの研究は、分子薬理学や動物実験、精神疾患患者を対象としたもので、いわゆる一般の日常生活を送っている人々のデータではない。そこで筆者たちは、一般の人々にミノサイクリンを投与して、社会的意思決定を行う実験を行った。 ここで使った「社会的意思決定」は、信頼ゲームと呼ばれる経済的投資の意思決定である。見知らぬ他者に対して、お金をいくら投資するか決定する実験だ。投資されたお金は、何倍かになって(つまり多くの利益を生んで)相手に渡る。 相手はその後、その利益を独り占めにするか、投資してくれた相手と山分けにするかを選択する。相手が山分けにすると「信頼」できれば、できるだけ多く投資するほうが得になるゲームである。 この実験では、投資する側にのみ注目して、ミノサイクリンを投与した人々と、何の効果もない偽薬を投与した人々の投資行動を比較してみた。 そうすると、投資額自体はあまり変わらなかったものの、ミノサイクリン群の人々は、「相手が信頼できるかどうか」を重視して行動を決定していたのに対し、偽薬群の人々はもっと別の様々な理由で投資していたことがわかった。 信頼できるか相手かどうかよりも 女性としての魅力が商談を決める? このことを詳しく見るために、その後男性被験者のみを使い、相手を女性として、その女性の顔写真を見て投資行動を決定させる実験をやってみた。 この意思決定の課題は、「相手が信頼できるかどうか」ということだけが重要となる課題である。したがって、相手が投資に値する信頼できる人かどうかが重要になるはずだ。 しかしこの実験では、偽薬群の人々は相手が美人であるほど投資額が多くなっていった。明らかに、女性としての魅力が意思決定を左右している。それに対し、ミノサイクリン群は女性の魅力に惑わされることはなく、人間として信頼できるかどうかだけで判断できるようになっていた。 つまり、ミノサイクリン群のほうが、感情に惑わされず「理性的」な判断をするようになっていたのだ。このことは、ミクログリアの活性を抑えることで、余計な感情に惑わされる適切な意思決定ができることを意味しているだろう。 そして、この実験から、いわゆる「ハニートラップ」に引っかかるのは、ミノサイクリンの活性による理性の喪失が、少なくとも原因の一部ではないかと考えることができる。 ちなみに別の研究によると、相手の魅力に惑わされるのは、男性が女性に投資する場合だけに限られるという。同性同士や、女性が男性に投資する場合には、相手の身体的魅力は関係ない。 したがって、商談相手が男性ならば、商談に美人社員を連れて行くだけで、有利に事が運べる可能性があるということだ。あるいは、セクハラが後を絶たないのは、男性はビジネス面でも常に「下心」があるということでもある。 かっこいいルパン三世が 峰不二子に翻弄され続ける理由 アニメーションの『ルパン三世』で、ルパンは峰不二子の魅力にメロメロになったあげく、儲けを持っていかれる場面がよく出てくる。それがコミカルに思えるのは、私たちは無意識に男性のそのような「公私混同」を理解しているからであり、それがあってもヒーローとしての強さとかっこよさを見せるルパンに、男性としての本音と理想を投影しているからだと、筆者は考えている。 ミノサイクリン自体は、ありふれた薬ながらまだ処方箋が必要だ。したがって商談の前にミノサイクリンを飲んでいく、などということはできない。しかし、異性の魅力に限らず、何かしら感情的にさせる刺激のあるような場面で、安易に商談を進めたり契約したりしないほうがいいことは明らかだ。 また、ミクログリア活性の敏感さには個人差があるので、複数で商談に望むのもいいだろう。誰かが「その場の雰囲気に流される」のを防ぐ効果があるはずだ。ルパンを諭す次元や五右衛門のような役割が必要なのだ。 筆者らが行った研究では、健常者は自分のミクログリアが活性化していても、それが抑えられていても、あまり自覚はなく、性格や価値観などが変わることもない。つまり、主観的には、いつも通り普通なのだ。だからこそ、本当は異性の魅力に惑わされているにもかかわらず、そのことを自覚的できないことが多い。 したがって、現時点では、男性ビジネスマンは、自分たちには無意識にこのような傾向があることを「自覚」し、「自重」する必要がある。 ミクログリアが人間の行動に及ぼす影響についての研究はまだ始まったばかりで、謎のほうが多い。ビジネスに直接役立つ研究が出てくるには、もう少し時間がかかるだろう。 しかし、こういった基礎研究の積み重ねは、将来的には経営学の背骨として、様々な応用につながっていくと考えている。 *本日の記事のもととなった論文は以下のとおり http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0040461 http://www.nature.com/srep/2013/130418/srep01685/full/srep01685.html |