http://www.asyura2.com/09/genpatu6/msg/748.html
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スリーマイル島原発事故の経緯について簡単にまとめてあるサイトの紹介です。
事故の経緯を自分は知らなかったので、これを読んで、かなりびっくりしました。
多重に安全設計されたシステムがいとも簡単に重大事故を起こしたその経緯を知って、安全設計の危うさを改めて知りました。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/L5_02.htm
TMI原発事故
TMI原発の概要
1979年にスリーマイル島(TMI)原子力発電所で起きた事故は、原発に対するそれまでの「安全神話」を覆し、アメリカ国内に反原発の機運が高まるきっかけになったばかりでなく、多重安全設計を施した巨大システムが、ちょっとしたヒューマン・エラーから呆気なく崩壊していくことを示す格好の事例である。
TMI原発は、米ペンシルバニア州を流れるサスケハナ川の中州(周囲が3マイルあるのでスリーマイル島と呼ばれる)に建設された。2基の加圧水型軽水炉を持っており、事故を起こした2号炉は、定格熱出力が277万kw、電気出力が96万kwであった。
運転を担当したのは、メトロポリタン・エジソン社という地方電力会社で、1969年11月4日に建設認可を受け、78年夏の営業開始を目指していた。しかし、78年3月28日に初臨界に達した後、試運転中に蒸気漏れなどの故障が相次ぎ、修理や部品交換に時間がかかったため、営業運転を開始したのは、当初予定より大幅に遅れた78年12月30日となった(クリスマス休暇中に運転を始めたのは、年内の営業実績を作れば税制面で優遇されるためである)。その後も小さな故障が次々と発生するトラブル続きの原発であった。
TMI原発に採用された原子炉は、バブコック・アンド・ウィルソン社(B&W)製の加圧水型軽水炉である。B&W社は、もともとは発電用ボイラーのメーカーであったが、60年代の原発ブームの中で、原子炉の製造に乗り出した。ウェスティングハウスやGEなど、戦争中から原子力技術を磨いていた先行メーカーと比べると、技術力ではやや見劣りするものの、経済効率の高い原子炉を製造しており、すでにアメリカ国内で数基の原子炉が発注された実績を持っていた。
TMI原発の1つの特徴は、原子炉から4kmの地点にハリスバーグ国際空港があり、飛行機が原子炉に墜落する確率が1年に10-6を越える点である。アメリカの基準では、10-6/年以上の確率を持つ危険性に対しては安全対策を講じることが必要だとされているので、TMI原発は、大型旅客機が墜落しても大丈夫なように、きわめて強固なコンクリート製の原子炉格納容器を有している。この格納容器は、事故の規模を小さくする上で多少の効果があったとされる。
原発の仕組み
原子力発電とは、ウラン235の核分裂による熱を使って蒸気を発生させ、タービンを回して発電を行うシステムである。基本的には、火力発電所における石油や石炭の燃焼エネルギーを核分裂のエネルギーで置き換えたものと言える。ただし、決定的に異なるのは、炉心付近は強い放射能を帯びるため、これを環境から完全に遮断しなければならない点である。特に、ウランの核分裂によって炉心部に蓄積される放射性物質(死の灰)は、きわめて毒性が高いため、その管理には万全を期すことが要求される。逆に、こうした放射性物質を環境から隔離することに成功すれば、窒素酸化物や温室効果ガスをまき散らす火力発電所に比べて、原子力発電所の方が環境に与えるダメージは小さい。
加圧水型軽水炉の構造を模式的に描くと、次のようになる。
炉心部での核分裂は、制御棒の出し入れとホウ素濃度の調整を通じてコントロールされている。定常運転の際には300万kwになる生成熱は、まず1次冷却水に伝達される。1次冷却水は、炉心部を通る際に放射能を帯びるため、環境から切り離した閉じたループ内をポンプを使って循環させている(このシステムを1次冷却系という)。TMI原発の場合は、毎時6万トンという膨大な冷却水を流しているが、原子炉容器に流れ込むときに290度だった水が、2000度を超える高温の燃料棒に触れて320度まで加熱される。このとき、大気圧の下ではただちに沸騰し、扱いにくい放射性のガスになってしまうので、加圧器によって100気圧以上に加圧することによって水のままで循環させている(これが、「加圧水型」という名称の由来である)。こうして、300度を超える熱水が、パイプを通って2基ある蒸気発生器へと導かれることになる。
蒸気発生器内部では、細いパイプを流れる高温の1次冷却水から熱をもらった2次冷却水が沸騰して、水蒸気と水滴の混じった高温のガス流となる。このガス流がタービンを回転させることにより、発電が行われる。タービンを通過したガス流は、復水器内部で3次冷却水(TMI原発ではサスケハナ川の水、日本の原発では通常海水が用いられる)によって冷やされ、水に戻されてから、主給水ポンプの力で蒸気発生器に送り込まれる。この循環系は、2次冷却系と呼ばれる。
安全装置
原子力発電所で起こり得る最も恐ろしい事故は、炉心部にある放射性の核分裂生成物が周辺に飛散することである(燃料棒が核爆発を起こすことはあり得ない)。原子炉容器そのものが破裂するという想定外のケースは別にして、こうした事態が発生する可能性があるのは、炉心部から1次冷却水が失われた場合である。もし冷却水の水位が低下して燃料棒が空気中に現れるようなことになると、自身が発生する熱によって燃料棒のジルコニウム製の被覆が溶けてしまい、最悪の場合は、崩れ落ちた核燃料が容器の底を突き破って環境中に放出されることがある。これが、いわゆるメルトダウンである。このとき、残っていた冷却水と高温の核燃料が接触すると、大量の水が一瞬のうちに蒸発するという水蒸気爆発が起き、原発周辺に多量の放射性物質がばらまかれる可能性が高い。ひとたび、このような事故が発生すると、数千人から数十万人が致死性のガンなどによって死亡すると予想される。
1次冷却水喪失によるメルトダウンを避けるには、とにもかくにも原子炉に確実に水を供給することが必要である。水の循環システムは、パイプのシール部分などから漏水が起きやすいので、万一に備えて、通常のシステムとは別に、炉心部に水を供給するバックアップ装置が必須となる。こうした装置は、ECCS(緊急炉心冷却装置)と呼ばれ、複数の系統が用意されている。TMI原発の場合は、3系統の高圧注入系(ポンプで高圧にした水を一気に炉心部に流し込む装置)が設置されており、1次冷却系の圧力が低下した場合には、コンピュータによって自動的に水が注入される仕様になっていた。
このほか、2次冷却系の冷却水が失われた場合も、1次系の除熱が行えずに危険な状態になるため、複数系統の補助給水系が装備されている。この装置も、2次系の水が失われたときには、コンピュータが自動的に起動してくれる。
このように、原子力発電所では、さまざまな事態に対応できるように多重安全設計を行っているので、きわめて安全性が高いと信じられていた。1974年に提出されたラスムッセンらによる原子力発電の安全性評価レポート(いわゆるラスムッセン報告)では、フォールトツリー分析の手法によって原発で重大事故が起きる確率を計算し、およそ10億年に1回と結論している。しかし、こうした「机上の計算」をあざ笑うかのように、1979年にアメリカ史上最悪の原発事故が発生する。それは、10億年に1回と計算された最悪事故の一歩手前のものであった。
事故の概要
TMI原子力発電所2号炉で1979年3月28日に起きた事故は、原子炉から冷却水が失われて炉心が溶融するというきわめて深刻なものだった。原子炉事故の国際評価では、レベル7の「深刻な事故」(実例はチェルノブイリ原発事故のみ)より2段階低いレベル5の「施設外へのリスクを伴う事故」に分類される史上2番目の原発事故である。放射能漏れによる人的被害はごく軽微(周辺住民の何人かに致命的ガンをもたらしたという説もあるが公式には確認されていない)で済んだものの、この程度で収まったのは、原子炉圧力容器が頑強に作られていて、溶融した20トンの燃料棒の落下に耐えられたからである。さもなければ、チェルノブイリに匹敵する大惨事になっていたことは間違いない。チェルノブイリ原発事故が、ややもすれば、ソ連製原発固有の事故であり西側諸国では起こり得ないものと見なされるのに対して、西側原発の「安全神話」の根拠となっていた多重安全設計が機能しなかったという点で、TMI原発事故が日米欧の原子力関係者に与えた衝撃は、計り知れないほど大きい。
事故の内容は、原子炉から1次冷却水が失われ、水面上に露出した炉心が過熱して溶融したというものである。「原子炉の空焚き」と言えば、わかりやすいだろう。もちろん、こうした事態に備えて、原発には、ECCSのような安全装置が設置されている。ところが、TMI原発では、コンピュータが自動的に立ち上げたECCSを、当直のオペレータが手動で停止してしまったため、深刻な事故に発展したのである。こうしたことから、この事故は、しばしば「人為ミス」によるものとされたが、はたしてそう言って良いものか。事故のプロセスを分析しながら考えていきたい。
事故のプロセス −その1−
多くの大事故がそうであるように、TMI原発事故も、些細なインシデントから始まった。3月28日の未明、復水器で脱塩を行うフィルターの樹脂を洗浄のために移送しようとしたところ、これが配管内部に詰まってしまった。当直オペレータは、圧搾空気を使って配管の目詰まりを取り除いたが、このとき、途中のバルブがゆるんでいたため、コップ1杯ほどの水が空気作動弁の操作用空気系に入ってしまい、空気弁が閉じるという異常が発生した。この結果、2次系の主給水ポンプが自動的に停止、これを受けて午前4時0分37秒にタービンも緊急停止(この時刻が事故の経過を記述する際の起点になる)し、蒸気発生器に水を確保するための補助給水ポンプが立ち上がった。同時に、各種のアラームがオペレータ・ルームに鳴り響き、現場にいた4人の当直オペレータは、対策に追われることになる。幸い、主給水ポンプが停止してから8秒後に、一次系の圧力が増大したことを感知したコンピュータが設定通り原子炉を緊急停止したので、問題は、炉心部の余熱をいかにして除去するかという1点に絞られた。
主給水ポンプの緊急停止は設計段階で予想された事態であり、補助給水系が機能すれば簡単に収拾されるはずであった。ところが、補助給水系の出口弁が閉じられていたため、ポンプは起動したものの蒸気発生器に水が送られず、原子炉から送られてくる1次冷却水の熱による蒸発のため急速に水が失われていった。
ここで、問題は2つある。第一に、なぜ、開いていなければならない補助給水系の出口弁が閉じられていたか、第二に、コントロール・パネル上に出口弁閉止のランプが点灯していたにもかかわらず、なぜオペレータがこれを見落としたかである。
出口弁が閉じられたのは、事故の42時間前に行われた補助給水系の整備点検の時だと考えられている。作業マニュアルでは、点検終了後に出口弁を開くとされていたにもかかわらず、作業員がうっかりこれを失念したらしい(ただし、事故調査委員会での査問で当の作業員は、「神に誓って、自分はバルブを閉めた」と言っているのだが)。あってはならないのだが、根絶もまた難しい「うっかりミス」である。
こうしたヒューマン・エラーがあると、ラスムッセンらが行った確率的安全性評価が通用しなくなる。TMI原発では、多重安全設計の考えに従って、補助給水系は2系統(ポンプは3つある)用意されていた。仮に1系統の補助給水系が故障する確率がpだとすると、同時に2系統とも故障する確率はp2となる。pが千分の1ならp2は百万分の1となるので、安全装置を複数系統用意しておけば、安全性は飛躍的に高まることになる…はずだったのだが、一人の作業員がバルブを開けるのを失念するときは、2つある内の1つだけを忘れるということはあまりなく、2つともいっぺんに開け忘れてしまう。こうして、確率的にあり得ないとされた「複数の安全装置が全部ダメになる」という事態が発生したのだ。
たとえ点検作業のミスで出口弁が閉じられていたとしても、オペレータが短時間でそれに気がつけば、まだ、事態を好転させる余地はあった。ところが、当直のオペレータは、給水ポンプが停止してから3分後と5分後の2回にわたってラインチェックを行ったにもかかわらず出口弁の閉止を見落とし、8分後に外部から駆けつけた応援の技術者の指摘を受けて、ようやく弁を開いている。彼らが(原発のような危険な施設では致命的にもなり得る)8分もの長い間、コントロール・パネル上に点灯していた出口弁閉止のランプに気がつかなかった理由は何か。箇条書きにしてみよう。
もともとのトラブルが復水器で発生し給水ポンプに波及したものなので、その周辺に注意が集中しがちであった。
出口弁は常に開状態にあるはずなので、注意が向けられにくい。補助給水ポンプのように、時宜に応じて稼働するものについては、実際に動いているかどうかをチェックしようとする意識が働くが、いつも開きっぱなしになっているものに対しては、どうしても注意が散漫になる。
2つある弁の一方の表示ランプの上に、別のスイッチに掛かっていた注意札が覆い被っており、見えにくくなっていた。
すべてのバルブについて、開状態の時は赤ランプ、閉状態の時は青ランプが点灯するようになっており、出口弁については、青ランプによって危険な閉状態であることが示されていたが、“青”は一般に安全色であり、注意を喚起する力が乏しかった。
8分にわたって補助給水系が機能しなかったために、二次冷却系からは急速に水が失われ、事故発生後1〜2分のうちに、20メートルもある巨大な蒸気発生器の中には、底部に数十センチの水を残すだけとなった。これでは、原子炉から送られてくる冷却水から熱を除くことは不可能である。このため、オペレータが2次系に注意を集中している間に、トラブルは1次系へと移っていった。
1次冷却系は約150気圧に加圧され、300度を超える熱水を水のままで循環させているが、あまりに高圧になるとシステム全体に負担がかかり、パイプのシール部分などから漏水が生じやすくなるので、一定圧力以上に圧力が上昇したときには、加圧器に取り付けられている圧力逃がし弁が自動的に開いて、圧力を下げるようになっている。この事故の時も、補助給水系が働かずに1次系の除熱が行われなかったので、過熱状態になった1次系の圧力を下げるため、事故発生後3〜6秒で逃がし弁が開いた。ところが、原子炉が停止して熱の発生がなくなり、13秒後には加圧器を閉じる設定値まで圧力が下がったにもかかわらず、加圧器逃がし弁は開いたまま閉じない「開固着」の状態になってしまった。同様の「開固着」故障は、1977年にデービス・ベッセ1号炉でも生じており、ドレッサー社製逃がし弁の欠陥だと言える。逃がし弁が開いたままだと、そこから1次冷却水が漏れ出すため、冷却水喪失事故につながるため、現場のオペレータが素早く対応しなければならない。ところが、TMI原発では、実に2時間18分にわたってこの状態に誰も気づかず、このことが結果的に大事故を招来することになった。
事故のプロセス −その2−
加圧器逃がし弁の開固着によって、1次冷却水が失われ、事態は一気に深刻なものになっていった。
ここで問題となるのは、冷却水喪失を最も恐れているはずのオペレータが、なぜ逃がし弁が開きっぱなしになって水が漏れているのに気づかなかったかという点である。まず指摘しなければならないのは、オペレータの注意があくまで2次系に向いていた点であろう。復水器の異常に端を発して、主給水ポンプとタービンのトリップ、補助給水系の出口弁閉止による蒸気発生器ドライアウトと、事故当初のトラブルは2次系に集中して起こった。単純なシステムでは、故障を起こした問題箇所を修理すれば復旧することが多いので、そこを中心にチェックすることは技術的な観点から見て誤りではない。しかし、原子力発電所のように、多くの構成要素を持つ複雑なシステムは、ひとたび定常状態を逸脱すると、ある部分の故障が他に波及してカオス的な振舞いを示すことがあるため、常に全体を監視する視座を確保しなければならない。だが、緊急事態に直面して冷静さを失ったオペレータたちからは、多くのデータを総合して全体を見るゆとりが失われていた。
これに拍車をかけたのが、不適切な警報システムである。TMI事故の場合、最初の30秒間に85個のアラームが鳴り響き、コントロール・パネルには137個の警報ランプが点灯したという。また、コンピュータは次から次へと警報をプリントアウトしていったが、印刷速度が遅く、秒単位で変化する事態を明らかにしてはくれなかった。
もう一つ、加圧器逃がし弁の開固着を見落とさせる重大な要因となったのが、表示の問題である。逃がし弁の動作は電気的に制御されており、コンピュータからの指令に応じて開閉の動作を行うことになっている。ところが、コントロール・パネルには、コンピュータが出した開閉の指令しか表示されておらず、実際に弁が開いているか閉じているかを直接的に表す状態表示はなかった。これは、逃がし弁が300度を超える熱水を浴びる過酷な状況下におかれているため、開閉状態を検知する機器を設置するのが技術的に困難だったせいもある(現在では、状態表示が一般的である)。TMI事故においては、コンピュータが弁を閉じるように指令を出していたので、オペレータが目にするパネル上の表示は「閉」だったが、実際には弁は開きっぱなしになっていたのである。冷静さを失っていたオペレータは、「閉」ランプが点灯しているのを見ただけで、逃がし弁はしまっていると思いこんでしまったのである。
この時点でもまだ、システムの多重安全装置は作動しており、事態を収める可能性は充分にあった。逃がし弁の開固着によって冷却水が減少し1次系の圧力が低下したため、主給水ポンプ停止から2分2秒後に設計通りECCS(緊急炉心冷却装置)の高圧注入系が起動し、3台のポンプで原子炉に冷水を注入し始める。このまま、原子炉が冷却されるのを待っていれば、炉心溶融に到ることはなかった。ところが、ここでオペレータは、TMI事故を通じて最大の過ちを犯す。コンピュータが自動的に起動したECCSを、(事故開始後4分38秒の時点で)手動で停止してしまうのである。
オペレータたちは、なぜ安全装置の要であるECCSを切ってしまったのか。かれらが、原子炉内には水がいっぱいだと思っていたからである。満水状態の原子炉に、高い圧力をかけて水を注入しようとすると、パイプのシール部分が破損して却って危険になる。これを避けようとして、ECCSを停止したのである。
原子炉は満水状態だとオペレータたちを錯覚させた原因は、加圧器に取り付けられていた水位計にある。この水位計は、もともと加圧器内の水面を検出するものであり、定常運転のときには信頼できる値を示している。ところが、事故時のように加圧器の上部にある逃がし弁開いていると、圧力の低い外部とつながっている開口部に向かって、熱水が噴き上げるように泡立つため、水面の検出が正しく行えない。むしろ、噴き上げる水に押されるようにして、水位計の針が振り切れてしまう。これを見たオペレータは、加圧器内部に余分な空間がなくなるほどに水がいっぱいになったと考えたのである。
事故が終結してさまざまなデータが発表されたとき、日本の多くの原子力関係者は、オペレータの判断ミスを冷笑した。確かに、水位計は振り切れていたが、満水ならば必ず跳ね上がるはずの圧力計は、低い値を示している(炉心が低圧のときはECCSを止めるのは『技術仕様書』違反でもある)。また、加圧器逃がし弁の外側にある温度計は、300度を越す値を指しており、熱水が噴き上げていることを示唆する。こうしたデータを総合すれば、水位計の指示が誤りであることに、当然気がつかなければならないというのである。だが、パニックで判断能力が低下している人間に、多くのデータを総合した上で、そのうちあるデータが誤りであると推量することを期待するのは、いかにも酷である。
実は、オペレータたちも、水位計が満水状態を示しているのに圧力計の値が低いのはおかしいと感じたらしい。3台の高圧注入用ポンプのうち2台はすぐに停止したが、1台は絞り運転を続けており、ときおり思い出したように、停止したポンプの再起動を試みてもいる。しかし、これらはいずれも小手先の対処策にすぎず、原子炉が空焚き状態になっているという根本的な問題点には、誰も気づいてはいない。
TMI事故では、最初のトラブルが起きてから10分足らずの間に冷却水喪失のお膳立てが整った後、(2次系の補助給水系が機能し始めたことを除いて)事態がいっこうに改善されないまま、右往左往するオペレータや応援の技術者を尻目に、時間だけがだらだらと流れていった。次に事態の変化が見られるのは、事故開始後、1時間が経過したときである。この頃になると、1次系の水量はかなり減少し、1次系全体にわたって沸騰状態になっていた。このため、1次冷却水を循環させるポンプの内部でも、キャビテーションと呼ばれる水蒸気泡の生成・消滅現象が発生し、これに伴ってポンプが激しく振動を始めた。モニターでこれを検知したオペレータは、この振動によってポンプが破損したりパイプとの継ぎ目が弛んで水が漏れることを恐れ、4台あるポンプのうち、2台を事故開始1時間14分後に、残る2台も1時間41分後に手動で停止する。
冷却水ポンプの停止は、ECCSの停止に続く決定的なミスである。これによって、わずかに除熱を行っていた1次冷却系は完全にその機能を停止し、過熱した原子炉の空焚きは不可避となった。水面の上に顔を出した燃料棒の温度は急上昇する。800度で被覆材が壊れだし、1500度ほどでジルコニウム合金が水蒸気と反応して爆発の危険のある水素ガスを放出する。2000度を超えると、燃料棒全体が原型を保てずに変形していく。
オペレータによる冷却水ポンプの停止は、ECCSの停止と共に、TMI事故が人為的なミスに起因するという印象を強める。しかし、かれらは、理由なしに無謀な行為をした訳ではない。ポンプの振動を放置することが、冷却水の強制循環の中止よりも危険性が高いと判断したためである(実は、現場に駆けつけた技術者の間でも意見が分かれたのだが、最終的には、これがベターな措置だと見なされた)。たとえ、ポンプによる強制循環を止めても、(原子炉で暖められた水が上昇して原子炉上部にあるパイプから蒸気発生器に押し出されるという)対流による自然循環によって除熱は続けられると考えたのである。実際、原子炉最大手のウェスティングハウス社製の原子炉では、こうした自然循環が起きるので、冷却水ポンプを停止することも許される。しかし、TMI原発にあるB&W社製の原子炉は、パイプの途中に逆U字型の部分があり、ここに気体が溜まって水の通り道を塞ぐため、自然循環が起きにくい構造になっている。オペレータや技術者は、この点についての知識に欠けており、安全性を充分に確認しないまま冷却水ポンプを停止してしまったのである。こうして、原子炉は炉心溶融へと一直線に進んでいった。
事故の真の原因
TMI事故では、放射性物質の外部への放出がほぼ防げたため、人的被害は軽微だった。このため、一般緊急事態宣言が出され、10万人を越す周辺住民が避難したのは、不必要だったという見方もある。しかし、事故後10年を経て原子炉を解体したところ、炉心部の破損は予想以上に進んでいたことが判明した。事故開始2時間18分後に加圧器逃がし弁を閉じ、3時間ほど経ってから冷却水ポンプやECCSを断続的に動かした結果、燃料棒がたびたび冷たい水につかったため、加熱と急冷を繰り返すことによる熱的破壊が進んだためである。原子炉の中心部は原型を留めないほどドロドロになって崩れ落ち、20トンもの溶融物が原子炉容器の底に落下した。炭素鋼でできた容器が持ちこたえたのは、奇跡ではないにしても稀な幸運と呼んでしかるべきものである。もし、原子炉容器の底が抜けていれば、チェルノブイリ原発事故に匹敵する大惨事になっていたことは確実である。
この大惨事一歩手前の事故をもたらした原因は、いったい何だったのか。事故後、複数の調査委員会が設置され、それぞれ報告書を作成しているが、その多くは、複合的な要因を指摘しながらも、オペレータによる人為ミスを強く指弾する論調になっている。例えば、原子力規制委員会によると、事故に到る特に重大な要因として、次の6つが挙げられている:(1)補助給水系の出口弁が閉じられた状態で稼働していた(人為ミス);(2)1次系の圧力が低下しても加圧器逃がし弁が閉じなかった(機械の故障);(3)水量を誤認したオペレータがECCSを早期に停止した(人為ミス);(4)格納容器が完全に隔離されておらず、高放射性の水が外部に漏れた(設計ミス);(5)水位計の誤った表示をもとにECCSを断続的に作動させた(人為ミス);(6)1次冷却水ポンプを不用意に停止した(人為ミス)。このうち、(4)は軽微な放射能漏れの原因となったものだが、大惨事一歩手前に到る要因ではないので別にすると、残りは、加圧器逃がし弁の開固着故障以外、すべて人為ミスということになる。
事故が起きたとき、TMI原発で当直についていた4人のオペレータは、いずれもハイスクール出身で、原子力潜水艦に乗船するなど原子炉に対する実務経験はあったが、物理学的な専門の知識には欠けていたとされる。また、メトロポリタン・エジソン社による社内教育では、原子炉の効率的な運転に関する指導が中心になり、安全面での教育が不充分だったようだ。むしろ、原子炉は一度停止すると再立ち上げに時間がかかって莫大な経済損失になるため、少々のトラブルが発生しても、原子炉を停止しないで乗り切ってしまうように訓練されていた。こうした危機管理能力の乏しいオペレータが、初期トラブルに不適切な対応をして大事故を招いた−−そういう考え方がかなり広く行き渡っている。。
しかし、事故報告書を読む限り、4人のオペレータ(および応援に駆けつけた技術者など)が、特に無能で怠慢だったとは、どうしても思えない。かれらは、多くの警報が鳴り響くパニック的な状況下で、能力に応じた仕事を充分に実行していた。結果的には不適切な措置もあったが、その時点では確かに根拠のある行為であり、事故を拡大したという観点から非難するのは、結果論でしかない。
TMI事故は、多くの要因が絡み合って起きた事故であり、特定の人物に責任を負わせて済むものではない。原子力発電所のような複雑なシステムは、ひとたび定常状態を逸脱すると設計者の予測を越えたカオス的状況を生み出すものであり、人間が採っている何重もの安全対策もあっさりと破ってしまう。こうした不可避的な現実にこそ事故の真の原因があると知ることが、TMI事故の最大の教訓と言えるだろう。
《考えてみよう》
柳田邦男氏の次の文章を読んで、考えるところを書きなさい。「日本では、事故があると、運転員や運転士やパイロットを、すぐに警察がしょっぴき、マスコミが袋だたきにする。そういう刑罰や制裁が優先する社会では、ほんとうの安全対策を科学的合理的に考えようとする技術論は後まわしにされてしまう。…スリーマイル島2号炉の4人の男たちの行動と証言を調べると、彼らに悪意や怠慢があったという証拠は何もない。…ここで考えるべきことは、彼らをお粗末だと責めることではなく、彼らに代表される平均的技術者に、機械の側がふさわしいものであったあろうかということである。人間の社会なのだから、機械あっての人間ではなく、人間あっての機械なのだという基本に帰ることを忘れてはなるまい。」(『恐怖の2時間18分』)
©Nobuo YOSHIDA
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