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大きな地震に原発が襲われたことは、原発の歴史の中で一度もない。
チェルノブイリの事故は、一般的には操作ミスと言われているが、小さな地震がチェルノブイリ原発の真下で起こったのが原因だと一部では言われている。
つまり、原発は、構造がいろいろと複雑で、その分、安全性の確保が難しいのだ。おまけに、放射能の影響でどの程度コンクリートや金属が劣化するか、その実証試験は行われていない。つまり、本来は、20年、30年、原子炉を動かして、その間、コンクリート壁の劣化、鉄骨の劣化、配管の劣化などを実証試験で検証する必要があるが、そう言ったことは行われていない。単に、何年かごとに劣化の程度を検査しているだけだ。だから、検査をしていない部分で思わぬ事故を招くかも知れない。
また、原発のコスト計算でコストに入れられているのは、原発の建設費と燃料の調達費、日々の運転コストであり、高レベル廃棄物の処理に関わる費用は算入されていない。つまり、高レベル廃棄物の処理方法自体がまだ決まっていず、どのぐらいの金額になるかさえ推定も出来ていないのだ。
また、本来、廃炉の処理で出る多量のコンクリートは、通常の廃棄物と一緒の処理をすると決めてしまっているが、現実には、低レベルの放射能を帯びていて、廃棄物をどこに処分するかは大きな問題として残っている。
更に、原発は、様々な政府補助金がほぼ原発がある期間はずっと支払われていて、それらもコストに含まれていない。
つまり、原発は本当に実際にかかっている費用を全部入れたら、1キロワット40円とかまたは、100円をコストさえ言われていて、石油やLNG、水力、ソーラー、風力、地熱などと比べて、群を抜いて高いのが実情だ。
また、事故時の危険性も、他のものに比べて比較にならないほど大きく、いつ、いかなる状況で事故になるか分からないのが原発だ。
正に、そういった、予期せぬところで大きな事故になってしまったのが、高速増殖炉のもんじゅの事故。1995年の年末に起こった事故であり、のろわれた1995年の最後を飾ったもの。事故後、公開された事故現場の映像は編集されたもので、事故隠しが行われたことも、原子力の安全性を疑う一因になっている。(1995年は、阪神淡路大震災が起き、地下鉄サリン事件、そして、もんじゅの事故が起きている)
なお、原発にくらべて、地熱発電は絶対的に有利で安全。既に、場所によっては一キロワット時を8円ほどで発電できると言われる場所がかなり確保されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%85よりコピー:
事故 [編集]
1995年、二次冷却系で温度計の設計ミスからナトリウム推定700kgが漏出し、火災となった。国際原子力事象評価尺度では最も低いレベル1であるが、対応の遅れや動燃による事故隠しが問題となった。
経緯 [編集]
1995年12 月8日、「もんじゅ」では運転開始前の点検のために、出力上昇の試験をしていた。目標の熱出力43%を目指し、出力を徐々に上げていたところ、二次冷却系配管室で配管のナトリウム温度計が「温度高」を示した。引き続き同じ場所で、火災報知器が2箇所で、更にナトリウム漏洩を知らせる警報も発報した。
その後も火災警報の範囲は広がり、ついには階を超えて発報を始めた。すぐに試験を中止し、運転員らが現場に駆けつけたところ、目視で白煙を確認。ナトリウム火災の特徴だった。火災警報機が14箇所発報した時点で、運転員らは原子炉停止を決断し、原子炉の出力を徐々に落とし始めた。原子炉を急激に停止させる「緊急停止」は炉に負担をかけるため、炉を保護する為に緩やかな出力降下を目指した。しかし、一旦は落ち着いたように見えた火災報知器がさらに発報し、ついには34箇所にも及んだ。事態を重く見た運転員らは、事故発生から1.5時間後、原子炉を緊急停止させた。充満した白煙と高温により、防護服を着用しても現場に立ち入ることは困難で、被害状況は全くつかめなかった。しかし、原子炉停止後も火災報知器の発報は続き、最終的には66箇所に及んだ。
後に事故現場に立ち入り、状況を確認したところ、高融点の鋼鉄製の床が浸食され、さらにナトリウムが周囲にスプレー状に散布されている事がわかった。
なお、漏洩した金属ナトリウムは二次冷却系で、放射能は帯びておらず、原子力発電所の国際原子力事象評価尺度としては極めて軽微な被害ということになった。ただし、尺度そのものに対する批判も絶えない。
事故後の対応 [編集]
事故後の会見はもんじゅのプレスセンターで行い、動燃は事故当時撮影した1分少々のビデオを公開した。しかし数日後、これが編集されたビデオであることが発覚し、マスコミに指摘を受けた動燃は編集前のビデオを渋々公開した。不適切な対応はこれに留まらず、さらに数日後、動燃側から更に事故発生直後の現場のビデオがあるとの発表があった。編集前のビデオを公開した記者会見に出席した当時の動燃総務部次長は会見の翌日(1996年1月13日)自殺し、この自殺の原因が虚偽の発表を強いられたためとする親族による訴訟の過程で動燃の隠蔽体質が指摘された[3]。
原因 [編集]
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事故翌年の1月8日未明、前夜から行われていた漏洩箇所のX線撮影により、事故後一ヶ月経ってナトリウム漏洩の明確な原因が明らかになった。それまで最も有力だったのは、ナトリウムの温度を測定する熱電対温度計の収めてある「さや(ウェル)」と配管の接合部の破損であった。「さや」は、ナトリウムの流れる配管の中に棒状に突出しており、直径3.2mmの温度計を保護する役割を果たしていた。この「さや」は大変丈夫に作られており、ナトリウムの流速程度の機械的負荷で折損するとは考えにくかったため、破損箇所があるとするなら接合箇所だろうと考えられていた。しかし、X線写真によれば問題の「さや」の先端は途中のくびれ部分から完全に折損しており、中の温度計は45°ほど折れ曲がった状態で管内にむき出しになっていた。日本原子力研究所が調べたところ、ナトリウムの継続的な流れにより「さや」に振動が発生。徐々に機械的強度が衰え、折損に至ったことがわかった。
さらに、火災報知器が広範囲で発報した理由として、ファン付き換気ダクトによって白煙の拡大を招いたことが明らかになった。直径60cmのナトリウム管路の下方に、直径90cmの換気ダクトがある。事故当時、換気ダクトのファンは作動したままになっていた。原子炉停止後ナトリウムの抜き取り作業が進み、ナトリウムの液位が下がった事でようやく自動停止した。
管路周辺にスプレー状にナトリウムが散布されていた事も予測できぬ事態であった。高速増殖炉では金属ナトリウムは加圧されていないため、スプレー状に散布されるほどは勢いよく噴出しない。しかも、問題の配管は全て保温材で覆われており、仮に管内が多少加圧されていても、スプレー状の飛散には至らないはずである。調査の結果、換気ダクトのファンに付着したナトリウムが遠心力で周囲に飛散していたことがわかった。
事故発生直後、運転員らはゆるやかな出力降下による原子炉停止を行っていたが、これは運転マニュアルに違反した対応だった。運転マニュアルには、火災警報が発報した場合は直ちに原子炉を「緊急停止」するように記載されていた。
今後 [編集]
2005年2月6日、西川一誠・福井県知事は、それまで留保していた「もんじゅ」の改造工事を了承した。これにより、「もんじゅ」の再稼動にひとつ道が開かれた形になる。西川知事は、「これをもって運転再開を了承するものではない」としているが、反対派からは、当然の如く激しい非難が噴出している。
2005年9月27日、フランスは日本に対し、もんじゅの共同利用を提案した。
2009年4月22日、運転再開を目指している「もんじゅ」でナトリウム漏れ検出器の取り付けミスなどのトラブルを多発していることに関して日本原子力研究開発機構は、経済産業省の原子力安全・保安院小委員会に報告書を提出した。