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橋下氏の「浮気論」 2011年12月30日
http://www.asyura2.com/09/geinou2/msg/462.html
投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 7 月 21 日 14:46:00: ulZUCBWYQe7Lk
 

(回答先: 橋下徹大阪市長の元愛人が告白 (週刊文春WEB) 投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 7 月 18 日 22:50:52)

http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/43676178.html
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/43676213.html
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/43676278.html

* * *

1.橋下徹氏の「まっとう勝負」という本(小学館/2006)についてはさらに述べる必要がある。

1.橋下氏に関してはこれまで極めて嘘つきであり裏切り性の強い人間であるということが明らかとなっている。

氏の書いた「心理戦で絶対負けない交渉術 どんな相手も丸め込む48の極意」(日本文芸社/2005)
には「言い訳、責任転嫁、あり得ない比喩、立場の入れ替え、前言撤回・・・思い通りに相手を操る非情の実践テクニック」
「黒を白と言わせるようなさまざまなレトリックも使っていく」
「詭弁を弄しても」
「”言い訳”や”うそ”もありだ」とある。

「四年間の橋下府政そのまんまじゃないか」と驚いた市議もいるという(週刊文春111117号)。

「政治家・橋下の戦術は大きく三つに分けられる。「大きく出ておいてから譲歩する」という弁護士時代に培った交渉術、そして「裏切り」と「対立構図」だ」
(「新潮45」2011.11月号記事「孤独なポピュリストの原点」p.39)
とされる。

また橋下氏は「ウソつきは政治家と弁護士の始まりなのっ!」と言う(「まっとう勝負」2006年;p.185)。

1.そして氏が完全かつ極度の本質的「裏切り者」であることをうかがわせるものこそこれから紹介する氏の「浮気論」であると思われるのである。

1.では氏はどのように書いているのだろうか?

「浮気は「悪」と当然のように考えられているけど、本当にそうなんでしょうか?」(参考文献p.249)

「一夫一婦制は、あくまで”国が作った制度”なんだ。だから、たとえ制度に違反しても、それは単なる制度違反であって、直ちに不道徳や倫理違反になるわけではない」(p.250)。

「じゃあ、国は何のために一夫一婦制という制度を作ったか。これは、モテる男女がパートナーを独占することを防ぎ、国民全般に満遍なくパートナーができるようにするためだよ。配給制と同じ」(p.250-251)。

「もし一夫一婦制じゃなかったらどうなる?・・配偶者を得られない自由競争の敗者がワンサカ出てきて社会の秩序を保てない。そこで、制度として一夫一婦制なるものを採用した。社会主義経済みたいなもんだね」(p.251)。

「こんな制度に振り回されるのは実にバカらしいことだ」(p.251)。

「その人がひとりの相手で満足できないタイプなら、それは自然的・本能的行動としてしようがない。それを受け入れるか、いやなら分かれるのみ」(p.252)。

「浮気者を責める前に、「自分は性的魅力に欠けているんじゃないか」と考えてみる必要もあるね」(p.252)。

「一夫一婦制が制度としてなくなれば少子化も解消されるよ」(p.252)。

「一夫一婦制なんかないほうが、人間社会にメリットが大きいかもしれないね」(p.253)。

1.以上の氏の主張には私はたくさん言いたいことがある。
しかし最大の驚きは、以上の氏の主張が「本気」でなされたものではないと氏が断りを入れていることである。

「「浮気は罪」を論破する、大それた屁理屈があるぜ!」(p.248)

「本項では奥さんから浮気を怪しまれたときに、追及をかわせるかもしれない(?)、ちょっとした屁理屈を申してみましょう!」(p.249)

「というわけで、ご亭主の皆様方、奥様に浮気を追及されたときには、以上の屁理屈で反論してみてください」(p.253)。

つまり以上は「屁理屈」だと言うのである!

「屁理屈」と言えば真性の理屈ではない仮のものということになる。
にもかかわらず氏は以上のような理屈を振りかざし「ご亭主の皆様方」に「浮気」を扇動し「制度への違反」・「社会の秩序」の破壊を煽ったのである。

本当に一夫一婦制が間違っていると確信しそれを破壊するため煽ることはまだ私は理解できる。しかし自分が確信もなく屁理屈だと認めるものによって社会秩序の破壊を煽ることは絶対に許されないことである。

しかも氏は一体こんなことを何の目的で行ったのか?
氏の言葉によるとこうである。

「というわけで、ご亭主の皆様方、奥様に浮気を追及されたときには、以上の屁理屈で反論してみてください。うまくいくようであればご報告を。そしたら僕も使ってみます!」(p.253)。

つまり自分が浮気をやりたかった。そこで屁理屈を考え出し、本を書くことによって「ご亭主の皆様方」を実験台に使い「僕も使ってみます」ということなのである。ここに氏のこの屁理屈の目的がある!

1.つまり「作戦だった」と言うわけだ。
どこかで聞いた言葉だ。
そう、大阪ダブル選挙の後、「今一番政治に必要なのは独裁だ」と述べたのは「作戦だった」と言っていた。

また「日本の一番情けないところは単独で戦争が出来ないことだ」と述べるなど、徴兵制度の復活・核兵器保有肯定発言を度々行っていた(読売TV「たかじんのそこまで言って委員会」など)。ところが2007年12月12日の大阪府知事選出馬の記者会見ではこれを否定し、同年12月25日には「バラエティー番組での発言で世間ウケしないといけなかった」と釈明した。

つまり金儲けのための「作戦」だったと言うのである。

しかし本当に独裁や核武装が日本に必要と確信してそう主張するならまだしも、「屁理屈」でそう煽ったため結果的にそうなったらどう責任を取るのか?
許されない無責任である。

しかも、だからと言って氏が「独裁」「核武装」「浮気」を本気で狙っていることが否定できない点が危険なところである。
たとえば「浮気」に関してはどうだったろうか?
自分が浮気をやりたいがための「作戦」であった。

「独裁」に関しても同じ。
何よりもこれまでの氏の政治は独裁政治そのものであった。
府議会で「君が代」強制条例を強行採決し、「そもそも議論が要らない」とうそぶく橋下氏の“選挙で勝ちさえすれば何をしてもいい”との思想は独裁以外の何物でもない。
氏の考え方は、選挙ではどんなうそをついてもよい、すべて作戦だ、そして公約は全部破ってよい、公約しなかったものも強行採決してよい、そして「そもそも議論が要らない」というものである。
独裁としか言いようはない。
しかも今度は「政治はなんと言っても独裁」「政治に今一番必要なのは独裁」と言い出した。それはもっと完全な独裁政治にするため、批判を受けたとき「独裁で何が悪いんだ」と言えるように準備するための「作戦」なのである(つづく)。

(つづき)
1.氏の「浮気論」に関してはこれを正面から論じ打ち破る必要があるが、その前に気になる点を明らかにしておきたい。

それは、氏の主張を聞くと何でもかんでも「作戦」「屁理屈」と、どこにもまともな主義・主張が見えないことである。
また「彼に政治信条なんかない」と主張される方もおられる
(「新潮45」2011.11月号記事「孤独なポピュリストの原点」p.39-40での前大阪市長の平松氏の言葉)。

確かに「彼に政治信条なんかない」ならばころころ言うことが変化したりうその連発・裏切りの連発も理解可能となる。

1.そして橋下氏ははっきりと自分には信念はないと書いているのである。

「「だいたいね、”正義とは何か”なんていえる奴はいない。その人の価値観によって変わってくるからね。欧米の価値観とアラブの価値観は違うんだから、正義が相互に異なるのは当然」(参考文献p.148)

「正義っていう言葉は自分を神だと思い上がっている奴しか使わない」(p.155)。

「浮気が不道徳とされない時代もあったわけだし、今でも寛容な地域は世界中にある。つまり、人間として不道徳なことでもなんでもない。国が作ったいい加減な概念なんだ」(p.250)。

つまり氏に道義という意味での信念はないのである。
彼に正義に従って生きようとか正義を貫こう、もしくは正義に基づく王道の政治を実現しようとの気持ちはない。

1.では彼を突き動かすものは何なのか?

「浮気、即、不倫なんて考える前に、浮気に至った原因を考えなきゃ。その人がひとりの相手で満足できないタイプなら、それは自然的・本能的行動としてしようがない」(p.252)。

「少年をテロリストと決めつけて「はいおしまい」ってわけにはいかない」「どれだけ非常な事件を起こした少年であっても、生い立ちを探り、なぜそのような非行に走ったか検証するでしょ」。
「では、なぜアラブやイスラムのテロリストたちに対しては、そのような検証をしないんだ!」(p.151-152)

「歴史を検証すれば、アラブやイスラムが米英に恨みつらみを抱くのは無理もないことがわかる」(p.153)。

「こうしてみると、アラブやイスラムの米英に対する敵意にも歴史的にそれなりの理由があることがわかる。もちろん、世界秩序を破壊するテロを壊滅すると言う現在の米英の行動にも理由がある」(p.154)。

つまりこれまでの英米の中東に対する植民地主義的行動がテロリストを作った原因だとしている。
そのことが原因でテロリストはアラブやイスラムの正義を貫くためテロを行っていると言うのである。

「欧米の価値観とアラブの価値観は違うんだから、正義が相互に異なるのは当然」(p.148)

というわけだ。

1.しかしそうなのだろうか?
アルカイダがアラブ人や回教徒を大量無差別殺人している原因はアラブの正義を貫き英米の植民地主義に反対するためなのだろうか?

アラブ人や回教徒を大量無差別殺人しながらアラブの正義を貫き英米の植民地主義に反対するなどの口実は一切使いようもないものである。
テロリストの目的はいつでもどこでも同じである。
それは人々を恐怖状態に落とし、独裁政治によって金と権力を握り、自己の「本能」を最大限に実現するところにあるのだ。
そのような犯罪者に対し、社会が悪いからこうなったのだなどの言い訳は一切通用しない。
もちろん社会はよくする必要があるだろう。しかしテロは犯罪であり、犯罪はその当人が決断することによって起こるものである。社会と犯罪は決して直結しない。

1.結局橋下氏はテロリストを擁護しているのである。
「正義」の観念こそが人々を犯罪に走ることを最終的に食い止めるものである。正義の観念がない者には犯罪者に落ちることを食い止めるものは極限状態において結局存在しない。犯罪は当人の選択するものである。

つまり橋下氏を動かしているものは結局金や権力への「本能」と言うことになる。
だから氏は「独裁」「戦争」「核兵器」へと向かうのである。

1.では氏が「正義」の観念をもてない原因は何なのだろうか?
正義の観念が国や時代によって変化することはまったく理由にならない。人間の認識が時間とともに成長することは当然のことであるからだ。
しかしどんな社会にも正義の観念は必要であり、それぞれの国・時代によって大きな役割を果たしたのである。

そこで注目されるのが次の文章だ。

「僕は、学者や思想家と称する人たちのように抽象論で物事を考えません。その考えって実際に何かの役に立つの?その考えで世の中に何か影響があるの?という単純な問いを自分に発し続けるよう心がけています」(p.254)。

そしてこの本だったかどこだったか思い出せないが、氏は大学での勉強や法律の勉強の際も、すべてこういう考え方で勉強していったと述べている。

法律とはすぐれて「正義」と関係がある。正義を実現するために法律があるとの考え方もあり、逆にそういう考え方・正義を法律から取り除くための徹底した理論化も存在する。

何れにせよ法律家は「正義」を極めて意識している。

つまりその人が「正義」を明示しようとあるいは消そうと努めようと、法律学の理論体系の中心には「正義」が存在している。

ところが氏の考え方では法律学の理論体系をまともに勉強することは不可能と思われるのである。
氏は意識的にそういうところを飛ばして勉強したに違いない。

つまり氏の物の見方は非常に偏っている。
すでに述べたとおり氏はすでに小学校・中学時代には社会に正義など存在しないとの社会観を確立した。
しかし大学とはすべてを疑うことによりそういう既存の物の見方をいったん解体し再構成すべきところなのである。それが大学が真理の探究の場と呼ばれるゆえんである。
氏がまともに大学で法律学の理論体系と取り組み、「その考えって実際に何かの役に立つの?」だけでなくまったく逆から法律を見る見方も出来るようになったとしたら、最終的に氏がやはり「その考えって実際に何かの役に立つの?」を基本とする法律家になったとしてもより強力な法律家になったに違いない。
また正義に関し、正義を否定するにせよもっと深い正義への観念をもたれただろう。
専門家とは有意義な方法論・物の見方をいくつでも使いこなすことを目指すのが普通である。そういうものを身につければつけるほど、いざという時最短で直感的に最も問題を簡単に解決できるのはこれだということがわかるようになる。それは全部のものの見方がすべて正しいということではなく、身につけるとはそれぞれの見方の限界はどこまでであるかを心得るようになれるということでもある。
結局氏は勉強不足だ。氏は事件を最短で解決することには成功できた。しかしまともに解決することは出来なかったのである(つづく)。

(つづき)
1.では次に氏の「浮気論」を正面から検討しよう。
第1に、氏は配偶者を極めてないがしろに思っている。

「妻の真っ裸の姿を見続けて飽きが来ない男はよっぽど変わり者だ。同じボディでもいろんなもので装飾することによって変化に富んで飽きが来ない。パンチラも大いに結構!全部露出するよりも、隠された奥の秘部を想像するほうがよっぱど大脳が刺激されるって」(p.240)。

だがここでは男性に限って論じるが(女性の気持ちは正確には分からないため)、男性とは女性の肉体が欲しくて結婚するものなのだろうか?

そうだとしたら非常におろかなことである。女性の肉体的状態はそう長くは続かないからである。
ほとんどの肉体美は20代で終わりになると思われる。

たとえば、将来技術が進んで人間の女性にそっくりな声も出るし触り心地もそっくりな人形が発売されたとしたらもう結婚の必要はないのだろうか?

だがそういう人形で男性は本当に満足できるのだろうか?
たとえそういう人形が人間そっくりに演技するとしても男はそういうものに満足できない。
なぜならそこには本物の女性の「精神」がないからだ。

男性の真に恋する対象は結局肉体ではなく女性の精神である。

仮にそうでないならば女性そっくりの人形にも恋が出来ることになろう。
しかし実際はわれわれはそういう人形に本物の恋は出来ず、想像力を働かせることで「錯覚」を作り出し、恋の真似事が出来るだけなのである。

たとえ本物の恋が出来なくとも真似事でよい、錯覚や想像でよいならば、さらに問う。
ならば人間そっくりの人形である必要さえもない。
人間そっくりの大きさ・形・材質の目も口もない物で十分ではないか。
われわれは週刊誌などで女性の裸の写真を見ながら、音声としてはアイドル歌手の歌声でも聞きながら、触覚としてはその人形を使いながら頭の中でそれらを総合することで十分に錯覚が可能だろう。

しかしそういうことに嫌悪しないであろうか?
人間そっくりの触り心地の材質といえば、遺伝子工学で人間のDNAを操作し、脳は持たないが食べ物を食べたり呼吸は出来る人間そっくりの生物を作ることである。そういう生物をペットとして飼うのだ。

そういう生物にわれわれは嫌悪しないであろうか?

1.結局男性が恋をする対象は女性の肉体ではない。精神だ。そういう女性にめぐり会えなかった人はかわいそうな人である。だから彼は満足できず浮気を続けるのである。

われわれは女性に尊敬の気持ちを持つ。すべての女性に最高の価値を見出す。しかしその中に自分にとり唯一絶対の女性が存在するのである。 

もちろん恋愛は性欲と無関係ではない。性欲によって男性は女性への注目が始まる。しかしわれわれは性欲によって結婚するような愚かなことはやらない。
性欲の対象は交換可能だ。
また性欲の対象は多ければ多いほどよい。
しかしある特定の女性の精神に不滅の価値を見出したとき、相手の女性が自分にとり交換不可能な価値を持つことを発見したときわれわれは恋に落ち、彼女のため自分の全生命を投げ打つのだ。

1.私はこういう記事を書くに適任でないことは十分に承知している。
私は結婚の経験がないし、そもそも女性と寝た経験さえない。
だが私は命を投げ出す本物の恋はしたことがある。
また私は努めて異性のことは考えず自分の余生を勉強一筋にまっとうしようと考えているが、それでもよく女性の夢を見る。

夢の中でさまざまなシミュレーションを行っている。

そうした中で色々なことが分かってきた。

まず私はハーレムを作って多くの女性を集めるというような関係では幸福になれないだろうということである。
また浮気で自分が幸福になれるとも思えない。

それは、話が幾分飛躍してくるが、私のシミュレーションではどうしてもハーレムのような話では対象の女性は「奴隷化」してくるのである。
男性には支配欲がある(無い人もいる、だが私にはある)。また女性には強い人の奴隷になりたいという欲望もある(それに反する欲望もある)。

その場合私のシミュレーションでは、結局そういうことでは相手の女性の未来を奪うことになる。
つまり私の「ハーレム」に入らなければ大空を自由に駆け巡れたであろうような大活躍するはずの女性が、「奴隷」として小さく固まって自己満足することになってしまう。
そういう状態に私は満足できないし、そういうハーレムはすぐに飽きが来ると思われるのである。

つまり話がさらに飛躍するが、私の考えでは「浮気」とは3つの問題点があると考える。
第1に、浮気の相手に申し訳ない。相手の未来を奪っているのだ。
第2に裏切った妻に申し訳ない。
第3に、自分に対し完全に申し訳ない。自分を劣化した人間に突き落としているからだ。

私が将来何らかの魔がさして破廉恥な行為をしないと言う保証はどこにも無いのではあるが、私の現在の考えではいわゆる浮気とは極めておろかな行為としか言いようが無い。

参考文献:
「まっとう勝負」(橋下徹/2006/小学館)

巨悪ファシズム=橋下問題関連記事目次
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/43596919.html

* * *  

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コメント
 
01. 2012年8月13日 16:02:56 : MQF0OOkK3w
優れた自己分析を橋下はやっている.投稿者は自分の信念すら疑った事がないのではないか?

02. 2012年12月19日 19:56:53 : txKoq6KBVw
黒を白に塗り替える弁術こそ本物だ?
真実を闇に葬って悪びれないイヤらしさ。

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