02. 2012年7月30日 22:37:25
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ディープ世界とは何か _ つげ義春が見たもの つげ義春旅写真 http://manriki.sanpal.co.jp/tsuge/
[つげ義春]つげかいどう・よしはるむら・あざ[幻のラジオドラマ ] http://www.nicovideo.jp/watch/sm10391816
[つげ義春] つげ君の密かな楽しみ http://www.nicovideo.jp/watch/sm3182293 [つげ義春] ナイトメア ある夏の思い出 [8ミリ映画] http://www.nicovideo.jp/watch/sm3430029 謎の特撮8ミリドラマ 仕掛け花火の夜 [つげ義春 風] http://www.nicovideo.jp/watch/sm12238476 ゲンセンカン主人(つげ義春) 冒頭 石井輝男 http://www.youtube.com/watch?v=1R_wU-HW80g ゲンセンカン主人(つげ義春) 風呂場シーン 石井輝男 http://www.youtube.com/watch?v=m44PQIpNe38 つげ義春's ゲンセンカン主人 http://www.youtube.com/watch?v=ixNhHXWwVCk&feature=related http://www.nicovideo.jp/watch/sm18437054 http://www.youtube.com/watch?v=IVyUfXuKx78 http://www.youtube.com/watch?v=5IiLKQM4tQQ つげ義春 もっきりやの少女 http://www.youtube.com/watch?v=p_AVfla_rvs http://www.youtube.com/watch?v=p_AVfla_rvs&feature=related http://www.youtube.com/watch?v=pIUrCzB6huU つげ義春 紅い花 http://www.youtube.com/watch?v=USCtGUlrVN0 http://www.youtube.com/watch?v=TokRME4ttBQ http://www.youtube.com/watch?v=Ja5xk96hksc http://www.youtube.com/watch?v=TokRME4ttBQ&feature=results_main&playnext=1&list=PLF83BCE6D33C72EE9 http://www.youtube.com/watch?v=USCtGUlrVN0 映画 ねじ式 http://www.youtube.com/watch?v=Rgfa2N1XiGQ http://www.nicovideo.jp/watch/sm4903514 http://www.nicovideo.jp/watch/sm4976844 「李さん一家」 http://www.youtube.com/watch?v=4Tsw2IvClKA つげ義春「退屈な部屋」 http://www.youtube.com/watch?v=eOWx1GkTDvQ つげ義春『池袋百点会』ラストシーン映画 http://www.youtube.com/watch?v=Z0S9dI4hi0I http://www.youtube.com/watch?v=_B-IbCOunU0 天狗の面がある温泉 ttp://www9.ocn.ne.jp/~kitanoyu/mokuj.htm
「ゲンセンカン」の「大権現」の幟がある温泉のモデル? ttp://www.nihon-kankou.or.jp/soudan/ctrl?evt=ShowBukken&ID=06367cd2110077152 こっちも幟がある温泉 ttp://www.dankami.net/oizawa.htm ttp://www.d6.dion.ne.jp/~masa.ito/nishiyama_oi.html 鄙びた夜の温泉街を訪れた、1人のコートの男。暗い路地にコッ、コッ、と男の靴音だけが聞こえる。
この町はまるで死んだように静かだな くずれかかった土塀や 腐った障子は昔のままだし………… あの障子にぼんやり映っている人影も 昔からあのままの形でしみついているような感じさえする 湯治をする人だって 寿命の短い老人たちばかりだ
だけど不思議だなァ ぼくはずっと以前からこの町を知っていたような そんな親しみを覚えてならないな 男は年寄り相手の駄菓子屋で天狗の面をひとつ買い、駄菓子屋のお婆さんから温泉宿ゲンセンカンの話を聞かされる。 ぼくはゲンセンカンの旦那にそんなに似ているのですか
そうして男は……。
あのおかみさんは生まれつきなのですか
きっと前世の因縁でしょうね
前世?
前世ってなんのことです
鏡です
おばさんはそう信じているのですか
だって前世がなかったら私たちは生きていけませんがな
なぜ生きていけないのです だって前世がなかったら
私たちはまるで
まるで…… まるでなんだというのです ゆ……… 幽霊ではありませんか つまり二人はできちゃったってわけさ かみさんは大喜びだよ なにしろ売れ口がなかったんだからね そしてその後の旦那はどうかしたのですか
どうもせんよちゃんといるよ でも本当によく似ているわ 声までそっくりよ
それではぼくはゲンセンカンに泊まることにしよう
エッ それはいけません それはいけませんよ そんなことをしたらえらいことになるよ
えらいこととはどういうことです
だってあんたは あんたは ゲンセンカンの主人にそっくりじゃないか ちょっとお待ちよ だれか早くゲンセンカンに報せておいでよッ もしあんたが行ったら もしあんたがゲンセンカンに行ったら…………
男を引き留めんとしがみつく老婆達。男はだがゲンセンカンに着いた。
ああッ ああッ
ゲホッ ゲホッ ゲンセンカンの玄関先には、男とそっくりだという主人と、おかみが怯えるように寄り添いのけぞり、こちらを見ている。
ビューッ ビュゥゥゥ
吹きつける嵐の様な風。コッ、コッ、と靴音を立て、男はゲンセンカンの門をくぐり、主人とおかみに近寄った。黒いシルエットだった、男の姿が見えた。
http://bonso.sblo.jp/article/19920755.html http://bonso.sblo.jp/article/20137542.html 「ゲンセンカン主人」つげ義春の短編である。私が始めて読んだのは20代のころだったと思うのだが、その暗然とした作風に魅了されはしたものの、その意味はまったくもって不可解だった。登場人物は老婆と、聾唖の女将、そして男。作品全体を覆う、重く湿り気をおびた陰鬱な気配とどこか生々しい感触に、自分のなかの正視できない隠された世界を掘り出され、物陰でこっそり見てしまったようなきまりの悪さを感じた。そしてそれゆえに、忘れられない衝撃をもって受け止めた作品だった。
この中で老婆と男が会話をする。女将の不具の原因を前世の因縁にあるという老婆に、男は疑念をさしはさむ。 前世とは何か? 前世がなければなぜ生きていけないのか? と。老婆は恐れおののいて答える、前世がなかったら私たちはまるで幽霊だと。 前世の存在を固く信じる老婆と信じない男。どこまでいってもこの問答は平行線をたどるのであろう。 人はもろい存在である。有限で、壊れやすい。それゆえにこそ、人間は永遠なるものを求めてやまないのである。神、仏の超越した世界と、この小さくもはかない自分という存在とが、どこかでつながっていると信じていたい。それが信仰の源泉である。老婆は輪廻転生という概念でもって永遠とつながっている。老婆は神仏の前に自分の限界を認め、分相応に生きる術を弁えている。一方、男は力ずくで女将を陵辱し、あっという間に主人の座を手に入れる。禁断の領域をいとも簡単に踏み越える。まさに神をも恐れぬ態度、それは人間の有限であることを認めず、神と同等か、むしろ神を認めず人間が唯一偉大であると考えるものである。
男は女将を犯す際、天狗の面をかぶる。天狗は魔であり神である。恐れを知らない男は自分自身が超越した存在の憑依を受け、神仏の領域にまで膨張してしまっている。どんな人の道に外れたことでも、もはやこの男の意に介さない。彼は神になったからである。 ある日男にそっくりなもう一人の男が現れて、ゲンセンカンにとまろうとする。老婆たちは必死で止める、あんたがゲンセンカンに行ったら大変なことになる…と。そして最後にゲンセンカンの主人ともう一人の男が対峙する。主人はこの男にのっとられてしまうのだろう。なぜならこの男も天狗の面をかぶった、神をも恐れぬ男だからである。人の道に外れたものは同じように報いを受ける。因果応報の法則である。女将が前世の報いで聾唖になったように。人が神になど、なれるはずもない。 ふとこの作品を思いだし、考えをめぐらせているうちになんとなくこんな解釈が出来上がってきたので、忘れないうちに書き留めておく。 http://saucyflossy.blog.shinobi.jp/Category/3/ 「ゲンセンカン主人」のラスト、村人らの制止を振り切って、主人公はゲンセンカン主人に会いに行く。二人はドッペルゲンガー的な関係にあるらしい。そして主人公は天狗の面をかぶったまま、吹きすさぶ風の中で出会うことになる。 このシーンを見る度、思い出すのが「サムトの婆」である。これは「遠野物語」の一節だが、風が吹きすさぶある日に神隠しにあって村から消えた少女が、数十年後、同じく強風の日に老いさらばえて帰ってくる、という話だ。老婆は去り、帰ってきて村人と再会する。ゲンセンカン主人は主人公の分身であり、本体と再会する。どちらも驚愕の再会であり、風がその驚愕を助長している。というより、風はなければならないのだろう。 この「驚愕」とは何なのだろうか。サムトの婆の驚愕とは、神隠しにあったものとの再会というより、老婆と強風の組み合わせによるものと思われる。試しに「神隠しにあって再会した乙女」を想像してみれば、それはたやすく分かるだろう。そこには艶かしさはあるが、驚愕はない。仏教に壊劫という思想があるが、この中で世界は風によって滅ぶ、という記述がある。壊劫の風が吹き、すべての物体を風解されるというのである。このように風は破壊、しかも砂が飛ぶようなざらざらした破壊をニュアンスする。だからサムトの婆の驚愕とは、風によって肉体が破壊された婆と、里帰りという本来なら暖かな営みとのギャップによるものであろう。安穏とした舞台に、短剣が埋め込まれているような恐怖だ。 安穏と荒廃の対比がサムトの婆の主題なら、ゲンセンカンのそれは「破局」である。何が起こるか分からないが、少なくとも つげは二人が会う時、カタストロフィが起こることを示唆している。そしてそのカタストロフィは、性愛と風にかかわるものである。というのはゲンセンカンでは風が吹きすさび、その中で主人と女主人はまぐわったからである。そのまぐわいはエロチックなものでなく、むしろ母との戯れを思い起こさせるような、生々しく、どうしようもない原罪を思わせる。母の愛薄かったのを、大人になった主人が、無理矢理取り戻そうというようなイビツさが感じられる。そして念願かなって主人は女主人と結ばれ、ゲンセンカンのあるじと収まる。 しかしその束の間の安定であって、その後に「本体」がやってくる。本体は天狗の面と風をバックに現れる。天狗は男根の、風は暴力と滅びの象徴である。それから、彼らはどうなったかは知らない。おそらく、その暴力によって、すべては翻弄されてしまうのだろう。その再会は吹きすさぶ暗雲を見るような、不安と安堵に満ちている。安堵というのは、主人もまた現在の安定が続くことを不安に思っていたからであり、それがいっそ崩壊してくれたことを、どこかで望んでいるからである。 こうしてみると、つげが恐れている巨人、本体は、いずれも「隠然とした、制御できない暴力」を示唆していることが見えてくる。つげの作品が、単なる隠遁者の作品でないのは、この「暴力」とのアクロバティックなかかわりがあるからだ。 http://blog.goo.ne.jp/gelt/m/200602/1 老婆が駄菓子をしゃぶりおはじきをして遊ぶ、老婆しかいない町は、前年につげ義春が旅をした群馬県の湯宿温泉がモデルになっている。湯宿温泉は上州街道から少し外れた旧・三国街道に面した宿場町であり、旅館も5,6軒しかなく源泉かけ流しの共同浴場が複数あるばかりの目立たない温泉である。タイトルの『ゲンセンカン』はおそらく「源泉館」を意味するのであろうが、着想の元になった旅館は「大滝屋旅館」である。 そこでつげは強烈な体験をする。泊まった部屋は傾き、襖越しに老婆のお経が聴こえ、宿泊客も老人ばかりで、自分自身が人生の落ちこぼれ、敗残者のように感じ、またそれが自分に似合っているようで切ない気持ちになったのだという。 また、この大滝屋の混浴の浴室で作品の浴場でおかみさんを襲うシーンの元になる原体験をする。混浴に入るのをためらい、人のいなくなったのを見計らい一人で入り脱衣をしているときに中年の女が不意に入ってきて手早く衣服を脱ぎ全裸になり、体を二つ折りにし、つげに向かって腰を高く向けた際に偶然、中年女の女性器が丸見えになってしまう。まだ若く独身であったつげは大変なショックを受ける。二人で無言で湯に浸かりながら、体がゾクゾク震えたのだという。 「そのときのショックが『ゲンセンカン主人』の入浴シーンを発想させたのでした。」(『夜行』No.12 1983年)とのちに述懐する。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3%E4%B8%BB%E4%BA%BA つげ義春が愛した宿場の湯…湯宿温泉 「ねじ式」や「紅い花」などで知られる漫画家・つげ義春は、好んでひなびた温泉を取材しました。代表作である幻想譚「ゲンセンカン主人」(1968年7月発表)は、ここ、湯宿温泉が舞台と言われています。
つげは、1968年2月に湯宿温泉を訪れ、そのひなびたさまに感銘を受け、この物語を構想したそうです。部分的に今神温泉(山形)なども加味しているのですが、基調は湯宿温泉。風の吹きすさぶ、陽が届かない宿場・湯治場として描かれています。 ……「この町はまるで死んだように静かだな」と、世捨て人のような男が湯治場に迷い込んできます。あたりの老婆たちは彼をある男と瓜二つだと口々に言います。湯治宿の女主人とねんごろになって、いついてしまった男のことです。強風の夜、二人の男が対峙するところで物語は不意に、しかし戦慄的に終わってしまいます。ドッペルゲンガーどうしの遭遇なのでしょうか。……と、この場でご説明するより、実際に読んで感じていただく他はない筋立てではありますが、ともかくも強烈な印象の残る作品です。 つげが実際に取材した宿は細い路地の先、いまではこぎれいになっています。しかし、あたりにはひなびた風情もいまだ少なからず残っており、幻想的な物語の端緒がそこかしこに隠れているような気分になります。想像力をたくましくすれば、つげが嗜好した物語世界に近づけるかもしれませんね。そして宿場逍遥のあとは温泉。どうぞパンチのある浴感をお楽しみください。(取材2008年2月) このまんじゅう屋を探したが、なくなっていた(2001年撮影。他は2008年撮影) 湯本館の浴室。ひしゃくで飲泉してみると、お味はまるで蕎麦湯。芯から暖まる良好な芒硝泉 ひなびた雰囲気がそこかしこに……。つげ義春が嗜好した世界に思いをはせる http://otona.yomiuri.co.jp/trip/spa/110308_02.htm つげ義春原作の映画『ゲンセンカン主人』の中で、幟が立ち並びロウソクの立てられた祭壇のあるほの暗い混浴の浴室で佐野史郎演じる主人公が「ゲンセンカン」のおかみさんを強姦しようとするシーンがあるが、その浴室は今神温泉をイメージしたものといわれる。原作者のつげ義春は1969年8月に『アサヒグラフ』の取材でこの温泉を訪れており、著書である随筆『つげ義春とぼく』の中に当時の様子を詳しく記している。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E7%A5%9E%E6%B8%A9%E6%B3%89
3 : 列島縦断名無しさん : 01/10/17 21:40 ID:cxy5mxXE [2回発言] ゲンセンカンってどこにありますかね? 5 : 2 : 01/10/17 22:54 ID:/ATxpC1Q [1回発言] >>3
残念ながら、ゲンセンカンは存在しない。 しかし、モデルとなった旅館は存在する。 資料によると、 つげ義春氏は、昭和43年の取材旅行の際、群馬県湯宿温泉の大滝屋旅館に宿泊し、 ここで「ゲンセンカン主人」の発想を得たらしい。 大滝屋旅館は、4年前(1997)の時点ではまだ営業しており、つげ氏が宿泊した当時の面影が、そのまま残されていたとのこと。 恐らく現在も、変わらぬ姿のまま営業しているものと思われる・・・。 詳しくは、「つげ義春幻想紀行」権藤晋著を読んでみてほしい。 339 : ピョンちゃん : 03/10/14 02:22 ID:Y1sAHHYM [2回発言]
湯宿について。 初めて訪れたのは10年程前の真冬のことです。。 思わぬ大雪に立ち往生し、仕方なく探した近くの宿が大滝屋旅館でした。 古い木造の大きな建物で、雪に埋もれた様はとてもつげ的でした。 汚れたコタツ、ショボい食事、薄っぺらい布団、隣の音が筒抜けの障子。 とても生活感たっぷりで感激しました。 確か一泊二食四千円ほどだったと思います。 川を渡った橋のたもとに小さな本屋があって埃にまみれた本棚を物色してたら、パノラマ文庫でしたっけ? 昔の文庫版の「赤い花」が出版当時のまま並んでました。 誰も買う人もなく何年も何年も並んでいたんでしょう。すっかり日に焼けてました。 もちろん当時の定価で買いましたよ。 大滝屋旅館は現在改装して新しくなってます。 今年の初夏に10年振りに訪れてニュー大滝屋を見て愕然としました。 本屋も廃業してました。 賑やかな猿ヶ京温泉に隠れて、ひっそりとした湯宿は今も風情のある良い温泉街なのですが、昔の大滝屋を知っている身としては魅力も半減というか…。 16 : 列島縦断名無しさん : 01/10/25 02:00 ID:3LOzU/Dv [4回発言]
つげの絵は、事実より30年は古びて見えるんだよ だまされないで 彼が撮ってきた資料の写真と漫画を見比べればわかる それが味なんだけれども 116 : 列島縦断名無しさん : 02/08/22 22:26 ID:LaJbDvCL [1回発言]
もう何年も前だけど、『長八の宿』のモデルになった伊豆松崎の山光荘に泊まったことがある。 つげさんが本の中で美人だと言っていた女将に色々話しを聞かせてもらったが、『長八の宿』は思っていたよりも事実を元にしている部分が多いことに驚いた記憶がある。 登場人物もじっちゃん以外は全員実在の人物がモデルになっているみたいだったし、作品中に出てくる宿のパンフに至っては実物そのものだった。
177 : 列島縦断名無しさん : 02/11/05 20:31 ID:BS5hFfc9 [1回発言] 腰を抜かすくらい美人の女将に直接会って聞いてみるべし。 長八の宿 山光荘 静岡県賀茂郡松崎町280 一人でも宿泊可能、食事は部屋食、トイレ風呂は共同、だったよ。 10年以上前のことだけど。 ちなみに、ジッさんは実在していなかったが、トヨちゃんは本当にいたんだってさ。もう勤めてはいなかったけどね。
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