http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/745.html
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1873年(興宣大院君最初の失脚)以降、義父の興宣大院君と国家を二分する凄惨な権力闘争を、
暗殺される1895年まで、実に20年以上にわたって繰りひろげた。
義父で摂政の大院君と対立が深まると、1873年、大院君追放の指揮を裏で執り行い、
大院君とその腹心の部下たちを失脚させた。
そして自分の一族(閔氏)を高官に取り立て、政治の実権を握った。
19世紀末にロシア人 ゲ・デ・チャガイが編集した『朝鮮旅行記』の『1895年-1896年の南朝鮮旅行』の 章に、
ロシア参謀本部のカルネイェフ中佐が「1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、
間違いなく大院君がかなりの役割を演じていた」と発言したと記述されている。
※義理の父をないがしろにして、長きにわたる凄惨な権力闘争を行い、相互に刺客を送りあい、結果、因果応報で死んだのが、日本のせいかよ?
どうみても、朝鮮内政敵対勢力だろ?
結論からいうと
朝鮮人が朝鮮人を殺したのに、なんで日本人が反省するんだ?って話です。
↓
本文
「在日同胞2世として日本式の名前を強要される屈辱の生活史を体験した。
痛みをもって歴史を読み怒りをもって歴史を書かなければなければならないと考える。」
歴史学者の言葉としては意外だった。著者が出版インタビューでした話だ。Eメールで問い直した。
―歴史に感情が入れば客観性が薄れるのではないか?「韓国人が韓国近代史を何の感情もなしに読んだり書いたりできることが逆に不思議だ。私は日本の資料を読むたび心が痛いほど怒りを感じる。
何も感じない人はその資料の意味さえ分からないに違いない。
歴史研究の客観性?次元が違う問題だ。客観性というのは厳密な資料批判、論証の合理性で裏付けられた検証過程の問題だ。
資料を根拠とする歴史研究で客観性は基本ではないのか。」
同書は著者の言葉通り「痛みと怒り」を含んでいるにせよ、終始「厳密な資料と論証」で武装している。
何が彼女を怒らせているのか。
116年前ソウルの真中で起きた、いわゆる「朝鮮国母殺害」事件だった。
(中略:「朝鮮国母殺害」事件の説明)
当時、日本人領事さえ「古今未曾有の凶悪犯罪」と呼んだこの暴挙は一夜明け、輪郭が明らかになった。
日本全権公使、三浦梧楼の指示による日本人暴徒の犯行だったと外国駐在員はコソコソ言った。
関係者は日本に召還された。だが、結局全員解放された。事件は少なくとも刑事法廷に関する限りそれで終結だった。
著者が「再捜査」に出たのこの時点からだ。
「三浦公使主導の王妃殺害」それが全てであろうか。
関係者を再び歴史の法廷に呼び出す。端緒は三浦の事件前後の行跡。
当時、朝鮮公使と東京外務省、軍首脳部の大本営間を行き来した通信記録と機密文書などが証拠として提出される。
現れた「実体」は知られたこと以上だ。
三浦は主犯ではなく従犯だった。
背後には日王直属軍最高統帥機関の大本営、その頂点に陸軍参謀次長、川上操六隊長などがいた。
彼らが陸軍中将出身の三浦を朝鮮公使に座らせ、彼の指揮の下日本将校8人が極右党員たちと共にクーデターを偽装した蛮行を犯した。
著者の結論だ。
犯行動機まで明らかにする。
つまり大陸侵略のための電信網確保であった。
当時、韓半島には義州〜釜山宗教団体電信が敷かれていた。
日本軍としては海の彼方に大軍を派遣して指揮するためには通信軸が必須であった。
日清戦争に楽勝したのも開戦二日前、景福宮侵入事件を通じて宮の前の朝鮮情報総局を掌握したおかげだった。
だが、3国(ロシア・フランス・ドイツ)干渉で既得権が脅かされるとすぐに親ロ派の王妃排除に出た。
「電信線朝鮮返還」を主張した前任公使が更迭されて三浦が赴任したのはこのためだった。
「やる時にはやらなければならない。」殺害事件の報告を受けた日王はこのように話したという。
著者は明成(ミョンソン)皇后(閔妃)より正確に100年後の大阪で生まれて育った。
奈良女子大学で東洋史専攻で修士学位を取った。
後記で「7年間も史学科助手職で仕事をしながら、一つの堂々とした研究者になれないまま退職した落第研究者」と自身を低くした。
だが、推薦のことばは彼女の成果をこのように評した。
「近代韓日関係史の枠組みを完全に変えることができる破壊力を持った。嬉しさを越えて戦慄を感じる。」
国内の代表的な明成皇后研究者である李泰鎮(イ・テジン)国史編纂委員長の言葉だ。
朝鮮日報(韓国語) 日"電信網掌握ために王妃を打て"
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/06/10/2011061002299.html
読み怒りをもって歴史を書かなければなければならないと考える
早い話が火病です
>「在日同胞2世として日本式の名前を強要される屈辱の生活史を体験した。
嘘。創氏は全員だったが改名は自由意思だった。
姓は奪われていない。
>(中略:「朝鮮国母殺害」事件の説明)
嘘。明成皇后は嫌われ者で国母などではない。
反日プロパガンダで後に国母と歪曲されただけ。
>当時、日本人領事さえ「古今未曾有の凶悪犯罪」と呼んだ
>この暴挙は一夜明け、輪郭が明らかになった。
主犯、実行犯は朝鮮人。
朝鮮王の命で処刑された犯人は全員朝鮮人。
朝鮮人に憎まれていた王妃を朝鮮人が殺害した
事件を反日に歪曲しようとしているだけ。
>背後には日王直属軍最高 統帥機関の大本営、
日王?足利義満ならとっくに死んでいるが?
なんで、朝鮮人の自称学者って
感情でしか語れない物を知らないアホな嘘吐きばかりなんだろう。
>彼らが陸軍中将出身
>の三浦を朝鮮公使に座らせ、彼の指揮の下日本将校8人が極右党員たちと共にクーデターを偽
>装した蛮行を犯した。著者の結論だ。
歪曲の末に、実行犯の朝鮮人の存在は影も形もなくなりました。(笑)
>「7年間も史学科助手職で仕事をしながら、一つの堂々とした研究者になれないまま退職した落第研究者」
ええと、能力が足らず、博士論文審査に通らず、クビになったということなのかな?
感情を交えている時点でもう歴史を書く資格はないよ。
どういう研究者だったかカンタンに想像できるな。
そもそも明成皇后の贈り名が誰からだったっけ?
この閔妃という女は当時朝鮮国内でも稀代の悪女として有名だった。
単なる王妃であったにもかかわらず政権を簒奪して一族を高位につけて私利私欲の
限りを尽くした。あげくは王の父である大院君を追放したりしている。
これに対して抵抗した金玉均などの多くの朝鮮人は日本に亡命して閔妃の腐敗した
体制を打倒すべく戦っていたが、閔妃の姦計によって上海におびき出されて暗殺されて
しまった。残虐非道な閔妃は金玉均の遺体を朝鮮に送り届けさせると多くの公衆の面前で
遺体を八つ裂きにしたりして辱めた。
また金玉均の両親も死刑にされたほか、妻や娘は奴隷として売り飛ばされた。
当時の朝鮮の民衆は閔妃に対する恨みこそあれ尊敬などはかけらほども抱いてはいなかった。
それが戦後になって反日教育に利用するために卑劣な朝鮮人どもが、さもこの悪女が
立派な人間であったかのような虚構を作り上げているだけのお話だ。
金玉均
日本では東京や札幌、小笠原諸島などを転々とした後、上海に渡る。 1894年3月28日、上海で閔妃の刺客洪鐘宇(英語)(ホン・ジョンウ)[3]にピストルで暗殺された。
遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。
その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒された[4]。
福澤諭吉は、上海で暗殺された金玉均の供養のために法名をつけることを真浄寺住職寺田福寿に依頼し、寺田はただちに福澤の要請に応え、「古筠院釈温香」という法名を付け、法要は東京朝鮮公使付通官山崎英夫や朴泳孝などを福澤邸に招いて営んだ。
遺髪と衣服の一部は金玉均の護衛であった日本人和田延次郎が密かに日本に持ち帰り、宮崎滔天たちによって浅草本願寺で葬儀が営まれた。
甲斐軍治によっても遺髪、衣服の一部が日本に持ち込まれ、東京文京区の真浄寺にその墓所がある。
現在、同じ場所に甲斐軍治の墓もある。さらに、犬養毅、頭山満らの支援で東京の青山霊園の外人墓地に墓が建てられた。墓碑には朴泳孝の撰文、興宣大院君の孫である李呵O(イ・ジュンヨン)の書で以下が刻まれている。
感情に左右されて気持ちの良い歴史を創造するのは学問じゃない。
主犯が大院君と決まってるのに、小説に着想を得て歴史にする。
この金文子ってひともどき閔妃をえらく理想化してるね
「明成皇后のような聡明さには恵まれておりませんが、もう一回りは長生きして…」
大院君も閔妃殺害に関与しておらず、殺害を遅らせるように工作した有能な人物であったそうな
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?daily_id=20090618
また面白いことに閔妃殺害は天皇も事前に計画を聞いており、「遣る時には遣るナ」と言っていたらしい
http://chikyuza.net/n/archives/1100
真相はどんなもんだろうね
両陣営の言うことがこの世のものとは思われないほど極端に違うんでさっぱりわからない
史料から完全に無視してる上に捏造してるじゃん
そもそも前提が却下済みなんだわ
・日本が暗殺を主導したのに朝鮮が穏便な解決を計って自ら罪を被った
これんなんだもの
事件の後で、高宗が「犯人は自分の部下」と証言したり、
実行犯の日本に亡命してた朝鮮人を呉まで追いかけて暗殺したりなんて矛盾は無視。
ロシアの公使の「大院君の主導」なんて史料も全く無視w
朝鮮人と無知蒙昧なサヨク以外には電波ゆんゆんの陰謀論だって片付けられちゃってる。
百歩譲ってもね、
・一国の王妃が宮廷内で
・多くて数十人の相手に対し
・殆ど無抵抗で殺害に至り
・最終的に遺体を持ち出され
・国として反抗もしなかった
宮殿には近衛兵が居たんだよ。
(直前に給料払わないんで離反されてたけどw)
しかも顔を公開しなかったミンピを特定できた暗殺者には、明らかに内通者がいたはず
ていうか、宮廷全体で暗殺者を招き入れないとこんな事にはならないよね
いくら叫んでもこの件は朝鮮の単なる恥部そのものじゃん
数百人の親衛隊が守っているのに、殆ど無抵抗で降伏。
親衛隊が最後まで戦わないなら誰が王を守るんだよ。
その時点で終わってるだろ
しかも日本大使館に保護を申し出た高宗は、事件に慌てた日本政府により保護を辞退され、
ロシア大使館に逃げた高宗は陸軍大臣・陸軍次官・王宮守備隊長・最精鋭部隊である訓練隊長を
主犯としている。
さらに言えば、当時の朝鮮軍人のメンタリティは朱子学。大義名分がなければ王宮を攻撃することなど
大犯罪、錦の御旗があったと考えるのが当然。それは王の一族でなければならない。
ていうか、
自分の息子を王にする為に、王の任命権を持つ宗主国の役人に国庫の30%にあたるワイロを贈り
当時は絶対権力者であった役人を一族の2000人が独占し、
息子の健康祈願の為に新興宗教に凝り国庫の6年分を浪費し、
朝鮮の近代化運動家達を大虐殺した稀代の悪女・朝鮮の西太后、女金正日が
英雄かよ 笑
閔妃(明成皇后)
「禍乱の張本人たる禹範善、李斗鎬、李範来、リシンコウ、趙義淵、権?鎭等を斬首して露館に来り、朕の観覧に供せよ」「王妃を殺した部下に復讐するために、国が滅んでもかまわない」とロシア公使館逃亡中の高宗の発言。
(1896年のソウルの町中に張られた勅令)
「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と現場に居た高宗が証言
(1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記))
「国母を殺したのは、禹範善だ」と現場に居た息子の純宗が証言。
(往電31号)(後に純宗は刺客を放ち、禹範善を暗殺)
「王妃を直接殺したのは、私です」と実行部隊隊長の禹範善の証言。
(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)
「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した李周會
(朝鮮での裁判。裁判に関しては官報に記載あり)
「計画の首謀者は、大院君だ」と記したロシアの参謀
(ゲ・デ・チャガイが編集した「朝鮮旅行記」のロシア参謀「カルネイェフ」の発言)
首謀者から実行犯まで全部朝鮮人でした。
ちなみに閔妃殺害に関して、日本に抗議や批判をした外国は「1ヶ国も」ない。
たったの1ヶ国もだ。
閔妃は、朝鮮の西太后と呼ばれるほど民衆を苦しめ、贅沢三昧を重ねて
国庫を干上がらせ、民衆から搾取し、貴族政治(独裁)を続けた。
おまけに自分の夫の実父である大院君を清国(中国)に売り飛ばし、
自分たち閔一族だけで政権を掌握してしまった。
要するに、(閔妃は朝鮮人だが)旧来の政権からみれば
国を食いつぶす侵略者のように思われていた。
閔妃殺害は、日本も協力したが、『朝鮮人の開化派』と『大院君(王の父)』が
首謀したクーデターだった。だから世界中の国は容認したし、
閔妃が倒れて『大院君が政権を再掌握』したことで閔一族も追放された。
ちなみに大院君は事件後に、日本の三浦公使に対して九拝の礼をしている。
当時は朝鮮人ですらこの暗殺劇を感謝していたわけ。
つーか、よく考えてみりゃわかると思うが、
「朝鮮の政権打倒クーデター」なんだから、「朝鮮人が主体」に決まってるだろ。
要するに『内紛』ってこと。
当時、隣国の内紛に協力した程度で日本が外国にとやかく言われることはないわな。
そんなことは中国(清)だってよくやってたし、閔妃自身が自分を狙う別のクーデターを
阻止するために、中国に頼んで兵や軍を借りて自国民をぶっ殺しまくってたんだから。
密航、通名やその他の、朝鮮人の惨めな恥ずかしい行動を
すべて日本人の所為にしてるよな
本当に醜い人種だよ朝鮮人って
戦後に日本人を殺しまくった在日韓国人のようだ。
在日韓国人に日本人は差別された
こんなのを助手にした奈良女子大も何考えてんの?税金の無駄遣いがここにも
自分たちが日本に居続けるための理由探しに必死らしいが
そんなに祖国に帰りたくないのかね♪
日本も伊藤博文暗殺の話だせばいいやん
何を言っても、被害者妄想バリバリだから、無駄。
もう朝鮮人と永遠に関わらない方が良いし ♪
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