11. 2011年3月30日 13:30:03: FZgGiDbYMh
「ならずもの国家:??,恥を知れ!」 >>>>>>>>> 中国残留日本人(ちゅうごくざんりゅうにほんじん、日本の法律やメディアでは一般に 中国在留邦人・—ほうじん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期のソ連軍侵攻と関東軍 の撤退による中国東北部における混乱で、日本(いわゆる「内地」)に帰ることが出来ず 中国大陸への残留を余儀なくされた日本人のことです。
昭和20年当時、中国の東北地方(旧満州地区)には、開拓団など多くの日本人が居住して いましたが、同年8月9日のソ連軍の対日参戦により、戦闘に巻き込まれたり、避難中の 飢餓疾病等により多くの方が犠牲となりました。このような中、肉親と離別して孤児となり 中国の養父母に育てられたり、やむなく中国に残ることとなった方々を「中国残留邦人」 といいます。 残留孤児の総計は2700人で、うち2476人と残留婦人等3775人が日本に帰国しているが、残留 孤児の中国人家族約19000人が日本の援助で来日し、更にその数倍の人間が自費帰国したこと が問題とされる場合もあり(入国管理局により家族が強制送還されるなど)、元孤児が安心 して暮らせる例の方が少ないといわれています。 2005年の衆議院総選挙に於いて、選挙権を有しているのに日本語を解せず選挙権を行使できない のは人権侵害であるとして、中国語での公示を求める訴えを起こした。永い年月を経ても日本に 順応できない元孤児たちの問題の根深さを物語っています。 中国残留邦人は長年中国などの異文化の中で生活してきているため、日本に永住帰国し、定着 自立するに当たっては、言葉、生活習慣、就労等の面で様々な困難に直面することとなります。 そこで、帰国者世帯に対し、厚生労働省をはじめとする関係省庁、地方公共団体が緊密な連携 を図りながら、きめ細かな援護施策を講じています。 中国残留孤児マフィアは逮捕されても強制送還できないケースが多いため、勢力を拡大している といわれています。 現在では、不良日本人を手下として使う場合もあるようです。 中国及び樺太に残留された邦人の皆様は、戦後の混乱の中、肉親と離別するなどし、国外に残留を 余儀なくされ、長年筆舌に尽くせないご苦労がありました。 ようやく日本に帰国されたときは、年齢を重ね中高年となっていたため、日本の教育も受けられず、 日本語の習得には大変な困難があり、言葉が不自由なため就労も思うようにはいかず、安定した 職も得られませんでした。 また、戦後の高度経済成長の時期には国外にいたため、他の日本人とは違いその恩恵を受けられませんでした。 このため、帰国後も懸命な努力をされましたが老後の準備が十分できず、多くの人は生活保護に頼って生活をしており、また、言葉が不自由なため地域にもとけ込めず、引きこもる方々もおられました。 記事が偏見と悪意に満ちていて、マスメディアの使命パブリックオピニオンを発信しなければならない立場にありながらそれを遂行していないことについて考えてみましょう。 樺太残留邦人とは 日ソ開戦時、樺太(千島含む)には約38万人の一般邦人、また約1万人の季節労働者が居留していました。 開戦により樺太庁長官は、軍の要請と樺太の事態にかんがみ、老幼婦女子等を北海道に緊急疎開させることとしましたが、昭和20年8月23日、ソ連軍によりこうした緊急疎開が停止されました。 その後、集団引揚げが昭和34年まで行われましたが、様々な事情が障害となって樺太に残留(ソ連本土に移送された者を含む。)を余儀なくされた方々を「樺太残留邦人」といいます。 政府がこの問題で動き出したのは、「中国残留邦人」の身元・肉親捜しからです。ここで政府は、敗戦時 12歳以下で身元の判明しないものを「中国残留孤児」としたのです。これが「中国残留孤児」という呼称の始まりです。 これ以外は「中国残留婦人等」と呼称されています。13歳以上の「残留者」は女性が圧倒的なので「中国残留婦人」と呼ばれているのです。 「中国残留婦人等」はそれまで「自己の意思で残留」したもの とされ、ずっと以前からあった帰国旅費の支給などわずかな援護のみで、国としての援護はほとんどありませんでした。 「冷戦構造」の中で、日本政府はこの問題に目をつぶり、 むしろ「戦時死亡宣告」や「自己意思で残留」として処理してきました。1972年9月、日中の国交が正常化されましたが、動いたのは民間です。 民間の動きの中で ようやく日本政府は「孤児」の身元・肉親捜しを開始しました。ですが帰国に関しては、「個人の問題」としていたため、 日本にいる親族が協力しなければ帰国できませんでした。そのため親族がわからない「中国残留孤児」は帰国できなかったのですが、1984年に「身元引受人」制度を設けて帰国させることになりました。 ですが逆に身元の判明している「中国残留婦人等」は、親族の協力がない限り帰国ができず、1993年9月の「残留婦人の強行帰国」にいたります。 「中国残留邦人問題」は人権問題です。この問題が生じたのは、日本政府に「中国残留邦人」に対する戦後責任・戦後補償としての「人権回復・人権救済」の意識が欠けていたことに大きな原因があります。 これは単に「中国残留邦人」についてだけの問題ではありません。中国への侵略、それに組み込まれる国民、 ひとたび戦争が終わるや彼/彼女らを放置する国。「国家」と「個人」の関係などを鋭く問う問題です。他方、 中国帰国者の存在は、「多文化共生」という課題があることを、浮き彫りにさせました。皆が人権を保障され、 お互いが尊重しあえる社会こそが「ゆたかな社会」ではないでしょうか。物質的補償は絶対に必要ですが、 それだけではないのです。これらは、一緒に暮らすわたしたち、わたしたちの社会が問われているのです。 国会・政府・自治体のみならず、わたしたち市民が、「いま現在の問題」として共有し、戦争をしない国に、 そして「ゆたかな社会」をつくるため、力をあわせることが大事なのではないでしょうか
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