★阿修羅♪ > 外国人参政権・外国人住民基本法01 > 367.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 外国人参政権 付与許容説の学者が誤り認める 反対集会で日大教授が明かす(産経新聞) 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2010 年 1 月 27 日 00:17:56)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100127/stt1001270233002-n1.htm
【言(こと)のついでに】論説委員・清湖口敏 自民よ「火の玉」となれ
2010.1.27 02:33
25日の初天神も過ぎぼちぼち梅の便りが聞こえてくると、どうしても天神さんこと菅原道真のあの歌を思い起こしてしまう。「東風(こち)吹かば匂(にほ)ひおこせよ梅の花主(あるじ)なしとて春を忘るな」
藤原時平の策動によって左遷された道真が大宰府に赴く際、庭の梅に言い残すように詠んだ。その梅の一枝が道真のいる大宰府まで飛んでいったとの飛梅伝説が残っている。梅というのは何て主人思いの植物なのだろう。後に源実朝もよく似た歌を詠んでいる。「出でて去(い)なば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」
兄・頼家の遺子に暗殺された実朝の“辞世”ともいえる歌だ。私たちが梅を観賞するとき、桜に対するときとは違ってつい花びらに顔を寄せたくなるのも、匂(にお)いのほかに、寒中を懸命に咲こうとする「哀(かな)しみ」のようなものが漂っているからかもしれない。
悶死(もんし)した道真は怨霊(おんりょう)になったとのうわさが広まる。疫病がはやり、清涼殿に雷が落ち、政敵が死んだのもみんな道真の祟(たた)りだと恐れられ、その御霊鎮めのために彼は京都・北野の地にまつられることになった。いわば呪(のろ)ったことで「神」となったのである。
似てはいるが「うらむ」のと「呪う」のとは別の行為である。ウラムのウラはウラヤム(羨む)のウラと同じで「心」の意だ。つまり心の中に不満をとどめるのが「うらむ」なのに対し、「呪う」は「のる(宣る)」の派生語で、うらみに思う相手に災いが及ぶよう口に出して祈ることをいう。一種の祈祷(きとう)行為だ。
だから呪うためには、「呪ってやる!」とか何とか呪文(じゅもん)みたいなものを一心に唱え続けることになるわけで、呪う本人は相当の苦行を覚悟せねばならない。
「悋気(りんき)の火の玉」という落語がある。本妻と妾(めかけ)が呪い合い、向こうがワラ人形に5寸釘(くぎ)を打てばこちらは6寸釘、それを聞いた相手は7寸釘…。人を呪わば穴二つとはよく言ったもので、やがて2人は同時に死ぬ。が、女の執念はげに恐ろしく、火の玉となっても2人は火花を散らすのだった。人を呪うのも楽じゃない。
ワールドシリーズでMVPを獲得しながらヤンキースから移籍となった松井秀喜選手が、仮にヤ軍を二度と優勝できないよう呪ったとすれば、それはとりもなおさず、松井選手が移籍先の球団を優勝させるべく活躍することを自らに強いることになる。
あれは2007年世界陸上大阪大会の最終日だった。開催国の日本はその日まで一つのメダルも取っていない。最後に期待された女子マラソンだったが、土佐礼子選手が終盤39キロ付近で5位に落ちると、誰もが「もうだめだ」とあきらめた。が、奇跡はそこから起きる。40キロ前後で2人を抜き、3位でゴールインしたのである。顔は苦痛にゆがんでいた。
「(前のランナーを)落ちてこいと呪っていました」(サンケイスポーツ)。レース後、土佐選手はそう語った。これほど公明正大な呪いがあるだろうか。彼女はきっと、前の選手を呪うことで自らを奮い立たせたのだ。
それにひきかえ…と思う。鳩山政権も民主党も大揺れ状態だというのに、自民党からは政権奪還への強い意欲があまり伝わってこない。心底、「民主党よ、落ちてこい」と呪いをかけ、それこそ悋気もヤル気も燃やして「火の玉」となるぐらいの覚悟が、今の自民党にはないのだろうか。
コメント:「火の玉」ですってよ!第二次大戦に敗れて滅亡した大日本帝国も、大戦末期に「進め一億火の玉だ!」とかいう標語を叫んでましたよね?「論説委員」の肩書きを持つ人物が↑みたいなことを書きなぐる新聞を論拠に持ってくると、引用した人の「お里が知れ』ますよ、とご忠告申し上げます。