http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/373.html
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Maxwellのデーモンを使えば第2法則を破って、エネルギーを取り出すことができる
しかし、情報も含んでエネルギーの流れを考慮すると、永久機関は成立しない
http://www.keyman.or.jp/3w/prd/05/30003905/
2011/02/16
情報をエネルギーに変換する技術とは?
中央大学と東京大学は、2010年11月14日、世界で初めて情報をエネルギーに変換する 実験に成功した。この実験は、電磁気学、熱力学、統計力学の構築に大きな役割を果たした19世紀最高の物理学者のひとり、ジェームズ・マクスウェルが提唱 した物理学上の一種のパラドックス(論理的に矛盾した命題)の1つ、「マクスウェルの悪魔」という現象を実現するものである。かつては物理学の思考実験に 過ぎなかった「マクスウェルの悪魔」の実現は、微細加工技術とサブミクロンスケールのリアルタイム制御システムを組み合わせることで成功したものである。
情報をエネルギーに変換する技術とは?
中央大学と東京大学は、2010年11月14日、世界で初めて情報をエネルギーに変換する 実験に成功した。この実験は、電磁気学、熱力学、統計力学の構築に大きな役割を果たした19世紀最高の物理学者のひとり、ジェームズ・マクスウェルが提唱 した物理学上の一種のパラドックス(論理的に矛盾した命題)の1つ、「マクスウェルの悪魔」という現象を実現するものである。かつては物理学の思考実験に 過ぎなかった「マクスウェルの悪魔」の実現は、微細加工技術とサブミクロンスケールのリアルタイム制御システムを組み合わせることで成功したものである。
1-1
永久機関と「マクスウェルの悪魔」
「マクスウェルの悪魔」とは、図1のように2つの部屋の間の扉を開閉し、速度の速い(温度の高い)空気分子を右に、速度の遅い(温度の低い)空気分子を左に、と選別を行うことで、左右の部屋に温度差をつくりだす存在である。
扉はきわめて軽く動き、開閉にエネルギーが必要ない場合、外からエネルギーをもらうことなく、左右の部屋に温度差を生み出すことができることになる。温度 差が生み出されれば、ちょうど車のエンジンが燃焼による熱によって、大気圧を上回る圧力を得て、ピストンを押し、回転力に変換しているのと同じ理屈で、ピ ストン(右の図で例えれば中央の仕切りに該当)などの仕組みで、動力(物理学の言葉で、仕事や自由エネルギー)を取り出すことができる。
この現象は熱力学第二法則を破って、永久機関の一種を実現するように見えるため、物理学上のパラドックスの1つとして多くの議論を呼んできた。
図1 マクスウェルの悪魔、概念図
悪魔が扉を開閉して、左右の部屋の温度をコントロールする
資料提供:中央大学理工学部
1-2
「マクスウェルの悪魔」は熱力学第二法則を破らない
20世紀以降、熱力学は発展し、「マクスウェルの悪魔」そのものを実在する物理現象として 理論化することにも成功している。今日では「マクスウェルの悪魔」とは、観測で得た情報に基づいて制御することで、情報をエネルギー(動力、仕事、自由エ ネルギー)に変換するデバイスであると理解されるようになっている。
図2 熱力学第二法則との整合性
情報処理に投入したエネルギーと、とり出されるエネルギーで収支が合う
資料提供:中央大学理工学部
情報処理に必要なエネルギーの原理的限界を明らかにし、「マクスウェルの悪魔」が得た情報 を“処理”するために投入せざるを得ないエネルギー量を計算可能にすることで、一見パラドックスに見えてきたこの現象を、熱力学の法則に沿ったものとして 理論化するのが、今回の実験の理論的なバックグラウンドとなった学問領域「情報熱力学」である。
情報熱力学は、熱力学第二法則を拡張して、情報量とエネルギーを対等な量として一般化することにすでに成功しており、理論の実証実験が待たれていた。
「マクスウェルの悪魔」を実現した実験
情報熱力学の理論は確立されつつあるものの、「マクスウェルの悪魔」を実現した実験結果は かつてなかった。実験の前提条件として、空気や水の分子運動(熱運動)によってブラウン運動と呼ばれるランダムな運動(熱揺らぎ)を起こす小さな粒子につ いての制御が必須であり、精度と速度の両方に高いハードルがあったためである。
今回の実験は、連結された2個の微小なプラスチック製のボールが、水中で熱揺らぎによってランダムに回転運動する様子を、生物物理学の研究で用いられてきた装置を用いて、観察しフィードバック制御するものである(図3)。
図3 実験で観察したボール
連結された2個の微小なボールが熱揺らぎでランダムに回転する
1MHzの交流電圧を四方の電極に位相差90度ずつずらして掛ける
資料提供:中央大学理工学部
粒子の四方に配置した電極に、高周波の電圧をかけることで、粒子自体も帯電(一種の静電気を帯びた状態、分極)し、粒子自体には直接力は加えないものの、粒子の居やすい角度を制御することができる。
図4 ポテンシャルエネルギー
ポテンシャルエネルギーとは、位置エネルギーにおける“高さ”と似たもの
資料提供:中央大学理工学部
上のグラフの青と赤の曲線は、2種類の制御の状態を表している。青には、0°、180°、 360°に、赤には-90°、90°、270°、450°に、それぞれ存在しやすい(ポテンシャルエネルギーの低い)角度があることを示している。存在の しやすさ、とは机の上のくぼみにボールが転がり込みやすいのと似た状態であり、全体としてグラフが右肩上がりになっていることから、マイナスの角度(グラ フの左方向)へと回転していきやすいことも分かる。
図5 情報による制御
資料提供:中央大学理工学部
この赤と青の状態は、電気的に作っているので、瞬時に切り替えることができ、粒子が上の図の領域Sにいる瞬間に、赤と青を切り替えることで、粒子をグラフの右側へと導くことが可能になる。
グラフにおける縦軸、ポテンシャルエネルギーを、“高さ”に例えるなら、この実験における粒子は、サインカーブが螺旋階段状に連なった場所を、熱揺らぎでランダムに跳ねているボールになぞらえることが可能である。
放置すれば、徐々にボールは階段を降りていってしまうが、ステップの波打ちをタイミングよくスイッチングすることで、逆に登らせることができるのだ。一般に螺旋階段を登っていけば位置エネルギーが蓄積され、そのエネルギーを使って発電や物体の駆動を行うことができる。
実際の実験では、あくまで蓄積されるのは電気的なエネルギーなので、熱揺らぎする粒子の状態を観察し、得た情報にもとづいてフィードバック制御することで、周囲の熱を吸収し、極微小な量ではあるが発電を行なっていると解釈することができる。
図6 勾配にさからって登らせることに成功
観測から切り替えまでのタイムラグが短いほど効率が上がる
資料提供:中央大学理工学部
粒子の角度の観測からステップ切り替えまでのタイムラグは、制御の効率と密接な関係があ る。理想的には、タイムラグはゼロ秒が望ましいが、実際には最短でも1ミリセコンド程度の遅れがある。これが9ミリセコンド程度まで遅れると、螺旋階段を 降りる動きと登る動きが確率的につり合って、粒子は回転を止めてしまう。
図7 エネルギーの収支
実際には細かなエネルギーのやり取りがある
資料提供:中央大学理工学部
この制御の遅れは、制御の精度そのものと捉えることができ、制御精度が下がると粒子に直接 エネルギーを与えてしまう瞬間も出てくる。逆に制御精度が十分高ければ、粒子は周囲の熱(熱運動)を吸収して実験系にエネルギーを与え続ける。もちろん、 制御を一切行わない場合には、当然のことながらエネルギーのやり取りは発生しない。
こうしたエネルギーのやり取りはスイッチングの各回において発生しており、このエネルギー収支についても観測に用いた映像から精密に計算した上で、今回の実験においては、情報をエネルギーへと最大効率30%で変換することに成功したことがわかった。
ナノマシンの制御や生体運動の解析に向けて
今回の実験を通じて、あらゆる情報をエネルギーへと自由に変換できる可能性が開かれたと考 えるのは早計である。情報熱力学によって理論化された情報とエネルギーの間の物理的相関は科学的な真実だが、少なくとも本実験でエネルギーへと変換できた のは、粒子の熱揺らぎを観察して得た情報に限定されている。本や雑誌、CDやDVDに記録された情報がそのままエネルギーへと変換できるわけではない。実 験において実行された観測とコンピュータによる情報処理は、理論上の最小値よりも天文学的に多くのエネルギーを用いて実行されているため、エネルギー収支 はまったくのマイナスであり、将来に渡って情報をエネルギー源として利用できる可能性はゼロに等しい。
しかしながら、情報を用いたミクロな物体の制御には、ナノマシンをはじめとする実用的なテクノロジーにおいて、多大な貢献の可能性が秘められている。一例として、情報による微小物体の駆動は、周囲の熱運動を吸収して行われる点が挙げられるだろう。
通常の駆動方法では、運動と同時に周囲を加熱するが、情報による熱揺らぎ駆動では、運動と同時に周囲を冷却していくため、熱による影響を最小限にしたい状 態では最善の駆動技術なのだ。また、人体をはじめとする生物の機能は、細胞とその内部の分子によって実現されており、いわばナノマシンの集合体である。筋 肉の収縮のようなダイナミックな運動も、ミオシンやアクチンといった高分子(タンパク質)の働きによるものであり、こうした生体の運動は分子レベルの熱揺 らぎと深い関係があるとも考えられている。さらに学問的レベルにおいても、これまで観測を通じた情報と物理法則との関係は、量子力学における「シュレディ ンガーの猫」などの問題として知られてきたが、古典的な力学に基づいた熱力学の研究からも情報自体のもつ物理量が理論化され、実証されつつあることは、科 学のみならず、哲学的にもきわめて興味深い。
今回の実験成果は、テクノロジーとしての有益さもさることながら、最先端の物理学における 理論構築と実証を、高度な微小物体制御技術を巧みに応用して実現したという点において、世界的にも類を見ない成功例であり、技術立国日本の底力を証明す る、非常によろこばしいものだといえるだろう。
「情報をエネルギーに変換する技術」に関連するキーワードも知っておこう!
量子コンピュータ
●
どういうもの?
量子コンピュータとは、量子力学的な重ね合わせを用いて、超並列処理を実現する次世代のコンピュータ。実用化にはまだまだ遠いが、理論上は世界最高速のスーパーコンピュータでも数千年以上かかる計算を、数十秒といった現実的な時間で処理することが可能になる。
● 「 情報をエネルギーに変換する技術 」との関連は?
ナノからマイクロメートル単位のきわめて小さな機械 や回路を用いて、情報処理や制御を行うときには、熱ゆらぎや量子ゆらぎが無視できない効果を持つ。量子コンピュータの実装もそうした微小サイズで行われる 可能性が高く、かつ情報処理性能が従来の数百倍以上となれば、当然のことながら情報処理に必要となるエネルギーの限界が関連してくる。そしてその限界を規 定するのは、情報熱力学の理論化した情報とエネルギーの相関関係にほかならない。
ナノマシン
●
どういうもの?
ナノマシンとは、ナノメートル(nm)単位のサイズで設計・製造される、きわめて小さな機械のこと。1ナノメートルは10億分の1メートルで、1ミリメートルの1000分の1が1マイクロメートル(μm)、さらにこれの1000分の1が1ナノメートルである。
● 「 情報をエネルギーに変換する技術 」との関連は?
ナノサイズとなると、通常の機械装置で重要な働きを 示す重力や摩擦力の影響が薄れるかわりに、表面張力やファン・デル・ワールス力、熱揺らぎなどの微小サイズ特有の力や運動の影響が大きくなる。こうした状 況下での運動の制御に、情報をエネルギーへと変換する技術の活用の可能性が期待されている。
分子モーター
●
どういうもの?
分子モーターとは、生体の運動に関係するタンパク質の総称で、筋肉収縮を駆動する分子モーター、神経の中で物質を輸送す る分子モーターなどがある。バクテリアの鞭毛運動も分子モーターの一種である。分子モーターは化学エネルギーを力学エネルギーに変換するナノ素子とみるこ ともでき、ナノマシンを駆動するためのアクチュエータ(入力されたエネルギーを物理的な運動へと変換する機構)として期待されている。
● 「 情報をエネルギーに変換する技術 」との関連は?
人間を初めとする生物の運動や機能の多くが、分子 モーターによって動作している。分子モーターは、ナノマシン以上に微小なサイズの機械であり、熱揺らぎはその動作の基本条件に含まれると考えられる。生体 内の分子モーターにおいて、情報=エネルギーの変換が行われている可能性は否定できないと考えられる。
取材協力
中央大学理工学部物理学科
東京大学理学系研究科
http://www.taksagawa.com/researches.html
K. Maruyama, F. Nori, and V. Vedral
"The physics of Maxwell's demon and information"
Rev. Mod. Phys. 81, 1-23 (2009)
http://link.aps.org/doi/10.1103/RevModPhys.81.1
Maxwellのデーモンと情報熱力学
沙川貴大,上田正仁
1 はじめに:情報は物理的
情報は,それを蓄えるメモリ媒体に依存しな
い抽象的なものである.だからこそ,ウェブサー
バにある情報も,光ファイバを伝わる情報も,パ
ソコンのハードディスクに読み込まれた情報も,
等価な情報と見なすことができる.情報そのも
のは電子や光などそれを表現する媒体とは独立
に存在できる.
しかし,情報には必ず,それを実装する物理
的な実体が必要である.電子や光などの物理的
媒体の助けを借りることなく情報を蓄えたり送
信したりすることはできない.個々の情報処理
は,煎じ詰めれば物理過程なのだ.この一見自
明な事実の意味するところは,実は深刻である.
なぜならこれは,情報という抽象的なものを処
理する上で,物理法則による制約が避けられな
いことを意味するからである.その一方,物理
法則を積極的に活用することで,夢のような情
報処理を実現する可能性も開ける.実際,量子
情報科学においては,量子論特有の性質をフル
活用することで,古典的には実行不可能な情報
処理を実現できる[1].情報と物理媒体,そし
て情報処理と物理法則の間には,不可分な関係
があるのだ.Landauer はこの事情を象徴的に
“Information is physical.” と表現した.
本稿のテーマである情報と熱力学の関係は,
熱力学的自然認識において本質的であるばかり
ではなく,量子制御などミクロなスケールの工
学的応用においても重要性が増してきている.
図1 に示すように,情報の熱力学――“情報熱力
学”――は量子の世界も含めて様々な研究分野と
関係しており,今後研究の裾野が拡大するもの
と期待される.本稿ではその一端を紹介する.
図1: 本稿で取り上げる内容の相互関係を表わ
す模式図.情報熱力学は三つの領域が交わると
ころに位置する.Maxwell のデーモンはその中
心的役割を果たす.
2 熱力学と情報
熱力学においては,エネルギーの移動の形態
は二種類ある.マクロな自由度を介したエネル
ギーの移動(すなわち力学的な仕事) と,着目
している系と環境のミクロな自由度間のエネル
ギーの移動(すなわち熱) である.たとえばピス
トンに入った気体分子の場合だと,マクロな自
由度はピストンの壁の重心座標,ミクロな自由
度は個々の気体分子の相対座標である.熱力学
第二法則によれば,エネルギー移動の熱と仕事
への配分の仕方には,系の詳細によらない普遍
的な制約がある:
Wext · ¡¢F: (1)
これは任意の等温過程で成り立つ不等式であり,
Wext は熱機関から取り出した仕事,¢F はその
際のHelmholtz 自由エネルギーの変化である.
たとえば等温サイクルの場合は¢F = 0 なの
で,(1) は第二種永久機関が存在しないという
ことを意味する.ここで(1) が不等式であるこ
とが重要だ.これは,うまくやれば(つまり準静
1
的に熱機関を操作すれば) 取り出せるはずの仕
事も,下手をすれば取り出せなくなってしまう
ことを意味している.取り出せなくなる理由は,
マクロな自由度を通じて取り出そうとしたエネ
ルギーがミクロな自由度に逃げてしまい,不可
逆な散逸が起こるからである.このように,エ
ネルギーの担い手である自由度を二つの階層に
分けて捉えることが熱力学の特徴である.
さて,伝統的なマクロ系の熱力学系において
は,「マクロ/ミクロ」という区別と,「アクセス
可能/不可能」という区別は,実質的に等価で
ある.たとえば,気体分子の相対座標にアクセ
スする(すなわち,それについての情報を得て
制御する) ことが実質的に不可能な理由は,そ
れがミクロだからであるというのが伝統的な熱
力学の立場である.「アクセス可能/不可能」と
いう観点からすると,不可逆な過程とは,アク
セス可能な自由度からアクセス不可能な自由度
にエネルギーが散逸するプロセスを意味してい
る.しかし,もしもミクロな自由度にもアクセ
ス出来れば,散逸したものを元の状態に戻すこ
とが出来るのではないだろうか.
たとえば,比喩的な例として,「覆水盆に返ら
ず」という箴言がある.これを字義どおりに解
釈すれば,盆から床への水の散逸が不可逆であ
ることを述べている.しかし,もしも床にこぼ
れた水を一滴残らず回収することが出来れば,
覆水を盆に返せる――水がひとりでに盆に戻る
ことはないにしても.つまり,もしもこぼれた
水のすべてにアクセスできれば,水の散逸は,
逆向きの操作を実行できるという意味で可逆に
なる.このことは一般的に
アクセス可能=不可能, 可逆=不可逆(2)
と表現することができるだろう.つまり,「アク
セス可能/不可能」の境界を移動することは,「可
逆/不可逆」の境界を移動することでもあるのだ.
そしてその両者の間を移動することができる
存在が,Maxwell が考えた“デーモン” に他なら
ない.デーモンは,アクセス可能な自由度と不
可能な自由度の間のインターフェスの役割を果
たす.この観点こそが,次節で詳しく議論する
ように,熱力学と情報を結びつける鍵なのだ.
実際,ある自由度にアクセスするためには,そ
の自由度についての情報を得ることが必要であ
り,得た情報に応じてその自由度を制御するこ
とができる.先ほどのたとえで言えば,こぼれ
た水の各々の位置を知った分だけ盆に返せると
いうことになる.
「マクロ/ミクロ」は系の物理的スケールに関
する概念であるのに対し,「アクセス可能/不可
能」は情報論的な概念である.そして後者こそ
が熱力学第二法則における不可逆性の本質と結
びついているのである.
3 シラードエンジン
Maxwell のデーモンの機能の本質を見事にモ
デル化しているのは,シラード(Szilard) エンジ
ンである.このモデルでは,デーモンは気体分
子の位置を測定してその情報を得ることで,通
常の熱力学では不可能とされる操作――不可逆
過程を逆行する操作――を実行する.そしてそ
のことによって,第二法則(1) の上限よりも多
くの仕事が取り出され,しかもその仕事量は得
た情報量に比例している.
図2: シラードエンジンの模式図.
シラードエンジンとは以下のような熱機関で
ある.箱の中に入った一分子理想気体を考える
(図2 参照).これは温度T の熱浴と接触してお
り,箱の壁は透熱壁とする.(a) 最初,気体分
子は熱平衡状態にあり,箱の中をランダムに飛
び回っている.(b) 箱の中央に(厚さの無視でき
る) 仕切りを入れ,箱を二つに分ける.その結
果,分子は等確率で左右どちらかの箱に入るが,
2
どちらに入っているかは分からない.(c) ここで
デーモンが登場し,どちらの箱に分子が入って
いるかを測定する.このときデーモンは,ちょ
うど1 ビット(自然対数でln 2 ナット) の情報を
得る.(d) 次にデーモンは,右側の箱に分子が
入っていたときには,それを準静的に左に寄せ
る(理想的には,この操作は仕事を必要としな
い).左側の箱に入っていたときは何もしない.
こうすると,デーモンの登場前と比べて箱の体
積がちょうど半分になっていて,しかも測定結
果に依存しない状態になっている.(e) 最後に箱
を準静的に膨張させ,最初の大きさに戻す.こ
のとき,分子が箱の壁を押すことで外部にする
仕事はkBT ln 2 になる.
以上の過程において,一見すると,等温サイ
クルであるにもかかわらず(すなわち,シラー
ドエンジンの始状態と終状態が同じであるにも
かかわらず) 正の仕事kBT ln 2 を取り出せてい
る.したがってデーモンは,熱力学第二法則(1)
と矛盾しているように見える.これは熱力学第
二法則の根幹に関わるパラドックスであり,多
くの議論を巻き起こしてきた[2].
現在では,デーモンは熱力学第二法則と矛盾
しない――すなわち物理法則はデーモンの存在
を許容している――と考えられている.現在一
般的に受け入れられているパラドックスの解決
策はBennett によるものである.いわゆるLandauer
の原理によると,デーモンが測定で得てメ
モリに蓄えた情報を消去する(つまり,デーモン
のメモリを初期化する) ときに,必ずkBT ln 2 以
上の熱が散逸し,それと同量の仕事が必要であ
る.この仕事がシラードエンジンから取り出し
た仕事を打ち消してしまい,エンジンとデーモ
ンを合わせたサイクルからは正の仕事を取り出
せないというのがBennett のロジックである1.
そこで,改めてシラードエンジンを振り返っ
てみると,デーモンはエンジンから1 ビット(ln 2
ナット) の情報を得て,それを使ってエンジン
を操作することで,結果的に通常の熱力学の制
約(1) よりもkBT ln 2 だけ多くの仕事を取り出
1本稿の著者は必ずしもこれに同意していない.しか
し,このことは以下の議論の本筋には影響しない.
している.これを標語的に言えば,
1 ビットの情報, kBT ln 2 の仕事(3)
ということになる.つまり,1 ビット情報は
kBT ln 2 の仕事のリソースとしての役割を果た
しているのだ.
シラードエンジンにおける図2 の(b) から(d)
までの過程は,ちょうど自由膨張(拡散) の逆に
なっていることに注意しよう.仕事なしで気体
の体積が二倍になる自由膨張のちょうど逆の操
作,つまり仕事なしで体積を二分の一にする操
作を,デーモンは行っている――自由膨張は本
来不可逆であるにもかかわらず,である.デー
モンは,情報を得てそれを使って制御を行うこ
とで,不可逆過程の逆過程を可能にしたことに
なる.このようにシラードエンジンは,(2) に
示されたアクセス(不) 可能性と(不) 可逆性の
同等性の好例となっている.
4 微小系の非平衡統計力学
シラードエンジンは思考実験上のミクロな熱
機関である.一方で近年,高分子一個や微小ビー
ズのようにミクロな(あるいはメソスコピック
な) 熱力学系を,実際に測定・制御する技術が発
達している.たとえばDNA 一分子をレーザー
で制御して(たとえば一端を固定してもう一方
の端を引っ張って),kBT のオーダーの微小な仕
事を測定し,DNA 分子一個の自由エネルギー
を知ることができる.
このような微小な熱力学系においては,「マク
ロ/ミクロ」という区別はあまり意味がなく,「ア
クセス可能/不可能」という区別が本質的に重要
である.というのも,このような系においては,
関連するすべての自由度がそもそもマクロでは
ないからだ.DNAを例にとると,アクセス可能
な自由度とはDNA 鎖の長さ,不可能な自由度
とはDNA を構成する個々の原子の相対座標で
ある.
ところで,19 世紀以来,マクロ系の熱力学は
経験則として揺るぎない地位を確立してきた.
3
しかし最近になって微小系も熱力学的に扱える
ようになった.そもそもこのような微小系でも
マクロ系と同じ熱力学が成り立つかどうかは,
実は自明なことではない.一つの問題は,微小
系においても(デーモンがいなければ) 熱力学第
二法則(1) が成り立つか否かということである
――もしも成り立たないのであれば,デーモン
による第二法則の破れを一分子気体で議論する
ことの意味を,再考する必要が生じるだろう.
1990 年代以降の非平衡統計力学の発展により,
微小系における熱力学第二法則のあるべき姿が
明らかになってきた.その重要な成果の一つは,
熱力学第二法則がわずかな確率で破れることを
明らかにし,その確率も特定したことである.
それを見るために,(1) の両辺の差を温度で割っ
た量を導入し,¾ ´ (kBT)¡1(¡¢F ¡Wext) とお
こう.¾ はエントロピー生成という意味をもっ
ている.これが負の値¡¾ になる確率Pr(¡¾)
は,正の値+¾ になる確率Pr(+¾) よりも,お
よそe¡¾ だけ小さい:2
Pr(¡¾) ¼ Pr(+¾)e¡¾: (4)
マクロな系では¾ がアボガドロ数のオーダーに
なるためe¡¾ は事実上ゼロになり,エントロピー
生成が負になる場合は実際には観測できない.
しかし微小系では,エントロピー生成が負にな
る場合が実験で観測され,その確率は理論の予
言と一致した.(4) のタイプの等式はゆらぎの
定理(fluctuation theorem) と呼ばれている[3].
それは平衡から遠く離れた系でも系の詳細によ
らず普遍的に成り立つという著しい性質を持っ
ている.
ところで,上述のように,エントロピー生成
が負になる確率は非常に小さい.そのため,あ
らゆる場合についての平均を考えると,平均エ
ントロピー生成は正になることが証明できる.
この意味においては,熱力学第二法則は,微小
系でも成立する――不等式(1) は,微小系でも,
2これを正確に述べるには,時間反転したミクロな経
路を導入し,経路ごとのエントロピー生成を定義する必
要があるが,本稿では省略する.
デーモンがいなければ平均値の意味では決して
破れないのだ.
結局,デーモンが伝統的な熱力学第二法則を
破るということの本当の意味は,可能なすべて
の場合についての期待値で比較してもなお(1)
よりも多くの仕事を取り出せるということであ
る.デーモンによる第二法則の破れは,ゆらぎ
の定理が主張する確率的破れとは,物理的起源
が異なる.情報が関わっているのは前者だ.
なお,微小系におけるkBT のオーダーの仕事
は,デーモンがシラードエンジンから取り出せ
る仕事と同じオーダーである.微小な熱力学系
において,デーモンを実験的に実現・検証する
可能性が開かれつつある.それは,情報や制御
といった概念を取り込んだ微小系の熱力学を構
築するための一歩となるかもしれない.
5 量子デーモン
さて,4 節までは古典系の話であったが,次に
量子系におけるデーモンを議論する.量子デー
モンは,古典デーモンに類似の,あるいは量子
系に特有の,様々な性質をもっている.たとえ
ば,古典デーモンが熱ゆらぎを小さくすること
と対応して,量子デーモンは量子ゆらぎを小さ
くすることが出来る.
ここでは原子集団のスピンを操作する量子
デーモンを考えよう(図3 を参照).最初,原子集
団のスピンはz 方向に偏極して,ˆ SzjÁi = ~SjÁi
を満たす量子状態jÁi にあるとする(S はスピン
の大きさ).これに対して,以下のようにして,
原子スピンのx 方向成分ˆ Sx のゆらぎを小さく
することを考える(これはスピン・スクイジン
グと呼ばれている).まずˆ Sx を量子測定すると,
量子測定に伴う波動関数の収縮の効果によって,
測定値の付近にゆらぎが集中する.正の測定値
(Sx > 0) が出たときは,磁場をかけて反時計回
りスピンをまわし,中央に持ってくる.逆に負
の測定値(Sx < 0) が出たときは,時計回りにス
ピンをまわし,やはり中央に持ってくる.ここ
で測定結果に応じた操作を行っていることに注
4
意しよう.この操作によって,平均的な位置は
変化せず,スピンのˆ Sx 成分のゆらぎをせばめて
いることが分かる.
ところで,量子力学においては不確定性原理
が存在する――いまの場合は¢Sx¢Sy ¸ ~S=2
である.そのため,ˆ Sx のゆらぎを小さくした代
償として,ˆ Sy のゆらぎは広がってしまう.これ
は,量子測定によって系が不可避に撹乱された
ことの結果であるとも理解できる.このような
測定の反作用は,量子デーモンに特有の性質で
ある.
x S x S
y S
z S
図3: 量子デーモン(量子フィードバック制御)
によるスピン・スクイジングの模式図.左側の
図はSx-Sz 平面で見たスピンの平均的な方向を,
右側の図はSx-Sy 平面で見たスピンの量子ゆら
ぎを表している.
シラードエンジンの場合を思い出すと,分子
が右にあれば左によせることで,デーモンは熱
ゆらぎの幅(箱の左右の幅) を小さくしていた.
図2 と図3 を比較すると,量子デーモンはこれ
と本質的に同じ操作を量子的に行っていること
がわかる.
実は上記の量子デーモンは,「量子フィードバッ
ク制御(quantum feedback control)」のシンプ
ルな例になっている.量子フィードバック制御
は,古典的な制御工学の量子系への拡張として
Belavkin によって1980 年ごろに提唱され,量子
系を制御するための重要な手法として近年注目
を集めるようになってきた.量子フィードバッ
ク制御の特徴は,所望の非ユニタリー操作を高
い精度で実行できることである(一方,フィード
バックを使わなければ,非ユニタリーな操作は
確率的にしか成功しない).スピン・スクイジン
グの例からわかるように,量子デーモンはまず
対象とする系に対して量子測定を行う.そして
その測定結果に応じた量子操作を行う.ここで
「測定結果に応じた」というところが,フィード
バック制御たる所以である.
本節では量子フィードバック制御を中心に扱っ
たが,他にも量子情報科学とデーモンの交流は
深まっている[4].
6 情報熱力学の第二法則
最後に,デーモンによる操作を含んだ形に一
般化された熱力学第二法則を紹介する.デーモ
ンが熱力学系に対して測定を行い,測定結果k
を確率pk で得て,その結果を使って,(k に依存
する) フィードバック制御を行ったとする.この
ような状況でデーモンが系から取り出せる仕事
が熱力学第二法則(1) を超え得るということは
シラード以来知られていたが,最近その上限が
決定された.それは
Wext · ¡¢F + kBTI (5)
という不等式で与えられる[5].ここでI は測定
でデーモンが得た相互情報量であり3,その上限
はShannon 情報量H ´ ¡
P
k pk ln pk で与えら
れる( 0 · I · H) [6].I = H は測定に誤差が
ない場合,I = 0 となるのは測定で情報が得ら
れない場合に相当している.
不等式(5) の等号は,操作が準静的で,かつ
フィードバック後の状態が測定結果k に依存し
ないときに成立する.シラードエンジンはこの
条件を満たしている.実際,I = H = ln 2 なの
で,シラードエンジンは等号を達成しているこ
とが分かる.古くから知られていたデーモンの
モデルは,実は最大限の能力を持ったデーモン
だったのである.この意味において,情報と仕
3測定が量子的な場合は,一般化された相互情報量に
なる.
5
事を結びつける(3) の関係が,(シラードエンジ
ン以外の) 一般的な状況でも,定量的に確立さ
れたことになる.
古典的な熱機関は熱の一部を仕事に変換し,
可逆なカルノーサイクルがその変換効率の上限
を達成する.これに対して,デーモンが操作す
る熱機関は,情報を仕事に変換するいわば情報
熱機関である.シラードエンジンはその変換効
率の上限を達成するという意味で,古典的な熱
機関におけるカルノーサイクルと同様の,基本
的な役割を果たしていると言える.
通常の熱力学では,「ここで測定とフィード
バックをしましょう」という状況は想定しない.
もしそのようなセットアップを考えるなら,熱
力学第二法則(1) を(5) に変更する必要が生じ
る.実際,不等式(5) は,熱力学第二法則(1) を,
情報を表わす変数I を明示的に含む形に一般化
したものになっている.かつてはパラドックス
の元凶だと思われていたデーモンは,実は,情
報熱力学の第二法則とも呼ぶべき(5) の立役者
だったのである.
7 おわりに
情報熱力学においては,デーモンはもはやパ
ラドックスの元凶ではなく,ミクロな世界にお
ける情報処理の「デバイス」としての機能を果
たす.デーモンは情報を利用することで従来の
熱力学第二法則(1) を破る操作も実行でき,さ
らにまた,私達が熱力学第二法則の基礎を深く
理解する一助にもなるはずだ.それはあたかも
古代ギリシアのdaemon のように,アクセス可
能な世界と不可能な世界の境界に立っている.
本稿で見てきたように,情報熱力学は,物理学
だけでなく,情報理論や制御工学といった,様々
な分野との関連を持っている.一般化された第
二法則(5) は,情報と熱力学が交わる広大な世
界のごく一端を示しているに過ぎないと思われ
る.情報の物理学はまだ始まったばかりである.
参考文献
[1] 量子測定・計算・情報の標準的な入門書としてM. A.
Nielsen and I. L. Chuang, Quantum Computation
and Quantum Information (Cambridge University
Press, Cambridge, 2000).
[2] Maxwell のデーモンについて,古典から比較的最近の
発展までを包括した論文集は, H. S. Leff, and A. F.
Rex, (eds.), Maxwell’s demon 2: Entropy, Classical
and Quantum Information, Computing (Princeton
University Press, New Jersey, 2003).
[3] このテーマについてのレビューはC. Bustamante,
J. Liphardt, F. Ritort, arXiv: cond-mat/0511629
(2005).
[4] このテーマについてのレビューはK. Maruyama, F.
Nori, and V. Vedral, arXiv: 0707.3400 (2007).
[5] T. Sagawa and M. Ueda, Phys. Rev. Lett. 100,
080403 (2008).
[6] 古典情報理論についての標準的な入門書としてT. M.
Cover and J. A. Thomas, Elements of Information
theory (John Wiley and Sons, 1991).
(さがわ・たかひろ,うえだ・まさひと,
東京大学大学院理学系研究科)
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