http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/306.html
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原子力発電は意味がないと言うことを総合的に論じた記事の紹介です。
1997年ごろに書かれた記事のようです。内容的によく整理されていて、今でも読む価値があります。
なお、多田眞人と言う方は、大阪府立工業高等専門学校の先生みたいですね。
http://www.eonet.ne.jp/~mtada/atomf.htm よりコピー:
原子力発電について
多田眞人
1.はじめに
スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故を契機に原子力利用の危険性が言われて久しい。日本国内でも原子力発電関連の事故が頻繁に起こっており、多くの人達が電力会社や政府が宣伝してきた原子力発電の安全性について不安を抱きはじめている。
原子力発電の危険性は当初から科学者に指摘されてきたが、ようやく一般の人達が認識しはじめた。しかし日本政府の長期エネルギー政策によると、ますます原子力の依存度を高める計画である。
そこで原子力発電について、入手しやすい最近の文献1)〜4)をもとに専門家の指摘している事柄をまとめ、その未来について考察した。
2.原子力発電(平和利用)の軍事性
軍事用原子力の開発を続けていたアメリカが1953年「平和のための原子力」を主張し(アイゼンハワー大統領の国連演説)、自国や同盟国の原子力発電所の建設を推進することになった。
じつは、このことは単に電力供給に協力することではなく、ウラン鉱石から濃縮ウランを製造する工程はいったん休止すると操業再開が困難であるがゆえに、原子爆弾製造のための濃縮ウラン製造工場の操業を維持するために過剰の濃縮ウランを原子力発電に使おうというものであった。
さらに使用済み核燃料に含まれるプルトニュウムは長崎型原子爆弾であるプルトニュウム原子爆弾の材料になる。プルトニュウム製造の過程で出る熱エネルギーを利用して発電を行うというのが原子力発電であるといってもよい。実際、日本の最初の発電用原子炉はイギリスから導入されたが、使用済み核燃料に含まれるプルトニュウムはイギリスに売られ軍事利用されていた。
中性子爆弾用のプルトニュウム製造という点では高速増殖炉がもっとも適していて、経済性から発電用の高速増殖炉を放棄したフランスでは、経済性を度外視した軍事目的の使用済みウラン核燃料の再処理、高速増殖炉の運転が続けられている。
つまり原子力発電とは軍事利用のために付随的にできたものといってよい。
3.原子力「技術」の問題点
スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故の原因究明が10年以上もたった現在完全には究明されていない。このような「科学技術」というものがあるであろうか。
一般に事故は技術改良の原動力である。たとえば蒸気機関の開発途中で数え切れないボイラー爆発事故を起こしている。そのつど徹底的に原因究明され、設計を変更し、試作品を作っては試験する。その過程で、材料、機構、製作等の技術が向上し事故がめったに起こらなくなる。飛行機の事故率が低いのは、過去に多数の墜落事故があって、原因が究明され、改良を重ねたからである。墜落の状況を実験的に作り出すこともあったであろう。
このような科学技術の改良過程を試行錯誤過程という。おそらく試行錯誤過程は技術発展の唯一の過程であろう。原子力開発もこの試行錯誤過程を経てきたことには違いがない。原爆がその最たるものである。原子力潜水艦の原子炉もそうである。
しかしその後、放射能の恐怖がわかってくるとこの方法は使えなくなってきた。なぜなら試作品を作って、事故状況を作り出して実験をするわけにはいかない。放射能がばらまかれるからである。原子力実験船むつが放射能漏れ事故を起こしたとき当時の科学技術庁政務次官が「実験船なのだから事故を起こしてもしかたがない」と発言してひんしゅくを買ったというが、科学技術の改良の過程では正しいにもかかわらず、原子力ではこのような実験は許されないことである。不幸にして起こった事故も原因究明が徹底して行われないので、改良のしようもないし、かりに改良点が判明したところで、試作品を作って試運転するわけにはいかない。
たとえば空だき状態の燃料に水をかければかえって炉心は崩壊し、炉心溶融状態になることがわかったが、水が使えないとなると対策は困難で、代替技術を考案したところで実際に空だき状態を作って実験してみるわけにはいかない。
したがって原子炉技術は、あるところからほとんど進歩していない。進歩のしようがない。このような原子力はもはや科学技術とは言えない。それがわかってきたというのか、かつて大学の花形であった原子力関係の学科が次々と改組ないし廃止されている。
4.原子炉(圧力容器)設計上の問題点
日本における原子力発電機器の規格はASMEV(アメリカ機械学会の原子力発電用機器規格)に基づいているが3年に1度全面的な見直しがなされる。1963年にASMEV規格が発足した当時は暑さ1cm程度の規格書だったのが1971年には厚さ3cmを越すものとなっている。したがってその原子炉が設計された時点での規格で作られているはずであるから、当然現時点での規格からすれば不合格のはずである原子炉が、現に運転されているという現状がある。
日本で最も古い敦賀原子力発電所1号機(軽水炉、1970年運転開始、出力35.7万kW)は、日本において原子力発電機器規格が未整備で、化学プラントなどに適用されていた基準に基づいて設計された。これはその後の設計に比べてぼってりした肉厚の設計になっている。これは熱疲労(加熱、冷却のくり返しによる材料の劣化)の観点から問題がある。これ以後の昭和40年代に設計され、現在稼動している多くの原子炉が旧のASMEV規格に基づいて設計されたものである。
また、原子炉特有の設計上の問題点が幾つかある。機器設計上のポイントの1つに安全係数がある。安全係数は、設計基準以上の負荷にもある程度耐えられるように余裕を見込むということと、要因が複雑で解析困難な箇所の不確実な要素を解消するという異なった2つの意味を持っている。
従来化学プラントや火力発電用の圧力容器にとられていた安全係数は約4である。ところが原子炉用の機器の安全係数は約3に引き下げられている。理由は、高出力の原子炉に対して、容器の重量化を避けるためである。つまり重量が増すとそれ自体に耐えられるようにさらに寸法を増やさねばならないし、肉厚が増えると熱疲労の影響が著しくなる。しかし安全係数を下げるためには、設計上の不確実要素を減らさなければならない。したがって規格では細部にわたる応力解析(詳細応力解析)の必要性を義務付けている。
コンピュータ技術の進歩によって解析能力が向上したとは言うものの、解析の基準となる設計ポイント(設計思想)のかなりの部分を設計者の勘に頼っている。設計思想に誤りがあると、解析そのものが意味をなさない。さらに細部にわたる解析には相当な時間がかかる。したがって完全に解析が終わるのを待たないで製作にかからざるを得ない状況がある。解析した結果と製作したものが食い違うと補強設計がなされるが、それが完全であるという保証はない。「もんじゅ」の場合のように温度計のさやの部分が「詳細応力解析」からもれていたということも起こりうる。
さらに重要なのが材料の中性子照射脆化である。鉄鋼材料はある温度以下だと力が加わった時に硝子が割れるように破断する脆性破壊を起こす。高い温度では飴がちぎれるように破断する延性破壊が起こるのだが、脆性破壊は、延性破壊よりも小さい力でしかも突然起こる危険性がある。ときたま聞かれる、航行中に突然石油タンカーが真2つに割れて石油が漏れ出す事故は、船体の脆性破壊である。大抵寒い冬の時期に起こる。
脆性破壊が起こるようになる温度を延性脆性転移温度(NDT温度)という。原子炉の圧力容器は使用中の温度は高いし、使用される鋼のNDT温度はマイナス50℃という良質のものであるが、核反応から出る中性子を受けてNDT温度が上昇する。恐らく中性子の照射によって、材料原子が飛ばされたところ(空孔)ができて、それが集まって隙間(ボイド)となり、潜在的な割れ目(クラック)になるのだと予想されているが、中性子の照射量とNDT温度上昇の関係は十分明らかにされていなくて、現場における実験である程度のことが分かっているだけである。それによると2年半でNDT温度がプラス54℃になっていた、すなわち104℃上昇した例もある。
この中性子の照射量によるNDT温度の上昇は設計にはほとんど考慮されてなくて、規格ではある規制値に達するまで使用可としていた。中性子の照射量によるNDT温度上昇が著しいことが判明してアメリカでは規制値が引き上げられた。日本でも1986年にNDT温度の規制値がプラス93℃からプラス132℃に引き上げられている。
原子炉が順調に稼動しているときには問題はないが、例えば熱湯を耐熱性でない硝子コップに入れたとき割れることがあるように、急に内部の温度と表面の温度に変化が生じたときに材料内部に衝撃力が発生(熱衝撃)する。原子炉でなにかの原因で冷却水が多量に漏れると、急に反応が進んで炉の温度が急上昇して最悪の場合、燃料棒がとけて流れ出す炉心溶融(アメリカでは、原子反応がどこまででも続き地殻をも溶かして地球の裏側すなわち中国にまで達するというジョークでチャイナシンドロームという)にいたるが、それを防ぐために緊急炉心冷却装置(ECCS)が設けられていて、いざというとき炉心に水を注入するようになっている。そうなると圧力容器内面は急冷されることになり熱衝撃を受ける。しかもただ水を注ぐというようなものではなく、高圧で吹き込まれるから異常な圧力も作用することになる。このような状態を、加圧熱衝撃(Pressurised Thermal Shock,PTS)という。それによって脆性破壊が起こると瞬時にして原子炉は破壊され、チェルノブイリ事故と同じ状況になるだろう。
早くも1981年に原子力の研究で中心的な役割を果たしてきたアメリカのオークリッジ国立研究所がアメリカ原子力規制委員会(NRC)に提出した報告書の中で「ECCSが作動するような状況において炉の寿命内の早期の段階で、PTSによる容器の破壊が予測される」と警告している。日本ではECCSが作動して脆性破壊が起こる事態までにはいたっていないが、重大事故の可能性は無視できない。
1996年12月24日に敦賀原子力発電所2号機で配管のひび割れによる一次冷却水漏れ事故があって原子炉が停止された。これが火力発電であったら恐らく運転を続けながら、補修して解決するだろう。原子力発電の場合、重大事故が起こると取り返しがつかないので停止は当然であるが、偶然が重なって重大事故が起こるかもしれない。人を含めた環境への影響を考えると重大事故の確率は零でなければならない。機械類で故障が起こる確率を零にすることは不可能である。したがって原子力の技術的な制御は不可能であるといえるのではないだろうか。
5.放射性廃棄物の問題
原子力の一番の問題点は、放射性廃棄物処理であろう。そもそも放射性廃棄物処理は出発点からして科学技術ではなかった。
従来の技術は廃棄物処理も含めてある程度確立してから実用化されてきた。そして問題点が生じると対策が講じられ、もしそれが困難である場合には、その製造、移動、使用、廃棄のすべての過程が禁止された。PCBしかり、フロンしかりである。
放射性廃棄物はきわめて危険である。たとえば使用済み燃料を再処理してプルトニュウムを回収した残りの廃液はガラス固化し容器に詰めることにしているが、その容器は強い放射能を出し続ける。10年後でも1メートル離れたところに1時間いると四万レム被爆する。これは1分で死亡することを意味する。
にもかかわらず、将来の技術の進歩を「信じて」、製造、移動、使用を野放しにしている。かろうじて廃棄だけは制限されている。これまで将来の進歩を「信じて」進められた科学技術があるだろうか。この点を取ってみても原子力は科学技術ではない。
放射性物質の反応は消すことは出来ない。一定の比率で起こりつづける。例えば人工放射性物質プルトニュウムは2万4千年経ってようやく半分が安全になる。これは速めることも、停止させることも技術的に不可能である。
かって放射能を人工的に消滅させることが考えられた。つまり長寿命の放射性原子核に中性子をあてて短寿命の原子核に変換するということである。しかし中性子を作るためには原子炉を運転しなくてはならない。その上、超ウラン原子核に中性子を吸収させて消滅させるのに時間がかかるので、消滅した以上の超ウラン原子核が生成される。これでは何をしているのがわからなくなる。消滅処理を研究した技術者も「ほとんど無意味」と結論している。
使用済み燃料である高レベル放射能廃棄物は2000年には全世界で25万トンになるだろうと予想される。またウラン精製過程等で出る低レベル廃棄物はおおよそ1億m3に達するだろう。これを大阪府全体に敷き詰めると厚さ5cmにもなる。
これらの廃棄物は破壊することが出来ないし、安全になるまでには何万年もかかり、その間、環境から隔離しておくしかない。深海投棄や、宇宙に投棄するなどの案があるがどれも非現実的である。現在は特別に作られた放射能を遮蔽できる容器に入れて特別な施設に保存されている。
数万年も手違いがなく有効な貯蔵技術というものは現在のところないし、将来技術が進歩しても不可能であろう。実際、現在の高レベル廃棄物の貯蔵容器は数百年以上は耐蝕性を保てないと予想されている。さらに21紀以後エネルギー源を原子力に頼るとすればこれらの量は幾何級数的に増加し、化石燃料が枯渇する前にも処理不能に陥るのは明らかなように思える。つまり放射性廃棄物の処理は技術的に不可能であるといってよいだろう。
原子炉爆発事故のあったチェルノブイリ4号炉は現在「石棺」と呼ばれる遮蔽物で覆われているが、30年は持つといわれていた物が10年もしないうちに多くの亀裂や隙間が生じ、「石棺」自体が傾きはじめていて、暴風や地震で倒壊し再び放射能が放出する危険が出はじめている。
今後寿命がきて廃棄される原子炉が数多く出てくるがその処理はどうなるのであろうか。施設を安全に処理して、土地を更地にして新たな原子力発電所を立てることは現在のところ技術的に不可能である。恐らく数百年のレベルで可能とはならないであろう。以後エネルギー源を原子力に頼るとすれば次々に条件の整った土地を探しつづけなければならない。
6.重大事故の影響
チェルノブイリ事故で放出された放射能は人類が実験も含む核爆発等で放出した総量の3分の1といわれている。
チェルノブイリで経験したようにひとたび重大事故が起これば、まず直接の被爆によって多数の死者や要治療者が出るが、現在の医療レベルでは治療内容、治療者数共に対応不可能であるといわれている。そして事故が起こった原子炉の周辺、半径数十kmの範囲は人が住めなくなってしまう。そのための避難は場所によっては数十万人を越えるであろう。さらに放射能が風等で拡散し、国境を越えて汚染を引き起こし、何十年何百年にわたって影響を受ける人間は数百万とも数千万人ともいわれている。
日本のような海岸周辺に原子力発電所を設置しているところでは、海洋を汚染すると海流によって地球レベルで放射能汚染を引き起こす。汚染が人を含む生態系にどのような影響を与えるのか想像もつかない。
従来のエネルギー源での事故であれば直接の原因で人が死亡することはあっても、修復可能な技術は確立されていると言ってもよいが、原子力においてはそれが利用されるようになってから40年以上経過しているのに危機管理技術がほとんど確立されていない。いや危機管理技術が確立される見込みが無いのに利用されつづけていると言ってよいだろう。
7.原子力の経済性
原子力発電とはウラン235に中性子をあてて核分裂を起こさせその時開放されるエネルギーを熱に変え、水を沸かし水蒸気にして蒸気タービンを運転して電気にかえる。
このようにして電気エネルギーを得るのに、どのくらいエネルギーを投入しなければならないかがエネルギー産出比である。もちろん、この産出比は1以上でなければ意味がないし、産業としては10以上でないと成り立たないとされている。
まずウラン鉱石を掘り出し鉱石からウランを抽出するのにエネルギーがいる。そのウラン鉱石には燃料として使える同位体ウラン235は約 0.7 %しか含まれておらず、軽水炉で使用するためには3%程度に濃縮する必要がある。このウラン濃縮に多量の電力を必要とする。そして発電所の建設・運転にもエネルギーがいる。さらに放射性廃棄物の管理にもエネルギーがいる。
エネルギー産出比の試算は1976年にアメリカのエネルギー開発庁が報告したものがあるが、それによると大きく見積もっても産出比は4程度である。発電稼働率をはじめ、産出比が大きくなるように見積もられている部分や、見落としがあるために実際の産出比はもっと小さくなるだろう。エネルギー開発庁は1以上であるから原子力発電は意味があると断定したが、原子力発電が成り立ってきたのは、国家が財政や人的援助をしてきたからで、純粋なエネルギー産業では採算が合わない。
これらの投入エネルギーは何から得られるかといえば石油である。放射能の発生という危険を犯すくらいなら、最初からその石油を使って火力発電をする方がよっぽど経済的と思われる。
夢のエネルギーといわれる高速増殖炉で使用される燃料となるプルトニュウムは使用済み核燃料から取り出されるのであるが、その処理費用は取り出されるプルトニュウムの燃料価値の何と7倍になる。そして高速増殖炉の建設・運転費は通常の原子炉の比ではない。「夢の」といわれているプルトニュウム燃料の増殖も疑わしいものになっている。
核融合については、イギリスでは技術的に見通しが立たないとして発電用としての開発に見切りをつけたが、かりに発電ができたとしても核融合反応を維持するために電力が必要で、3の電力エネルギーを得るのに2の電力を供給しなければならない。その他燃料を得るためや、建設に必要なエネルギーを加えると産出比は1以下となってしまう可能性が大である。
日本では電気事業法の改正により一般の企業や、自治体が電力を作って、電力会社に売れるようになったが、その募集をしたところ応募電力は100万kW級原子力発電所7基分になったという。これらの多くは廃油やごみによる発電である。電力危機でもないのに、経済的に成り立たない原子力発電を続けていく必要性があるのか疑問である。
8.原子力開発計画の見直し
アメリカのスリーマイル島事故(1979年)や旧ソビエト連邦のチェルノブイリ事故(1986年)以来、原子力の危険に気付いて原子力開発を見直す動きが目立った。
アメリカではすでに1978年以来原子炉の新規発注は無く、1974年以後発注されたものはすべて、製造中止又は無期延期になっている。原子力依存度が低かったイタリアでは当時稼働中のものおよび建設中のものを含めて1990年までにすべて廃止された。チェルノブイリの放射能が相当量降下したフィンランドでは新規の原子力発電計画が凍結された。ベルギー、オランダ、ギリシャ、デンマーク、ポルトガルでも新規の原子力発電計画が凍結された。当時のソ連自体も原子力推進の政策こそ変更しなかったものの、1990年までに予定されていた原子力発電利用は半減され、火力などに置き換えられた。イギリスはすぐには推進策を変更しなかったものの、1994年に至って、高速増殖炉計画から撤退し原子力政策の見直しを開始した。
日本では推進政策の見直しはまったくなかったが、住民レベルの運動で原子力発電所の新規立地が困難な状況に陥っている。そしてついに1995年12月の「もんじゅ」のナトリュウム漏れ事故によって原子力発電所が集中する三県の知事から原子力政策の見直しの提言が政府になされた。
チェルノブイリ事故で最初に放射能をキャッチした国スウェーデンではすでにスリーマイル島事故の後、1979年国民投票によって2010年までに原子力発電をすべて廃止することを決定していたが、具体的な廃止計画は何もなく、1985年には原子力依存度が 50 %に達していた。しかしチェルノブイリ事故で国会は1988年に2010年までに原子力発電をすべて廃止する具体的計画を可決した。その計画は自然エネルギーの開発、エネルギー大量消費型生活からの脱却等、代替エネルギー・省エネルギー政策が基本であるが、現在その完全実施は困難と考えはじめられている。
さまざまな見直しは始まっているが、原子力依存が広まった現在、原子力からの脱却には多大の努力と犠牲が伴わざるをえないだろう。
9.おわりに
原子力エネルギーの制御は技術的に見ても不可能である。まして技術的に未経験な新興アジア諸国での原子力発電開発は危険極まりない。ここに述べた事情から人類が持続可能であるためには、原子力発電は停止すべきであり、少なくとも国際的な条約でもって、新規の原子力発電所建設は避けるべきであろう。これ以上状況を悪化させるわけにはいかない。エネルギー大量消費型生活になれてしまった我々はもちろん、これからエネルギーを必要としている開発途上国が原子力に頼らずに存続していくためには、大きな変化が必要である。どのような変化が必要であり可能であるか、真剣に考えてゆかねばならない。
[参考文献]
1)R.Pゲイル・T.ハウザー著、吉本晋一郎訳:チェルノブイリ−アメリカ人医師の体験−(上)(下)、岩波新書(1988)
2)田中三彦:原発はなぜ危険か−元設計技術師の証言−、岩波新書(1990)
3)槌田 敦:エネルギーと環境、学陽書房(1993)
4)七沢 潔:原発事故を問う−チェルノブイリから、もんじゅへ−、岩波新書(1996)
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