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電力不足解消のカギを握る「スマート」と「超電導スーパーステーション」
クリーンテック先進国アメリカの実情(送電・節電技術編)
- 2011年5月10日 火曜日
今回もシリコンバレーを中心とするアメリカの「電力問題への挑戦」についてリポートする。
前回は、日本で東京電力・福島第1原子力発電所の事故によって深刻な電力不足が生じ、太陽光などの代替エネルギーに対する関心が高まっていることから、アメリカの代替エネルギーによる発電の実情について、シリコンバレーのクリーンテック・ベンチャー・コンサルタント、Cando Advisorsの安藤千春さんと阪口幸雄さん(ブログはこちら)の2人に解説していただいた。後編となる今回は、電力不足解消のもう1つのカギを握る送電・節電技術の現状について、引き続きお2人に聞く。
2000年のことだ。筆者の住むカリフォルニア州で電気が大量に不足する「電力危機」が起き、日本でもすっかりおなじみになった輪番停電(rolling blackout)が実施された。日本のように「計画」された通りの時間に停電するわけではなく、いつ停電するかわからない。だから、「計画停電」とは称さなかった。
当地では普段からしょっちゅう短時間の停電があるので、パソコン用の非常電源はすでに設置済み。我が家にはもともと冷房もないし、高層ビルのオフィスにも無縁の生活なので、エレベーターが止まって困ることもない。筆者個人の生活としては、冷蔵庫をあまり開けないとか、ガレージドアを手動で開けるといった程度の対応で済んだが、暑い地域や高層住宅に住む人は大変な目に遭い、カリフォルニア州の経済全体への打撃も甚大だった。
この時の大規模な電力不足は、(1)1996年に電力自由化政策を導入したにもかかわらず、電気料金を上げられない制度になっていたため、逆ざやとなった電力会社が設備投資を控え、発電能力が低下した、(2)天然ガスの価格の上昇、(3)ネットバブルの景気過熱に伴う需要の増大、(4)猛暑、(5)エンロンなどテキサスのエネルギーコンソーシアムによる市場操作──などさまざまな要因が重なって起きたと言われている。
当時、カリフォルニア州の住民は「テキサスのヤツらが売り惜しみしている」と憤っていた(もともと、両州は文化的にソリが合わない)。もっとも、たとえテキサスの発電に余力があったとしても、カリフォルニアに持ってくることはできなかった。それには、深いワケがある。
今回の電力不足問題で、日本では東日本と西日本で電気の周波数がそれぞれ50ヘルツ、60ヘルツと異なっており、そのままでは西日本から東日本に電気を融通できない点が改めてクローズアップされているが、実はアメリカにも「同じような東西不適合の問題がある」(阪口さん)のだ。
アメリカでも電力の融通を阻む「東西問題」
アメリカには、電力会社が実に3000社以上もある(民間2000社以上に加えて、市町村営、協同組合など)。発明王のトーマス・エジソンがニューヨークに電灯用の直流電気を供給する電力会社を設立したのは1882年のこと。当時は長距離の送電ができなかったため、近所に電気を供給する電力会社があちこちに設立された。
1896年には、ニコラ・テスラの交流送電技術を取り入れて長距離送電が可能となり、ジョージ・ウェスティングハウスがナイアガラの滝に大規模水力発電所を設立し、30キロ離れたバッファローに電力を供給するようになった。その後、数多くの企業統合があり、1930年代の大恐慌復興期に公営システムのシェアが増えるなどの経緯も経たが、結局、完全に統合されることはなく、現在に至っている(アメリカの電力会社の歴史に関する詳細はこちら)。
カリフォルニアの中央平原を横切る高圧送電線(写真:海部 美知)
一方、これらの電力会社は互いに電気を融通できるようにするため、送電網の相互接続を長期にわたって進めてきた。その結果、現在は「東部」「西部」「テキサス」と、大きく3つの地域の中で相互接続できるようになっている(いずれも、カナダの一部も含んでおり、アラスカは別)。
アメリカの3つの送電網相互接続地域(出典:Department of Energy)
周波数はすべて60ヘルツなのだが、接続地域内でのみ交流の周波数が同期しており、地域をまたぐと接続できない。いったん直流にし、別地域に合わせて再度交流に戻すという接続設備はあるが、効率が悪く、2ギガワットしか変換できない。このため、テキサスからカリフォルニアに電気を持ってくることはほとんどできないのだ。