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自然エネルギーを過大評価するな! たくさんあるだけでは、問題は解決しない JBpress(日本ビジネスプレス)
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自然エネルギーを過大評価するな!
たくさんあるだけでは、問題は解決しない
2010.06.02(Wed) 山本 達也
日本経済・解体新書明治以来、日本は海外の先進事例を学び、真似をして、日本型にアレンジしながら付加価値をつけることを得意としてきた。こうした「政策の模倣」は、「エミュレーションモデル」(emulation model)と呼ばれる。
自動車産業に代表されるように、かつての日本は、「エミュレーションモデル」によって国際的な競争力を獲得してきた。しかし21世紀のエネルギー問題については、残念ながらお得意の「マネっこ政策」は有効な解決策にはならない。
■「濃縮」されている資源こそ価値が高い赤や白、ピンク──色鮮やかなツツジが美しい季節。通学路にある民家の庭先に咲くツツジの花をプチッとちぎってチューチューと吸った経験のある人は、きっと少なくないはず。ほんのり微かな甘味は、懐かしい記憶として残っている。
タンポポの蜜を集めるミツバチ via kwout
小学生のお遊びにはそれでも十分だが、通常は花にどんな甘い蜜があっても、ただ咲いているだけでは人間には意味をなさない。ミツバチが蜜を集めて巣に持ち帰ってくる「濃縮」のプロセスを経て、初めて「ハチミツ」という資源として利用可能になる。
もちろん「量」も重要だ。庭に1本植えたツツジを「資源」と言うと大袈裟だが、一面の花畑には「有効な資源が眠っている」と言ってもいいだろう。しかしその花畑も、人間がアクセス不能な山奥にあると、やはり利用は不可能だ。
この「濃縮されている」「大量にある」「物理的・経済的にアクセス可能である」ことを、元国立環境研究所所長で東京大学名誉教授の石井吉徳氏は「資源が資源であるための3要素」と定義している(石井吉徳『知らなきゃヤバイ! 石油ピークで食糧危機が訪れる』日刊工業新聞社)。
筆者は、21世紀型のエネルギー政策論では、3要素の中でも特に「濃縮」に注目する必要があると考えている。
■「たくさん」あるだけではエネルギー問題は解決できない例えば、海水には微量のウランが含まれている。海は地表の7割を占め、海水に溶け込んでいるウランを集めれば膨大な量になるはずだ。
しかし、庭に咲く花が資源としては意味をなさないように、「濃縮」のプロセスを経ていない海水中のウランは資源とは言い難い。仮に莫大な量の海水を集めてそこからウランを抽出しようとすれば、そこに大量のエネルギーを投入しなければならないので、エネルギーとしての採算が合わなくなる。
ウラン鉱山のウランも海水に含まれるウランも、同じ量を集めてくれば同じ「仕事」をすることができるが、どう考えても、最初から「濃縮」された形で存在するウラン鉱山のウランの方が圧倒的に高効率だ。「たくさんある」だけでは解決策にはならない。
同じことは、太陽光や風力などの自然エネルギーにもあてはまる。
■エネルギーの質は 石油 > 太陽光「地球に降り注ぐ太陽光1時間分は、全世界が使用するエネルギー1年分に相当する」──と言われる。このため、太陽光に期待を寄せる声は大きい。しかし、それを集めて資源として活用するために膨大なエネルギーを投入しなければならないとすれば、採算はマイナスになってしまう。
石油は、エネルギー総量に換算すれば太陽エネルギーよりもはるかに少ないが、油田に「濃縮」された形で存在する石油は、地表に降り注ぐ太陽光より遥かに良質なエネルギーだ。だからこそ、人類は石油をベースに産業を発達させることができたと言ってもいい。
自然エネルギーはおしなべて、総量は大きいが濃縮のプロセスを経ておらず、資源としての「質」は劣る。これを凝縮して1カ所に集めて使いやすくするためには、良質なエネルギーの投入をしなければならず、エネルギーの「採算」を悪化させる。
■自然エネルギーは地産地消の発想で「石油ピーク」が現実的な問題となりつつある今、たとえ「濃縮」のプロセスを経ていなくとも、人類は自然エネルギーを有効活用する手立てを考えなければならない局面に来ている。しかし、その方法は、原子力発電のように「新潟でまとめて大量の電気を作って、東京で消費する」ような使い方ではなく、地産地消的な発想が最も効率的な使い方なのだ。
「分散しているものを分散したまま使う」というコンセプトは、公共政策論的に重要なテーマを提起する。「地方分権論」とリンクするためである。
自然条件は土地土地で異なるため、自然エネルギーを利用するための画一的なモデルは存在しない。「分散しているものを分散したまま、より効率的に使う」ためには、その地域の自然の状態を徹底的に知りつくし、その土地に合ったエネルギー供給システムを構築する必要がある。
その土地の自然はその土地の人が一番よく知っている。つまり、各地方におけるエネルギー供給モデルを作るには、その土地で暮らす人の知恵が不可欠であり、国が中央で決めた画一的なモデルを押しつけても上手くいくとは限らない。どこかの国の政策をまる写しにすることも意味がない。この点でエネルギー論と地方分権論とはリンクし得る。
石炭や石油のようにエネルギーが高濃縮された資源は、発電所までの輸送や遠隔送電のロスに目をつぶることができた。同じエネルギー源を手に入れさえすれば、他国を模倣して「+アルファ」を付け加えることで競争力を向上させていくことが可能だった。エミュレーションモデルが有効に機能したのである。
しかし、自然エネルギーの利用を中心としたエネルギーシフト政策を考案する場合は、「マネっこ」思考から脱却しなければならない。自然エネルギー利用に、それは通用しないのだ。他国の取り組みがいくらスマートで魅力的に見えても、自然条件や人口分布などが異なる日本の地方都市に当てはめたところで、効果は薄いだろう。
オランダの広大な平地で何基もの風車が回る風力発電所の光景は、エコの象徴のようにも見える。しかし、それはオランダが低地で1年中、一定方向の風が吹くから有効なのであって、冬と夏とで風向きが異なったり、そもそも大して風の強くない地域でマネしたところで、上手くいくはずがない。
マネっこモデルも中央モデルも通用しない自然エネルギーの活用には、それぞれの地方で、気候・風土を知りつくしたローカルな人びとが徹底的に考え抜きながら、ボトムアップ型の政策形成を進めるしかない。その先にこそ、活力ある地方が点在する日本の目指すべき未来があると期待したい。
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