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[大機小機]水素社会という楽園
水素社会は魅力的である。水素は地球上に無尽蔵にあり、枯渇することはない。燃やしても水が出るだけで二酸化炭素は出ない。19世紀の科学小説家J・ベルヌは作品の中で、水は電気で分子に分解され「未来の石炭になる」と予言した。
昨年暮れトヨタ自動車は水素を燃料とする燃料電池車を発売した。安倍首相は施政方針演説で「夢の水素社会への幕が開いた」と宣言した。家庭用燃料電池の販売は10万台を超えている。資源エネルギー庁は「水素・燃料電池戦略ロードマップ」を策定した。水素社会到来のロマンが広がっている。
さて、水素は本当に環境にやさしいのだろうか。水素は自然界に単独では存在しない。水素を単体で取り出すには化学的な処理が必要となる。
水素製造の最も一般的な方法は水蒸気改質だ。天然ガスやナフサなどの化石燃料に水蒸気を反応させて水素を取り出す。石炭を高温でガスにして抽出する方法もある。いずれも製造過程では多くの二酸化炭素が出る。二酸化炭素ゼロというのは実は水素の使用段階のことである。だが夢を壊す話はあまり語られない。
もう一つの代表的製造方法は水の電気分解だ。しかし本をただせば電源の大半は化石燃料。太陽光など再生可能エネルギーか原子力でない限り、やはり二酸化炭素が出る。電気分解でいったん水素を作り燃料として使うなら、そのまま電気を使った方が変換ロスは少ないという指摘もある。
むろん水素の利点もある。最大の利点は貯蔵のしやすさだろう。水素を高圧で圧縮すれば大量にためられる。密度は通常の蓄電池よりも高い。燃料電池車の走行距離が長い根拠でもある。輸送ロスも少ない。海外で何らかの手法で大量の水素が造れるなら、圧縮して船で輸入するのは一つの選択肢となる。
欧米では自動車の環境規制がさらに厳しくなる。手をこまぬいていれば日本の自動車メーカーの優位性は低下する。燃料電池車への期待の背景だ。
だが地球規模の温暖化を思えば水素の製造段階も含めた冷徹な分析が欠かせない。社会全体では「ウェル・ツー・ホイール」(油田から車輪まで)が問われる。「元から断たなきゃ」限界がある。部分最適を超え全体最適を求めて、水素社会は楽園になる。
(横風)
[日経新聞4月10日朝刊P.17]
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