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夢かオカルトか…常温核融合に捧げる人生、科学者・水野忠彦(上)
2009年5月18日(月)10:00
太陽のような超高温、超高圧の環境で起きる水素の核融合を、試験管の中で実現するという「常温核融合(Cold Fusion=CF)」に研究者人生を捧げ続けている科学者がいる。元・北海道大学大学院工学研究科助教の水野忠彦・工学博士(63)だ。登場時に、夢のエネルギーともてはやされた常温核融合だが、実現不能あるいは疑似科学、オカルトと言う批判も付きまとい、評価が割れている。そのCFを約20年追い続け、3月に北大を定年退職した水野氏の半生と、その研究を追った。(寄稿:ジャーナリスト・田中徹)
■教授職より大事だった常温核融合研究
JR札幌駅の北口を出て、ホテルやオフィスビルの並ぶ通りを徒歩10分ほど。銀杏並木が続く北海道大学の北13条門を抜けると、ほぼ正面に工学研究科の建物がある。真新しいエントランスを入り、増改築を繰り返した建物を右へ左へ進んで2階に上がると、水野氏の研究室がある。
ラックには中性子の検出器といった計器類やパソコンがぎっしり並び、部屋の中央にはステンレス製の小型炉が鎮座する。水野氏がCF研究拠点としてきた部屋だ。研究資機材に7000万円は使ったという。そのCFは、多くの研究者や米国政府といった公的機関が「根拠がない」と否定している。
身長180センチを越え、威圧感を感じさせる姿とは裏腹に、水野氏は穏やかな口調で話し始めた。
「CFが学会などで否定されていることはもちろん承知しています。そもそも、実験に再現性がなく、追試できなかったのだから、否定されて仕方のない話です。再現できなければ、それは科学ではありませんから。私も過去、CFの研究はもうやめようと何度も思いました。『CFから手を引けば助(准)教授にしてやる』なんて言われたこともあります。でも、わずかでも核融合、核反応の証拠である中性子を検出したのは事実ですし、元素の原子核がほかの原子核に変わる「核変換」としか考えられない現象があったことも事実です。科学的事実を追究することは、私にとって教授という身分を得るよりも大事なことでした」
学会でも学内でも異端視されてきたCFだが、水野氏一人で研究が続けられるわけではなかった。「こんな装置がつくりたい」と相談すると、影で助けを出す教官や技官がいて、実験を続けることが出来た。
■すべては水素から始まった
水野氏は1945年(昭和20年)5月7日、北海道旭川市で生まれた。
ちょうど大学に進学する1960年代はじめころ、国の原子力政策が本格化し、北大など旧帝大や東工大に原子力系の学科ができた。エネルギー問題に関心を持った水野氏は、室蘭栄高校から北大工学部の応用物理学科に一期生として入学、原子炉や金属材料の研究に取り組んだ。
今でこそ、原子力研究は学生に人気がないが、当時は花形。1970年の大阪万博では、美浜原発から送られた電気が「原子の火」と持てはやされた。
「いまの私の研究はすべて水素との出会いから始まりました。水素は非金属元素であるにもかかわらず、金属と結合すると金属のように振る舞ったりします。それも、わずかな量でも金属に大きな変化を与えるのです。
宇宙では、中間子や中性子が集まって水素ができ、水素が核融合することにより、より重い元素ができていきました。水素は活性が高く、あらゆる元素と結合して水素化合物となります。ファンデルワールス結合という、電荷を持たない原子が水素原子を介することで静電結合する現象があります。水(H2O)がその代表です。水はすべての生命活動の基本です。物質も生命も、物事のすべての基本は水素だということもできませんか。物事の本質を探りたいと考えていた私にとって、水素はとても魅力的な研究対象でした。そして、水素というのは、いまだによく分からないものなのです」
すいへい、りーべー、ぼくのふね…。元素の周期表で最初に出てくる水素(H)は、元素の中で最も軽く、宇宙にほぼ無限に存在している。そして、ほかの元素とはやや異なる性格を持っている。
通常、原子は中性子と陽子(プロトン)で構成された原子核と、その周囲を回る電子で構成されているのに対し、水素(軽水素)の原子核だけは例外的に、中性子は無く1個の陽子だけでできているのだ。だから、水素原子はイコール、プロトンと言うこともできる。
「陽子のほか中性子や電子、光子など物質を構成する最小単位を素粒子と呼びますが、水素は原子としてより、素粒子として考えた方が理解しやすい場合も多いのです。条件によっては素粒子と同じく、『波』のようにも観測されます。極小の世界を扱う量子論の世界では、『トンネル効果』と呼ばれる現象が起きます。例えば、ボール(素粒子)が壁を通り抜けるような現象です。水素原子は極めて質量が小さく、量子論的トンネル効果による移動が頻繁に起きます。生体内でプロトンが移動することによって起こる神経伝達の尋常ではない速さも、トンネル効果で説明できます。水素は生命の発生や宇宙の構造にも関わっていて、まるで、忍者のような存在です」
こうして水素に取りつかれた水野氏の人生を変えたニュースが、1989年3月にあった。アメリカ・ユタ大学が水素の常温核融合に成功したというのだ。これが、水野氏の後の半生を決定づけたのだった。(下)に続く
夢かオカルトか…常温核融合に捧げる人生、科学者・水野忠彦(下)
2009年5月18日(月)10:02
1989年3月、アメリカ・ユタ大学化学化主任のスタンリー・ポンズ教授(当時48)と、イギリス出身でポンズ教授の指導者マーチン・フライシュマン教授(当時62)が「常温核融合」に成功したと発表した。この大ニュースは日本の新聞では、1段十数行の小さな記事で紹介されただけだったが、水野氏はさっそく追試と再現実験に取り掛かった。
■実験「成功」で騒動の渦中に
核融合とは、水素やヘリウムなど軽い元素の原子核同士が融合し、より重い別の原子核がつくられることをいう。
この過程で大量のエネルギーが放出される。例えば、太陽は水素の核融合により、毎秒6億トンの水素をヘリウムに変換し、年間で1.2×10の34乗ジュールのエネルギーを放出している。核融合が「人工の太陽」と言われる所以だ。
核融合のエネルギー変換効率(ε)は最大0.4%と非常に高い。
例えば原子力発電、ウランやプルトニウムなど重い元素の原子核を分裂させる核分裂のεは0.07%に過ぎない。それに水素は、宇宙にほぼ無限に存在している。そこから簡易にエネルギーを取り出すことができれば、環境問題は解決し、政治経済・産業構造は一変する。
しかし、核融合には太陽のような想像を絶する超高温、超高圧の環境が必要と考えられている。それを「常温」で実現したというのだから、大ニュースであった。
「水素の挙動にはまだ未解明のことが多いわけですが、その最大の謎が常温核融合現象です。ユタ大の発表『パラジウム金属を重水溶液の中で電気分解したら、大量の熱が発生し、同時にトリチウム、γ線も検出され、核融合反応が裏付けられた』というニュースを聞いた時は、「本当にあるのか!」と、とても驚きました」
「フライシュマンは、アカデミーの世界では有名な大先生ですから、その人が言うのだから本当だろうと… その際、何らかの核融合反応が起きているのであれば当然、中性子が発生しているはずだ、だから中性子を計測すればどんな反応なのか分かるはずだと考えました」
ユタ大の発表当時、水野氏は助手(当時)になっていた。追試は、Li(リチウム)を加えた重水でパラジウム(Pd)を電解する方法で、当初こそ「異常な発熱」も中性子も観測することはできなかったが、1か月後、わずかながら中性子が観測されたという。
この結果は、ややオーバーな見出しながら「北大工学部 常温核融合の追試、成功 わが国初、中性子を検出」(1989年6月3日北海道新聞)などと報道され、取材が殺到。水野氏はCF騒動の渦中の一人となった。
しかしその後、世界各地の研究者による追試で、CFは再現されなかった。北大でのさらなる追試でも思うような結果は得られず、米国政府はユタ大の発表から半年後、CFを否定。研究は世間から忘れられたが、水野氏は実験を繰り返していた。
■奇妙な現象に遭遇する
そして、奇妙な現象に遭遇する。ユタ大の発表から7年後の1996年5月のことだった。
「完全に密閉して、不純物など絶対に入らない構造のガラス製のセル(筒状の容器)に軽水と高純度白金の触媒を入れ、Pdを3か月間、数10mAの電流密度で電解した時です。セルの底には細かい黒い砂のような沈殿物がありました。
最初はなんらかの理由で入り込んだ不純物かと思いましたが、何度やっても同じように出てくるのです。それで、沈殿物を分析したところ、それは主に鉄でした。実験前には鉄なんてどこにもありませんから、なぜだろう、何だろうと」
鉄を詳細に分析したところ、元素の同位体分布が自然界と大きく異なっていたことが分かった。なんらかの核的な反応が関わっているとしか考えらなかった。結果は1996年、「カソード電解によって励起されたPdの析出元素の同位体異常」という論文にまとめられ、1996年、学会誌に掲載された。
■竹槍でB29を打ち落としたような実験
最初、論文はいくつかの海外のジャーナルに投稿したが、「化学的な反応による核的な変化を扱った論文は採用できない」「理論的な記述がない」という反応だった。「推論である」と但し書きをつけて書き直しても、「その理論がおかしい」と受理されなかった。最終的に、日本の電気化学会誌が受理した。
「ただ、掲載された後も、化学実験で核変換があるのではないか、という趣旨ですから、周囲からは『よくこんな論文が通ったな』と言われましたよ。『化学実験で核ウンヌンなんて考えられない』と変人扱いです。私もそう思っていました(笑)。化学的実験で核変換を起こしたなんて、竹槍でB29を打ち落としたようなものですからね、実際…」
水野氏は、CFとは、原子核がほかの原子核に変化する「低エネルギー核変換」ではないかと考えるようになった。「常温」という表現で誤解されやすいが、水野氏の実験でも、「核変換」の環境は60から100気圧、数百度の温度で行われている。
そして定年直前の2008年6月、簡易炉を使った実験で、通常の化学反応では起こりえない発熱とγ線を検出したという。
■常温核融合を否定した学会から招待が…
最初にCFを否定したアメリカ化学会(ACF、世界最大の化学系学術団体)が2008年、Low-Energy Nuclear Reactions Sourcebook(低エネルギー核変換資料集)を出版。ACFは3月、CF発祥の地であるユタ州ソルトレイクシティーで学会を開催し、水野氏は招待講演に呼ばれた。同様に、アメリカ物理学会からも論文の執筆依頼があるという。
「CFの最大の難点は、再現性の悪さです。条件設定が非常にデリケートなのです。ただ、実験道具などの技術も進歩し、再現性も最近はだいぶ向上しています。ACFの姿勢など、CFを取り巻く環境変化の背景には、そうした面もあると思います」
「『常温』という言い方に偏見があることは承知しています。一般に、核融合には100万〜1000万℃の環境が必要と言われますから、これに比べれば、はるかに『低温』ですけどね。
いずれにせよ、低エネルギー核変換は事実だと確信しています。低エネルギー核変換は、エネルギーを得るだけではなく、不安定重元素を安定元素に変えるなど、例えば放射性廃棄物の処理などにも応用可能な技術です」
「『CFもしくは低エネルギー核変換は夢物語』など、性急に結論を急ぐべきではないと思います。私は35年以上、学生と付き合ってきましたが、昔も今も、彼らの向学心や希望は変わってないと感じます。後に続く人のためにも、CF研究を発展させたいのです」と語る水野氏は、定年後も特任助教として大学に残り研究を続ける。また、水素技術を応用開発するHEAD(ヘッド)という会社も立ち上げるという。水野氏の常温核融合への思いは、変わることなく続いている。
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田中 徹(たなか・てつ)
ジャーナリスト 1973年、北海道小樽市生まれ。95年、早稲田大学社会科学部卒後、地方紙記者に。これまで警察、遊軍、教育・大学、テレビ局派遣などを担当。現在、地方支社勤務。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/life/science/gooeditor-20090518-02.html