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今は400年ぶりの文明の大転換期であり、化石燃料文明から太陽エネルギー文明への転換である。アメリカから日本への覇権の移行
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/112.html
投稿者 TORA 日時 2009 年 5 月 09 日 14:28:30: GZSz.C7aK2zXo
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu191.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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今は400年ぶりの文明の大転換期であり、化石燃料文明から太陽エネル
ギー文明への転換である。アメリカから日本への覇権の移行期にあたる。

2009年5月9日 土曜日

◆切り開け!電気自動車社会 清水 浩(慶應義塾大学教授)
http://voiceplus-php.jp/archive/detail.jsp?id=96&pageStart=0

そもそも今回の金融危機がなぜ起こったのかといえば、これは温暖化問題やエネルギー危機の問題と根は一緒である。つまり、いずれも第二次産業革命の予兆なのだ。第一次産業革命で生まれた技術がそろそろ限界に来て、温暖化の問題や石油枯渇などネガティブな話が出てきた。20世紀を豊かにしてきた技術が終わりを迎えたわけだが、それに代わる技術が何かが見えなかったために、何をすればよいかがわからず、アメリカを中心にマネーゲームに走ることになった。しかし実体経済のないところに本当の意味の金融はありえない。それが案の定、破綻したのが1990年から2008年の動きだったのである。

 ここは原点に返り、実体経済をどう動かしていくかに戻るしかない。では、どこをめざすべきなのか。

 20世紀はたしかに非常に豊かな時代であった。だが、その恩恵を受けたのは世界人口の約1割の先進国の人びとだけである。これからやってくる第二次産業革命は、世界中の人に恩恵を与えられるパワーと可能性をもつものでなければならない。石油枯渇を解決し、温暖化を解決する技術が求められるのである。

 社会を支える基盤は、結局のところエネルギーである。第一次産業革命では、それは化石燃料であった。だが今後は、それが太陽になる。

 本誌平成20年6月号で詳しく述べたように、世界の陸地面積の1.5%に太陽電池を張れば、世界中の人がアメリカ人と同じくらいエネルギーを使っても大丈夫なほどのエネルギーを供給できる。この、いわば無限のエネルギーへの転換に立脚して、モノづくり、交通、建築、農業、と次々と変化が起きてくる。そのうえでサービス産業が変わり、さらに知的産業が変わってくるだろう。

 クリーンで無尽蔵な太陽エネルギーであれば、世界中の人がこの恩恵を得られる。すると、貧困がなくなる。貧困がなくなると人口爆発がなくなる。経済格差のない豊かな暮らしが実現すれば、紛争も必然的に減る方向へと向かうだろう。

 いま多くの人が、21世紀は暗いと考えているようだ。だが、それはこのような技術の可能性が見えていないからだ。じつは21世紀はとてつもなく大きなチャンスの時代なのである。

 そしてこれは日本にとっても、きわめて大きなチャンスである。新しい革命的技術の鍵をいずれも日本が握っているからだ。太陽電池はアメリカで発明されたが、産業化したのは日本である。また、太陽電池は夜間には発電できず、発電量も天気によって変動するため、電気を蓄えて使わねばならないが、その技術としてもっとも有望なリチウムイオン電池は1986年に吉野彰氏が発明したものである。電気駆動の鍵となるモーターの性能を格段に向上させるネオジウム鉄磁石は1982年に佐川眞人氏が発明した。このようなさまざまな基礎技術を日本人は発明し、製品化してきたのである。

 これだけの技術があれば、日本はこれから何倍でも経済的に豊かになれるだろう。何倍でも豊かになるということを前提に考えれば、年金問題などへの考え方も変わってくるだろう。むしろ技術という宝を、易々と外国に売り渡さずに、日本の利益になるような戦略を考えるのが重要なのである。産業界も政界も、この変化をどのようにしてうまく導いていくか、きわめて重要な局面なのである。(中略)

ガソリン自動車をつくる体制のままで電気自動車にシフトするのは無理がある。作り方も違うし、部品の集め方も違う。さらに売り方も違ってくるはずだからだ。だが、クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』という本によると、既存の産業が自ら、原理の異なるいわゆる破壊的な技術を取り入れるのは非常に難しい。

 これを打開する唯一の方法は、クリステンセンも述べているように別組織をつくることである。思い切って別会社をつくることが、大自動車メーカーが生き残る有力な方法であろう。日本の企業が早くそのような決断をすれば、今後も世界一を維持できるだろう。技術の問題よりも、政策の問題、会社の方針の問題だと私は思っている。

 今後、電気自動車はどのように発展していくだろうか。世界中で電気自動車の研究者は1000人以上いるが、そのほとんどが部品の研究であり、電気自動車の車体をゼロから作り上げることを志向している研究室は、おそらく私のところだけである。というのも、ガソリン自動車の改造車なら数百万円レベルでできるが、ゼロからつくるとなると、桁が2つぐらい違ってくるからである。

 いままで私は幸いなことに、8台の電気自動車をつくることに関係してきた。電力会社や製鉄会社、住宅メーカーをはじめ、さまざまな会社との共同研究を進めさせていただけたし、国の予算でということもあった。それで「Eliica」にまでたどり着けたわけだ。

 だが、試作品ができたからといって、もう商品化が目の前だと思うことはできない。大事なことは、試作品から商品化へのいわゆる「死の谷」を越えることで、信頼性と耐久性と安全性とを担保できるような開発をし、試験していかなければならない。それには、試作車とはまた桁違いの費用が掛かる。

 そのような死の谷を越え、「Eliica」の延長線上の自動車を今後市販化できたらいいと思う。大勢で乗ってもポルシェ並みの加速が体験できるようなバスのような車をつくるのも面白いと思っているし、逆にスクーターほどのサイズで、高い走行性能と居住性を両立させた車をつくってみたいとも思っている。日本のいずれかの自動車メーカーとコラボレーションしながらやれればいいと思うのだが、なかなかメーカーが振り向いてくれず、残念ながら実現していない。

 電気自動車は2009年に三菱自動車と富士重工業から、2010年ごろに日産から販売されるという。そこで一気に景色が変わってくるかどうか。それは未知数である。過去にも1980年代と1990年代の2回、電気自動車を普及させようという動きがあった。その2回とも、少し売れてすぐに普及が止まった。1980代には排ガス規制とエネルギーショックの余波があって普及させる動きがあったが、ユーザーにとってコストパフォーマンスのいい乗り物でなかったので、尻切れトンボで終わった。1990年代には、カリフォルニアで販売する自動車の10%は電気自動車にしなくてはいけないというZEV(ゼロエミッションビークル)規制ができ、93年以降世界の各社から電気自動車が売り出された。しかし、その法律が結局施行されなかったのでブームが去った。

 90年代といまでは、基本コンポーネントが変わり、モーターにネオジウム鉄磁石が、そして電池にリチウムイオン電池が使われ、大幅に性能が上がっている。しかし、直近に販売が予定されている電気自動車は、割高であることと、距離があまり長く走れない点は解決していない。よくなった部分を評価するユーザーが増えて安定的な購買層となっていけば、普及していくだろうが、この値段でこの機能では無理だと思う人が多ければ、産業として成立しない。この半年で電気自動車の話題がたくさん聞かれるようにはなったが、それがどう作用するか。

 国の施策としては現在、電気自動車を買うときの補助金制度がある。これは今後も強化されるだろう。本来、いちばんいいのは、試作品から商品化への「死の谷」を越える費用を国が補助することだが、特定の会社のメリットになるようなことは政策上できないというのが、当面の公式回答である。(後略)


(私のコメント)
今起きている世界的な金融危機や地球温暖化問題は、根の部分では繋がっている問題であり、アメリカ発の金融危機はアメリカンスタイルの文明が破綻しつつあるから起きた出来事だ。大きな家に住み大きな庭と大きな自動車がアメリカ人の生活を支えていた。しかし石油の高騰はアメリカスタイルの生活を根本から破壊する出来事であり、去年の石油の高騰はその第一波に過ぎない。

広い家と広い庭と広い道路は豊かさの象徴ですが、買い物一つするにも車で出かけなければ出来ない。中世からの歴史があるヨーロッパなどでは五階建ての石造りのアパートと曲がりくねった細い道を通って市場や教会などに通う都市生活がありましたが、アメリカが生み出した石油と自動車の文明に圧倒されてヨーロッパからアメリカに覇権が移った。

21世紀はヨーロッパの復権も予想されていますが、地球温暖化問題はヨーロッパが一番熱心に取り組んでいる。しかし広く見ればヨーロッパも石油と自動車の文明であり、日本もその一員に加わって先進国としての豊かさを得る事が出来た。特に日本は石油の9割を中東からの供給に頼っており、巨大なタンカーが日本に石油を運んでいる。

しかしこのようなシステムは長くは続かないのであり、去年の石油の高騰はその前兆現象だ。アメリカやヨーロッパや日本などの地方においては自動車なしでの生活は出来なくなっており、ガソリン価格の高騰はパニックを引き起こした。これが金融危機が起きた原因の一つであり、400年に一度の文明の転換期が来ているのだ。

古代から中世にかけてはアジアや中東が一番繁栄した時代ですが、薪などが燃料になっていた。だから古代文明は赤道に近い大河の岸辺に出来たのであり、太陽と水が豊富な場所に文明は発生した。太陽と水が豊富なら薪も豊富に取れるから燃料も恵まれていた。ヨーロッパは寒村があるだけで中東のような豊かさは無かった。

ヨーロッパが本格的に豊かになったのは、大航海時代から石炭と蒸気機関が出来た産業革命以来であり、帆船から蒸気船によって海を支配してアジアからヨーロッパに覇権が移ってしまった。アジアには石炭はあったが蒸気機関を作る事が出来ず、産業も交通も遅れをとっていった。アジアで唯一近代化に成功したのは日本ですが自力で蒸気機関を作る事が出来たからだ。

さらに石油の大量発見によって、燃料と交通手段が飛躍的に進歩して、石油の豊富なアメリカが自動車や船や飛行機の活用によって世界的な大帝国となり、20世紀はアメリカの世紀と呼ばれるだろう。アメリカの最盛期は1971年の頃でありオイルショックやニクソンショックがその転機になった。そして2008年までは金融や情報産業で国力を維持してきた。

アメリカのイラク侵攻は石油を獲得する為の戦争ですが、それは最後の悪あがきであり国家の衰退を早めるだけになりそうだ。大銀行の倒産やアメリカを象徴するような自動車会社の倒産は「アメリカの時代の終わり」を象徴するものであり、欧米先進国による化石燃料による文明の黄昏だ。

次の文明はどのようなものになるかは分かりませんが、太陽エネルギーを一番上手く活用した国が世界の覇権を握る事になるだろう。しかしそれは先の話であり具体的な姿が見えていない。なにしろ去年になってアメリカ文明の終わりが始まったばかりであり、アメリカが化石燃料の文明から太陽エネルギーの文明に転換できれば、アメリカは再び世界の覇権を維持し続けるだろう。

しかしアメリカがそうなる為にはアメリカ人の生活スタイルを180度変えなければならず、ヨーロッパや日本との技術開発競争に勝たなければならない。アメリカは軍事力も巨大ですが石油が枯渇すればアメリカ自慢の原子力空母も航空機戦力も立ち枯れして、ソ連のように原子力潜水艦の解体費用も無くなり日本がその費用を負担する時が来るかもしれない。


◆化石燃料枯渇後展開する太陽エネルギ−による文明 正義とは何か、人類と未来
http://www.mb.ccnw.ne.jp/hisao11/page.25.html

6-1 産業革命後発達した現代文明は消失する

産業革命後発達した文明の柱は科学で得られた知識と少量の労力で掘られ汲みあげられ、無尽蔵と考えていた化石燃料を使用する技術を結びつけたもので、より人力を省き,性能向上,快適,便利,速さと人類の領域拡大を追求し、果ては宇宙への進出まで手を広げてきた。

これらはすべて不可能となり、今後作る文明は太陽エネルギ−を広い平面で受け取り込む作業から生ずる。9000年前人類は太陽エネルギ−を農耕により穀物等として採ることに成功した。これが文明の始まりであったが、今度は加えて直接太陽エネルギ−を耕作の様な形で獲得し、生活を長期に豊かにする第二の文明を開くことが出来る。

太陽光のエネルギ−で水素等を作り現在の文明を続けることは可能であるが貴重な太陽光をどこに配分するかが問題になる。化石燃料は濡れ手に粟を掴むように簡単に得られたので使い放題であった。太陽光は量があっても手にするまで労力がかかるので、生活の快楽に使用することは少なくなり生存の為優先度が重要視され倫理上の検討も必要となろう。創るべき豊かさとは何かが問われるだろう。従って今まで得られた科学はそのまま存続し知の追求は何処までも行われるが、これまで作られた物質文明は自然崩壊する。

6-2 現代の軍事力が消滅する

利害の対立と争いは今後も消滅しないが、第一次,第二次大戦やボスニア,ユ−ゴ-スラビア,アフガニスタン,イラクで行われた様な大規模な軍事行動は不可能になる。銃,砲,火薬の発明は産業革命後規模が大きくなりヨ−ロッパは疲れ果て、相争うのを忌むようになった。

アメリカは今唯一つの超大国として思いのままやれるようでも、そう事が運ばない。一つの方法,一つの勢力で世界を占めるのはかえって不安定で、世界は常に多様性を要求し其の中から安定した形が選ばれる。

現在の軍事力の基礎になる兵器はすべて化石燃料により鉱石採取,精錬,加工の工程が行われ、使用もまた化石燃料で運用される。関連して使用される車両その他兵器関連ばかりでなく、軍事力行使の大きなシステムなどに全て化石燃料が必要でありその量の差で勝敗が決まる。化石燃料が枯渇したら現代の軍事力は消滅する。

中でも最大の消滅は核兵器である。化石燃料なくして核は製造維持出来ないし、やっと作ってもミサイルを作るのにも発射するにもまた化石燃料が要る。勿論太陽エネルギ−をもとに核, ミサイルを作り発射可能であるが、核で守るべき社会の変質が大きく、化石燃料で行うより遥かに高いコストの核など意味がなくなる。航空機,ミサイル,戦車,火砲など戦争兵器に太陽エネルギ−をつぎ込んで作ることも、核と同じく中止するであろう。日常の市民生活を維持するのに手いっぱいでそこまで手を回せない。

6-3 新しい文明が要求される

社会生活 太陽光をエネルギ−として取り出すには石油,天然ガスを地下から取り出すより手数のかかる仕事が必要である。太陽光を先ず電力に変換し、場合により液体燃料,固形燃料にするには同じエネルギ−を石油,天然ガスで得るより遥かにコストがかかる。プラスチックに至っては恐ろしく高いものになるだろう。交通機関の高速,快適にも疑問が向けられ、生活の利便さに大変な労苦を投じて得たヱネルギ−をどこまで投入するか検討し、新しい合理的な豊かさを追求する事になろう。想定はし難いが高速移動,自家用車などは激減しネット社会はより充実し交流は緊密になるであろう。冷暖房は衰えることなく、農耕機械,肥料にも惜しみなくエネルギ−が使用される。

人が生存する為より直接影響する方面に充分使われ、便利とかただ快適だけでは使われないと思う。

国家間の関係変化 太陽光は両極に近づくほど弱く、赤道に近いほど強い。砂漠地域は太陽光採取に最適である。

以上の事実は太陽光を地球上でエネルギ−化しようとすれば、従来の国際関係では困難で新しい取り組みを必要とする。


(私のコメント)
このように未来の文明は太陽光と水が豊かなアジアに文明の中心が移るだろう。ヨーロッパは化石燃料で文明を築いたが太陽光に恵まれていない。アメリカや中国は広い国土を持っているが内陸部には水が無く砂漠化が進んで広大な国土が生かせないだろう。日本は太陽エネルギーが豊富であり水も豊富だ。海岸線も長く領海も広い。

ゴールドマンサックスは中国やインドやロシアやブラジルなどを新興国としてあげているが、いずれも大陸国でありアメリカ型の文明には向いているが太陽エネルギー文明に向いているだろうか? 沿岸部はいいが内陸部は河が無ければ水も無く水素も酸素も作れない。むしろ日本から台湾やフィリピンやインドネシアにいたる海洋アジアが世界文明の中心になるのではないだろうか? そこは太陽も水も豊富な地域だからだ。


 

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