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【Web連載】「市民がつくった電力会社」第3回
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市民がつくった電力会社 ドイツ・シェーナウ電力会社の草の根エネルギー革命
田口理穂(ハノーファー在住)
(3)送電線を市民が買い取る
「訴えられないだけありがたいと思え」――大手電力会社KWRとの対立
当時シェーナウ市に電力を供給していたKWRは、正式にはラインフェルデン電力会社(Kraftubertragungswerke Rheinfelden AG)といい、頭文字を取ってKWRと呼ばれる。
同社は1894年に設立され、1898年には当時ヨーロッパ最大のラインフェルデン水力発電所を稼働させるなど、南ドイツの周辺地域に電力を供給してきた。しかし1959年にはフランクフルトの原子炉関連会社に出資したのをはじめ、他の原子力関連の企業にも出資。スイスのふたつの原発にもそれぞれ数%だが出資していた。
KWRに電力供給を委託する以前、シェーナウ市は自前の水力発電所を持ち、68年間独自に電力を供給してきた。しかし、金銭的メリットが大きいと1974年に、送電線や変圧所などすべての設備を60万マルク(3600万円)でKWRに売却していた。
KWRは市の独自の電力源であった水力発電所を放棄し、シェーナウの住民はKWRによってよそから送られてくる電力で生活することになった。電力供給に携わっていた市の職員はKWRへ移籍し仕事を続けたが、当時の社員のひとりは「水力発電の廃止はつらかった」と語る。結果として、市民が使う電力の4割は原発からのものになった。
KWRは1990年8月、契約期間が94年まで残っているにもかかわらず、電力供給契約の早期更新を市役所に申請した。新たに20年の供給契約を結べば、契約料として10万マルク(600万円)を市に支払うという。市民による省エネ活動や、原子力のない街づくりの運動に、KWRは危機感を抱いたらしい。市民が節電するということは、電力の売り上げ減につながるため、KWRは苦々しく思っていた。
もともと供給契約をするさいに、一般家庭からの年間収入の3%、商工業からの1%を契約料として市に対して支払うことが法律で決められている。しかしその年の5月、経済省は「人口3000人以下の市と契約を新たに結ぶ場合、5%支払ってもよい」と決定した。それに基づきKWRは、シェーナウ市がいますぐ契約更新をすれば5%の支払いになるため、差額分が余分に入ると市に持ちかけたのである。
市民団体のメンバーたちはKWRに話し合いを求めた。原発に出資し、原発の電力を扱うKWRだが、シェーナウ市に対してだけでも、環境に配慮した電力供給をしてくれないかと期待したのである。シェーナウを未来のエネルギーモデル都市にしてはどうか。原子力ではない電気を供給し、地元の太陽光や水力発電所を活用し、省エネキャンペーンをおこない、節電が報われる料金体系にすること。これが市民団体のアイディアだった。
しかしKWRは「エコロジカルな指針に配慮してくれだって? 自治体との契約書はどこも同じ。一字一句、点と丸までだ」と、市民の申し出を歯牙にもかけようとしなかった。ミヒャエル・スラーデクは、KWRとの共同出資で新たな会社をつくることまで想定していたが、KWRは相手にしなかった。
当時独占企業だった電力会社は、いまからは考えられないほど立場が強かった。市民の要望を聞き入れる理由などつゆほどもなかった。市民の省エネ運動について、KWRは「わが社は電力を売って商売をしているんだ。営業妨害で訴えられないだけありがたいと思え」と言ったという。
「KWRが協力的だったら、いまのシェーナウはなかったでしょう」とウルズラは振り返る。「われわれの他に、電力を供給できるのは誰もいない」という言い方に、独占企業の傲慢さを見た。けんもほろろの態度に、市民たちも考えを変えた。「それなら自分たちがやろう」。これまでせっかく取り組んできた試みがすべて無にならないよう、自ら環境にやさしい電力を供給しよう。そのためには市から供給権を得ること、そしてKWRより送電線を買い取る必要がある。
まずはKWRと市の契約更新を阻止すべく、90年11月に新聞広告で賛同者を募った。
なぜ送電線を買い取るのか
1998年の電力市場自由化以前は、送電線を所有していることは、その地域の電力供給を牛耳ることを意味した。送電線を所有している者だけがその地域に電力を供給できたため、日本と同様、独占市場となったからである。
シェーナウ市民が電力供給をするにはKWRから送電線を買い取るしか方法がなかった。当時、送電線買い取りは、地域のエネルギーシフトに欠かせないものだったのである。
0年11月30日に、市民31人が5万マルク(300万円)を出資して「シェーナウ送電線買取社」を設立した。送電線を買い取り、水力発電やコジェネレーションなど、再生可能エネルギーを推進するためだ。KWRとは全面決戦の構えとなり、メディアは大会社に歯向かう小さな組織を「電気抵抗者(Stromrebellen)」と呼び、対立の構図を書き立てた。
シェーナウ送電線買取社は、KWRが市に提示した早期契約更新の割り増し分と同額を市に提供することに決めたため、市はKWRとの契約更新を急ぐ必要がなくなった。現在の供給契約が切れるまで、シェーナウ送電線買取社とKWRのどちらから電力を買うか、市はじっくり検討する時間ができた。
こうしてKWRとの契約更新を阻止することができたが、市に同額を支払わなければならない。1年あたり3万マルク(180万円)必要なため、今後4年間、毎年100マルク(6000円)を出資してくれる市民300人を見つけることにした。将来、送電線の買い取りがうまくいったら出資金は利子をつけて戻ってくるが、うまくいかなければ損失となる。4年で400マルク(2万4000円)になるため、協力者があらわれるかどうか不安だったが、ふたを開けてみると6週間で282人が見つかり、年間3万2000マルクが確保された。
市民が電力供給をしたがっているということについて、市長も賛同してくれるだろうと期待していたが、それはまったくあてはずれだった。当時の市長リヒャード・ベーラーは、「主婦、医者、教師、技師の集まりで何ができる。100年も電力を供給しているプロの会社があるのに、どうして素人から買わなければならないのか」という返事だった。
翌年1月になっても市議会はまだ、どちらにするか決めかねていた。幸い全国からメディアの注目が集まっていた。市長は本気で受け取っていなかったが、メディアを通じたプレッシャーがあったため、シェーナウ送電線買取社による電力供給が本当に実現可能か、計画書を提出するよう要請した。法的、技術的、財政的な面をクリアし、どのように環境にやさしく安定した供給を可能にするのか、わかりやすく示す必要があった。
スラーデク夫妻をはじめ、市民団体の関係者で電力の専門家はひとりもいない。人づてに4月、ヴォルフガング・ツァンダーと知り合った。若きエンジニアだがエネルギーコンサルタント会社ベットを経営し、博士号も持っている。大きな収入にならないとわかっていながら、ツァンダーは仕事を引き受け、5月には600ページにわたる計画書を完成させた。
この計画書はバーデンヴュルテンベルク州の自治体審査会でも高く評価された。そして、選択肢はひとつよりもふたつあるほうがよいので、双方じっくり吟味するようにと市にアドバイスした。エコロジカルな観点、市民参加、分散型、電力供給の公共化という柱に加え、経済的であり、実現可能であることから、シェーナウ送電線買取社との契約を暗に勧めたほどである。
91年6月の全国紙『ツァイト』による記事「電圧下の街」(Spannung は電圧とも緊張とも訳せる)により、シェーナウ市民の活動は全国に知られることになった。大手独占企業特有のKWRのやり方に、全国から批判が高まった。
KWRは7月3日、20年ではなく14年と契約期間の短縮を申し出る。これにより市議会が決定しやすくなるだろうと踏んだのである。91年7月8日、KWR支持派の市長ベーラーは、KWRの要望を受け入れるべく、市議会の議題にかけた。原発を長らく支援してきた保守のキリスト教民主同盟(CDU)の全議員が賛成するなど、7対6のわずか1票差で、KWRとの契約更新が決まった。
市民投票で世論を問う
送電線買い取り派にとって、市議会で賛同を得られないことは想定済みだった。議員の所属政党と顔ぶれで大体は予想できる。シェーナウ市の条例では、有権者の10%が賛同すれば、市民投票をおこなうことができる。市民団体は「市議会の決定に市民は同意していない」とし、異議を申し立てた。
いまでこそ市民投票は珍しくないが、1991年の当時、シェーナウでははじめてのできごとだった。反対派の議員が「市民投票なんて、まったくもって民主主義に反する!」と言ったほどだ。
翌日から署名集めを開始。8月2日に、必要分の倍となる559筆の署名が集まった。
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内容説明
南ドイツの小さな町シェーナウで、チェルノブイリ事故を受け立ち上がった親たちの反原発運動が、電力の地域独占体制を打ち破り、
ドイツ初の自然エネルギー専門電力会社を生んだ。フクシマ以後の日本の進路を照らす希望の物語。
「ウルズラ・スラーデクさんが目指すエネルギー会社は「社会的企業」。私も同じ思いでやってきました。」
南ドイツの小さな町の反原発運動が、ドイツ屈指の自然エネルギー電力会社を生んだ。フクシマ以後の日本の進路を照らす希望の物語。
市民がつくった電力会社 ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b103037.html
http://www.amazon.co.jp/dp/4272330764
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