やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 2016年3月11日 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5今回の記事は、何かあった時のために先の稿と共に、それぞれできる形で永久保存扱いにしておいたほうがよいかもしれません。 皇后陛下とGHQとの癒着の根っこが明らかになりました。 現代の日本における、あらゆる国家弱体化・破壊要素は全て、在日さえ含めてGHQ発です。皇后陛下はGHQ施策の極めて具体的な体現者です。 ◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76 ↑ 国会で美智子さんの出自と、成婚の陰謀、そして皇太子(今上)の不出来ぶりが、厳しく追求された極めつけの史料です。 ◆なんと、社会党が支援していた美智子さま http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/113f75c1f2919bd0cc381ceee34452c1 ◆皇后陛下は「アカ」でした http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c1d3f5e7a9593118391c92ad90752bac かねてより、拙ブログでは正田美智子さんの入内がGHQによる、日本/皇室弱体化施策の一環であることを、推論として検証してきました。 また、余剰小麦粉を敗戦国日本に売りつけたい希望がGHQにあり、そのために日清製粉と結びついたことも。 GHQが日本弱体化のためにプロテスタントとカトリック問わず、キリスト教をそのツールに使ったことは事実です。 そういう意味で、カトリック背景でまた実家が粉を扱い、また一説には「ある出自」の美智子様は、満点以上のお后候補ではありました。これ以上望めぬ日本と皇室弱体化・破壊の尖兵候補ではありました。 彼らの狙いは実に正しく、美智子さまは皇室内の伝統を次から次に破壊、現在は天皇陛下を率いた女帝として、 愛子さまを皇太子の次の、皇位継承権者として女性天皇の擁立を強く主張、天皇陛下もそれに従っていらっしゃいます。 他に、朝鮮式挨拶コンスふうの宮中導入、お手振りを天皇より高い位置で、肩並べて歩かれ時には天皇より先に立って歩かれ、天皇陛下が語っていらっしゃる間の低頭廃止を、徐々に巧妙に。また控えめながら自らの思想の披瀝。 日の丸と君が代忌避。自衛隊の制服嫌悪、ということは自衛隊の否定。GHQ憲法ともいうべき現憲法の擁護者であり、GHQメンバーや、一条の会という憲法護持の左翼者との親交他。 20150203.館林の日清製粉ミュージアムと正田記念館内外部CX-535 https://www.youtube.com/watch?v=CA9Nht0Bo30 こちらに正田家と、GHQ派遣のアップルトン女史との密着ぶりが残っています。 女史は館林の正田家をわざわざ訪れています。
当時の敗戦国の国民である日本人が、GHQ関係者を「自宅招待」というのは凄いことでしょう。
正田家は、商売人なので関係はないとはいえ、当時愛国者は軒並みGHQから追放されていた時代です。 外務省内でも、愛国者は追われるか隅に押しやられ、GHQの意向通りに反日を貫く者が出世していた時です。雅子妃の実父小和田恒氏がその筆頭格ですね。 雅子妃の背景を知るにつけ、なぜこのような頭も性格も悪い皮膚病持ちの出自も清らかではないお方が入内を?(おまけに身内に精神病者がいるのに)と不可解だったのですが、結局GHQという大きな潮流の中の、美智子さまから雅子様への系譜と捉えると、クリアに視えて来るものがあります。因縁めくことには、お二方とも日本人の健康破壊に関与した第一第二水俣病に、つながっていらっしゃいます。現代では日清製粉の遺伝子組み換え小麦粉が、日本人の健康破壊。皇后は敗戦時から今まで、日本人の健康破壊者とご縁があります。 野田醤油の工場を訪れたアップルトン女史。右端は日本醤油協会会長・正田文右衛門氏(1948年8月)
正田文右衛門は、正田醤油の創業者です。文右衛門も日本人としては相当に高身長。正田一族、それと母の冨美さんも当時としては図抜けた背の高さ、兄妹共に。ただ一人美智子さんだけが小柄。(当時の日本人としては、 平均ですが正田の中では、一人だけ極端に小さい) 日本本来のものである醤油から、小麦粉への新たな進出。 敗戦国から戦勝国アメリカへの擦り寄りが日清製粉です。
美智子様の入内直前に、国会でその入内ぶりの不可解な動きを追求されています。その一つが新平民、つまり部落出身ということの ほのめかしです。拙ブログではその点は断定していず、保留状態です。 ただ、正田家が新平民ではなくても、母方はどうでしょうね。 正田家が、部落と密着した存在であったことは事実。 美術館には正田家の、家系図まで麗々しく掲げられています。 1873 明治6年12月 ・正田文右衛門(三代)醤油醸造創業 ※1 1891 明治24年7月 ・帳簿組織を改め複式簿記を採用 1900 明治33年1月 ・合名会社正田文右衛門商店設立 1908 明治41年10月 ・正田式麦煎機特許取得 1910 明治43年2月 ・正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社 この年譜で目を引くのは、「正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社」
「正田稲荷神社」とは? これは稲荷神社ではなく、白山神社ではなかったかと思うのですが? なぜ稲荷と書くのでしょう? 白山神社は、部落の人々の信仰対象でした。 (信仰者即穢多非人というわけではありません。) 「目車町」は、皇后を部落の出として書いた被差別部落出身作家の上原善広氏によれば非差別地区だということです。 ⇒ 調べました http://www.shoda.co.jp/knowledg/bunkazai.htm
正田醤油は明治6年(1873年)今から140年前に創業いたしました。 また、正田家が群馬県館林市のこの地に移住してきたのはそれ以前のことで、300年程ここにいることになります。 そのためか、この敷地の中には醤油業をはじめる前のもの、例えば文政11年(1828年)に建てたという『正田稲荷神社』、現在は『正田記念館』として現在にいたるまでの資料が陳列されております嘉永6年(1853年)に建てられた店舗、そして江戸末期にたてられた文書蔵などがあります。これらは全て登録有形文化財に指定されていますが、古いものはなるたけ壊さずに残しておこうという気持ちは以前よりございました。 【正田稲荷神社】 もともと目車町(現・栄町)の鎮守であったが、明治43年(1910年)に正田家が目車町より譲り受けた。
以後、正田稲荷神社として栄町および当社の守護神として祀られている。例祭は2月の初午である。御社と本殿からなり、御社の創建は館林城築城天文元年(1532年)以前といわれるが定かでない。文政11年(1828年)、安政6年(1859年)の2度の再建を経て今日に至る。 ・・・・・・・・・・・・ここまで 画像二枚目の神社さんがネットでは「白山神社」として、認識されている祠だと思われますが、いったいなぜ稲荷が白山神社に変貌? 仮説が一つあるとすれば、目車という被差別部落にあった神社さんの移転なので、穢多非人という人たちに多く信仰されていた白山神社さんと勘違いされた? 念のため、白山神社さんの ご神体を調べましたがお狐さんではありません。 更に白山神社は全国に散らばっていますが、そこが全部被差別部落だということではありません。穢多非人の人たちだけの信仰対象でもありません、念のため。 由緒正しいお家柄なら、なぜわざわざ穢多非人村に越していらしたのか? 醤油製造に穢多非人を使った? しかし「正田神社」と呼ばれるほどの厚き稲荷信仰のお家が、一族根こそぎカトリックに改宗? 何か不穏な気がするのは考えすぎでしょうか。 ・・・・・・と書いて、ふと思い出したのですが・・・・ 先入観を与えるといけないので、この画像を見て見える人だけどうぞ。 更にオカルト的な話が嫌な人や認めない人は、スルーして下さい。 皇后陛下に現れた数少ない・・・・・皇太子夫妻に比べると少ない・・・・ 霊画像に、霊眼が多少ある人が見えるのは、 ↓ ↓ ↓ 九尾の狐です。 誰でも視える形ではなく、視える人だけに限定で、むしろよかったです。 わかりやすいと、合成とか気のせいとか言われてうざったらしいので。 なぜ皇后に狐? と霊写真に気づいた時には不思議だったのですが、 お狐信仰のお家でしたか・・・・。 皇后に憑いた霊体の、九尾の狐は瞋恚(怒り)の形相ですが・・・・・。 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d4caf989f1ec33423082307330b824 とはいえ、BBの霊眼もさしてあてになるレベルではないので、視える知人に再チェックしていただいたら・・・ こんな感じで、美智子さまの背後にいるそう。BBはこんなに判然と視えるわけではありません。 帽子のデザインも、狐っぽいのは偶然でもないのかもしれません。
霊眼のある知人が更に示してくれたのは、皇后陛下の内面がこういうふうである、と。 一説に半島出自だとも言われる小和田家のように下賤なことはしない・・・・のが正田家だと長いこと言われてきましたが・・・・
もっと下品でした。
美智子さまのご両親様の胸像でございます・・・・ 日清製粉会社の歴史を展示している「製粉ミユージアム」内に展示。何の事はない、皇后陛下を間接的にCMガールとして、日清製粉の宣伝ですね。
普通、妻の銅像まで置きませんが。日清製粉にとっては夫妻の娘が皇后陛下だってことで、莫大なメリットです。 こういうところからも商売人の娘は本来、忌避されたのでしょう。 小和田は小和田で、娘の入内を最大限に活用、外務省機密費流用疑惑は不問にされるし、とうとうハーグの判事にまで上り詰めました。 ◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76 こちらの記事で、国会で正田美智子さんの素性に関して今では考えられないほどの肉薄ぶりで追求、またカトリック(キリスト教徒)たちがよってたかって美智子さんを入内させた「陰謀」について、また皇太子(今上陛下)の不出来ぶりを、仮借ないまでに述べた平井義一議員。 以前も調べたのですが、不可解なほどのその後の動きが解らないのです。 http://www.wikiwand.com/zh-yue/%E7%AC%AC25%E5%B1%86%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9C%BE%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B8%BD%E9%81%B8%E8%88%89 若くして(34歳)福岡4区でトップ当選の実力と人望と人気。その後も当選すること、5期。第28回(1958年5月)でもトップ。これほどの政治家の、写真すら残っていない、気味の悪さ。美智子さん入内1959年の翌年に落選しています。 5期連続当選のベテラン議員が。 中央が平井義一氏。
1958年 皇室会議で満場一致で正田美智子皇太子妃に決定。これも実は奇妙な話。 国会にすら知られずまずアメリカで発表され、名だたる皇族は全て正田美智子入内に反対していたのが、いきなり賛成派に。昭和天皇の賛成の一言により、とされていますが その昭和天皇はいまだGHQの呪縛の中にあられました。 1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。 その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。 その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6) 平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 – 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)Wikiより 国会議員を5期務め、第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任、横綱審議委員、日本プロレス協会長などの、華やかなポジションにいた人物の没年が不明?・・・・。 没年不明は行方不明とほぼ同義ではないのですか? 気色の悪い・・・・。⇒ コメント欄に・・・・ご存命だそうです。Wikiの「没年不明」記述はなぜに? ⇒更にコメ欄に。衆議院の広報課に訊いたら、平成19年9月6日にご逝去。 平井議員とは違う意味で、履歴の一部がすっぽり消されているのは、美智子さん入内に直接動いたカトリック神父、ジョセフ・フロジャックです。 足跡はかなり詳しくWiki他にまとめがあるのに、部落布教のために群馬は館林に向かい、そこで布教していた事実だけ全部、過去から抜き取られ、なかったことになっています。 ご本人が著した書物まで焚書されたら、ジョセフ・フロジャック神父が美智子さんの父方祖母、正田きぬさんを一番目の布教者として、それから次々に正田一家をカトリックに改宗させたことも、 「なかったこと」にさせられるのかもしれません。 正田家とGHQの癒着、それにからんだ美智子さんの入内について発信し始めたのは、ひょっとして拙ブログが始発だったかもしれませんが(始発信は誰でもいいのですが)これまで推論の域を出なかったことが更に今回の記事で一歩進めたかもしれません。 朝鮮髪飾り ペッシテンギ 国連女子差別撤廃委が女性天皇を認めよ、そのために皇室典範改正をと、言ってきましたが、もともと現行の皇室典範も戦前のそれから様変わりしたのはGHQ関与だと思います。憲法をいじった彼らが皇室典範放置はないですね。
それまでは皇太子が不出来であったり人望が無かったり、ふさわしからぬ行為がった時は、長男であろうと排除、ふさわしい人物が天皇になっていました。 皇后も目論む女系天皇は論外ですが、どんなアホでも長男なら即位というのも、考えてみればGHQのやりそうなことです。当時の皇太子(今上)はさんざん、GHQによる恫喝と洗脳教育で自虐史観左翼に仕立てていたので、そのまま即位させないと、計画が成就しないわけです。 いまだ日本を敵国としてみなす「敵国条項」のある反日国連とその事務総長、潘基文と癒着している皇太子。そのさぼり妻は国連大学通学には熱心で、 個室が与えられたほど。またその父はGHQの意向に忠実で、要するに反日姿勢で出世階段を駆け上がっています。妹も国連関係。
池田 (小和田)礼子国際連合職員、国連ユニセフ駐日事務所(東京事務所)副代表などを歴任。 そして、売国の宮高円宮の長女と同じく、あの中抜き日本ユニセフに母親と妹が関与。小和田は真っ黒。反日一家です。出自はほぼ間違いなく半島。 そして国連といえば美智子皇后の盟友、ブサヨフェミの緒方貞子。 皇后の、女性宮家の創設で皇后の助っ人をし、一方ですでに在日という難民に苦しめられている日本に、更に難民受け入れを迫る左翼女がいます。 皇后陛下が主張なさり、天皇陛下がそれに追随なさっている「皇太子の系譜の女性天皇」を立てたら、皇統に朝鮮人の血が入り込みます。 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5
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