01. グッキー 2013年4月20日 21:58:07
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「おそろしく貧困な経済学である。」その通りだろう。 しかし知識人の多くは黙してそれを語らないか、 賛美まで地位と富のためにするだろう。 そして国民は、おそろしく貧困な経済学が行われていることを知らない。 オランドもまた、半年でそのおそろしく貧困な経済学に方針転換した フランス流に停滞する社会保障政策 http://www.diplo.jp/articles13/1304social.html マルティーヌ・ビュラール 訳:仙石愛子 ほぼ1年前、フランソワ・オランド氏が過去と決別するだろうという期待と熱狂の中でフランス大統領に選ばれたと言ったら大袈裟かもしれないが、それにしても氏に一票を投じた人たちを失望させることには成功した。税制改革の放棄から産業政策の欠如まで、あるいは労働法改正から年金改革にまで、緊縮財政という爆弾が害を及ぼしている。[フランス語版編集部] « 原文 »
半年で右寄り政策に転換
オランド大統領はその消極性を批判されながらも、政権獲得以来休むことなく活動している。ミッテラン大統領が、評価の高い構造改革をいくつか達成したあと、1983年にやむなく右寄りに路線変更したのは、就任2年後だった。だが、第5共和政の社会党2代目大統領オランド氏にとって、確信犯的な高揚感を抱きつつ自由主義路線へ巧みに転換するのに、6か月もあれば十分だったようだ。ミッテランは、常に無視されていた労働者・庶民層を切り捨てた大統領の象徴となったが、彼の後継者はそれに加えて、中間層の大部分と縁を切ったようだ。
経済日刊紙『レゼコー』のジャン=マルク・ヴィットーリ論説委員は、3月半ばの大統領のディジョン視察のあとに、満足感を隠さず次のように書いている、「オランド大統領は、特に左派政権にとって極めて野心的な政策の下絵を描いている。つまり、社会福祉の再検討、地方自治体への補助金削減、公共部門での生産性向上、労使間対話の根本的改善、などである。これは《左派による自由主義政策》に向けての勇気ある選択だ(注1)」と。これを《右派の自由主義政策》と区別するのは確かに難しい。
EUのプレッシャー オランド大統領は政権に就くとすぐに、前任者のニコラ・サルコジ氏と同様、ドイツのアンゲラ・メルケル首相の歩調に合わせることにした。大統領として初めて欧州首脳会議に乗り込み、《安定、調整とガヴァナンスに関する条約(TSCG)》の「改正交渉」を行ない、選挙公約の一つだった「成長と雇用(注2)」の実践に努めたが、同時にEUの「黄金律」、すなわち「財政赤字のGDPの3パーセント以下への削減」という宿題を持ち帰った。雇用問題が後退し、緊縮財政の登場である。この方向転換は、実はディディエ・ミゴー氏によって既に準備されていた。ミゴー氏というのは大統領の友人だが、サルコジ氏が高く評価して会計検査院のトップに据えた人物である。同氏は2012年7月に既に、「2013年には330億ユーロをひねり出す必要がある」と断言していた。舞台がひとたび準備されると、こうした方針の演出担当者、すなわち大統領は「かの」解決法を押し進めた。つまり「今後、努力の半分を経費削減に投入する」というものだ(注3)。削減対象は医療費、職業訓練費、地方自治体助成金などである。社会問題解決の大綱がこのようにして仕上げられた。
当初は、この基本政策は一連の福祉政策と併存しており、そういった政策が一部の強硬な空想家たちには《社会正義の中にも厳しさ》(党の新しいスローガン)と思わせていた。すなわち、経済的に最も苦しい世帯のための生活援助金、超高額所得に対する75%課税という特例的区分の創設、余剰収入への24%の課税、資産収入に対する所得税と同等の課税、半官半民の投資銀行の設立、家賃の一部凍結、経口避妊薬代金の全面還付、年金を40年以上納め続けてきた国民の60歳からの年金給付、教育部門公務員職の創設(2013年に1万人分のポスト)、公共政策の全面見直し(RGPP)の正式な終結などである。RGPPのようなサルコジ的政策では、これにより2人に1人の公務員が削減される運命にあった。
しかし、こうしたスローガンへの回帰も長く続かなかった。75%課税に象徴される所得区分の設置は、世論を刺激して大規模税制改革の全面的断念を隠蔽するためであったが、立ち消えになってしまった。資産や臨時収入への課税では、あらゆる種類の免税特例で溢れかえり、徐々に少なくなってついにはなくなってしまった。RGPP(公共事業全面見直し)は何度玄関払いされても変装して窓からでも入ってきた。例えば、《公務の近代化(MAP)》などはミゴー氏による330億ユーロの削減を口実としている。
《競争力》の実態 反面、大小企業のために法人税200億ユーロ削減の財源を見つけることには何の問題もなかった。今回、神聖不可侵の《競争力》(注4)の名の下に「給与」引き下げの必要性に世論を誘導した人物は、以前企業のトップにいたルイ・ギャロワ氏である。産業政策の成功・失敗を説明するにあたって、同氏はその報告書の中で他の要素、とりわけ商品開発と職業訓練をとりあげている。しかし、《競争力》協約にあっては、ジャン=マルク・エロー首相が強調するある核心的な一点にしか留意していない。つまり、「企業は、最低賃金の2.5倍以下の従業員の社会保険料の6%相当を法人税から控除できることになる(注5)」。その代償は?――何もない。
しかしながら、今日の減税は明日の投資にはつながらず、明後日の雇用も創出したことがない。が、常に利益を生み出す。1980年から2011年の間に、非金融業における付加価値に対する雇用者負担社会保障費は1.7ポイント下がった。その結果、支出額はほぼ横ばい(0.2ポイント増)だが、利益配当分は6ポイント急上昇した(注6)。アルセロール・ミッタル、ルノー、プジョー、コンチネンタルなど、従業員を解雇した会社はその他の会社同様、払戻金を受け取ることになる。
こういった気前の良さの埋め合わせに、付加価値税(TVA)引き上げの大復活が実施された。増税は来年実施が見込まれている(77億ユーロ)。これはサルコジ政権末期に可決された《福祉付加価値税》とあまり変わらない。その税制自体はオランド氏に即刻削除された。というのも、「施行されていたら、景気回復をなおも弱め、人々を失業に追い込み、購買力を弱めたことだろう」という理由からだった。洞察力ある分析だ。ではなぜ、社会党の付加価値税なら保守党のそれとは同じ結果にならない、と言えるのだろうか?
過ちはそこで止まらない。雷鳴のように轟いた「私の真の敵、それは金融界だ!」(2012年1月22日、ブルジェでのオランド氏の演説)は、選挙キャンペーン記念品店に速やかに片付けられてしまった。企業幹部は、日々多数派の思潮にへつらう論説委員たちに主張を代弁してもらい、自分たちの特権を死守してきた。そういった特権が2008年の金融危機につながったのだ(注7)。オランド氏は、イギリスの保守党デイヴィッド・キャメロン氏ほど口うるさくなく、各銀行が要求する2桁利益率の上昇スパイラルから脱出するために、特にどんな行動に出ることもなかった。
「もっと働いて収入を減らそう」? 大統領は、計画を完成させるために、政権獲得一周年を祝うにあたって労使問題に関する一つの法律を制定するつもりのようだ。その法律は、大前提である労働権を粉砕し、集団の権利に関しても会社側による同意の優位性を認め、法的争いの可能性を減らそうというものである(注8)。サルコジ前大統領によってすでに楽譜がつくられていたが、「もっと働いて収入を増やそう」が「もっと働いて収入を減らそう」に変わった。『競争力と雇用のハーモニー』という題名のこの作品は、その作者とともに掃いて棄てられていた。そしてここに、表紙をつけかえ左派が太鼓判を押した作品がある。『雇用の安定』というさも優しそうなタイトルだ。
よほど賢くないと見分けがつかない。前大統領が意図したのは、「労働時間の長さを決めたり、賃金よりも雇用を重視するかその逆にするかを決定するのに、従業員の過半数が経営側と合意にこぎつければ、そうすればよい(注9)」ということだった。一方、新大統領の考えでは、法律で「景気動向で深刻な問題に直面している企業は、公共の秩序が尊重される範囲で、《労働時間・賃金・雇用》のバランスを、一時的に修正できる」となった。何と優雅なものの言い方であることか!
散文的な問題としては、企業の幹部だけで上記の《均衡》が決定される、ということがある。会社側は、《全職種成長最低賃金(SMIC)》(つまり手取り1346ユーロ、これは最高の贅沢とみなされる額)の1.2倍以上を受け取っている従業員全員の賃金引き下げ、そして配置転換を命じることさえできるのだ。この命令は受け入れてもパスしても構わない。従業員が断るのは自由だが、それをやったら解雇となるだろう。
対策としては、新自由主義的元老院――経済協力開発機構(OECD)のこと――の最古の推薦文をひとつ再利用するほかない。1994年にこの推薦状が推し勧めたのは、雇用の安定に関する対策を見直すこと、フレックス・タイム制度を促進すること、そして労使間契約は合意の上で行なうよう推進すること(注10)だった。では、失業対策への理念は?《全ての者に雇用を、たとえ貧しい労働者になろうとも》だった。これまで、フランスは、OECDから非難を受けながらもこれに反対していたが(注11)、結局は譲歩することになったわけだ。
ペストかコレラか、究極の選択 法案によると、企業は、労働契約を踏みつけにするような方策を取り決めるには、従業員の過半数の同意を得なければならないことになる。しかし、ペスト(解雇)とコレラ(賃金カット)のほかに、従業員にはどういう選択肢が残されているというのか? 雇用の削減に関して言うと、これは《ヒバリのパテ》(注12)であり、ルノーの合意が示しているとおりである。つまり、労働時間の延長、賃金据え置き、「任意の」異動、その代償として8260人分の雇用削減と在外工場からの仕事の引き揚げという漠然とした約束であった。生産量は世界的に2005年レベルより50%低いままである。
確かに条文には19の条項があり、全てがサルコジ時代の企画の単なるコピーというわけではない。そこには社会保障問題の改善がいくつか見受けられる。たとえば非常に短かい労働契約への課税軽減や、医療保険補助の延長などである。しかし、労働者に有利な対策の大部分は将来の交渉に先送りされている。一方、雇用の柔軟性が促進され、現に効果を発揮している。
今回、雇用の柔軟化に道を切り開いたのは専門家委員会ではなく、労働組合、例えば《フランス民主労働連盟(CFDT)》、《フランス幹部職総同盟(CGC)》、《フランス・キリスト教労働同盟(CFTC)》などであった。最近の職場代表選挙の結果によると、こういった労組の支持者数は全投票者数の半分にも及んでいない(注13)。が、企業側のたっての願いで交わされた《フランス全職種協定(ANI)》はあらゆる職種に影響するものである。それは、入れ替えがほとんど不可能であり、押しボタン装置に変わってしまった国会議員にも及ぶのだが……。
共和制の原理原則はどこへ? 要するに、共和的原理原則はこれほどひどい状況であり、大人気のスポーツのようになってしまった。今後、国家予算は国民議会での討論以前に、2つのふるいにかけられることになる。一つは、欧州委員会であり、ここでは新たなバイブル、すなわちオランド大統領が昨年6月に批准した条約と整合するかどうかで判断される。もう一つのふるいは政府の「財政高等会議」であり、これは「政府決定の《黄金律》の尊重という名の下に善悪の判定をする機関」である。
イデオロギーの満場一致という奇跡が起きた。この衒学的会議の11名のメンバーのうち9人が躊躇なく公費削減に賛成の立場を表明し、残りの2人は「審議内容の秘密を守って」いる(注14)。いずれにせよ、「高等会議」は「少数意見を公表できない」。議会はご神託に従うよう命じられたのだ。
オランド政権の一年目は強い印象を与えた。つまり、国が景気後退に襲われるさなか、失業と財政赤字は頂点に達している。奇跡は起きない。経費削減と賃金引下げが景気の停滞を誘う。そしてそれが失業率と福祉手当の上昇を引き起こし、そのあとには税収の落ち込みと財政赤字の上昇が続く。よく知られたスパイラル現象だ。《国際通貨基金(IMF)》ですらそのような解決方法に疑問を投げかけ始めている。
しかしオランド政権は、当初善意にあふれていたにもかかわらず、呪術的思考の誘惑に屈している。フランスは、ギリシャやスペインの症状を避けるために、「市場」で低利の借金を続けるという口実の下、担保を差し出そうとする。フランスは、銀行に言う事を聞かせたアイスランドから着想を得ることができるだろう(注15)。あるいは、国が必要とする多額の借金という形で、金融取引市場と直接交渉することもできる。というのは、国の貯金高がそれを可能にしてくれるからだ。フランスは税制を建て直し、それを1980年代――アメリカの新保守主義から継承された反重税の狂気が全世界を汚染する以前だ――のレベルに戻すこともでき、あるいは抜本的な構造改革を始めることもできるだろう。こういった議論はドイツ的な一徹さで反論されることもよくあるが、輸出とユーロに大きく依存しているドイツは、もしフランスがユーロから離れたら困るのは確かだろう。このフランスの脅しには裏の意味があるかもしれない。
80年前の教訓 一つはっきりしていることがある。それは、一方で「制度の危機」について語りながら、他方で、どんどん悪化しているのに、既に着手されたことの続行を唯一の展望とすることはできない、ということだ。社会問題におけるオランド政権の優柔不断こそが、こういった決壊の危機感の基となっている。アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトが1933年3月4日の就任式で、これと同じようなことを言っている、「われわれが恐れるべきはただ一つ、恐れそのものである。不可解、不条理、不当な恐怖が身をすくませてしまうのだ」。
今こそ、左派のエリートたちは先入観と先験的イデオロギーの呪縛から抜け出せなければならないだろう。ところが、社会党幹部と主だった専門家たちは同じような学校で学び、同じような司令部に就職しており、そうした司令部は、国家は浪費の親玉で、民営化こそ効率化の保証であり、「労働コスト」が最大の経済の敵であると見ているのである。
フランソワ・シェレク氏――CFDTメンバーで、雇用安定に関する法律の強い支持者――が政府から労働問題の総監に任命されたこと、そして《テラ・ノヴァ》の代表にもなったことは大きな意味を持つ。テラ・ノヴァというのは社会党に近いシンクタンクであり、庶民層切り捨てを理論づけ、社会福祉枠の引き締めを強く推し進めている(注16)。理の当然としてシェレク氏は、雇用者側が社会保険料を引き上げて社会保証還付率を改善することを拒否したことにも、ショックは受けなかった。しかし、雇用者側は、大部分が民間の補足的保険であるなら、予算を(少々)増やすことを承諾した(注17)。すでに、一般医療費の半分近くが社会保険による払い戻しを受けていない。つまり、3人に1人のフランス人が経済的理由により医療を断念しているのだ。
それは年金についても同様である。20年間に改革が7回行なわれたが年金の財源は減り続ける一方だ。1993年に、エドゥアール・バラデュー首相は年金保険料を賃金スライド制から物価スライド制に切り替えた。2013年には、補足年金に関する合意が、特にCFDTと企業側の間で結ばれたお陰で、このスライド制も姿を消した。さらに政府は、財政赤字と闘うという口実のもと、このような新しい規範を制度全体に広げなければならなくなるだろう。年金の赤字は、年金の引き上げではなく保険料の引き下げから生じたものだが、それは経済成長が止まっているからであり、そのこと自体が緊縮財政に起因するものである。
ギリシャの悲鳴 《地獄の連鎖》を貫く論理は以上のようなものである。緊縮財政という爆弾は社会的に不当で、経済的には効力がなく、企業自体への脅威となる。欧州議会議員でギリシャの社会主義者、ディミトリオス・ドルートサスは、そのことを概括して次のように述べている、「わが国は意に反する政策を実施してきた。自分たちが信じていない対策をとってきた。当然の結果として国民は自信をなくした。ギリシャ社会は沸騰している。爆発がおきるのでは、と私は恐れている(注18)」。ひどい目に遭わずに金融資本主義とつき合っていけるなど、信じられるだろうか? ーーーーーーーー
私は爆発が起きることを予測している。 何故なら市民が爆発しなければ、おそろしく愚かな経済学が 止まらないからだ。 爆発が起きれば、それは即ユーロショックに点火する。 |