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ブリュッセルの警告 −「過度のアンバランス・手続き」なるもの
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/817.html
投稿者 グッキー 日時 2013 年 4 月 20 日 03:57:39: Cbr3d6O9vj7Mc
 

http://blogs.yahoo.co.jp/olympass/MYBLOG/yblog.html
ブリュッセルの警告 −「過度のアンバランス・手続き」なるもの

欧州委員会(EC)の経済関連のトップであるオッリ・レーンによる報告である。ECはいわゆる、ECBとIMFとならぶトリオの1つ。
 それは、ユーロ・メンバーのうちの13カ国は早急に構造改革を実施する必要があり、そうでないとユーロ危機はいっそう深刻になる、との警告である。
 フランスも(オランダとベルギーとともに)槍玉にあげられている。しかしもっとも激しい攻撃対象にされているのは、スペインとスロベニアである。 
最近、EUでは、"excessive imbalance procedure"なるものが設定されている。「過度のマクロ・アンバランス」が存在する国にたいしては、警告を発し、それでもいうことを聞かなければ「制裁」を加える的懲罰である。
 ECはさらにイギリスにたいしても警告を発している。
 はっきりしていることは、ECの考えは、きわめての構造改革である。諸悪の根源は、競争力の欠如にあり、それをもたらしたのは当該国での構造改革の遅れである、という発想である。おそろしく貧困な経済学である。問題は、ユーロ・システム自体にある。メンバー国は打てる経済対策がゼロ状態である。為替政策、金融政策ももっていない。おまけに財政は超緊縮だけが要求され、他方、金融セクターの保護・維持が露骨なまでに優先されている(これはアイルランド、そしてスペインに顕著であった)。経済を成長させる政策は皆無どころか完全に放棄されている状態に陥っている。構造改革が問題であれば、とっくの昔に問題となっていたであるはずだが、21世紀の最初の7年間はそうした認識はトリオのあいだに皆無であったのである。
英文はリンクへ

イタリアの大統領選始まる − 予想通りの混迷ぶり

2月に総選挙が実施され、民主党(PD)が下院を制したのだが、上院は精することができなかった。その後、連立への交渉が続けられるもすべて失敗となる。で、いまでも首相の座についているのは、モンティであるが、彼は総選挙では惨敗であった。もう2ヶ月が経過するというのに、新しい首相は決まっていない。
 これらの交渉において鍵を握るのが、イタリアでは大統領であるが、現在のナポリターノはまもなく任期切れで退任するので、いま大統領選びが行われているという次第。
 第1回目の投票が行われたが、決定に至らず、2回目の投票へ。そこでは中道左派、中道右派ともに多くが白票を投じたもようである。投票は歴史的にみると20回を越えるときもある。いずれにせよ大統領が決まり、そして彼が、首相の任命に成功するのか、それとも成功せず総選挙をもう1度実施するのかを決めなければならない (モンティには解散総選挙権はないということなのだろう)。
 でも、では第2回目の総選挙が行われるとして、いったいどの政党が勝利を収めるというのであろうか。ものすごい混迷ぶりである。

レイム・ダックのモンティ、だめだと思われたベルルスコーニの妙な粘り腰(おどろくべき低次元の裁判被告でもある)、国民の不満を一心に受けて票を獲得した、しかし何をしようとするのか不明なベッペ、最大政党PDの内部分裂的混迷状況・・・)
ーーーーーーー

もうユーロは崩壊するのが時間の問題だろう。
自前の通貨発行できる中央銀行を持たないという欠陥が出る。
相乗りの中央銀行では、自己責任という声に押され無条件で国債買いさえ、
ベイルアウトも出来ない。
財政緊縮というペナルティーを課さなければ国債買い支えは出来ない。
しかし財政緊縮を続ければ経済が悪化していくだけ、いずれは社会が
爆発してしまう。
ユーロが崩壊すれば欧州が分裂し、世界的な経済政策の協調が難しくなり、
世界的な貿易摩擦も激しくなるかも知れない。

アベノミクスなんてミニバブルをやっていても、ユーロショックが起きれば
すぐにすっ飛んでしまう。
世界恐慌、そして日本は原発事故というおまけつき。

知識人の裏切り
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-502f.html

知識人は批判、排斥されるようなことを言う勇気は無い。
(地位と生活がかかっているからね)
現状の社会的枠組み、秩序を壊すようなことは言えない。
飼い犬に成ってしまっている。
ハーバード経済学会は大恐慌のあいだ中、毎年来年は景気が回復すると
御託宣を述べていた(ガルブレイス)

経済恐慌、原発事故、それでも道は有ると思う。
最善の道を選択しなければ成らない。
しかし国民が現状認識が出来ず、妄想に耽っていたのでは
どうしようもない。
まるで砂上の楼閣で暮らしているような不安に襲われる。  

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コメント
 
01. グッキー 2013年4月20日 21:58:07 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
「おそろしく貧困な経済学である。」

その通りだろう。
しかし知識人の多くは黙してそれを語らないか、
賛美まで地位と富のためにするだろう。
そして国民は、おそろしく貧困な経済学が行われていることを知らない。

オランドもまた、半年でそのおそろしく貧困な経済学に方針転換した

フランス流に停滞する社会保障政策
http://www.diplo.jp/articles13/1304social.html
マルティーヌ・ビュラール

訳:仙石愛子

 ほぼ1年前、フランソワ・オランド氏が過去と決別するだろうという期待と熱狂の中でフランス大統領に選ばれたと言ったら大袈裟かもしれないが、それにしても氏に一票を投じた人たちを失望させることには成功した。税制改革の放棄から産業政策の欠如まで、あるいは労働法改正から年金改革にまで、緊縮財政という爆弾が害を及ぼしている。[フランス語版編集部]


« 原文 »


半年で右寄り政策に転換


 オランド大統領はその消極性を批判されながらも、政権獲得以来休むことなく活動している。ミッテラン大統領が、評価の高い構造改革をいくつか達成したあと、1983年にやむなく右寄りに路線変更したのは、就任2年後だった。だが、第5共和政の社会党2代目大統領オランド氏にとって、確信犯的な高揚感を抱きつつ自由主義路線へ巧みに転換するのに、6か月もあれば十分だったようだ。ミッテランは、常に無視されていた労働者・庶民層を切り捨てた大統領の象徴となったが、彼の後継者はそれに加えて、中間層の大部分と縁を切ったようだ。


 経済日刊紙『レゼコー』のジャン=マルク・ヴィットーリ論説委員は、3月半ばの大統領のディジョン視察のあとに、満足感を隠さず次のように書いている、「オランド大統領は、特に左派政権にとって極めて野心的な政策の下絵を描いている。つまり、社会福祉の再検討、地方自治体への補助金削減、公共部門での生産性向上、労使間対話の根本的改善、などである。これは《左派による自由主義政策》に向けての勇気ある選択だ(注1)」と。これを《右派の自由主義政策》と区別するのは確かに難しい。

EUのプレッシャー


 オランド大統領は政権に就くとすぐに、前任者のニコラ・サルコジ氏と同様、ドイツのアンゲラ・メルケル首相の歩調に合わせることにした。大統領として初めて欧州首脳会議に乗り込み、《安定、調整とガヴァナンスに関する条約(TSCG)》の「改正交渉」を行ない、選挙公約の一つだった「成長と雇用(注2)」の実践に努めたが、同時にEUの「黄金律」、すなわち「財政赤字のGDPの3パーセント以下への削減」という宿題を持ち帰った。雇用問題が後退し、緊縮財政の登場である。この方向転換は、実はディディエ・ミゴー氏によって既に準備されていた。ミゴー氏というのは大統領の友人だが、サルコジ氏が高く評価して会計検査院のトップに据えた人物である。同氏は2012年7月に既に、「2013年には330億ユーロをひねり出す必要がある」と断言していた。舞台がひとたび準備されると、こうした方針の演出担当者、すなわち大統領は「かの」解決法を押し進めた。つまり「今後、努力の半分を経費削減に投入する」というものだ(注3)。削減対象は医療費、職業訓練費、地方自治体助成金などである。社会問題解決の大綱がこのようにして仕上げられた。


 当初は、この基本政策は一連の福祉政策と併存しており、そういった政策が一部の強硬な空想家たちには《社会正義の中にも厳しさ》(党の新しいスローガン)と思わせていた。すなわち、経済的に最も苦しい世帯のための生活援助金、超高額所得に対する75%課税という特例的区分の創設、余剰収入への24%の課税、資産収入に対する所得税と同等の課税、半官半民の投資銀行の設立、家賃の一部凍結、経口避妊薬代金の全面還付、年金を40年以上納め続けてきた国民の60歳からの年金給付、教育部門公務員職の創設(2013年に1万人分のポスト)、公共政策の全面見直し(RGPP)の正式な終結などである。RGPPのようなサルコジ的政策では、これにより2人に1人の公務員が削減される運命にあった。


 しかし、こうしたスローガンへの回帰も長く続かなかった。75%課税に象徴される所得区分の設置は、世論を刺激して大規模税制改革の全面的断念を隠蔽するためであったが、立ち消えになってしまった。資産や臨時収入への課税では、あらゆる種類の免税特例で溢れかえり、徐々に少なくなってついにはなくなってしまった。RGPP(公共事業全面見直し)は何度玄関払いされても変装して窓からでも入ってきた。例えば、《公務の近代化(MAP)》などはミゴー氏による330億ユーロの削減を口実としている。

《競争力》の実態


 反面、大小企業のために法人税200億ユーロ削減の財源を見つけることには何の問題もなかった。今回、神聖不可侵の《競争力》(注4)の名の下に「給与」引き下げの必要性に世論を誘導した人物は、以前企業のトップにいたルイ・ギャロワ氏である。産業政策の成功・失敗を説明するにあたって、同氏はその報告書の中で他の要素、とりわけ商品開発と職業訓練をとりあげている。しかし、《競争力》協約にあっては、ジャン=マルク・エロー首相が強調するある核心的な一点にしか留意していない。つまり、「企業は、最低賃金の2.5倍以下の従業員の社会保険料の6%相当を法人税から控除できることになる(注5)」。その代償は?――何もない。


 しかしながら、今日の減税は明日の投資にはつながらず、明後日の雇用も創出したことがない。が、常に利益を生み出す。1980年から2011年の間に、非金融業における付加価値に対する雇用者負担社会保障費は1.7ポイント下がった。その結果、支出額はほぼ横ばい(0.2ポイント増)だが、利益配当分は6ポイント急上昇した(注6)。アルセロール・ミッタル、ルノー、プジョー、コンチネンタルなど、従業員を解雇した会社はその他の会社同様、払戻金を受け取ることになる。


 こういった気前の良さの埋め合わせに、付加価値税(TVA)引き上げの大復活が実施された。増税は来年実施が見込まれている(77億ユーロ)。これはサルコジ政権末期に可決された《福祉付加価値税》とあまり変わらない。その税制自体はオランド氏に即刻削除された。というのも、「施行されていたら、景気回復をなおも弱め、人々を失業に追い込み、購買力を弱めたことだろう」という理由からだった。洞察力ある分析だ。ではなぜ、社会党の付加価値税なら保守党のそれとは同じ結果にならない、と言えるのだろうか?


 過ちはそこで止まらない。雷鳴のように轟いた「私の真の敵、それは金融界だ!」(2012年1月22日、ブルジェでのオランド氏の演説)は、選挙キャンペーン記念品店に速やかに片付けられてしまった。企業幹部は、日々多数派の思潮にへつらう論説委員たちに主張を代弁してもらい、自分たちの特権を死守してきた。そういった特権が2008年の金融危機につながったのだ(注7)。オランド氏は、イギリスの保守党デイヴィッド・キャメロン氏ほど口うるさくなく、各銀行が要求する2桁利益率の上昇スパイラルから脱出するために、特にどんな行動に出ることもなかった。

「もっと働いて収入を減らそう」?


 大統領は、計画を完成させるために、政権獲得一周年を祝うにあたって労使問題に関する一つの法律を制定するつもりのようだ。その法律は、大前提である労働権を粉砕し、集団の権利に関しても会社側による同意の優位性を認め、法的争いの可能性を減らそうというものである(注8)。サルコジ前大統領によってすでに楽譜がつくられていたが、「もっと働いて収入を増やそう」が「もっと働いて収入を減らそう」に変わった。『競争力と雇用のハーモニー』という題名のこの作品は、その作者とともに掃いて棄てられていた。そしてここに、表紙をつけかえ左派が太鼓判を押した作品がある。『雇用の安定』というさも優しそうなタイトルだ。


 よほど賢くないと見分けがつかない。前大統領が意図したのは、「労働時間の長さを決めたり、賃金よりも雇用を重視するかその逆にするかを決定するのに、従業員の過半数が経営側と合意にこぎつければ、そうすればよい(注9)」ということだった。一方、新大統領の考えでは、法律で「景気動向で深刻な問題に直面している企業は、公共の秩序が尊重される範囲で、《労働時間・賃金・雇用》のバランスを、一時的に修正できる」となった。何と優雅なものの言い方であることか!


 散文的な問題としては、企業の幹部だけで上記の《均衡》が決定される、ということがある。会社側は、《全職種成長最低賃金(SMIC)》(つまり手取り1346ユーロ、これは最高の贅沢とみなされる額)の1.2倍以上を受け取っている従業員全員の賃金引き下げ、そして配置転換を命じることさえできるのだ。この命令は受け入れてもパスしても構わない。従業員が断るのは自由だが、それをやったら解雇となるだろう。


 対策としては、新自由主義的元老院――経済協力開発機構(OECD)のこと――の最古の推薦文をひとつ再利用するほかない。1994年にこの推薦状が推し勧めたのは、雇用の安定に関する対策を見直すこと、フレックス・タイム制度を促進すること、そして労使間契約は合意の上で行なうよう推進すること(注10)だった。では、失業対策への理念は?《全ての者に雇用を、たとえ貧しい労働者になろうとも》だった。これまで、フランスは、OECDから非難を受けながらもこれに反対していたが(注11)、結局は譲歩することになったわけだ。

ペストかコレラか、究極の選択


 法案によると、企業は、労働契約を踏みつけにするような方策を取り決めるには、従業員の過半数の同意を得なければならないことになる。しかし、ペスト(解雇)とコレラ(賃金カット)のほかに、従業員にはどういう選択肢が残されているというのか? 雇用の削減に関して言うと、これは《ヒバリのパテ》(注12)であり、ルノーの合意が示しているとおりである。つまり、労働時間の延長、賃金据え置き、「任意の」異動、その代償として8260人分の雇用削減と在外工場からの仕事の引き揚げという漠然とした約束であった。生産量は世界的に2005年レベルより50%低いままである。


 確かに条文には19の条項があり、全てがサルコジ時代の企画の単なるコピーというわけではない。そこには社会保障問題の改善がいくつか見受けられる。たとえば非常に短かい労働契約への課税軽減や、医療保険補助の延長などである。しかし、労働者に有利な対策の大部分は将来の交渉に先送りされている。一方、雇用の柔軟性が促進され、現に効果を発揮している。


 今回、雇用の柔軟化に道を切り開いたのは専門家委員会ではなく、労働組合、例えば《フランス民主労働連盟(CFDT)》、《フランス幹部職総同盟(CGC)》、《フランス・キリスト教労働同盟(CFTC)》などであった。最近の職場代表選挙の結果によると、こういった労組の支持者数は全投票者数の半分にも及んでいない(注13)。が、企業側のたっての願いで交わされた《フランス全職種協定(ANI)》はあらゆる職種に影響するものである。それは、入れ替えがほとんど不可能であり、押しボタン装置に変わってしまった国会議員にも及ぶのだが……。

共和制の原理原則はどこへ?


 要するに、共和的原理原則はこれほどひどい状況であり、大人気のスポーツのようになってしまった。今後、国家予算は国民議会での討論以前に、2つのふるいにかけられることになる。一つは、欧州委員会であり、ここでは新たなバイブル、すなわちオランド大統領が昨年6月に批准した条約と整合するかどうかで判断される。もう一つのふるいは政府の「財政高等会議」であり、これは「政府決定の《黄金律》の尊重という名の下に善悪の判定をする機関」である。


 イデオロギーの満場一致という奇跡が起きた。この衒学的会議の11名のメンバーのうち9人が躊躇なく公費削減に賛成の立場を表明し、残りの2人は「審議内容の秘密を守って」いる(注14)。いずれにせよ、「高等会議」は「少数意見を公表できない」。議会はご神託に従うよう命じられたのだ。


 オランド政権の一年目は強い印象を与えた。つまり、国が景気後退に襲われるさなか、失業と財政赤字は頂点に達している。奇跡は起きない。経費削減と賃金引下げが景気の停滞を誘う。そしてそれが失業率と福祉手当の上昇を引き起こし、そのあとには税収の落ち込みと財政赤字の上昇が続く。よく知られたスパイラル現象だ。《国際通貨基金(IMF)》ですらそのような解決方法に疑問を投げかけ始めている。


 しかしオランド政権は、当初善意にあふれていたにもかかわらず、呪術的思考の誘惑に屈している。フランスは、ギリシャやスペインの症状を避けるために、「市場」で低利の借金を続けるという口実の下、担保を差し出そうとする。フランスは、銀行に言う事を聞かせたアイスランドから着想を得ることができるだろう(注15)。あるいは、国が必要とする多額の借金という形で、金融取引市場と直接交渉することもできる。というのは、国の貯金高がそれを可能にしてくれるからだ。フランスは税制を建て直し、それを1980年代――アメリカの新保守主義から継承された反重税の狂気が全世界を汚染する以前だ――のレベルに戻すこともでき、あるいは抜本的な構造改革を始めることもできるだろう。こういった議論はドイツ的な一徹さで反論されることもよくあるが、輸出とユーロに大きく依存しているドイツは、もしフランスがユーロから離れたら困るのは確かだろう。このフランスの脅しには裏の意味があるかもしれない。

80年前の教訓


 一つはっきりしていることがある。それは、一方で「制度の危機」について語りながら、他方で、どんどん悪化しているのに、既に着手されたことの続行を唯一の展望とすることはできない、ということだ。社会問題におけるオランド政権の優柔不断こそが、こういった決壊の危機感の基となっている。アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトが1933年3月4日の就任式で、これと同じようなことを言っている、「われわれが恐れるべきはただ一つ、恐れそのものである。不可解、不条理、不当な恐怖が身をすくませてしまうのだ」。


 今こそ、左派のエリートたちは先入観と先験的イデオロギーの呪縛から抜け出せなければならないだろう。ところが、社会党幹部と主だった専門家たちは同じような学校で学び、同じような司令部に就職しており、そうした司令部は、国家は浪費の親玉で、民営化こそ効率化の保証であり、「労働コスト」が最大の経済の敵であると見ているのである。


 フランソワ・シェレク氏――CFDTメンバーで、雇用安定に関する法律の強い支持者――が政府から労働問題の総監に任命されたこと、そして《テラ・ノヴァ》の代表にもなったことは大きな意味を持つ。テラ・ノヴァというのは社会党に近いシンクタンクであり、庶民層切り捨てを理論づけ、社会福祉枠の引き締めを強く推し進めている(注16)。理の当然としてシェレク氏は、雇用者側が社会保険料を引き上げて社会保証還付率を改善することを拒否したことにも、ショックは受けなかった。しかし、雇用者側は、大部分が民間の補足的保険であるなら、予算を(少々)増やすことを承諾した(注17)。すでに、一般医療費の半分近くが社会保険による払い戻しを受けていない。つまり、3人に1人のフランス人が経済的理由により医療を断念しているのだ。


 それは年金についても同様である。20年間に改革が7回行なわれたが年金の財源は減り続ける一方だ。1993年に、エドゥアール・バラデュー首相は年金保険料を賃金スライド制から物価スライド制に切り替えた。2013年には、補足年金に関する合意が、特にCFDTと企業側の間で結ばれたお陰で、このスライド制も姿を消した。さらに政府は、財政赤字と闘うという口実のもと、このような新しい規範を制度全体に広げなければならなくなるだろう。年金の赤字は、年金の引き上げではなく保険料の引き下げから生じたものだが、それは経済成長が止まっているからであり、そのこと自体が緊縮財政に起因するものである。

ギリシャの悲鳴


 《地獄の連鎖》を貫く論理は以上のようなものである。緊縮財政という爆弾は社会的に不当で、経済的には効力がなく、企業自体への脅威となる。欧州議会議員でギリシャの社会主義者、ディミトリオス・ドルートサスは、そのことを概括して次のように述べている、「わが国は意に反する政策を実施してきた。自分たちが信じていない対策をとってきた。当然の結果として国民は自信をなくした。ギリシャ社会は沸騰している。爆発がおきるのでは、と私は恐れている(注18)」。ひどい目に遭わずに金融資本主義とつき合っていけるなど、信じられるだろうか?
ーーーーーーーー

私は爆発が起きることを予測している。
何故なら市民が爆発しなければ、おそろしく愚かな経済学が
止まらないからだ。
爆発が起きれば、それは即ユーロショックに点火する。


02. 2013年4月21日 16:09:36 : TUPxsc98ho
失業者が街にあふれ国民が自信をなくす状態が長く続いた場合第一次世界大戦のあとどうなったか。国家社会主義に傾倒しあのドイツ人がなぜ?と思われる選択をし、でも今の状況あの頃と似通っているような気がします。
社会主義、国家社会主義がどのようなものか全くわからないので戦前のドキュメント映画trimph des Willens 1935を見ました。1934年のニューベルンの大会の模様を描いたものですが、すべてが熱狂と誇りに満ち溢れ愕然といたしました。失業問題を解決し日々のパンの心配がなくなり、民族の誇りを取り戻したとき独裁者への絶対的な服従が生まれるものだと云う事だけはわかりました。
私のコメントはおかしいと云う事は分かっておりますのでお返事はいりません

03. グッキー 2013年4月21日 19:45:52 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>02.TUPxsc98ho さん

>私のコメントはおかしいと云う事は分かっておりますのでお返事はいりません

おかしくは無いですよ。
そういう事態に成らないために、経済なんて簡単に回復できるんですよと、
くどいほど書いてきました
みんなが自分の心で感じ、自分の頭で考える必要があるんです

脱日本式洗脳・他者外部依存から自己依存の生き方へ
http://sekaitabi.com/codependence.html

経済が破綻し混沌に陥るのはもう止めようが無いでしょう。
混沌からは新しいものが誕生します。
その誕生するものが悪いものではなく、善いものに成るように
色々書いています。

朝鮮半島、尖閣諸島では、えっ、この現代で本当なの!!と驚くほど
緊張が増しています
日本の戦闘機の緊急発進
http://japanese.irib.ir/news/commentaries/item/36541-日本の戦闘機の緊急発進

シリア、イランでも同じです。
そして世界には戦争を欲する者が居る
アメリカ:シリアがイランとの関係を断絶すれば戦争を阻止
http://rockway.blog.shinobi.jp/Page/1/
ヤクザまがいの脅しです。
つまりアメリカの言うことを利かなければ、反政府勢力に軍事支援を
するぞという脅しです。

すべては市民がどれだけ進歩したかに掛かっています。
アメリカは大恐慌の初期、フーバー大統領が、おそろしく貧困な経済学を
行い、鉱工業生産を半分まで落としました。
現在、それと同じおそろしく貧困な経済学を行っています。

その解決法は国民に通貨という資産と、通貨発行という負債を両建てで
増やすしかないのです。
ルーズベルト、ヒトラー、高橋是清、公共投資という間接的手法ですが、
みんな国民に通貨という資産と、通貨発行という負債を両建てで増やすことに
より、経済回復に努めたのです。

国民経済に通貨を増やせば(金融市場ではないですよ)経済は活性化し
活発に活動する。
こんな簡単なことが理解出来ないのが信じられないくらいです。

水を温めれば分子は活発に活動する、冷やせば分子の活動は止まり
結晶化してしまう。
これと同じことです。国民経済にマネーを増やせば経済は活性化し、
マネーを減らせば経済は凍てついてしまう。
(金融市場という一部に増やすのでは駄目です)

何でこんな単純なことが分からないのか
金貸しの視線、恐れと不安でしか考えられないからです。
恐れと不安により財政破綻、国債暴落、通貨暴落という妄想に
陥っているのです。

政府部門は通貨を発行できるので財政破綻ということは
起こりえません。
起こるとすれば、通貨暴落とハイパーインフレです。
しかし通貨の信用の元と成っているのは購買力です。
通貨で商品が買えるから、みんな通貨を信用するんでしょ。
その商品の供給力を考えず、財政破綻だ、通貨暴落だ、ハイパーインフレだと
騒ぐのは、金貸しの視線、恐れと不安から来る妄想でしか有りません。

社会的風潮に右往左往せず、
自分の心で感じ、自分の頭で考えて欲しいのです。

アメリカは均衡財政により通貨を減らすことにより、29年から
33年にかけて鉱工業生産を半減させた。
39年から44年にかけて軍需経済により通貨を増やすことにより
GDPを倍増させた。
こんな明快な歴史的事実が有るのにも関わらず、先の見えない閉塞感により
阿波踊りが流行るのでしょうw


04. グッキー 2013年4月22日 08:47:57 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
経済学は無知と欺瞞ばかりが目に付く。
お金が絡む学問だからだろうか

イランのアフマデネジャド大統領は公正な経済ということをよく言う。
しかし経済学では市場経済が公正か論じられることがほとんど無い。
お金の分配の方法だから公正さが何よりも必要なのに、公正さを
論じるとパンドラの箱を開けるようでタブーに成ってるみたいだ。

市場経済は市場の強者(寡占大企業、銀行)、政治的強者(政治との癒着)に、
より多くの富が分配されるシステムなのに、それには固く口を閉ざしている。

経済とは需要と供給で構成される。
需要と供給が等しくなりGDPが形成される。

需要が無ければ生産、供給は起きない。
供給が無くとも需要は起きる。
需要が元になって経済は成立する。

それを需要から生まれた生産から、副次的に需要が発生するので、
生産が需要を創るなどという愚かな経済論まで有る(セイの法則)
まず需要が元になり経済が出来るということを知るべきです。
自給自足経済で言えば、欲しいから造る。
欲しくないものを造るということは無い。

どの国の経済発展を見渡しても需要が先導して、供給が需要に追いつこう
として経済発展してきた。
供給に需要が追いつこうとしてきた例は市場経済には無い。

その需要の中核を占めるのは民間部門では、個人消費と住宅投資です。
(民間部門の約80%)
設備投資、在庫投資は、その個人消費、住宅投資により増減する。

個人消費、住宅投資の中核を占めるのが、中所得層以下の需要の
増減です。
どの国の経済発展の例を見ても、中所得層以下の所得が増えて
需要が増え経済成長をして来た。
おそろしく貧困な経済学では、中所得層以下の所得、需要を減らして
経済成長しようというキチガイ沙汰のことを言う。

その経済成長の元は構造改革、競争力だと言う。
競争力は国内市場ではゼロサムゲームだから意味を持たない。
構造改革、競争力とは輸出をしたいと言っているのと同じことです。

しかし世界市場で見れば競争力とはゼロサムゲームです。
他国の需要を食う失業の輸出に過ぎない。
他国はそれではかなわないとして、賃金を引き下げ競争力を
付けようとする。
世界中の国が競争力を付けようとして賃金を引き下げたら、
世界的な需要の低下が起きてしまいます。

つまり経済成長をするには、自国の中所得層以下の所得を増やし、
需要を造るしかないのです。
それをおそろしく貧困な経済学では逆のことをして、サプライサイド
経済政策、資本と企業のための経済政策ばかりしている。
資本と企業を援助するのが利権と票になるからでしょう。

そして労働需要を増やし、賃金引上げトレンドを創るには
まず需要を創るほかは無い。
最初の需要を増やすには市場原理で動く民間部門では出来ないから、
市場原理とは関係の無い政府部門が創るしかない。

需要を公正に公平に創るには、国民に通貨発行という負債と、
通貨という資産を両建てで持たせる方法が最適で、それで簡単に
経済は回復して成長軌道に乗ります。
別に経済成長がどうしても必要とは考えませんが、豊かなものが
より豊かに成っていく経済構造では、経済成長をしなければ、
貧しい者がより貧しくなって行ってしまい経済が破綻します。
豊かなものがだんだん貧しくなっていく経済構造なら、経済成長は
必須では無くなりますが、人間の欲望の強さから見て現状ではそういう
経済構造は難しいでしょう。


05. 2013年4月23日 10:58:49 : TUPxsc98ho
記憶が定かではありませんが昔日本の企業は社会主義の目指しているものを多く取り入れていて税金の取り方も社会主義の国のようといわれているのをきいたことがあります。
永久に失われた美しい日本の映像を見ていたらふと思い出してでも資本主義化の企業で社会主義と云うのもおかしいし記憶違いかもしれないのですが

06. グッキー 2013年4月23日 13:44:11 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>05. TUPxsc98hoさん

>記憶が定かではありませんが昔日本の企業は社会主義の目指しているものを多く取り入れていて税金の取り方も社会主義の国のようといわれているのをきいたことがあります。

昔は日本型資本主義と言われました。
まあ、税金は高かったですね。
所得税は住民税と合わせ最高税率90%くらい
法人税は50%
しかし抜け道は有るもので、株式譲渡益特例処置、利子配当分離課税。
不動産譲渡益課税など、今のアメリカと同じで、最上位の所得階層は
次の所得階層より所得合算税率が低かったでしょう。

日本型資本主義市場経済というのは、相手にも良いように、
社会にも良いように、という枠内での市場経済だと理解しています。
誰だって因業なことをして周りに嫌われたくないでしょう。
まあ、中には因業な人も居ましたが、だいたいこういう枠内で
市場経済を行っていたのです。

それがバブルが崩壊して以来、大企業でコストカッターが大流行、
あれも切れ、これも切れ、切らなきゃお前を切るぞということで、
相手も社会も思いやる余裕が無くなってしまったのです。
大企業がそうすれば、それと取引する中小零細企業は右にならえを
するしか無くなったのです。
大企業から無理やりコストカットを強いられればそうするしか無いでしょう。

で、お金になることなら何でも良いとする、欧米型市場経済に
成ってしまったのです。

これはバブルが崩壊してから急速に需要が無くなってきたと
いうことに関係しています。
需要が無くなると大企業はコストカットを始める。
強い大企業、しかも需要が無い状態で無理やりコストカットを
要求されれば、中小零細企業は赤字受注まで強いられます。
しわ寄せを従業員、さらに自分の下請けに回さざるを得なく成ります。
思いやる余裕などまったく出来ません。

自給自足経済では「欲しい」が需要だと書きましたね。
分業化経済では「欲しい+お金」が需要です。
政治が欲しいにお金を+すれば簡単に需要など出来ます。
政治が貧困、犯罪、無能だからこういう愚かな事態に成ったのです。

国民が現在の事態を、愚かで異常な事態だと認識し、
アルゼンチンのように

結果を出せ!
結果の出せない政治家は出て行け!

として、愚かな政治家を追い出し、良い政治家を
選ばなければどうにもなりません。
20年以上結果の出せない政治家を選んでいたのでは
やってられない。


07. 2013年4月23日 13:57:53 : q931E3NW4E
社会に於ける人間の欲望の強さというのは即ち、
補償と保護を受ける必要性とその主張が消えない事に在り、
それは自らを憐れみ、自らを亡き者に感じる人々の意識から産まれるものです

善悪の概念をはじめとした多くの概念が人々を縛り、
自らにコントロールの効かない状況をつくり出しています
それによって支配を甘んじて受けようとする被支配側的立場の意識が生まれ、利用されて来たのです

時間の概念もまた金と同様、人々を外側から屈服させるに適した、支配的な外側の力です
謂わば外側に対しての内面の力を弱める基本的な、あらゆる物事への対応の仕方、考え方や捉え方が鍵となる訳です

過去の過ちに隷属する慣習は、我々のどのような儀礼的出で立ちの中に
維持されていると見る事が出来ますか

今の社会構造が多くの規制概念の上に成立を見るものであることは間違いなく、
人々のそうした内面の弱さを基軸としてそれを保護する名目で機能して行く中に、
その弱さを武器とした闘いも又絶えず、物事はそうした争いの中に
対立を伴ったまま成立しつづけるだけのものです

そこでは、実質的に支配は自ら志願して起こされたものと読み取る事が出来ます

我々の内面の力をどのように支配から脱却させるかには、今後に期待するほか在りません
個々には自らの欲する経験としてあらゆる挑戦が繰り広げられている所です


08. グッキー 2013年4月26日 18:40:51 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>07さん

>それは自らを憐れみ、自らを亡き者に感じる人々の意識から産まれるものです

欲望とは生物がみんな持っているもので、それ無しには生存できません。
過度の欲望とは、臆病、恐怖心から生まれるものだと思います。

>善悪の概念をはじめとした多くの概念が人々を縛り、

善悪とは感じるものだと思います。
善悪と表現すべき事象があり、それに善悪という名前を付けたに
過ぎないと思います。
甘いものは甘いと感じる、それだけのことです。
甘いという言葉が出来たから甘いものが出来たわけではなく、
甘いという概念に、甘いという感覚が縛られるわけでは有りません。
甘い、辛いと言うべきものが有ったからこそ、甘い、辛いと
言葉で名付けたのだと思います。

善悪とは人類共通のものだと思いますが、人々の経験、知識、欲望などが
邪魔をして違うものに見えることが有るのだと思います。

たいへん失礼なことを書きますが、q931E3NW4E さんは真面目に
考えているとは思うのですが思考の迷路で迷子に成っているように感じます。

思考は感じるという道標を持たないと迷子に成ります。
囲碁をすると良く分かるのですが、まず最初に感覚でどの手が良いのか
感じます。その感覚で感じた手を、間違いないか思考で読んでいくのです。
コンピューターが人間に囲碁で勝てないのは、変化が無限に近く有り、
読みきることが出来ないからです。そしてコンピュータには感覚が無い。

PCソフトはどうも全体を考えさせることは出来ないので、部分の形を
憶えさせて打たせているみたいです。
あっちこっちとぼつぼつ打つとたいていPCソフトは間違います。
全体を考える、感覚で感じることしか出来ません。


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