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『天使の分け前』失業中のスコットランド人の若者に関する、余り厳しくないお話
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wsws.org
リチャード・フィリップス
2012年8月10日
ベテランのイギリス人映画監督ケン・ローチと彼の長年の脚本家ポール・ラヴァティによる『天使の分け前』は、グラスゴーの労働者階級の失業中の若者集団が直面する厳しい現実に関する心あたたまるとはいえ、やや特殊な物語だ。
天使の分け前
高級な蒸留酒が熟成する際、毎年蒸発してゆく少量のウイスキーのことを題名にした映画は、統合失調的な作品だ。労働者階級の主要登場人物は正確に描かれ、何人かの素人俳優達、特にポール・ブラニガンは良い演技をしているが、映画の穏やかな結末は、もっともらしく思えず、映画中でそれまでに描かれた鋭い社会観察を鈍らせてしまっている。
話はグラスゴーの多くの虐げられた労働者階級地域の一つの出身、失業中の若者ロビー(ポール・ブラニガン)を巡って展開する。映画は、暴行に対して判決を受ける、裁判所の審問場面で始まる。かつて少年院生活もしたことのある彼は、監獄行きか、最後のチャンスである、地域社会の作業奉仕に行くかの選択に直面する。
ロビーのガールフレンド、レオニー(シヴォーン・ライリー)は最初の子供の出産を間近に控えており、裁判官は彼を作業奉仕に送ることに決める。そこで彼は三人の友人、アルバート(ゲーリー・メイトランド)、リノ(ウイリアム・ルアン)と、モー(ジャスミン・リギンズ)と出会い、熱烈なウイスキー愛好家の指導者ハリー(ジョン・ヘンショー)に親身に扱われる。
ロビーは、ハリーに励まされ、自分には繊細な識別力があり、高級スコッチ・ウイスキーの地域別の複雑な味や、他の微妙な違いを正確に判断することができるのに気がつく。ハリーは後に地域社会の作業奉仕集団を、ハイランドの蒸留酒製造場見学に連れて行く。
厳しい経済状況、ほとんどない仕事の見込み、かつての近隣の敵による殺すという脅し等に直面して、ロビーは、よその蒸留酒製造場に押し入り、数百万ドルでオークションにかけられようとしている樽から数リットル盗み、それを、いかがわしいウイスキー販売業者に売る計画をたてる。ピーター・カッタネオの“良い気分にさせてくれる”映画『フル・モンティ』(1997)風の趣に加え、ウイスキー窃盗の話題が、明らかに映画のかなりの部分を占め、ありきたりなキルトにまつわるジョーク、どじな警官、そして明るい結末を含めて、物語の調子を設定している。
ローチとラヴァティは明らかに、登場人物の性格を理解し、すっかり共感しており、彼らの多くの映画と同様、マスコミや、イギリスの支配層による、労働者階級の若者達の際限のない非人間化に対抗しようとつとめている。
ラヴァティが、あるジャーナリストに説明した様に、『天使の分け前』のアイデアは“フラストレーションと、それだけでなく、若者達の扱われ方に対する憤激からきている。彼らの多くが今や、一生仕事無しと宣告されるのです。‘お前の人生は無意味だ、お前は数に入らない、お前は我々にとっては重要ではない、という終身刑のようなものです。…’[こうした若者達の]生命力の一部を捉えてみたいと思ったのです。彼らの機知、彼らの楽しみ、彼らのフラストレーションや弱さを。”
多くの映画監督にとって、こうした心情は稀だが、『天使の分け前』を支えている社会問題に、より忠実な、より劇的に複雑な結末であれば、喜劇的で、本当に人間味のある要素が一層強化されたろう。いずれもスコットランドを舞台にして、それぞれアルコール依存症やヘロイン中毒を扱った、ローチとラヴァティの『マイ・ネーム・イズ・ジョー』(1998) や『Sweet Sixteen』 (2002)の方が、より力強い作品だ。
Sydney Film Festival-Part 3: Some naturalistic and mostly credible depictions
By Richard Phillips 10 August 2012から、この映画に関する部分のみ抜粋。
記事原文のurl:http://www.wsws.org/en/articles/2012/08/sff3-a10.html
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非自発的失業は、政治の犯罪か無能だとどうして考えられないのだろう。
分業化社会は生産した商品の交換で成り立っている。
交換が出来なければ自給自足経済の方がましだ。
交換が出来なければ非自発的失業者が発生し、困窮者が発生する。
この交換をスムーズに行わせるのが政治の役割です。
国民に充分なマネーが行き渡れば交換がスムーズに行われます。
マネーが偏れば交換が止まってしまい、非自発的失業者と困窮者が
発生します。
そして政治はマネーを偏らせるような政策ばかり取ります。
これは犯罪か無能の証明です。
しかし国民に非自発的失業は政治の犯罪、無能の証明という自覚が無い。
非自発的失業があるのが当然と考える馬鹿ばかりが増えてしまった。
これでは政治の変わりようも有りません。
そして政治の選択も、犯罪、無能政党と、犯罪、無能政党との
選択というように国民に選択の余地も無くなってしまった。
バブルまでは非自発的失業など、本人に何らかの欠陥が無ければ
見た事が無かった。
労働需給はタイトで企業は従業員の確保に汲々とし、毎年、賃金は
上がって行き、それで個人消費も毎年増え経済成長してきた。
まともな経済政策をすればこれが当然なのです。
労働需給がタイトなら最低賃金などというものは必要ないくらいです。
『リデンプション』 大都市の片隅で空き缶回収で暮らす人々
http://democracynow.jp/video/20130131-3
最高学府を出て企業で表彰されるような人でも、
大量リストラが起きれば町で空き缶を拾うようになる。
非失業なんて簡単に無くせるのに、非失業が発生するのが
当然のように装い、非自発的失業を発生させる。
すべては資本と企業が儲けるため。
これを政府の犯罪、無能と認識できない国民では
どうにもならない。
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