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検察審査会によって起訴された小沢氏も無罪が確定したし、起訴議決がされたのは平成22年9月14日のことだ。 ほとんどの人は記憶から消え去ってきているだろう。 検察審査会側も政権が変わったことだし、忘却によって幕を引いてもらいたいと考えているに違いない。 しかし幸か不幸か3人の元秘書の裁判は「まだ」続いている。 だから、検察審査会の所業が完全に人の記憶から消え去るのは、当分先のことだ。
なぜなら石川氏の捏造報告書が、小沢氏を検察審査会で起訴させた原因だと一般には信じられているから。 一方が無罪の判決を受けても、もう一方が裁判を続けている限り、両者の関係は分けて考えられることはない。 一審、二審とも検察への配慮のためか元秘書には有罪の宣告をしてしまったが、おかげで幕引きも出来なくなってしまった。 検察審査会の問題は「過去の出来事」ではなく、「今現在の問題」として追求される。
検察審査会はあれ以後何か変わっただろうか? 何にも変わってはいない。 もし小沢氏案件でエラーをしたのなら、これからも同様のことは起こりうる。 何の歯止めも出来てはいないのだから。 審査会は誰も「検証」することはできない構造になっている。 「国民の代表が議決したことだから、検証の必要はない」が検察審査会法の主旨のようだ。
ならば「正当な国民の代表」が議決しているかどうかは、検証する必要がある。 各審査員の意見はまちまちだろうから、そこまでは踏み込まないが、検審事務局や審査補助員の発言はチェックされるべきだ。 本来彼らは、「自分の意見」を言ってはならないことになっている。 審査員を誘導する恐れがあるからだ。 しかし、素人11人の意見を纏め上げるには「熟練者」が何らかの助言しないとと収まりが付かないであろう。 その「発言」が問題なのだ。 これは記録に残すべきである。
ところで「検察審査員がいたか、いなかったか」がついに週刊誌に載った。 私も「後腐れない」方法ならば、架空議決を支持する。 関係者が多ければ漏れ出す危険性も増大するからだ。 最高裁判所長官代理はチビチビと資料を出しているようだが、泥縄の資料なら出せば出すほど資料間で食い違いが出てくる恐れがある。 しかし出さないわけにはいかない。 国会の法務委員会で質問されるのだから。 最高裁が被告席で追求されるなんて前代未聞だろう。 惜しむらくは森議員ひとりに戦闘をさせていることだ。 ほかの弁護士議員どもは、タ○は付いているのか?
弁護士といえば、毎年2000件を超える審査案件に対して「審査補助員」が選ばれるのは何パーセントぐらいなのだろう? ほとんどは審査補助員なしの審査だろう。 審査補助員を義務付けられる2回目の審査まで行くのは、おそらく数十件あるかないかだろう。 とすると議決書は誰が書くのであろうか? 素人の審査員ではあるまい。 検審事務局員か? そうかもしれないが、彼らは法律のプロではなくただの事務員だ。 もし議決書の文面に「法律上おかしい」内容が盛り込まれようとしていたら、誰がチェックするのか? 上部機関の最高裁事務総局しか考えられない。 ここには法律のプロがゴロゴロしているだろう。 ここに任せれば「完璧な議決書」がたちどころに完成する、とすれば、なんにも素人の審査員たちでワイワイやることはない、 という判断にいずれ行き着くのではないか?
たとえば二階氏の議決のときに、審査補助員はいたのだろうか? あわてて呼んだにしても即日議決では間に合わないだろうが。 その議決文を見てみたいものだ。 事務員が書いたものなら、さぞやあっさりした文面であろう。
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