http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/774.html
Tweet |
昨夜、アメリカンアウォードというレコード大賞みたいなのをテレビで見た。でもここまでアメリカの音楽シーンも堕ちたかと唖然とした。
たとえれば、学芸会レベル、いやそれ以下だ。中国大陸でやっている省ごとの壮麗だが、食傷気味の音楽ページェントやインドMTVの例の油ギッシュ・マサラクリップに比べてもとてもじゃないが、食えたもんじゃない。皿に泥まみれの芋と血まみれの肉を持って突き出された感じだ。英米の飯のまずさは有名だが、それが文化全体に蔓延しだした感じだ。
こういうのも50年代までのアメリカ大衆文化、特に音楽と映画のレベルの高さを知っているのみならず、戦後世代としてやはり血肉化しているからだ。
文化というのはえてして、というより必ず次代を告げるものだ。繁栄期の最後に文化が最も栄えるという説もあるが、今のアメリカ文化にはその片鱗さえない。
おそらく世界に影響を与える文化は精神と物質のバランスの上に築かれたものなんだろうが、今の米文化は実に即物的で物自体というか調理をせずに泥まみれ血まみれの食材を皿に持ったような印象しか受けない。
おそらく英米文化の強みである功利的で現実的な面が行き過ぎた、あるいはそこから精神性がほとんど抜け落ちた結果だろう。そこにあるのは工業のフィードバックよろしく、最多の観客に受ける安物ゲテモノ文化の即物的再生産過程だ。最大限、精神性をないがしろにした結果だ。
20世紀前半の観念に支配された世界においてはアメリカの現実的な文化は強みを持てた。そして世界に科学と現実観察という英米的価値観を広めた。しかし、その英米の現実性が行き過ぎると同時に世界は夢から覚めたように英米の現実観を学び同時によき伝統的価値観も保持している。(日本を除いて)
また、科学や技術の源泉も現実の観察ともに精神的なひらめき、創造力である。そう考えれば英米の次に来るものが見えてくる。
Bricsとか上海機構とか英米覇権に対抗する世界軸が徐々に力を持ってきている。世界の歴史上では日本や英米の繁栄などたった1,2世紀ぐらいの短期間だ。世界の大文明圏であるインド・中国・ペルシアイスラム・ギリシアラテンなどは何度も挑戦する新文化を飲み込み弁証法的に消化して生き残り繁栄してきたのだ。この観点から次代はこれら古い4大文化圏を中心とした多文化多極の世界に進んでいくことは確かだ。
英語圏のモールには例外なくインターナショナルフードコートとかいって世界中のレストランが集まったファーストフード外がある。そこで一番人気がないのは英米のレストランだ。なにしろハンバーガーやフィッシュアンドチップスぐらいしか売り物がないのだから。しかし、やはりその食堂街のプラットフォームを提供しているのは英米の政治経済システムなのだ。それが公平であるだけ、実質的な文化も透明化してハンバーガーとかの栄養剤みたいなジャンク文化しか最後には提供できなくなる。
英米はその即物性ゆえに世界覇権を達成し、目的を達成したと同時に古い文化圏に飲み込まれていく運命にあるんじゃないだろうか。
で、日本の運命だが、日本はやはり中国の辺境文化圏に位置するということは漢字や建築などみれば一目瞭然だ。それが中国文化にこれからも飲み込まれずに多文化の一極として生き残るかは実は逆説的だがその国際化にかかっている。そのようなことを中心に次回、論じてみよう。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。