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学校教育のファンクションとは何だ。教育学専攻者はぶったまげるかもしれないが、
1インプット(情報、知識)
2アウトプット(思考と行動)
3評価(試験)
4選別(学位授与、内申書、推薦)
1,2はまさに洗脳といえる。洗脳と育成の違いは学習者のアイデンティー開花のためか国家目標のためかにある。現代の日本初めほとんどの国の公教育はまさに洗脳だ。2のアウトプットまで学習者を制御しようというんだからこれは恐ろしい人間改造を伴った人間規格化国家プロジェクトだ。
3,4は学校の外部に共通一時センターなど各国でも設置していることが多いがそれも国家の選別機関の表れだ。
1,2で洗脳し君らの思考、行動様式を7,8割がた形成し、3,4で就職や結婚社会活動を規定して君らの人生の実際の内容まで統御する。よって君らは99%は公教育によってすべてがコントロールされているのだ。コンビニで何を買うか。どんな漫画を読んでどんなDVDを借りるか、どんな異性と結婚するか。どこでどんな仕事をしてどんな人生を送るかまで99%制御されているのだ。
自分は自分と想いたいだろうが、君らはマンチュリアンキャンディデイト顔負けに洗脳されてるのだ。でなければどうして満員電車で通勤しサービス残業をしてかさあげされていく消費税をあきらめの態度で受け入れるんだ。
教師はそこでは、猿回しどころかブロイラー工場の管理人だ。当然学校は動物農場はおろか養殖場だ。文部科学省は未来の人間加工工場の雛形を最大限の努力とともに形成しつつある。
国家や政治が教育に関与したとたんにそれは洗脳の要素が入り込む。よって公教育の本質は洗脳なのだ。
願わくば善意の教育学関係者(もはや教育関係者は客観的に己の生業を認識することが出来ない)が公教育の犯罪性について少しでも鑑みられんことを。
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