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それでは、肝心の「原発問題」と、ドイツと日本、彼我の斯かる政治路線の差異はどのように関わっているのでしょうか?
それは、上に挙げた「68年革命の担い手」のその後の生き方に良く現われております。
西独の場合、上で見た80年代の巨大な「反核運動」を生み出して行ったところに表れてるように、その後彼らは70年代になると環境運動の方へシフト・チェンジして行き、国境を越えた様々な活動や繋がりを重ね、「緑の党」という、欧州レベルの政治勢力を創り出して行ったわけです。
そうして、その時の「反核運動」の流れが今日の「脱原発」へと繋がっている。
対する我が方の「68年革命の担い手」達はどうだったか?
勿論、日本においても決して少なくない人達が、ドイツと同様、環境の方へシフトして行き、その中からも、高木氏や小出氏に代表される様に、環境運動や反核運動に強い影響を与えて来た事は事実でしょう。
しかしながら、それでも総体として見る時、その多くの部分はポジションを変えて行った、と言わざるを得ない。
80年代という同じ時代に起きた二つの現象、「反核運動」(西独)と「経済バブル」(日本)、其々において中心的な担い手、乃至は先頭に立って引っ張って行ったのが同じ世代という処に、日独彼我の差異が鮮明に現われているーとは言えないでしょうか?
では、その差異をもたらしたものとは何か? 何が原因でこの違いが生まれたのか?
私は、約めて言えば、その担い手の多くが地方から(田舎から、農村から)都市への参入者でもあった処にも現れてる様に、日本の場合は特に、大多数が都市化=近代化への幻想の内に在ったからだ、と考えます。
そうして、都市化(=近代化)が不断の<脱自然化>の運動でもある通り、環境を克服すべき対象と捉える近代化論に囚われてる限り、「環境」はお題目か若しくは西欧発のファッションに過ぎず、詰まる所それは、<グローバリズム>の別働隊である、米英アングロ勢の「環境保護」(=エコナチズム!)の下働きに終わるしかない。 「先進国で環境政党をもたない特異な日本」と「遅れてる」論的に捉えるのは完全に誤りであり、米英以上に、<カルト>的情熱を以って近代化=都市化を実践しているから、と捉えるべきです。
そうして、斯かる近代化へのカルト的な偏執が科学に在る政治性には目を向けず、<核>の政治への鈍感さへと繋がっている、と診ます。
その逆がドイツ、「反核運動」の流れが「脱原発」へ繋がっている様に、彼等においては、反核兵器と反原発は地続きのものとして理解されている。 即ちそれは、言うならばムチ(原爆)とアメ(原発)として、<核>(による支配)を大戦後の(戦勝国による)支配体制の核心部分に在るもの、と見ていることです。 「原発」がアイゼンハワーの「平和のための核」発言を出発点としている様に、核ビジネス自体がアメリカを頂点とする支配体制の中に組み込まれたものであり、その後に出来た「核拡散防止条約」を見てみても、その方針(戦勝国による支配)は貫かれてる。
反対に、つい最近まで、「核の番人」IAEAの監視の対象の殆どがドイツと日本であったということも、その見方の妥当性を示すものでしょう。 しかも、原発に前のめりになる程ーその比重を高めた分だけーエネルギーというその国社会の生存の根幹部分を他者(国際機関)に委ねる、言い換えれば、自らコントロール出来ない立場に置くことをそれは意味してるのですから。
つまり、どちらを取っても、<核>は政治と一体化した支配の武器であり、その意味でも<ヤルタ体制>は依然として引き続いてる、と見なければならないのです。
そうして、その事にドイツは自覚的である、ということです。
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