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さて、それでは3.11ですが、それがショック・ドクトリンであるかどうか問う前に、9.11との共通点について、”あの日を境に、前と後では変わった”という時、「文明」と「アメリカ」、其々の<神話>の終わりを告げたという意味では同じである、ということは出来るでしょう。
他方、その相違点から見れば、「9.11」を”第2の真珠湾”と呼んだように、或いはその衝突を”カミカゼアタック”と言ってる如く、更には崩壊したビル跡地を”グランド・ゼロ”と名付けた処にも、アメリカ側からすれば、「対日戦争」と「9.11」は共通している、即ち「対日戦争」の延長線上に「対テロ戦争」を見ていることは明らかでしょう。
そうして、日本はと言えば、多くの人がヒロシマの先にフクシマを理会しようとしている。
そうだとすると、「3.11」と「9.11」は先の日米戦争が暗喩として機能してることにおいて、共通の土俵で論じることが出来ると同時に、アメリカとは丸っきり異なった角度から考察されなければならない。
ここで、<放射能>という、他の事件や事故とは異なるフクシマの特性が現れて来ます。
我々がマスメディアを通して見せ付けられてるのは、破壊された建物のみであり(その意味でもチェルノブイリの再現ですが)、別に、死体が在るわけでもなければ、血が流れてるわけでもない。
直ぐに、目に見える形で、数十万という死傷者が出たヒロシマやナガサキとの決定的な違いです。
我々の前に乱舞しているのは(放射能測定装置で計ったとされる)<数値>であり、我々を茫漠とした不安に陥れてるのはこの見えない、感じることの出来ないものへの恐怖という処にこの「事故」の特異な点が在ります。 又更にそういう意味で、数字に生を代替させてるー科学技術の虜囚になってるー自殺へひたすら向かってる!−我々の現在が透けて見えるのです。
意図的であるのかどうか、そこに作為的な要素が在るのかどうかは暫らく措くとして、「9.11」との類似点が一頻り論じられましたが、この「見えないものへの恐怖」という処で共通項は一見在る様に感じられるけど、決定的な違いは、”テロリスト”としてビン・ラディンを名指した処に表れてる様に、「見えないものへの恐怖」が見えるものへと形象化され、<敵>として、方向付けされた処に在ります。
憎悪は存在の不安に発し、それを対象化した処に現れる、即ち対象によって自らの生存が脅かされてると感じた処に生じますが、それを特定化し、方向付けする(イスラムとくっ付ける)斯かるやり口は、彼等アメリカが口を極めて批判して来た、ナチスの所謂「憎悪の哲学」そのものです。
言うまでも無く、「テロリスト」(文字通り恐怖を手段とする者)という命名自体が、欧米に遍在する、イスラムへの偏見や差別と結び付いた漠然とした不安を逆手に取って、それを顕在化させ、方向付けし、憎悪を煽ろうとする底意が覗える、際立って政治的な用語です。
普通に理性を働らかせれば、事件とイスラムを結び付ける要素はおろか、「犯人」とされた側に事件を引き起こす理由などないことは明らかなのに、アフガン果てはイラクまで突っ走るブッシュ政権をアメリカ人の多くが翼賛して仕舞うのは、それがアメリカ(人)という存在の(不安の)根っ子※@を直撃したことに因るのでしょう。
つまり、この真犯人は、それによって、アメリカ人が理性を失い、神経症的な不安或いはヒステリーー丁度”赤狩り=マッカーシズム”※Aの様なーを惹起することをよく知っている、と思われるのです。
※@フロンティアの病理とも言うべきか、開拓とは先住民からの不当な簒奪であるが故に、Manifest Destiny「明白なる使命」の裏側の真実が、<原罪>として、影の様に張り付いている。 だから、事有る毎にそれを意識せざるを得ず、危機に臨んでそれが亡霊の如く甦る。
※A「冷戦の起源」について、永井陽之助はそこに疫学的な発想が潜んでいることを指摘しましたが、”禁酒・禁煙”の問題と同様、そこには清潔病・潔癖症とも言うべきピューリタンの病理があります。 外敵=外からの侵入(者)への病的な不安や怖れ。
「9.11」=陰謀論を批判するのに、(直ぐにバレる様な)そんな杜撰な事をCIAや米軍がやるわけないと、したり顔で言う人が居ますが、アメリカについては元より、思想とかイデオロギーについて、何も知らない人なのです。
反米レジスタンスの拠点になっている所を、米軍は、隠語で「インデアンテリトリー」※と呼んでることでも分かる様に、イラクやアフガンでの戦闘は、彼等にとって、対インデアン戦争の延長線上に在ります。
そうして、自分たちの文明に絶対的な自信を持っていたベトナム戦争以前であれば決して使われなかったであろう、「テロリスト」という言葉を用いる彼等に、逆説的にせよ、没落の予兆を見て取れることは明らか。 ー蹴散らし踏み潰す侭にしてきた此れまでとは異なり、今や生存の不安に駆られる、恐怖の対象と成ってる処を見るならば。
※元々は”大河”の意味であったインドは、ヨーロッパ文明から観た夷蛮の地ということで、言外に”野蛮”という意味、従って”インディアン”とは、インド人ではなく、野蛮人という意味で使われていることは明らかでしょう。 即ち<文明>対<野蛮>。 開拓者精神と訳される”フロンティア・スピリット”のフロンティアとは前線の意味ーつまり、自らの在り様を(西欧)文明の前線と位置付けることの中に、野蛮に直面しているという含意がある。 そうして、<自由>はその最前線にて顕現するという時(F.ターナー)、その存在証明或いは存在の確認の様に、「対インデアン戦争」が欲求されるのです。
他方、我々にとって、「3.11」フクシマを思う時、陰画の様にヒロシマが浮び上がって来る。 そうして、原爆は否定しても、原発を否定出来なかったのは何故か?と問う時、我々が決して見ようとしなかったもの、無意識の裡に見るのを拒んで来たことー言うならば、集団的な自己欺瞞※に気付かされるのです。
少なくとも我が身(近代史)を振り返って見れば、戦争と平和は、対立概念ではなく、相補概念であることぐらい直ぐに分かるでしょう。 従って、核の戦争利用(原爆)と平和利用(原発)が相補関係にあることー核戦略を維持した侭、丸で手のひらを返す様に「核の平和利用」への道を拓くアメリカの意図が奈辺に在るのか、見当が付くはずなのです。
にも拘らず、戦争と平和を対立概念と捉え、全くの別モノと見做して、”核の悲惨さ”を訴え、平和の使徒を装いながら、原発の宣伝係を務るとなれば、それは其の侭、アメリカの戦略に則ったものにしか成り得ないのは自明でしょう。
丁度、ヒロシマの碑文が、その意図とは別に、日米安保体制(米軍支配)=戦後支配体制に適合した、最も都合の良いシロモノであったことと相即するものです。
それが客観的には(第三者には)どのように映るのか?ーどのように機能しているのかー一切お構い無し、主観的願望と独り善がり、丁度大東亜戦争の裏返しで、無意識の内に、主要な関心の対象である欧米に迎合している。
勿論それは、加害者が居直り強盗然に居座る戦後(占領)体制においては、敗戦を「終戦」と言い換えた如く、阿Q的な意味での「精神の勝利法」だったでしょうが、根本の原因は、やはり、明治の「選択」を不動の前提とするところから来ているのでしょう。
取分け戦後にそのモデルをアメリカとすることにおいて、当のアメリカ以上に、フッサールの危惧やC.シュミットいう「技術進歩教」への帰依は進行することになったー「科学は現代に残された最後の宗教」(『自殺に向かう世界』)というヴィリリオの指摘は他の何処にもまして日本に当て嵌まるのであり、中でも政治が強く纏わり付いてくる<核>=”原子力ムラ”のあり様が殆ど”破壊的カルト”の様相を帯びたものになるのは、その意味で必然なのかも知れない。
加えてもう一つ、私には、ここに見られる戦後日本の科学への崇拝は、敗戦とそれに由る占領体制の永続とも深く係わっている※と思えるのです。
つまり、明治の「選択」と敗戦=占領・隷属という、絶対矛盾とも言うべき袋小路の救いとエクスキューズを「平和」と科学への信奉に求めたーそこに集団的に陥った自己欺瞞の根っ子を見るのであり、それ故の思考停止であった、と。
従って、言うならば、ヒロシマの思考停止がフクシマをもたらしたのです。
※その意味で、形式的な独立の年に「鉄腕アトム」が登場して来たのは、考えてみれば、戦後日本の本質に係わる重要な事態を指し示すものであった、と思います。
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