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核のイデオロギーについて   アメリカへの死角1
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/672.html
投稿者 影の闇 日時 2012 年 8 月 07 日 09:34:30: HiXvZf/FmwPNU
 

<近代>再考 フクシマ=オキナワ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/665.html

近代化論から観たフクシマの正体が上記のものだったとしたら、本質論的に言えば、両方ともに通底する核(エネルギー)の正体の顕現として、ヒロシマもフクシマも変わらないー加藤尚武氏が指摘する(『災害論』)核技術や遺伝子工学、臓器移植及び免疫抑制等に代表される現代科学技術の根本的特徴が、自然が本来持ってる<自己(同一性)を維持する機能>を破壊することで成り立つ技術であるとするなら、「事故」とはその一連のプロセスの制御不能を意味し、その結末は同一性の破壊、即ち<自己>の破壊ー存在そのものの消滅をもたらす、ということ。
即ちヒロシマもフクシマも、現代科学技術による予見せられる未来を描いて見せたものーその結末を垣間見せているのであり、仮にヒロシマやフクシマが無くても(原爆や原発が無かったとしても!)、現代科学技術によってもたらされることになるであろう未来(結末)を暗示したものーと見做さなれなければならない。

考えてみれば、この<自己同一性>を壊すことで成り立つ現代科学技術の根本的な特徴、或いはその在り方というものは、アメリカのそれと重なり合うことに気付きます。

<自己同一性>(アイディンティティー)という概念自体、その言葉の生みの親であるエリクソンのアメリカ体験に触発されたものであることでも分かる様に、元々の出発点が移民国家であるアメリカは、出自であるヨーロッパを旧世界と見做し、「旧世界の自己」を一旦壊してーアメリカ=「新世界」「新天地」で新たに(ゼロから)出発するー新たに自己(アメリカ人として)を確立するー斯かる一連のプロセスで生じるエネルギーを活力に変えて(取り込んで)、活性化し、発展させると共に、彼の国自体を作り変えて来たわけです。 
”20世紀は戦争と革命の世紀”(埴谷雄高)とするなら、戦争と革命の裏腹の現象である難民はそうした光の部分に対して影に当り、斯かる意味で”20世紀とは難民の世紀”と言うことも可能でしょう。 そして、言うならば難民国家として出発し、自己規定してきたアメリカが”難民の世紀”に主役であり続けたのは当然なのかも知れません。
いや、恐らくは、問題は逆なのです。 ドイツや日本の危機感に駆られた膨張が示した通り、アメリカが主役であることが”難民の世紀”を作り出した、というべきでしょう。


また、彼の社会においてもー
アメリカ人と話した事が有れば分かりますが、何世代か遡ると(民族も含めて)出自が判らなくなる、”人種の坩堝”と自ら規定する通り、様々な出自を無視乃至軽視して(精神分析的には抑圧・隠蔽して)、「自立した個人」なり「個人の自立」を主導動機とする社会においては、個人及び自己というものが全くの裸の状態に置かれることになります。
そうして、このような社会においては、所謂”アイディンティティ・クライシス”−個々人の<自己同一性>が常に危機に曝されるー即ち<自己>が臨界状態になってるということが出来る。 上で申した通り、アメリカは、斯かる危機を好機に変えることで活力を得て来たわけです。
見られる様に、アメリカ社会の斯かる在り様と現代科学技術の根本的特徴は極めて親和的である、ということが出来るのです。

例の原爆を巡るアインシュタインのエピソードにも覗われる様に、大戦前後に、ドイツを始めヨーロッパの各地から、ユダヤ人を中心とする知識人・科学者が大量にアメリカに移ることによって、学問の分野においてもアメリカの覇権は決定的になるわけですが、それに伴って、斯かるアメリカの在り様が現代の諸学問に強い影響を及ぼしているのではないか?ーという疑いは当然湧いて来ます。

その大戦直前、フッサールは「ヨーロッパ諸学の危機」を訴え、<経験主義><実証主義>=客観主義に偏っていく現代科学の在り様に警鐘を乱打しましたが、そうした傾向はアメリカに主導権が移って以降、更に一層強まって行きました。 詰まり、そうした傾向への対策として、フッサールが唱えた「生活世界への回帰」は、伝統や慣習等知恵的な部分が生活に占める比重が強いヨーロッパとは異なり、そうした部分を夾雑物と見做すアメリカにおいては「生活」がそれを掣肘する要素が弱い※。

※ピューリタンによって人為的に作られた社会においては、モデルを純粋に追及するという傾向が強い、ということかも知れませんが。

主観の位置をゼロにするー観る主体の(哲学的な意味での)資格や権利を問わないー科学のそのような客観主義に対応して、主観を排した分だけ、アメリカにおける斯かる主体の在り様も又投影されて来ることになるのかも知れないー少なくともその破綻(破局的事故)を観る限り、そのような疑惑は付いて回るのです。

そうして、斯かるアメリカ(人)をモデルにして、日本を筆頭に、世界は自らを改変して来たのであり、そのような意味において、我々は、大なり小なり、「アメリカ人」であると言うべきかも知れませんし※@、同様な意味において、現代科学技術の問題はアメリカの問題と同列に論じられるであろう、と言えます。
少なくともアメリカの<価値>や<基準>を自明の前提とする”グローバリズム”の唱道者達に感じるいかがわしさや疑いを持って科学(技術)の「(政治的)中立性」や「普遍性」については見ておくべきであり、以下の点において、それ自体偏りの体系でありーテクノロジーによって”グローバリズム”は支えられ、推進されている点からもーいかがわしさを抱くに十分の理由も有るのです。

経験科学・実証科学という時の「経験」とは何か?「実証」とは何か?は問われず、全て数字に還元し、数値で表されるとする現代科学技術の動勢を読む限り、人間の生(活)を含む現象界の全てが数値に代替され得るとする傾向は、強まることはあっても歯止めが掛かるとは考えられない。

このようなテクノロジーに生(活)が代替されて(侵食されて)行くことが何を意味するのか?その先に何が有るのか?を問う時、P.ヴィリリオの言う様に、世界は自殺に向かってる※Aと見做さざるを得ないのです。

※@『1968』において、小熊英二は、学生運動高揚の背景に、当時の若者が、日本近代史上初めて、世代として、集団的にアイディンティティ・クライシスに陥った事を指摘していましたが、ほぼ同時期、世界各地で高揚した”スチューデント・パワー”にも表れてる通り、同様の問題は日本以外の各国にも起こっていたと観るべきだろうし、その彼等が共通して揚げた政治課題が「ベトナム反戦」だった様に、問題の元凶がアメリカであることを本能的に感じ取っていたのかも知れません。 してみると、”グローバリズム”とは斯かるアメリカの開き直りという側面もあるのでしょう。

※Aその意味で、”IT革命”が叫ばれた前後から日本の自殺者数が急カーブを描いて上昇し、年間3万人の大台を超えたのは、やはり、重要なサインだったのかも知れませんし、この面においても、日本は世界の先頭を突っ走ってることが今回の事故でも明らかになりました。 

 

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