http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/669.html
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ところで、上記で示した9.11を契機に矢継ぎ早に打ち出された国内外の諸「改革」及び改変を見れば判る様に、もしも平時だったら、或いはそれ以前であれば、とてもその実行は不可能だったでしょう。 それが、あれよあれよと言う間に罷り通り、あっと言う間に実現して仕舞った。 余りの手際の良さから、これは予め準備され、用意されたものだったと考えざるを得ない。
ーとすると、まさしくこれこそが”ショックドクトリン”=惨事便乗or活用型戦略の発動だったのではないか?
”ショックドクトリン”とは、主にビジネスとか資本主義の在り方のみに焦点が絞られていますが、ナオミ.クライン自身も述べてる通り※、それらはむしろ、斯かる国家若しくはそれに相当するか上回る勢力の戦略に付随したモノと本来見做すべきものであるように思います。
※http://getnews.jp/archives/151301
「市場至上主義を推進する最適の時は大きなショックの直後です。経済の破綻でも、天災でも、テロでも、戦争でもいい。人々が混乱して自分を見失った一瞬の隙をついて、極端な国家改造を一気に全部やるのです」
大地震であれテロであれ、当該国民を震撼させ、一時的に平常心を麻痺させるには相応の規模やレベルが必要でしょう。
しかも、災害とは何時何処でどのように襲って来るか分からないシロモノであり、「待ちぼうけ」の農夫でもあるまいに、何時来るか分からない「災害」を当てにした戦略などは本来有り得ないわけです。 偶々起きた災害に運良く巡りあわせ、人々が平常心を失ってる僅かの間に、忽ちにして、手際良くやってのけるーなんてことは本来在り得ない。
つまりは、或る程度予期し、待ち構えていなければその種の戦略は功を奏することは無いわけですから、その種の戦略が成り立つ為には、裏返して言えば、或る程度予期出来るということに他ならない。 災害の日時、場所、規模など、或る程度の特定が出来てこその「戦略」だろうと考えます。
ー以上の観点から、私は、9.11は”ショックドクトリン”=惨事便乗or活用戦略の発動だったと考えますし、その狙いは、対外(イラクやアフガン)要因にも増して、国内要因ー「事件」直後に、米国内で行われた急激な諸「改革」ーこそが本丸だったのであり、より効果的ならしめる為にも、対外的な”脅威”が煽られねばならず、その観点から見ても大規模な対外戦争が必要とされていた、と考えます。 後は時機の問題であり、事実上の中央アジア安保同盟に向けて動き出した上海P5−後の上海協力機構(SCO)ーの出鼻を挫く為、その封じ込めとして位置付けられる軍事戦略「アジア2025」の絶好のタイミングであった、ということです。
また、”イラク戦争”にしても、既出の如く、「中東民主化」という名の不安定化作戦に欧州を巻き込むことによって欧州自身の不安定化に誘い込むーアメリカに並ぶ勢力として、急速に台頭して来たEUへの撹乱ーと供に、”共通の敵”と設定することに拠り、(軍事)戦略的にコントロール下に置くという、「冷戦」同様の目論見が在ったと思われますー対ヨーロッパに関しては(新たに現れた非西欧要因については後述)。
まぁそうした目論見そのものは、(その意図を見透かした)独仏の徹底した反対姿勢で中途半端なものに終わりましたが、最近のアラブ情勢を観れば、姿形を替えて、その不安定化作戦は生き残っている様に思えます。
こうして見ると、世界を手玉に取った”ネオコン”の跳梁は、そうした動向を見据えた上での、悪乗りに過ぎなかったように思えて来ますし、彼等の、猿芝居もどきの、派手なパフォーマンスは、元々が、幕間の寸劇程度のものだったのかも知れません。
さて、それでは日本において、3.11以前、その前後で政治(情勢)が様変わりし、社会の雰囲気ばかりか風景までもガラリと一変させたものと言えば、95年に起きた二つの惨事、阪神大震災と地下鉄サリン事件であることは間違いないでしょう。※
橋本政権下で国策の転換や、中央省庁の大再編等、国家改編が行われましたが、その頃を境に”日米摩擦”はすっかり影を潜めて仕舞います。 90年代前半までの”衝突コース”とか”日米(経済)戦争”とまで騒ぎ立てられた日米の軋轢を思えば、90年代後半以降の斯かる変化のターニングポイントとなっているのが村山政権時代であり、その時に起きたこれらが”ショックドクトリン”の発動だったとすると、全てが納得出来るように思えるのです。
※政治的な観点から見た変化は下記のスレッドを参照して下さい。
「事件」前夜の政治情勢
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/219.html
「事件」前後の政治情勢
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/220.html
宦官たち ー鳩山政権を挫折に追い込んだもの
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/256.html
それらが日本(官僚)に向けた屈服の要求であり、日本(官僚)側が「降伏」を受け入れた事の証しが国策の転換であり、”構造改革”という名の国家改変であった。 ーそのメルクマールとなったのが、軋轢の主たる官庁であった大蔵省や通産省の”護送船団方式”と言われる従来の国家統制的手法の放棄であり、名実供に変わったことを示す意味での大蔵省→財務省、通産省→経産省への名称変更だったのでしょう。
その伝で言えば、名称変更がなかった外務省や法務省、或いは防衛庁→防衛省と、焼け太り的に大きくなった省庁は、如何にアメリカに覚えメデタき組織なのか、如何にアメリカにとって都合が良い連中なのかを示して余りある、と言うことが出来ます。
とまれ、そういった省庁も含め、”親米にあらずんば官僚にあらず”的な傾向が一段と強まり、官僚更には政界においても、その中枢から親米派以外を駆逐して行き、今日の、目も当てられない属国状態となっていった、というわけです。
”ジャパン・アズ・ナンバーワン”と言われた、自分お得意のやり方を放棄するのだから競争力が落ちて当然、又”護送船団方式”を墨守する中国が、日本に入れ替わる様に、NO.2の座に躍り出てきたことさえ必然、と観なければならないのに、そうしたやり方を”発展途上型””キャッチアップ型”とし、”グローバルな時代”に合せて自らを変えて行くしかない、とする。
そこに在るのは、依然として、リアルな認識を欠いた図式ー進んだヨーロッパ、遅れたアジアーです。
”グローバル”、その実アメリカの動向を追っ掛けることを専らとするー何のことはない、相も変わらずの”キャッチアップ型”の発想で、しかも事大主義的な対応が加わったに過ぎないものなのに。
そこには、先の敗戦を「終戦」と言い換えた如く、強いられたものという屈辱は無く、恰も自然な成り行きで(不可抗力的に)そうなったと思い込む。
加えて、「冷戦」が自らの囲い込み=封じ込めであった所には目を瞑り、建前を額面通り受け取って、その片棒を担いでいるかの如く錯視したかってと同様、国家とは統治機構のことであり国民はその付属物と見做す官僚にとっては、今まさに形成されつつある”グローバル・エリート”の一端を担ってるーてな気で居るのかも知れないけど、思想オンチ、イデオロギー無理解の悲しさ、日本には”召使い”の役割しか与えられることはないのです。 ーそんな事など、イデオロギーから観た、アメリカにとっての対日戦争とは何だったか?が解れば簡単に分かることなのに。 ー”独立”と引き換えに「安保条約」を米軍の下士官室で強要された時から、ブッシュ等から”小泉軍曹”と呼ばれたことでも明らかな様に、「最も日米関係が良好」とされた小泉政権時代においても、日米関係は変わっていないのです。 下士官=軍曹というのが、(自分で考え、判断することはせず)上官の命令を忠実に遂行することをその本分とするということにおいて、暗に日本(官僚)の地位を示してる処に表れてるように!
無論、”グローバリズム”を動かしてる<新自由主義>とはWSPによる世界統合のプロジェクトに過ぎず、それが先に指摘した通り、「WASP(の自由)」への同化=屈服・隷従を意味することは自明でしょう。
にも拘らず、それが何か自然の成り行きで、不可抗力的な、必然と思い込み、それ以外は見えて来ないー我々の多くが、幕末の論者程にも危機の認識が欠落していると言わねばならない。
斯かる事態を招いた原因は何処に在るのか?一体何がリアルな認識を妨げてるのか?を問う時、必然的にそういった見方の由来であり、在り方を示す「近代化史観=進歩発展思想」ーその源流である「脱亜入欧」という明治の「選択」に行き着くのです。
ところで、今まで見て来た観点から言って、”グローバリズム”の蹉跌とも言える”リーマン・ショック”のその時に、またブッシュに入れ替わる様にオバマが登場して来る意味も又分かるでしょう。
「WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)」を一々引っくり返すとオバマが出て来るし、又オバマ自身の出自から観れば、オバマを一々引っくり返すと「WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)」が出て来る。
即ち、目晦ましであり、隠蔽装置であると供に、”グローバリズム”の延命装置であることが。
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