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さて、大きく分ければ「冷戦」の終焉以降ではありますが、特に目立って来たのはここ十数年(具体的には橋本内閣時の’国策’の大転換以降)、表立っては所謂<新自由主義>の跳梁・跋扈と共に現れてる諸事象は次のひと言で言い表すことが出来ます。
視野狭窄!
ーアメリカしか、或いはアメリカを通してしか世の中とか世界を観ることが出来ない。
これは、丁度冷戦時代の東欧諸国宛ら、アメリカで雨が降ったら(日本で晴れていても)傘を差す政府やーそれに疑問を差し挟むことも無ければ批判すらしないー学界とかマスコミ等の選良=体制の使徒のみならず、その信徒=国民一般の深い処まで浸潤している、と言わねばならない。 オリンピックの種目すらなってない、世界的にはマイナーなスポーツである野球の、しかも米国内での選手の動静がニュースの一面を飾り、たかが彼の国内の見世物に過ぎない映画のアカデミー賞が恰も世界的なイベントであるが如く騒ぎ立てる処に表れてる様に、マスメディアによって意識下に<格付け>として植え付けられており、「アメリカが世界に良い影響を与えているか?」という問い掛けに、フィリピンと共に日本が飛び抜けて高い数値を出した事に覗える如く、意識における植民地状態と言うべきものが進行して行っているのです。 当のアメリカ人自身が「何故アメリカは世界から嫌われるのか?」と嘆いているというのに!(オバマ氏の登場も、こうした国内外の状況が背景に在ったから、と考えるべきでしょう)
これから論じて行きますが、核問題(原発も原爆も)の核心もアメリカの(世界)戦略にガッシリと組み込まれてるという処に在ります。
最近の「原発再稼動」問題にも現れてる通り、丸で事故など無かったかのように振舞う政府や体制の使徒どもの言動を観れば、フクシマ以後の状況は、それがいよいよ病膏肓に入ってることを示すものでありましょう。 また、国民の「事故」への対応は、「日華事変」の勃発に際して、小林秀雄が言った「国民は黙って事変に処した」を彷彿とさせるものです。
だとすると、戦争にも匹敵するかのような事態に対する政府や体制の使徒どもの言動と国民の斯かる無為は裏腹乃至同位の現象として捉え返すことが出来るーとすると、”天災”即ちこの列島を繰り返し襲って来る自然災害と同列視する、斯かる国民の対応に見合った形にある政府や体制の使徒どもの言動は、手前勝手な想定の挙句、奈落に突き進んで行ったかっての軍部※と何ら選ぶ処は無いーさすれば、67年前の結末を観るような視点で、今日の事態は論じるられるでしょう。
※さしずめ、かっての軍部=軍事官僚に相当するのが財務省や経産省等の経済官僚でしょう。
(この問題でも夫子自身ピエロ役を演じた)吉本隆明の令名高き「擬制の終焉」に擬えるなら、彼等は終ってるが故にーそしてそれに替わる何ものも持ち合わせていないが故にー何事も無かった(起こらなかった)様にしか振舞えないのです!
そうして、「リーマン・ショック」で死刑を宣告されたはずの新自由主義がゾンビの如く復活して来る現下の日本の状況を観れば、これは核の問題に止まらないものであることが感じ取られるはず。
従って、<核>の問題を真に理会する為には、これらの問題を総体として論じる<視点>の獲得は欠かせないー即ち、フクシマと新自由主義の現在形である”TPP”は同日に論じられなければならないのです。
TPPの積極な推進役が保安院のスポークスマンとして横滑りして来る(西山英彦参事官)状況ー或いはその内部的必然性とは何か? 何れも、根拠無き「安全」「安心」を振り撒く役目として打って付けだったーそれ以上に、アメリカの世界戦略ー通商、核(軍事、ビジネス)戦略ーに付随し、それに積極的に応えて行くことを<使命>と心得る買弁官僚どもには、全く同一の任務としてあったーということでしょう。
核と通商問題、一見して無関係に見えるけど、その両方とも、アメリカの世界戦略と深い所で繋がっていることは今更言うまでもありません。
前者は、70年前の「マンハッタン計画」より一貫して、アメリカの世界戦略の中心に在り、従って<核>の現在を見ればアメリカの(現在の)世界戦略が見て取れますし、後者の場合、TPPは、単なる通商問題ではなく、現在から将来に掛けての、アメリカの世界戦略が通商問題に現れて来たもの、と言えます。
つまり、何れを取っても、アメリカの現在が透けて見える。
前者の場合、”核(兵器)無き世界を”と言いながら、一方では、かって無かった程積極的に、原発増進及び核ビジネスに乗り出す。 しかも、自らは一歩退きながらも、事実上コントロール下にある日本や韓国の企業を前面に押し立てて、そのターゲットになってる処を観れば一目瞭然! 東欧(ポーランド、チェコ、ブルガリア)、中東(トルコ、ヨルダン、サウジ)、インド、ベトナム。 これらは何れも、国際政治上の要衝の地であり、取分けアメリカの世界戦略(地政学)上のキーポイントとなる処です。
穿った見方をするなら、必ずしもうまくいってないMD=ミサイル防衛計画に替わって(軍産複合体の戦略に対抗して)、言うならば、表面はビジネスの形を取った核戦略とでも見做されるべきシロモノではないのか?
殊に東欧の場合、表向きの標的はロシア、しかしながらその真の標的はドイツという<冷戦>以来の図式がモロに当て嵌まる。
ードイツとイタリアが即行「反原発」に切り替えたのも、斯かる原発ラッシュの隠された狙いを感じ取ったから、なのかも知れません。
後述しますが、私が「東日本大震災=人工地震説」を完全に否定出来ないのも、このような、アメリカにとってあまりにも旨く、都合良く出来過ぎていると思えるからです。
また他方、アイゼンハワーの”平和の為の核”とオバマの原発増進路線が繋がっている様に、後者の場合も、アジアへのグローバリズムの現れとして、100年前の”門戸開放”と今日の”TPP”が繋がってる。
つまりはこれらは、硬(軍事)軟(ビジネス)取り混ぜて顕れるアメリカの我々に対する戦略の中核に在るものー従って、それを逆に観ると、我々(単に日本のみならず!)にとっての<アメリカ(問題)>の本質が顕われ出たもの、と解することが出来ます。
因果関係で観ればフクシマは結果、TPPは原因、一見別の因果律ではあるけど、”門戸開放”が原因と言える日米戦争の結末がヒロシマであったとすれば、フクシマは予見し得る<未来>=結末を示したものーと言う事が出来るのではないか?
そうして恐らくは、”TPP”について「選択の余地は無い」とする官僚や体制の使徒どもの固着した図式においては、”門戸開放”と「大東亜共栄圏」が今日の”TPP”と「東アジア共同体」に、それぞれパラレルに繋がって見えてるはずーかって”門戸開放”を拒否して「大東亜共栄圏」を主張した結果がヒロシマなのだから、「東アジア共同体」をネグって、”TPP”を受け入れるのは理の当然である、と。
だが、果たしてそうか? 実は、フクシマとは、斯かる図式の無意味さを逆に示しているのではないか?
何故なら、ヒロシマを上回る厄災をもたらすことになるであろうフクシマの意味するものとは、反米であろうと、徹底した親米になろうと、結末は同じ!−ということでしょう。
従って、どちらに転んでも同じ結末であるなら、問題はそれ以前ーもっと根っ子の部分に在るーと言えるはずです。
そうして、もっと根っ子の部分を遡れば、歴史的には、「攘夷」と「開国」に揺れ、結局「開国」=<脱亜入欧>とした明治の「選択」に行き着くのです。
元より、TPPを今日版「開国」としているからこそー又、明治の「選択」が、争う余地の無い、絶対的に正しいものとされてるからこそー内実は丸で不明なまま、”TPP=第三の開国”なるスローガンや言説が罷り通るのでしょう。
そうだとすれば、我々が為すべきは先ず、この大元、明治の「選択」更には幕末の「攘夷」と「開国」にまで遡って、それらの内実を検討して行くことではないのか?
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