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昭和23年から始まった検察審査会制度は、平成21年5月より前まではいわば「ガス抜き制度」あるいは「セレモニー制度」だった。たとえ審査会が「不起訴不当」を議決しても、検察が再度「不起訴」の判断を下せばそれで終わりだった。しかし平成21年5月21日以降は、検察審査会単独で起訴できる制度に変更になった。
裁判員制度が同時期にできたのに併せ、審査員選出の方法も「福引方式」から「パソコン選出方式」に変更になった。おそらく審査員への日当・旅費支給もこの時機に「現金手渡し方式」から「銀行振り込み方式」に変更になったのだろう。しかしすぐに変れないのが「長年の慣行」である。
今の今まで「審査員の生年月を教えろ」とか「審査会の開催日を言え」とか「検察官の議決前説明はいつやったのだ?」とか質問されたことは皆無だったろう。だから「文書開示」の準備などはほったらかしで、粛々と審査会業務をこなしていたのではないか? いきなり質問されても「ちょうど良い公文書」など作っていないよ、というところか。
だから「会議録に発言者の記録がない」とか、その日の審査会の報告書である「審査事件票がない」とかになるのである。ことによると情報開示請求があるかもしれない、と思っていたら準備をしておくはずだ。そうすれば「審査員の保護に関わる情報」以外は即座に公表できたはずなのに。
「審査会の全開催日」や「検察官の議決前説明の日にち」などはまさにこれである。なんなら議決の時の無記名投票用紙を見せてみなさいよ。それさえ「破棄して今はない」なんだろ?
「審査会はほんとに開催されたのか?」などと事務局にすれば言いがかりのような発言まで飛び出してくる責任は、まさに審査会事務局にある。説明しないから、あるいは資料がなくて説明不可能だから、かような憶測が解消できないのだ。
裏のほうで誰にも見られず黙々と公務をこなしている、それだけの公務員の職務態度は今日の社会では許されない。誰であれ自分の仕事が間違っていないと信じるなら、情報開示請求があったときには積極的に開示すべきだ。「この仕事はヤバくて表に出せないわ」ならしょうがないが・・・。
最後に参議院予算委員会で、森ゆうこ参議院議員の法務省刑事局の稲田局長への質問に対する一般人の反応である。森氏のブログへのコメントにも「あんなインパクトの低い質問で時間を費やすより・・・」とかの発言があった。コメントした本人は質問の重要性を認識しているのだが、「一般の人には・・・」ということであるらしい。
確かにネットの大海の中でも、検察審査会について論じられているのは針の先ほどである。大部分のネット使用者はその存在すら知ることはないだろう。ましてテレビと新聞しか情報源を持たない人は、「済んだ検察審査会にいまさらなにを・・・?」であろう。
「検察が悪辣なのは捏造報告書で認識できたが、なんでまた検察審査会などに噛み付いているのだ?」こういうところではあるまいか。捏造報告書の件でもICレコーダーやネットによる報告書類の流出というイレギュラーな方法で国民に広まったのだから、ネットの隅のゴニョゴニョを「質問時間の無駄づかいだ」と切り捨てないでほしい。小沢氏と元秘書たちの法廷での戦いはまだ終結していないのだから。
私個人とすれば、森議員と稲田局長とのやり取りは面白かった。ほとんど予想できた答弁だったが。しかし「出張先が近すぎるから出張管理簿には記入しない」という答弁は真っ赤な嘘なのは見ていた人には分かったろう。実際の記載内容と明らかに矛盾していたからだ。
だがそこから先の「質問の目指すところ」まで分かった人は、はたして何パーセントいただろうか? 「早くほんとうの出頭した日をゲロしちゃいなさいよ」と言っているのだ。もっと言えば「検察審査会に義理立てする負い目なんてないでしょ、なんでそんなに隠すの? 早く楽になりましょうね」と耳元で囁いていたのだ。まるで検察の取調べとどっこいどっこいだ。最終的には「起訴議決の無効」なのだが。
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