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仕事があろうが無かろうが、定年退職時まで「職場」が確保されているのが公務員である。そして最もよい職場環境とは、指示に住民が完璧に従ってくれる環境である。そうであればこそ、退職時に「○十年の長きにわたり大過なく過ごすことができ・・・」と感想を述べることができるのだ。
それでは最悪の職場環境とはどのようなものか? 住民が自分の意思として指示に従わなくなった状態を抱える職場であろう。国民・住民あっての公務員だから、住民に拒否されてしまうと職務全般がストップしてしまう。あとは上層部への報告書作製に時間を費やすしかない。苦労を知らない上層部は「何をやってるんだ」と尻を叩くだけでだし。
結局、内心では国民を馬鹿にしている公務員でも、最も恐れているのは(役人の)制御の利かなくなった「民意」である。でなければ「猫なで声」を出す必要もないし、国民を「だます」必要もまったくないのだ。デモは警官隊に取り締まりさせればいいとマニュアルに書いてあっても、デモは「国民が自分の意思として指示に従わない」行動の現れである。だからこそ「一部の国民は」と矮小化に勤めるのだ。やがて「大部分の国民」になり「全国民」になっていくのは彼らにとって悪夢でしかない。
政治家を丸め込むのは容易いことでも、民意を丸め込むのは簡単ではない。だから「国民の目と耳」であるメディアを味方につけるのだ。彼らは好き好んでリークや一斉報道を演出しているわけではない。省庁が入口のドアを開ける時は何か企みがあってのことである。
それでも新聞とテレビしか知る方法がなかった時代ならば、上手くいっていた。しかしネットで企みに次々と「解説」される時代では、かえって逆効果である。報道した記事は後まで残る、新聞紙のように1日でポイではない。ゆっくりと検証することが可能なのだ。
思い通りに事が運べない世の中は、役人にとってストレス以外の何ものでもないだろう。検察が全面可視化に抵抗するのも根はおなじだ。しかし歴史の歯車は逆には回らない。
「嫌なものは嫌だ」あるいは「おかしいものはおかしい」と感じる個人が、実はひとりではなかったと知らされるのがネットの醍醐味である。これがない時代は「単なる変わり者」で終わっていただろうが。
ゴミ屑のようなネットの中に書き込んでも、共感者は現れるときは現れる。ネットがオタクの使用物である時代は確実に過ぎ去りつつあるのに、まだ気がつかない者がいるのだ。
「ネットは危険だから近付かないほうがいい」確かに自動車の運転も同じく危険なのだ。しかし自動車は、今や金持ちのステータスから庶民の必需品になっている。地方では、自家用車がなければ買い物や病院に行くこともままならない。人家がまばらな地方では、公共交通機関よりも自家用車のほうが効率がいい。だから人は動いているのに、バスが減便や廃止になるのだ。
ところで今回の小沢氏裁判でアッと言わせたのが、ICレコーダーの録音とロシアからの捏造報告書類の暴露であることは誰も異論はないであろう。両方とも役人からみれば「反則」である。しかし罰則よりも多大な事実を国民に知らせてくれたから、違反を問う声はほとんど聞こえてはこない。
本来なら無断で録音した音声は証拠として認定はされないはずなのだ。秘密書類の暴露も同様である。しかし「事実」であったからどちらも国民に再考を促す結果になったのだ。
いかに役人が罰則を強化しても無駄である。小さくなったレコーダーはどこにでも隠せる。被疑者を裸にして検査しなくてはなるまい。そんな事をするより、他人に聞かれてまずい取調べをしなければよいのだ。どうしても昔からの取調べ方法から抜け出せないのであれば、辞職するしかない。
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