http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/621.html
Tweet |
『迷ったとき読む本』と『つらいとき読む本』を読んだ。
どちらも似たタイトルだが、中身は真逆。
『迷った〜』はバブル最盛期のビジネス啓蒙書で、『つらいとき〜』は小林 昭洋という若い難病患者の人生指南書。
『つらいとき〜』にはいろいろ学ばされた。著者いわく、苦しみは自分の理想と現実のギャップからくる。そして得てして理想は他者との比較による。考えてみれば理想も社会の助け無しにはほとんど実現しない。そのような他力本願の要素に頼っている上に、理想とはいかに小さな障害で吹き飛ぶものか。
小林も20代で難病にかかり外国の移植手術で奇跡的に命をとりとめた人だ。もちろん彼のいうことは理想を持つなということじゃない。ただその蜃気楼のような理想が崩れても力強く生きることを教えている。そして絶望的な現実に生きようとも、それもまぎれなくアイデンティティーを持った自分自身だと繰り返し訴えている。いわば攻守で言えば守を重視する状況で書かれた本だ。2008年出版の本だが、バブル破裂20年を経て震災後の日本人の生きる指針になる本であるのは間違いない。
そして『迷った〜』はバブル最盛期の1988年出版だが、これも2008年の再出版されたビジネス啓蒙書の名著だそうだ。こっちは攻守で言えばもっぱら攻撃一方。しかし、正直読んでいて最後のほうは気分が悪くなり、現代の新卒を控えている大学生なら大企業への就職をためらうんじゃないかとおもった。
著者の田中真澄は元日経記者や日経マグロウヒルの編集者で独立後、日本で最多の講演を行った人だそうだ。生まれが1936年だから80年代後半には同年代の経営者に引っ張りだこだったのもうなずける。しかし、それは同年代に自己確認をさせる場を与えていただけではないのか。
著者の教えを簡単に言えば「努力」「忍耐」「根性」「長時間労働」だ。大前研一など米留学組に比べるとわかりやすさ、日本らしさが中小企業のおやじさんたちに受けたのかもしれないが、それにしてもすべてが企業の社員酷使に直結する古い価値観だ。おもえばこのような単純な企業への献身で出世できた団塊シニア世代は戦争でかなり死んだ大正やニート化した平成世代に比べれば幸せだった。努力をエフォート、根性をガッツと訳してもやはりビジネス啓蒙の本場アメリカのそれとは日本流の異質さがぬぐいきれないのだ。この本でよく模範にされるアメリカ人のビジネス成功者にとっては努力も根性も個人的な利益を目標にしている。しかし、日本の場合のそれはいかに企業利益のために負担を負いこむかということに集約される。すなわち己を捨てどこまで企業共同体の利益に尽くせるかでその社員の価値や出世が決まる。
しかし、現代の若者やリストラ時代を経た現代の中壮年にもその論理の隠れた利己性は明白だ。例えば長期に過重労働をしていれば社員個人にとっても企業全体にとっても労働効率が落ちるのは少しでも科学的経営学を学んだものには明らかで、それを承知で行うのは過酷な出世競争や首切り回避以外には考えられない。著者はこのような現代サラリーマンの皮相な傾向を視野の狭い生活重視としきりに嘆いている。プロジェクトXで描かれているような高度成長期なら大きなリターンを期待して徹夜もいとわず働くことも経済的に見合っていたかもしれない。なにより当時は終身雇用や年功序列が約束されていたからそのような過重労働も多くは部下を持つまでの数年間だった。
しかし、それが恒常化しQC活動で締め付けられたあげくゴムの伸びきって先進国でも低い生産性に低下したのが現代の日本企業じゃないのか。それに反発する過去の夢を追う企業は今はブラック企業などと言われているが、プロジェクトXで描かれたような徹夜につぐ徹夜で成功した企業プロジェクトは当然一部であり、多くはただ社員の酷使や使い捨てにつながったことは明らかだ。
そして、なにより気分を悪くさせるのは田中の本には一言も社会やあるいは国への貢献という言葉さえも出てこなかったことだ。彼は企業とその企業の中の個人の利益に終始する。彼の講演もほとんどソ連のコルホーズの政治委員の演説みたいだったのだろう。
そして、この手の日本版ビジネス啓蒙書の多くはアメリカのカーネギーとかフォードとかの経営哲学を基盤にしているようで実は表面的装飾に過ぎない。その中身は紛れもなく伝統的な農村文化の上に戦後、企業に持ち込まれた旧軍の行動様式や精神性なのだ。ちなみに田中も第二次上海事変前年の昭和11年生まれで満州引き上げ組みだ。
そして彼のような昭和一桁以降の生まれが遅くて徴兵されなかった世代や大正世代で出征した者でも前線から遠い安全な地域にいた者、あるいは軍の比較的高位で命を全うした者、そして銃後でただ威勢良く威張り散らかしていた某都知事のようなショウビニストや受動的に軍国教育や宣伝の影響を受けた大多数が、戦後の社会とくに学校と企業社会のエトスの担い手となった。高度成長期を背負ったのもまさにこの人々だ。(ちなみにプロジェクトxの企業英雄たちに非常に多くの兵学校や予科練出身者、徴兵された者がいるが、前線に従軍している者ではなく、サムライ的好戦性を維持しつつ復員した者たちだ。)
前線で地獄を見た兵士や戦災で家族を亡くして戦後も苦しみぬいた民間人など、本当に盲目的で狂気に犯された組織や集団の恐ろしさを見た者は残念ながら極めて少数派だった。当然、敗戦の将、戦を語らず彼らの生き方はモーレツ社員からは程遠い静かな家族を大事にした者が多かった。
そのような観点から見れば田中が説く古く苦しい労働倫理や企業観に縛られ右肩下がりの日本の企業、経済、あるいは社会は、未だ戦中の亡霊に取り付かれ自縄自縛で自らを省みて成長できない現代日本人の精神を表しているに過ぎないのだろう。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。