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検察審査会の本来の業務は検察を裁くことである。だから、検事を呼んできて話を聞くことはあっても、被告人となるかもしれない者に話は聞かないのだ。分かりきったことなのに、これがなぜか逆転している。検察が起訴できなかった者を替わりに起訴してやる組織、つまり「疑似検察」ではないはずだ。マスコミは考え違いをしているし、マスコミを目と耳にしている国民も同様に認識違いをしている。
だから意識を正常な状態に戻さなければならないのだが、間違った意識に則って実践してしまったのが今回の「小沢氏の検審起訴」である。あるいは逆に、間違った実践によりマスコミを通じて我々の意識が「異常な状態」を正常と錯覚してしまったのか。検事が語ったとされる「小沢氏は検察審査会によって起訴されるだろう」という言葉が、本来はおかしい言葉だということをマスコミは真っ先に気が付かねばならなかったのだ。検察の者が自分たちを裁く検察審査会のことを口にしたときに。
この発言によって実際は、検察と検察審査会は敵対関係にはないということが分かった。どちらかというと補完関係にあると検察自身は見ているようだ。こんな言葉が一検事の口から出てよいものだろうか? さらに悪いことに、裁判所は検察審査会を甘やかしている。嘘八百の資料と支離滅裂な議決書をもってしても、議決は無効にはならない。素人が8人以上で「起訴したい」と思ったら、容疑を掛けられたものは法廷に立つことを絶対に逃れられない。1審で冤罪が晴れたとしても、指定弁護士が控訴して延々と裁判は続く。なにかおかしいとは思わないか?
こうした認識の逆転は私が考えるに、検察審査会が2度の起訴議決により検察を通さずに起訴できる制度に改訂されてからではないか。検察や警察や公務員の身内に甘い不起訴処分に対して「検審起訴」で対抗するのは、誰もが納得できる。しかし今回の小沢氏の検察による不起訴処分は身内に甘い判断だったといえるのか、2年余りも捜査されてしかもマスコミにたっぷり泥を塗られて。
甘い判断のおかげを被った人たちは、ほかに沢山息を潜めているのではないのか? 特捜部が捜査に入りもせず従って「不起訴の判断」も当然なく、検察審査会には手出しできなかった案件が。
検察審査会の制度改訂をした自民党政権は、政権交代によって野党になったときにこの剣が自分たちに向けられるかもしれないとは考えなかったのだろうか。確かに検察が捜査に入らなければ、検察審査会などはお飾りにすぎない。動かない検察を検察審査会が裁けるはずがないから。では、政権を離れてもなお検察に捜査を思い留まらせる「安全弁」があったのか? 「すぐに復帰するよ」の口約束は、もはやあてにはならないのに。
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