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バブル経済崩壊後、すなわち日本企業が低迷し始めてから、多くの企業で導入されたのが「成果主義」である。個人ベースの実力評価主義だ。しかし5〜7年くらい前から、成果主義の弊害が顕著に報告されるようになった。そのため個人ベースの成果主義を撤廃し、本来の組織一体型の評価制度へと元に戻す日本企業が多くなった。
実は、日本企業が成果主義へと舵を切った時代、成果主義が中心だった米国では、日本式の組織一体型評価制度が志向され始めていた。なんとも皮肉なことではないか。結局、振り回され、嫌な思いをしたのは日本企業だけだったということだ。
一方、IT技術を駆使してシステム構築やERPを導入する日本企業は、成果主義導入とほぼ同時期くらいから多くなっていった。そして、いまだにシステム構築やERPを導入する日本企業は後を絶たない。そのように現在、多くの日本企業はシステム・ソフトウェア・ハードウェアなどのIT技術に過度に依存している。
ところが最近になって、ITに過度に依存する弊害に気がつき、脱ITを唱える日本企業が現れ始めた。ITに過度に依存することで、「物事を根本から考える」ことが無くなってしまったからだという。そして、脱ITによって生産性をアップさせた日本企業が徐々に増えている。
過度な成果主義やIT化により、日本企業の生産性は一時、向上するかもしれない。しかし、それは長続きせず、長い目で見れば逆に、社員の考える力を減衰させてしまう。
どうして、そのようなことになってしまうのだろうか?
直接的な答えになってはいないが、私なりに以下のとおり考えてみた。
人には他者とコミュニケーションするための能力が与えられている。コミュニケーションするための言葉がある。しかし最近では、対面によるコミュニケーションの機会が、やたらと少なくなった。その大きな要因として、インターネットや携帯・スマホの爆発的な普及が挙げられる。
それらによって、私たちは手軽にコミュニケーションできるようになった。しかも、それらは直接的なコミュニケーションを必要としない。コミュニケーション先の相手の都合を考えなくても良い。自分の都合で手軽にコミュニケーションできるようになった。そして、言い難いことを嫌な思いもせず、相手に伝えることもできる。
そのように、「人と人との交流の仕方」が徐々に様変わりしている。「人と人との繋がり」が変わりつつある。人と人との接点のエリアは広がり、接点の数も増大した。しかし、その接点の質は表層的、かつ短絡的になってしまったような気がしてならない。接点の数とボリュームは増えたが、その分、接点の質が落ちたということであろうか。いや、量は増えたが、それ以上に質が落ちたという方が正しいのかもしれない。
一見するとIT・通信技術が発展し、便利な世の中になった気がする。しかし現実を見れば、それは「人と人との繋がり」が衰退するのを後押ししている。人間の本質である「人との絆」が衰退するのを後押ししているかのようである。お互いに繋がり合う潜在意識があるといわれているものの、おそらく、人と人の対面でしか交流できない何かがあるからであろう。
そのようにして人とのコミュニケーションの質は落ち、人との間で行き違いが多くなる。必然的に人とのトラブルは頻発する。便利と感じるのは、短期的視点を持つからである。物質的視点を持つからである。表層的視点から物事を見るから便利と感じるのである。
「本質的視点」を維持するのは難しい。刺激的な誘惑が技術進歩と共に多くなってくるからである。「長期的視点」や「精神的視点」から物事を見ると、今まで見えなかったものが見えるようになる。
ただし、ここで言いたいことはIT・通信技術が悪いということではない。あくまでも技術は手段であって、それに過多に依存し、利用する人間自身が悪いのである。人間の「心の持ちよう」がおかしいからである。手段、すなわちIT・通信技術に責任は無い。
人とのコミュニケーションが適切であれば、怒り・恨み・妬み・嫉みなどは起こりえない。それでは、何故、適切なコミュニケーションが取れないのだろうか?
私たちの考え方が物質的・表層的・短期的になったからである。短絡的になったからだ。
「その場、その時の考え方」に支配される。「一貫性」など無くなった。物事を空間的にも、時間的にもバラバラのまま見る癖がついた。「全体像を通して見る力」を失った。
それにより、自分自身を客観的に見ることができなくなった。そして気がつけば、人の立場に立って物事を考えることすらできなくなった。
私たちが適切なコミュニケーションを取れないのは、考え方が短絡的になり「自己理解」と「他者理解」を失ったからである。自己理解と他者理解は人間社会では大変、重要なものである。
心理学者のユングが次のように語った。「人間の潜在意識はお互いに結合している」と。いまだ解明されてはいないが、それを信じる者は少なくない。
人間とは不思議なもので「直感的に真実を見抜く」のである。それは本来、人間として備わっているべき能力である。
しかし日本社会は、今まで物質的なものや刺激的なものを志向してきた。そのようなものを価値あるものとみなしてきた。米国式の生活スタイルとビジネススタイルが世の中に蔓延した。大家族制度が崩壊した。地域コミュニティが崩壊した。家族そのものも崩壊しようとしている。そして、日本国民は「孤立化」あるいは「孤独化」に向かっている。
そのように私たちは、本来人間として備わっているべき精神性を阻害するような生き方に傾斜してきた。そのため、本来備わっているべき「直感力」は鈍っていく。そして、「真理と本質を見抜く能力」は、いつしか無くなってしまった。
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