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検事の誰かが元秘書の取調べのときに「小沢氏は検察審査会によって起訴されるだろう」と言ったとか言わないとか。検事が、検察組織とは別な検察審査会の行動予測を口走ったことも不思議だが、「起訴されて有罪になるだろう」とは言わなかったことも不思議である。
検察の流儀でいえば起訴された者はほぼすべて有罪になるのが当たり前なのに、やはり素人審査会では起訴はできても「有罪判決」は無理だと思っていたのか? 検察が無理だと諦めた案件を検察審査会ごときが裁判で勝てるわけがない、というプライドもあったのか。たいていの政治家なら起訴されただけで政治生命が尽きるから、これでも充分な脅しにはなるのだが。
本来なら2年余の歳月をかけて徹底的に捜査したのに肝心の「ボス」を起訴するには至らなかった段階で、まず最初のプライドの破損が起きる。次に、諦めきれず素人を騙して起訴させようと姑息な手段をとったことで、第二のプライドの崩壊が起きたはずだ。そして裁判の結審を見据えた起訴をし得なかったことで、プライドは完全に消えうせる。起訴した後のケアまでは不可能だったということだ。
かようにプライドを投げ捨てる行為を検察があえてやったのだから、たとえ「有罪」を勝ち取れなくてもよほど小沢氏を起訴したかったのであろう。しかしこの行為は、検察の業務倫理を逸脱している。ある意味無茶苦茶な起訴を後押しすることを、検察のトップは了承していたのか? 特捜部の暴走ということなら、検察は組織の態をなしていなかったことになる。人を起訴する組織なのに。
有罪にできそうもない容疑者を起訴させてしまったという検察にあるまじき行為を、検察のトップは知っていた、と私は思う。でなければ「捏造報告書」は検察の外の検察審査会には出てゆけない。特捜部が二種類の報告書を使い分けていたという事実も最近判明したらしいが、それでも下部組織のやっていることは、上層部が認識していたはずである。いまさら「だまされていた!」などという言い訳は通用しない。
疑問点は、なぜプライドを投げ捨ててまで小沢氏を起訴したかったのかである。ICレコーダーの一件がなければプライドは保たれたとも考えられようが、いずれはばれる。なにしろ議決書には「石川氏の報告書」として、起訴議決の有力な根拠になったことが明記されているのだから、存在を隠せはしない。
ここからは私の推論だが、この件は検察よりもさらに上の組織か人が指揮したのではあるまいか。でなければ検察にとって苦渋の選択をした説明がつかない。勝ち目もないし、もし万が一勝ったとしても自分たちには何の栄光も与えられない選択をした意味が。断っておくが、だから検察は被害者なのだと言ってるのではない。実際に手を汚していることは紛れもない事実なのだ。その上で首謀者が「沈黙」とマスコミの応援でどこまで逃げ切れるかは不明である。最大の誤算は、国民が徐々に「この裁判は始めからなにかおかしい」と感じ始めたことであろう。
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